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9 二度目の落第

 試験についての詳細が書かれた貼り紙がされたのは、ご主人様と食堂に行った日の二日後のことだった。


 その日も相変わらず寒い日が続いていて、遠く北のほうで初雪というニュースが流れていた。


 登校して、掲示板を確認するまでもなく、学校中に貼り紙がされていて、試験の内容や受験資格、日程などが記されている。


 カラフルで目立つけれど、派手なだけ派手で、芸術性に乏しいポスターだ。文字もへたくそだ。圧倒的達筆の私のおじいちゃんと比べると、この文字の何と稚拙なことか。


 食堂にも、体育館にも、至るところに、この貼り紙がある。試しに校長室の前に行ってみたら、ドアにババンと、ひときわでかいポスターが貼られていた。校長は不在だった。


 いつもと同じように薄暗い廊下を進んで、ご主人様がいる古文研究室に向かう。ご主人様の部屋の前にある掲示板にも、やっぱり貼り紙があった。


『来たれ新世代! 君も正義の教員になれる! 学園の未来を担うのは君だ!』


 兵隊募集みたいなキャッチコピーと共に、教員選抜試験について記されている。


 この学園の良いところは、生徒の自主性を尊重するところであり、優秀であれば新入生であろうとも飛び級で人を教え導く立場に立てるのだ、とか、そういったことが書いてある。他には、この学園の前身は哲学を基盤とした学校であり、そこから分かれた一派が、この学園を創設し、百二十年以上もの歴史を紡いできた、とかそういった学園史もちょこっと書いてある。


 その中で、何より衝撃を受けたのは、受験資格のところ。夏の試験では、『本校所属の学生』としか書かれていなかったのが、『本校所属の学生および教員』に変化していたのだ。


 MOCAが全教科を受け持つことになったことで、仕事を失った「先生」という肩書きの人たちが、選抜試験に参戦する。これが何を意味するか。それは、ただでさえ高い倍率が、また急激に高くなってしまったということ。


