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5 MOCAの斉唱

 マイクで拡張された音声が、広い空間に響き渡った。


「邪教が無かった昔のことを考えてみてほしい。こんなにも人倫が乱れていただろうか?」


 熱のこもった演説。ソリッドウェル校長が壇上で語っている。


 体育館に集められた全校生徒に向かって、校長は入れ歯が飛びそうな勢いで声を出す。


「今や、危険な薬物が蔓延し、不審な宗教が流行している。一体、何事だ、この有様は。我らの学園の伝統をひどく汚す重篤な事態だ」


 私の隣には、ご主人様のヴァーミリオン先生がいる。ご主人様は、険しい顔つきで壇上を見つめている。


「これは、我が学園が始まって以来の危機である。激痛を伴うことになっても、何らかの大きな改革が必要であろう。そこで、これまでのカリキュラムを廃止し、君たち学生に、最も大事なものを取り戻してもらうような、新たな講義を開設していこうと思う」


 にわかに体育館内がざわついた。ソリッドウェル校長は構わず続ける。


「そのために、新たに優秀な教師を招くことにした。その名も――MOCA!」


 校長が手を挙げて合図をすると、舞台袖から一人のスレンダー女性が現れた。MOCAだ。いつものように、濃紺のぴったりフィットした服を着て、背筋を伸ばした良い姿勢で歩いていく。


 MOCAといえば、金丹ジャンキーを成敗するだけでなく、学内で狼藉を働く者どもを片端から武力で裁いてきた存在だ。ゆえに生徒たちから見れば、権力による抑圧の象徴にして自由を妨げる者。だから、生徒たちは恐怖でざわついている。これからどうなっちまうのかと不安でたまらない様子だ。


 騒がしくなるばかりの体育館。舞台上のMOCAは、右手でマイクを握って構えると、落ち着いた声を発した。


「こんにちは、新任のMOCAです。このたび、すべての授業を担当させていただくことになりました」


 え、今、何と言った?


 すべての授業?


 すべて?


 まさか、すべての授業だなんて考えもしなかった。畳み掛けるような驚きの発表だ。


 私はびっくりして、ご主人様のほうを見る。ご主人様は、特に驚く素振りはなかったけれど、その眼差しや雰囲気から、並々ならぬ憤りを抱いているのが見て取れた。たぶん、専属メイドの私にしかわからないような、そんな僅かな感情の発露だ。ご主人様は激怒している。


 どうやら、事前に誰にも何も知らされていなかったようで、ご主人様以外の教師、その大半が騒ぎ出した。先生がたは「どういうこと?」「いいや知らない」「聞いてた?」「寝耳に水だ」といったやりとりをしている。


 しばらくして、見るからに屈強な男性体育教師が一人、猛烈な勢いで走り出し、舞台に駆け上がった。


 それで、体育館内が静まり返る。


「待ってください! 説明してもらいたい! すべての授業をMOCAが受け持つとはどういうことだ。我々は何も聞かされていない!」


 しかし、ソリッドウェル校長は答えて言う。


「黙れ、無能」


「なっ……!」


「貴様らは、学園が乱れに乱れていても、何もできなかった。金丹の蔓延と邪教徒の跳梁を許し続けた。現場を何とかしたのはMOCAだ。この学園に必要なのは、貴様らではなく、古代叡智の化身MOCAなのだ」


 校長は合図し、MOCAが頷く。


 舞台袖から、別のMOCAが出てきて、体育教師に上段蹴りをお見舞いした。男は吹き飛び、舞台から落下する。最前列にいた生徒たちは、落下してくる巨体を避けた。


 体育教師は頭部を床に強打して気を失い、生徒たちは言葉を失った。


 MOCAは、「挨拶がわりといってはなんですが……」と言って、マイクを台に置いた。マイクを置いた音が止まないうちに、ぞろぞろと舞台袖から次々とMOCAが姿を現す。同じ顔、同じ体型、同じ歩幅、同じ表情。


「MOCA、歌います」


 そしてMOCAは、舞台上で、校歌を斉唱した。


 MOCAがグランドピアノを弾いて伴奏する。総勢三十体の、MOCAの斉唱。一つのメロディをみんなで歌う。ひとつとして音を外す者は無く、指揮者がいないにも関わらず全く乱れず、気持ち悪くなるくらいに素晴らしい校歌斉唱。響く同じ声。正確で、耳に心地よく、揃いすぎるくらいに揃っていた。


 練習している時間なんて、ほとんど無かったはずだ。ずっと私がMOCAを連れまわしていたんだから。


 それなのに、このクオリティ……。


 私は、打ちひしがれるしかなかった。


 歌が終わり、静まり返った体育館に、MOCAの揃った声が響く。


「よろしくお願いします」


 こうしてMOCAは、すべての授業を担当する教師となった。私も教師になろうと思っているので、先を越された形だ。


 悔しさと、不安。今まで自分が好きなように使ってた部下のような存在に追い抜かれる悔しさと、この先MOCAが君臨し続けたら、私の前に立ち塞がる障壁となってしまうのではないかという不安が同時に襲ってくる。


