8 試験について2
気を取り直して、二人で食事を開始した。
私は崩されたオムライスを豪快に頬張り、ご主人様は焼肉丼を食べている。
「ご主人様、ふと思ったんですけど、MOCAって、人間とそっくりですけど、ごはん食べるんですか?」
「ずいぶん唐突だね。最近、MOCAについての質問が多いけれど、そんなに気になるなら、僕らの研究室より一つ上の階に秘密の工場があるから、見に行くといい」
「え、でも、私なんかが、そんなところに入っちゃいけないんじゃないかって……」
「何を言ってるんだ。君は、校長室に出入りしている一握りの人間のうちの一人じゃないか。それに、僕の相棒でもある」
「えっ、相棒だなんて、そんな。私なんて、ただのメイドです」
「……メイドね……。さっきみたいなことは、二度とやって欲しくはないな」
また釘を刺された。よほど気に入らなかったのだろう。
「えっと、ヴァーミリオン先生は、メイドはお嫌いですか?」
「別に、君がその服が好きなら着ていれば良いと思う。実際、美しい君に似合っているし。だが、僕は、さっきのああいうのは、憎悪している」
カタブツだ。ご主人様は、柔軟に物事に対応することが大事だとあちこちで語っているけれど、こういうところは頑なで、私が精神的に傷ついてしまったことに気付いてないのかなと思う。
とはいえ、誰だって自分の常識から外れた行為には、嫌悪感を抱くものだろう。たとえば、私にとって「犬を殺して食べる」ということは想像もしたくないことだけれど、実際に「犬を食べる」という食文化が世界のどこかには存在している。他にも、一人の夫が複数の妻を持つという一夫多妻制が当たり前なっている文化圏もあるんだ。私にとっては非常識に感じるような嫌なことでも、世界の誰か他の人にとっては当たり前のことが確かにある。金丹ジャンキーが見ている世界と、私たちが見ている世界が違うように、生きる場所や立場が変われば、見える世界が変わってしまうんだ。
今回のなえなえシュンに至った出来事を考えれば、ご主人様にとって、メイド喫茶風の「接客」は過剰にして不快なものであって、負の感情を爆発させるものだったに違いない。
自分の中の常識が、他人に受け入れられないこともあるということは、強く肝に銘じておきたい。
ご主人様らしからぬゴミを見るような瞳を思い出す。あんな風に濁らせてはいけない。二度と行き過ぎた萌え行動をしないように注意しなきゃ。人が嫌がる行動をわざわざ選択するのは避けたいから。
「……それで、何の話だったか。MOCAが、食事をするのかどうか、だっけ?」
「え、あ、はい。でも別に、ちょっと気になったっていうだけで、どうしても知りたいってわけじゃないんですけどね」
私がそう言うと、ご主人様は私の背後を指差した。どうかしたのかと思い、示された方角へと振り返ってみる。
……長いテーブルで、MOCAたちが食事をしていた。
黙々と何かを食べている。よく見てみたら、バクバクと焼肉を食い散らかしている光景だった。
肉が全て無くなった後には、コンビニで買ってきたソフトクリームやらケーキやらが次々と出てきて、彼女たちの口へと吸い込まれていく。表情を変えずに黙々と食べていたのだが、私には、どこか嬉しそうに食べているように見えた。
「MOCAたちを動かすには、実は甘いものを投与するのが最も効率の良い方法だ。だけど、MOCAは焼肉が大好物で、食堂に来ては、焼肉とスイーツを食べて仕事に戻ってく」
「すごい食べてる……」
こうなってくると、心配になってくるのがトイレの問題だ。身体に取り込んだ以上は、排出されるものだ。MOCAがトイレに入っているところなんて、見たことが無いし、また想像もつかない。アンドロイドがトイレなんて……。
「トイレの心配なら無用だよ。全て体内で溶かし尽くされて、エネルギーに変換されてしまうから」
私の考えていることなんて、ご主人様にはお見通しみたいだ。
「すごいですね。神秘です。どういう仕組みでそうなっているんですか?」
「話すと長くなるけど、いいかい?」
ご主人様がそう言ったところで、MOCAの集団はぞろぞろと退場した。
と、最後のMOCAが退場した瞬間、不意に、食堂の空気が一変した。
どう変わったかというと、ものすごく不穏なのだ。
相変わらず騒がしいけれど、明らかに憎しみを煮えたぎらせながらご主人様をにらみつけている男が居たり、ご主人様や私を指差しながらヒソヒソと耳打ちしている女たちがいて、ものすごく居づらい。