 今まで教師をやっていた人たちに、私ごときが勝てるのかな。


 いずれにしても、申し込まなくては可能性はゼロなので、書類を提出しなくては。


 私は、研究室の鍵をあける。ドアを押し開けると、部屋は暗くって、誰もいないようだった。ご主人様は未だ来ていないらしい。


 いつもの席に座って、背筋を伸ばし、選抜試験を受けるための書類を作成する。


 名前とか、フリガナとか、電車で一時間ほどのエリアにある住所などを書き込んでいく。


 手書きで、一字、一字、真剣に、丁寧に、書いていく。我ながらなかなかの達筆だ。


 ふと、人間の気配を感じて顔を上げた。


 いつの間にかご主人様が、いつもの席に座っていた。


「あっ、ご主人様、おはようございます。すみません、挨拶しそびれて」


「おはよう。いや、珍しく真面目な顔で書類作成していたみたいだったからね、お邪魔しちゃいけないと思って」


「試験のポスター、見ましたか? あの派手な……」


「そりゃね。あれだけべたべた貼ってあったらどうしても目に付くし、そもそも、あのポスターを作ったのは僕だからね」


「えっ」


 あぶなかった。派手な上にダサくて芸術性の欠片もないポスターって言ってしまうところだった。まさかご主人様が作っていたなんて。


「昨日、校長に作れと言われて、急ぎで作ったからね」


「わぁ、さすがご主人様です。一日で作ったとは思えない素晴らしい出来ばえです!」


「そうかな」


「そうです! しかも、みんなが登校する前に校内の至る所に貼って回ったなんて、すごい!」


「いや、貼って回ったのはMOCAだけど」


「あ、えっと、はい、いえ、それでもご主人様がすごいことに変わりはありません!」


 私は必死にご主人様を称えた。大好きなご主人様を。


「何か、気になったところはなかった?」


 ご主人様は、私の実力をはかるように、聞いてきた。そこで私は、これで何とか誤魔化せて幸いとばかりに、大いに気になっていた箇所を勢いよく口にする。


「ありました。受験資格のところです。これは、この試験は、どうして、学生だけの試験じゃなくなったんでしょうか」


 するとご主人様はにやにやしながら、


「何でだと思う?」


「……もしかして、『邪教に染まった人間』と『実力無き汚職教師』のあぶりだしのため。そいつらを排除するため……ですか?」


 頷いてくれた。ご主人様たち試験官チームは、試験を踏み絵にするつもりなのかもしれない。


「そう。そこまで考え至る思考力があるなら、受かるさ。大丈夫。心配いらないよ」


 勇気があふれてくるような言葉をくれるご主人様が、本当に大好きで。私は、感動のあまり、いつもより高い声で言う。


「ありがとうございます、ご主人様!」


  ★


 私は、第六校舎の地下にあるコンビニの前で、落ち込んでいた。


 この通路は明るい照明の食堂に比べれば、暗黒も同然で、敗者に良く似合う場所だって思う。


「……………………」


 私は、黒いメイド服が真っ白になるんじゃないかってくらい、落ち込んでいた。あるいは、真っ白なエプロンがどす黒くなるんじゃないかってくらいの暗黒オーラを放っているのか。それとも、既に死んじゃって仏の道を信ずる者たちによって白黒の帯に囲われ、お経を背中で聞きながら冥土に乗り込んでいるのかもしれない。


 私の未来は真っ黒。解答用紙は真っ白。

 見える景色は色彩を失って白黒。そういう感じだ。


 合格した人は白星。私はひどい黒星。もうだめだ。


 試験が行われた。会場はこの学園で、MOCA先生の監視のもと、張り切って受験したわけだ。試験は論述式で、与えられた設問を自分で考えて埋めていく。


 見つめれば見つめるほど、どう書くべきか、わからなくなる問題だった。


 ――聖人とは何か。

 ――学問とは何か。


 本当に眩暈がするほど悩みに悩んだ末に、私は、白紙で提出することになった。


 清書用の解答用紙に、一滴の墨が落ちることも無かった。


 何か書かなきゃと焦っても、何もはっきりとした答えを出すことができなかった。とりあえずの答えさえ出せなかった。白紙なんかで出したら、どんなライバルがいたところで関係ない。不合格が確定するだけだ。


 未熟すぎる自分が嫌になって、しばらく駅のホームにあるベンチで頭を抱えていたけれど、ヴァーミリオン先生のメイドという仕事が私にはあって、仕事であるからには責任がある。仕事に穴を開けるわけにはいかない。だけども、あんな解答用紙を提出してしまって、ご主人様に顔向けができない。


 だから、今、第六校舎のコンビニの前にある薄暗い通路で俯いているわけだけれど、やっぱりそろそろ行かなくてはいけない。


 ここは現実だ。夢の世界じゃない。自分の仕事をこなさなきゃ。


 ヴァーミリオン先生のメイドという仕事は、私が望んだものなのだから。


 私は、ゆらりと立ち上がる。エレベーターのボタンを押した。エレベーターの扉が開いた。閉じる寸前になって、滑り込むように乗り込んだ。


 まだ学生たちが登校していない時間帯だからといって、やってはいけないことだけれど、四階に上がるまでのボタンを全て押した。各駅停車。一階に停まり、二階に停まり、三階に停まった。ついに四階に停まったけれど、決心がつかなくて、五階に続くボタンを押した。


 五階の扉が開く。私は、ヴァーミリオン先生の部屋がある四階では降りずに乗り過ごし、五階にまで来た。五階からさらに空中に浮いているような階段を二十段くらいのぼると、屋上へ出る。


 屋上の上には、もう抜けるような青い空しかなかった。私の顔色のように病的な真っ青さでもあり、私の心とは裏腹にさわやかでもあり、天空というのは、本当にわけがわからない存在だ。わたしは、そらに向かって真っ白な息を吐く。それでまた、真っ白な答案を思い出してしまって、とても暗い気分になった。


 第一校舎の屋上ほどではないけれど、第六校舎の屋上も、そこそこに見晴らしが良い。


 数年前に新しく完成した高い鉄塔が見えるし、そこらへんのマンションにくっついてる給水塔が見えるのも良い。特に、鉄骨の上に丸い球がついた七夕飾りのような形をしたものが好きだ。私は、かねてから、給水塔というものが、どうも宇宙に飛んでいくもののように思えてならないのだ。七夕とは程遠い季節だが、今こそ、あの給水塔に搭乗して、宇宙の果てまで飛んでいきたいと心から思う。


