表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/23

6 MOCAに聞く

 七階建ての第一校舎、その屋上は、私のお気に入りの場所だ。


 ご主人様の拠点が第六校舎なので、この第一校舎は、だいぶ遠い場所になる。第一校舎を主に使用しているのは、邪教として排斥されようとしている人たちであった。まだ漆黒のメイド服に袖を通す前の純真無垢なる新入生だった私は、この場所で、邪教に入らないか、と勧誘を受けたことがある。


  ★


 あれは、ぼんやりとした、ぬるい風が吹く春の夜だった。


 頭の毛を全て剃り落としたナイスガイが、突然背後から、「死後に安寧を得られるぞい」などと言いながら近づいてきたのだ。私は思わず小さな悲鳴を上げて後ずさった。もしも鉄柵が無ければ落下して死んでいたところだ。


 どことなく線香くさい巨躯の男は、腹の底から出したよく通る声で、言う。


「驚くことはない。自分は、他人に危害を加えぬ。それどころか、現世に絶望している者に救いの手を差し伸べようと布教活動しているのだ」


「あの、別に、ひとりぼっちで屋上にいるからって、飛び降りようとしているわけじゃないですからね」


「隠さずともよい。何か深刻な悩みを抱えておるのだろう。だから、ここで夜景を見ておるのだろう」


「悩み……か……」


 抱えていないことも無かった。その時は、新入生歓迎会で金丹を盛られそうになって間もなくの頃で、理想を抱いて入ってきた学校の、乱れに乱れた現実を目の当たりにした私は、何を目指せば良いのか全く分からなくなっていたから。そういう意味では、現世に絶望していると言えなくもなかったかもしれない。


「どうだろう、君。少し、自分たちの集会に参加してみては……?」


「集会?」


「そうだ、君みたいに現世に不満を抱えたり、未来が見えなくて迷ってばかりの人たちが集まっているよ」


「そうなんだ」


「本当は、参加費を、『気持ちの分』いただくところなのだが、初回は特別に無料で参加できるぞい」


「無料なら……」


 少し、話を聞いてみるのも良いかなぁと思ってしまった。


 つるつる頭は、それでは自分と一緒に行きましょう地下ホールまでエレベーターで降ります。と言って歩き出し、私はその後をついていこうとしたのだ。


 だけど、その時、誰かが私の細い腕を掴んだ。


「――騙されちゃダメだ」


 力強い声。


「え……あなたは?」


 ゆったりとした服の上。程よい肉付きの身体。長めの髪の毛がさらさらと風に揺れている。夜闇で顔はよくわからなかったけれど、はっきりとした声は力強く、すごく正義感があって、とても勇気のある人なんだと思った。


「僕の名は、ヴァーミリオン。第六校舎で研究をしている。その男について行ってはいけない」


 それが、ヴァーミリオン先生との出会いだった。


「なに、第六校舎のヴァーミリオン……?」つるつる頭は驚いた声を出した。「校長のイヌか!」


「人聞きが悪いな。僕は人間だ。誰のイヌでも無い」


「く……」


 毅然として言い放ったヴァーミリオンさん。対して、急におどおどし始めた坊主頭の男。


 結局、頭の毛を剃り落とした線香くさい男は、去って行った。私という獲物を逃して悔しそうな背中を見せながら。


 ヴァーミリオン先生は溜息を吐きながら、私に未開封のジャスミン茶を差し出してきた。


 その時の私は、情けないことに、何が起きているのかわからず、ただ呆然とすることしかできなかった。


「のむ? ジャスミン茶。まだ開けてないから、あげるよ」


 頷き、よく冷えたジャスミン茶を受け取った。キャップを開ける。ペットボトルを傾けて、一口だけ飲んだ。


「あ、あの……ありがとうございました」


 ヴァーミリオン先生は、返事をせずに、鉄柵にもたれかかる。


「新入生かな?」


「えっ、は、はい!」


 月並みな言い方になるが、私はドキドキしていた。ときめいていた。わけがわからないながらも、どうやらピンチを助けてくれたらしい男性に、並々ならぬ好意を抱いたのだ。


「まったく、乱れるにも程があるよ。校内で公然と宗教勧誘を行うなんて」


 私は、どういうわけかヴァーミリオン先生の顔を直視できずにいた。緊張して俯いたまま、ヴァーミリオン先生と話をしたんだ。


「実はね、僕は例の集会ってやつに、少し興味があったんだ。どんなことを教えて信者を獲得してるのかってね。だから、はるばると第一校舎まで出向いたんだけども…………実態を知って驚いたよ。ここにいたら、人間でいられなくなる」