「……ご主人様、はやく食べて、ここを去りましょう」
「そうだね。その方が良いかもしれない」
ご主人様は、焼肉丼をかきこみ、私はオムライス皿を傾けて飲み干した。
★
研究室の鍵を開けてドアを勢いよく開いた私は、部屋を開け放ったまま、特等席にどかりと座って、ふぅと大きく息を吐く。
コピー機と大きな辞書が入った棚を背負うのが私の席。キャスターつきの青い椅子を前後に何度も滑らせた後、作業デスクに上半身を投げ出した。
「あー、納得いかないです。どうしてご主人様が……」
ご主人様は、入り口すぐの自分の椅子に座りながら、まあまあと私をなだめる。
「だってご主人様は、何も悪くないじゃないですか。どうしてご主人様が憎まれなくちゃならないんですか?」
そしたら、ヴァーミリオン先生は、曖昧に笑いながら、言った。
「憎まれてる原因としては、いくつか考えられるね」指を一つずつ折って数えていく。「一つは、僕の上司である校長がいわゆる邪教徒を弾圧していること。もう一つは、MOCAのシステムを組み上げたのが僕だということがバレている恐れがあり、僕が全ての黒幕だと勘違いされているかもしれないこと。最後に、金丹服用者を全滅させたのは僕の相棒の仕事だけど、それも僕が怨まれる一因になっているかもしれない」
ご主人様は三本の指を折った後、手を解き、デスクトップ型パソコンの電源を入れた。排気音と共に、画面が立ち上がる。
「じゃあ悪いのは、やっぱりご主人様じゃなく、あの――」
「そうだね」
ご主人様は、私が校長を貶めようとしたのを肯定の言葉で遮った。そして、言うのだ。
「大丈夫、手は打ってある」
「え?」
「それよりも、僕が気になっているのは、君の試験のことだよ」
ご主人様は、あからさまに話題を変えた。なんだかすっきりしなくて、苛立ちが募る。
「試験なんて! いえ、試験も大事ですけどぉ……でも、だって、ご主人様は本当に優しくて、正しくて、それなのに、誰かに嫌われてしまうなんて……」
「大丈夫。心配してくれてありがとう。だけどね、君にそんな風に言われたら、僕が、『つまらない人間のつまらない発言を気にして心を動かしてしまうような器の小さい人間だ』って言われてるようで、とても嫌な気分になるから、もう言わないでほしいな」
「あ、も、申し訳ありませんでした、ご主人様!」
私は姿勢を正してから頭を下げた。座り直すと、ご主人様は微笑んでいた。
「君は、とても優しくて、他人の不幸を見過ごせない人間だよね。そういうところは、とても正しくて、とても好きだよ」
「なっ! ヴァーミリオン先生、急に何を仰るんですかぁ!」
私は自分の顔面温度が発火しそうなくらいに急上昇したのを感じた。
――好きだよ。
私は、今、憧れの人に「好き」と言われてしまったのだ。
そういう「好き」ではないとわかっていても、高鳴る鼓動が止まらない。
もしも、ここにボイスレコーダーがあったら、今すぐ録音して、データが壊れるまでリピート再生を繰り返したい。
「だけど」生真面目なご主人様は、冷静な声で、次の言葉を放った。「現在の学園で、正しい優しさを貫くには、圧倒的な力が無ければならない」
「圧倒的な、力……?」
「それは、知力であったり、腕力であったり、財力であったり、判断力であったり……それぞれの人間が持っている本来の力を発揮しなければ、人から抜きん出ることはできない。人から抜きん出なければ、今の学園では正しくあり続けることは難しいんだ」
「どういうことですか?」
私は、より詳しい説明を求めた。
「うん……たとえば、そうだな……君は、夏の選抜試験に落ちただろう?」
「う、それは……」
「大丈夫、一回落ちるくらい普通だ。僕だって最初は落第した」
「なっ! そうなのですか? ヴァーミリオン先生ほどの人でも……?」
「そうだよ。僕だけじゃない。校長ですら何度も落第を繰り返した。ただでさえ才能の塊みたいな連中が集まってくる最高峰の試験で、その中でもトップクラスの一握りしか合格できない試験だ。甘くはないさ」
「そんな……じゃあ私ごときが、合格できるのでしょうか」
「学問に励み続ければ、いつかは結果がついてくるとは思うけど……だけど、実を言うとね、あの試験には、ある単純なカラクリがあるんだ。ぎりぎり実力が足りているはずの君が、落第させられたのには理由がある」
「え、どんな……」
「単純な話でさ、試験官のご機嫌取りができなかったからだよ」