 私ではMOCAに勝てないから悔しい。先生の簡単な指示すらも完璧にこなせない私ごときでは、もう教師になれないのではないか、そんな不安。


 ふと、ヴァーミリオン先生の手が、私の肩に置かれた。


「大丈夫」


 やさしい声で、なぐさめるように、私のフリル満載の肩を包んだ。


「MOCAちゃんたち、歌上手でしたね。すごく揃ってて完璧で。いつの間に練習してたんでしょう。私、金丹ジャンキーを駆逐するために、多くの時間MOCAと一緒に居ましたけど、全然練習している姿見たことなかったです」


「一切練習していないだろうね。それでも一発で揃うのは当然だよ。だって、彼女たちの中身は、ほとんど同じになった。持っている知識も完全にコピーされたもので、肉体も設計図通りに組み上げられたものだ。しかも、今回また新たに追加された機能も、MOCAの完全な同一化に拍車をかけたね」


「機能の追加? 同一化?」


「校内に張り巡らされた無線ネットワークで全てのMOCAが常に同期されるようになった。つまり、自動で臨機応変に新しくバージョンアップされ続けている。歌うことくらい、朝飯前だよ」


 MOCAは、日々新しくなっていくアンドロイドになった。





 数日が経った。


 私はメイドではあるけれど、まだ学生という身分だから、日中は普通に講義を受けている。それが何を意味するかといえば、MOCA先生の授業を受けるということでもある。


 彼女たちの授業を受けてみて感じたことだが、MOCAが教師として投入された目的は、コスト削減のためではなく、かといって学生の質向上のためでもないと言い切れる。では、どうしてMOCAたちが全授業を受け持つことになったのか。それは、生徒たちを監視し、マインドコントロールするためであった。


 要するに、恐怖で人を縛り付ける政策だった。死後に安楽を求める新興宗教、目の前にある現実から逃避するような、人間らしい心を失った思想。いわゆる邪教を排除するために注入された劇薬だった。


 そういえば、前にご主人様が、恐怖政治が目的だって言ってたけど、まさに言うとおりになった。


 MOCAの講義はひたすら洗脳。「古い時代に黄金時代があったから、それを復活させるために、人間らしさを取り戻しなさい、現実社会を見なさい。組織のトップのために粉骨砕身して尽くしなさい」といったことを、終日刷り込んでいく。反対意見は認められない。


 はじめは反発する生徒もいたけれど、MOCAには武力もある。徒党を組んで反抗しようとしても、集会を開こうとするだけで潰される。次第に、邪教団体は纏まりを失い、弱体化していった。


 これこそが、ソリッドウェル校長の目論見。邪教組織を完全に解体して無力化するというのが、MOCAを教師にした理由だったのだ。


 校長は、古い時代の聖人の教えと言われているものだけを唯一尊いとして、反論を一切受け付けなかった。叩き潰した。


 ご主人様は、ソリッドウェル校長の一連の動きを、こう評した。


「方向性は悪くない、やっぱり『現実』が一番大事だからね。邪教が力を持ちすぎることの問題点はそこにある。でも固定観念にとらわれ過ぎるのは、あまりよろしくない」


「そういうものですか。でもご主人様、ある程度は固定しないと定着しないという考え方もあるんじゃないかって、思うのですが。実際、結果的に、ソリッドウェル校長の決定のおかげで、害を及ぼしてた宗教はおとなしくなって、以前より平和になったわけですし」


「君の言うそれを、思考停止と言う」


「え……」


「どんな清らかな水であっても、流れない水は腐る。腐らないとしたら、それは最初から毒入りだ」


 このように、ご主人様の主張は、ソリッドウェル校長と違っている部分が多い。


「いいかい? たとえばクソ校長が毛嫌いする邪教と呼ばれるものがあるだろう? その中にも、見所はある。そもそも、そうした外部の血を部分的に受け入れ続けることで、僕らの社会は改善されてきたんだよ。そして、これからも改善され続けていく」


「つまり、えっと……ソリッドウェル校長は、やり方が間違っていると?」


「あの男の考え方は、凝り固まっているくせに、あるべき骨格が無い」


「あるべき骨格?」


「『人間とは何か』……という問いに対する理解のことだよ。いろいろな考え方をもった人間がいる。だけど、彼はそんな当たり前のことを理解していない。人間は、一人で生きているわけではない。社会の中で共同生活をしている。なのに、彼はもう、他人の声に耳を貸そうとしなくなっている。今の彼はただ、自分以外の考えってものが嫌いなんだ。言い換えれば、ひとりよがり。かりそめの感情だけで動いている。彼の目には自分だけしか映っていない。どこに進めばいいのかを知らない。時は未来に進んでいくというのに」


「んと……校長には大義が無いということでしょうか」


「そうとも言うね。年老いた彼は、『古い時代が黄金時代だった』っていう、昔の本に書いてあったことを、ちゃんと調べもせずに盲目的に信じていて、未来を見ずに過去を目指している。だから、学園の外から入ってきた新しい考え方が大嫌いなんだ。外から入ってきたものというだけで拒絶する」


「つまり、ソリッドウェル校長は……」


「いや、もう校長でも何でも無いよ。あれは、もはや、ただの悪い老人だ。学園社会にとっての害毒だ。だから――」


 冷静に、でも火花が散りそうな雰囲気で、ご主人様は言った。



 ――時が来たら、打ち倒す。



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