「どういう……ことですか?」


「あの集会に集まってくる人は、ことごとく、現実逃避をしている」


「現実逃避……ですか?」


「ああ、そういう人間の抜け殻を相手に、死後の世界や、我々の世界がどういう仕組みで出来ているのか、といった確かめようもない、実体の無い壮大な世界の話をする。その上で、苦しみから救われるために意味不明な呪文を唱える。何度も何度もね。そういったことをして現実を忘れさせた見返りに、金儲けをしているのさ」


「現実を忘れさせる……かわりにお金を払わせる……。えっと、いま流行りの金丹、みたいなものですか?」


「近いね。ただ、薬物は本当に芯から人間性を奪うものだって誰の目にも明らかだから潰しやすいけど、こっちの宗教は、一見して、さも素晴らしい教えで人助けをしているように見えてしまうから厄介なんだ。実際は、社会にとって悪影響なのにね」


「目に映ってる現実を、ないがしろにするから……ですか?」


「その通り」


 ヴァーミリオン先生は、嬉しそうに言った。もしかしたら、同志を見つけたと思って喜んだのかもしれない。


「察しの良い新入生さんに、これを渡しておくよ」


 私は名刺を受け取った。


 書かれていた文字列は、『第六校舎四階、古文研究室、ヴァーミリオン』といった内容。


「何かあったら、いつでも来るといい」


 そう言い残して、立ち去ろうとする。


 私は、その姿を呆然と見送る。


 ふと立ち止まって、振り返り、長い髪を風になびかせながら、ヴァーミリオン先生は言った。


「学問の扉は、いつだって開かれている」


  ★


 季節は、もう冬だ。第一校舎の屋上はとても寒い。


「あれから、もう半年以上、か」


 あの頃と違うのは、ヴァーミリオン先生のメイドになったことくらいだ。立場が変わっただけで、中身の実力が全然伸びていないことに焦りを感じる。


 第六校舎の地下にあるコンビニで買った赤飯のおにぎりを食べ、ペットボトルのホットジャスミン茶で手指を温めつつ、寒空の下で溜息を吐いた。真っ白な息が舞って、すぐに透明になった。


「はー、寒い……」


 星空は控えめだけれど、夜景が綺麗だし、遠くに大きな電波塔も見える。ぴかぴかに光る街を眺めながら、私は溜息を吐いた。


 ヴァーミリオン先生が、「一人で静かに考え事をしたい」と言った時に、私は研究室を自主的に退室する。そういう時は、第六校舎の五階にある空き部屋で読書をするか、第二校舎の地下にある図書室で読書をすることが多い。読書ばかりしているのは、ヴァーミリオン先生のお手伝いをできるようになるために、多くの知識を身に付けねばならないからだ。


 だけど、いつも本を読んでばかりでは気が滅入るというもの。そういう時に、私は第一校舎の屋上に降り立ち、ぼんやりとした時間を過ごす。


 もしかしたら、ここが憧れのヴァーミリオン先生と出会った場所だから、足しげく通いたいのかもしれない。


「『人間とは何か』……か」


 私がぽつりと呟いた時、隣にMOCAが居た。接近に気付かなかったのでびっくりした。


 教員となったMOCA。ついこの間まで、私の方が上の立場だったのに、一瞬で追い抜かれてしまった。


「メイドさん。こんなところで何をしているのですか」


 こんなところ、とMOCAが言うのは至極もっともだ。だって、邪教徒の最後の砦が第一校舎の地下ホールにあるのだから。


 つまり、ここは、いわば敵地。


 とはいっても、邪教徒と呼ばれる人たちは、幻想世界に人を誘うことがあっても、すすんで人に暴力を振るったりすることは無い。強引過ぎる勧誘はしないのだ。声を掛けられても、ご主人様の名前を出せば、諦めてくれるし。