「へ?」
「つまりね、賄賂を贈らないと、なかなか試験に合格できないっていう状況なんだ」
「そんなのって……」
「うん、腐ってるよね。でも、現状はそういうもんなんだ。そもそも、考えておかしいと思わないかい? 以前まで無かったはずの『学外からの受験者を受け入れる制度』が、どうして成り立っているのか」
「え、それは、より優秀な人材を選抜するために、外に目を向けようとして……」
「違うな。主に賄賂目的だ。お金が欲しい連中が決定したことなんだ」
「そんな……」
「試験の採点だって、その延長線上にある。まあ要するに、君は落ちるべくして落ちたってこと。とはいえ、本当に優秀な人は、賄賂なしでも受かるからね。つまりは中途半端な実力者は、資金力や人脈で勝負するしかないってことになる」
私は言葉を失っていた。最高峰の試験が、フェアじゃないひどい試験だったことを知って、また甘い幻想を打ち破られた。そんな汚い方法がまかり通る試験に合格すれば先生になれるなんて……。
だったら、これまで先生をやっていた人の中にも、そういう方法で及第を得た人が居たということになる。
もしかしたら、生徒が先生を信用しなくなった原因かもしれない。
ということは、学園が乱れた要因の一つでもあるんじゃないか。
だとしたら、教師を全員MOCAにするという決定は、こういった腐った教育者を生む仕組みを改善するためという意図があるのかも。
「本当に優秀な人材を適切に運用するために、この選抜試験も、いずれ改革しなくちゃいけない。家柄とか資産とか関係なく、教育者に相応しい実力と人格がある者が選ばれるような試験にすべきだ。適材を適所に配置しているとは言い難い状況だからね」
ご主人様の言う通りだ。やっぱり、試験には明確な基準が欲しい。実力で選ばれるようになって欲しいと思う。ちゃんとした試験なら、落第しても納得だけど、裏口から入った誰かのせいで席が埋まって落第したのかも、と考えると絶対に納得がいかない。
「さて、試験をどういう風に変えていくのかが、とても大事なことでね、もちろん公正さは大切なんだけれど、公正にしようとするあまりに固定されてしまうのは、実は危ないんだ」
「え、何故ですか? 私は、明確に、ここを押さえておけば間違いないという部分を作っても良いと思うのですが」
「そういう設問をしてしまうと、人間らしさが崩壊する。アンドロイドなら、MOCAで間に合っている」
「人間らしさ……?」
「そうだよ。人は、固着した正しい答えを持ってしまうと、そこがゴールになってしまって、その先を目指さなくなる。それは思考停止ってやつだ。僕らは、学び続けて、未来に向かう。次の世代にタスキを渡して、また次の世代、さらに次の世代へと繋いでいかねばならない。だから、人に優しくあり続けるために、正しいとされる答えを疑っていかなくちゃならない」
「正しいを、疑う……。それが、人間のあるべき姿ということですか?」
「……少し、喋り過ぎたかな。とにかく、このあたりのことは、深く深く、海より深く考えておくべきだ。間違いなく試験に出るからね」
私は、混乱していた。
ご主人様が何を言いたいのか、よく解らなかったから。
「最後に」と、ご主人様は付け加える。「最も大事なことをもう一度、伝えよう」
「最も大切なこと?」
「今の試験でも、本当にトップの実力なら合格するということだ。抜きん出ていれば、今の腐った学園であっても結果はついてくる。君は、そこを目指すと良い。出来る限りの上限を目指すんだ」
「私でも、なれるでしょうか」
「誰にだって可能性はあるさ。ちなみに、僕もトップ合格はできなかったし、校長も下位での合格者だ」
「トップ合格……」
正直、寝る間も惜しんで努力しても厳しいと思った。そんな私は、怠け者なのだろう。
「大事なのは、これから、どうすべきかということだよ。それさえきちんと自分の言葉で記述できればいいんだ。ただし、そのためには豊かな知識が要求されるんだけどね」
「知識なんて、私には全然……」
「そんなことない。君の場合、一応は及第レベルの知識量があると思うよ。既に合格するだけの実力があるし、もっと伸びる余地だってある。そのまま怠けることなく学び続けていけば、昔の偉い人たちすら、追い抜いて行ける」
「そういうものでしょうか」
「誰だって頑張れば、聖人と呼ばれる至上の存在にさえ、いずれなれる。可能性の塊。それが人間というものだ」
それが人間、か。