 ――ヴァーミリオン先生のところに行きたくない。


 いっそ、ここから飛び降りてしまおうか。そんな思考も一瞬だけ脳裏をよぎった。すぐに振り払う。それこそ、ヴァーミリオン先生に申し訳ない。


 私は、屋上の通路をぐるぐると歩き回った後、屋上を後にする。自動扉を出た後、つい青空を振り返ってしまったのは、やっぱりどうしてもヴァーミリオン先生の部屋に行きたくないからに他ならない。


 私は、階段を降りる。


 一段下がるごとに、天から与えられた私の寿命が一年ずつ縮んでいっているように思えて、気が滅入ってくる。


 まともに動け、私の足。


 心の中で両足を励まして、なんとか扉の前に立った。曇りガラスの向こうが真っ暗なのがわかる。ヴァーミリオン先生は、まだ部屋の中には居ないようだった。


 震える手で鍵を差込み、回す。


 人生で最も重たそうに見えた扉を押し開ける。


 寒い。室内だから屋上よりも寒いなんてことがあるはずないのに、そこが酷い極寒に感じられた。本当に、ああ、寒い。酷い寒気が襲ってくる。私はいつも自分が座る席を一瞥した後、ご主人様がいつも座っている整理整頓されたエリアを見つめ、どこにも座ることなく、部屋の奥へと歩を進めた。


 電気を点け忘れたことに気付き、鍵を穴に差しっ放しだったことにも気付いたけれど、もう入り口に戻る気力もなくて、ヴァーミリオン先生が入ってきて顔を合わせてしまったらどうしようって、怖くて。


 ただただ、ひんやり金属製の書架に身体を預けていた。


 真っ暗で、すごく寒くて、それが未熟すぎる自分にはお似合いで、涙がぼろぼろ流れてきて。


 やがて脚に力が入らなくなって、その場に座り込んだ。


 もうこの際だ。ご主人様にだらしないと叱られるかもしれないけれど、ここにぐったりと寝転がってしまえ。


 今ここで大きな横揺れの地震が来たら、きっと両側の棚から本がバッサバッサと落ちてきて、埋まってしまうだろう。


「生き埋め、か」


 ご主人様の大好きな本に埋もれて死ねるなら、本望だ。是非とも埋まりたい。


 不意に、音がした。がちゃがちゃという金属がこすれる音。この音を私は知っている、研究室の鍵と鍵穴が奏でる音だ。


 続いて、電気が点いた。天井の蛍光灯が何回か明滅してから、黄色がかった光を放つ。


 足音と背中のかすかな振動が、ご主人様の歩くリズムを伝えている。


 もう、逃げられない……。


 私は涙をぬぐってから、目を閉じた。


 狸寝入りをして、少しでもご主人様との会話を後回しにしたいんだ。


「そんなところに寝て、どうしたんだい」


 予想外の優しい声が、私の胸を締め付ける。


 試験のために、先生に色んな話を聞いた。この場合はどうすべきかとか、どういう行動が好ましいかとか。ご主人様は、過去の事例を引っ張ってきて、その広くて深い知識を私に授けてくれていた。それなのに、私ときたら、驚きの白さで答案を提出してしまったんだ。


 目を開けたら、ご主人様の目が、あの美しい瞳が、私への負の感情で濁ってしまっているんじゃないかって、とても、とても、おそろしくて。


「せっかくの可愛い服が、埃まみれになってしまうよ」


 またしてもご主人様の優しい声。


 私は、反応を示さない。寝たふりを決め込み続ける。


 そしたら、ヴァーミリオン先生は、呆れた色の溜息を一つ吐いた後、言ったのだ。


「テスト、どうだった」


 ぴくりと肩が弾んでしまった。嘘寝を続けるぞ、と心に決めていても、テスト、その単語を耳にした瞬間に、私の心は尋常ならざる反応をみせたのだ。


「起きてるよね。寝たふりはよくない」


 そこで私は観念して、むくりと起き上がる。その拍子に、頭にあったひらひらの飾りが絨毯に落ちた。


 起き上がったはいいけれど、目を合わせられない。ご主人様はしゃがみこんでいて、目線は私とほぼ同じ高さだったけれど、試験で大失敗した今は、こんな、同じ目線でおしゃべりするなんて、できやしないって思って、すぐさま私は俯いた。