 さて、私は、MOCAの意見を聞いてみることにした。人間じゃないものに、こんなのを尋ねるのはおかしいとも思ったが、アンドロイドが「人間とは何か」という問いに対して、どう答えるのか知りたいと思ったのだ。簡単に言ってしまえば、好奇心に駆られたということだ。


「MOCAは、人間って何だと思う?」


「学ぶ者です。学び続けないのは人間ではありません」


 まるで、ご主人様みたいなことを言う。そりゃご主人様がMOCAの行動プログラムを作っているのだから、当たり前なんだけど。


 そう、以前も言ったが、MOCAのプログラムは、ヴァーミリオン先生が考察・整理・修正したものだから、ご主人様の素晴らしい思想が色濃く反映されているのだ。


「学び続けるのが人間、ね。ヴァーミリオン先生がそう言ってるから、私もそう思うけど、じゃあ、MOCAは自分が人間だと思う?」


「…………」


 MOCAは黙った。この質問に対する回答パターンが、用意されていなかったのだろうか。


 ご主人様が言うには、人間とは何かが分かっていないと、人の上には立てないって話だけれど……。


「じゃあMOCA」


「何ですか?」


「MOCAは、どこから来たの?」


 この質問には、回答パターンが用意されていたようだ。MOCAは滑らかに語り出す。


「極秘事項。質問者をメイドのクラウディ様と確認。認証しました。解錠。クラウディさんになら教えても良いでしょう。第六校舎の五階にある一室で、MOCAの肉体は作られています」


「いや、そういうことではなくて……」


「肉体的なものでないならば、私を動かす命令システムのことでしょうか。それでしたら、第八校舎のある辺り、現在、芝や松が景観に潤いを与えている場所の地下深くにて、私の肉体を動かすのに必要な命令コード集が発見されました。それらをもとに、第六校舎の四階にある研究室で開発・運用されています。現在、すべてのMOCAは校内に張り巡らされたネットワークで接続されており……」


 こういうことが聞きたかったわけじゃなかった。


 私が聞きたかったのは、そういう物理的な肉体の出どころとか、MOCAを動かすシステムのこととかではなく、もっと根本的な……何と言ったら良いだろう。それこそ、「人間とは何か」という問いに向き合う参考になるような。


「MOCAは、どこに行くの?」


「これから、第八校舎の地下にあるMOCA倉庫に戻り、メンテナンス後、充電に入ります」


 そういうことではなくて、何を目指しているのかが聞きたかったんだけど、これは質問の仕方が悪かったかな。


「MOCAの目指しているものは何?」


「人を教育することです」


「……教育して、どうするの? 最終的な目標は? MOCA自身は何になりたいの?」 


「…………」


 回答パターンが無いらしい。


「人間って、何なんだろう」


「学ぶものです。学び続ける者のことです。人は、学び続けるために生きるべきなのです。それが、本当の人間性を発揮するための、ただ一つの道なのです」


 ヴァーミリオン先生も、同じ事を言うだろう。


「そうだね……」


 その通りだなと思った。けれど、何となく、百パーセント納得することができなかった。それは、きっと、私が全然、学問をサボりまくりの甘ちゃんだから、理解も納得も、できないんだなって思う。


 たぶん、そう、頑張れないことへの言い訳なんだ。


 がんばらなくちゃ。


 年末には、選抜試験がある。


 その試験に受かって、先生っていう立場になって、ヴァーミリオン先生に認めてもらうんだ。


 夏の試験ではあっさり落第したけれど、今度こそ……。


 でも、ふと疑問に思う。

 MOCAが教師になった今、果たして試験はちゃんと実施されるのだろうか?


 あとでご主人様に聞いてみよう。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