「ごめんなさい……」と私は言う。


「どうしたの」と彼が言う。


「だって、試験が……」


 そしたら、彼は何も言わずに、ただいつもの澄んだ目で私を見つめてくれていた。


 今は、そんな、底なしの優しさが、私を苦しめる。


「私……」震えた声で、私は言う。「私、落ちました。絶対ぜったい、落ちました」


「結果が出てみないと、わからないじゃないか」


「だけど、ご主人様、問題を白紙で出しても、合格できますか?」


 私は、ご主人様の宝玉のような瞳に向かって尋ねた。


 僅かに濁ったのが、答えだ。


 先生は負の感情を誤魔化すように、優しく笑いかけると、懸命に私を慰めようとして、こう言った。


「考えにくいけど、もしかしたら、白紙が正解ということも、あるかもしれない」


 本当に、本当に、本当にやさしいなぐさめ。


 ご主人様の手が、私の頭を撫でてくれている。


 こんなに優しい先生の期待に、応えられなかった……。


 情けなくて、ふがいなくて、悔しくて。


 私は、とうとう声に出して泣いて、しがみついて。


 ご主人様は、ただ黙って、わんわん泣いている私を抱きしめてくれていた。


 朝から昼になって、やがて夕方になって私が、泣き止むまで。


 最高の先生を、一日ずっと独占し続けるなんて、こんな贅沢なこと他にないよなって、後になって思った。


  ★


 翌日、試験の結果が貼り出された。


 インターネットで受験番号を照会すれば見られるし、特設された電子掲示板でも見られるし、木製の年季入った板にも貼り出されていた。そのいずれにも、私の番号は無かった。


「申し訳ありません、ご主人様」


 私はいつもの席に座る先生に、深々と頭を下げる。


 ヴァーミリオン先生のメイドという肩書きに羞じないような成績を残せなかったことが、本当に申し訳ないと思う。


 ご主人様になぐさめてもらって、何とか心の健康を保っているものの、やっぱり顔を合わせづらいことに違いはなくて、私はまた、しばらく顔を上げられないでいた。


「大丈夫。何回も落ちた人を、僕は知っている。それでも、這い上がった先輩たちが、いっぱい居ることも」


「本当に、申し訳ございません」


「大丈夫、次はきっとできる。古の言葉をもっと知っていくことで、あらゆることが、ちゃんとわかるはずだから」


 それでもやっぱり、私は頭を上げることはできなかった。


 あまりの出来の悪さで、ご主人様に迷惑をかけたような気分で、罪悪感でいっぱいなんだ。


 次の夏には、試験に合格したい。先生と同じ、教師という立場になりたい。今までよりも多く、ご主人様を助けることができるように。


 私は、現実を直視する。


 ノートパソコンの画面をにらみつけてやる。


 そこに私の番号は書かれていない。


 今日は、「自分に実力が無い」という現実を一日じゅう見続けて網膜に焼き付けようじゃないか。


 だけど……。


 こらえ性の無い私は、さっそく画面から目を離して、天井の温風が出てくる通風孔を見ながら考え事を開始する。


 だけど、どうして私は、ご主人様の個人レクチャーを受けているのに、答えを出せなかったんだろう。どうしてご主人様ほどの人がはじき出した“答え”を何度も聞いていたはずなのに、納得できなかったのだろう。


 ――聖人とは、学び続けて至るべきもの。

 ――学問とは、それを追い求め続けなければ人間ではなくなってしまうほど大切なこと。


 それは知っている。知っているのに、どうして私は、それを、息苦しく感じてしまうのだろう。どうして答案にそう書けなかったのだろう。


 こうすべきだ、とか……。

 ああすべきだ、とか……。


 嗚呼、でも、そうか。きっと、少し息苦しく感じてしまうのは、私が未熟だからだ。


 ご主人様が言っていることを心から信じて、もう一度取り組んでみよう。


 次こそは、どんな設問をされても当意即妙に回答ができるように、たくさんの知識を身に付けて試験に臨もう。


 もっと勉強すれば、何でもわかるようになるはず!

 私は決意して、顔を上げた。ご主人様が、柔和に微笑んでいた。


「元気が戻ったみたいだね」


「はい、ありがとうございます、ご主人様」


「君と一緒に、世の中ってやつの全てを解き明かすことができたらいいと、心から思うよ」


「ご主人様……」


 最高に嬉しい言葉で、私を慰めてくれて。私はとても感激して、今すぐご主人様に抱きつきたくなったけれど、二度目の抱擁は試験に合格した時にとっておこう。


「次こそは、絶対に合格します!」



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