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4 古文研究室

 大好きな人のところに向かうときは、一段のぼるごとに楽園に向かっているかのような気分になる。ヴァーミリオン先生の部屋に明かりがついているのを一階から見上げて、とても嬉しくなって、さらに足取りが軽くなった。


 第六校舎は、一階から五階まで吹き抜けで、天井は透明部分が多い。昼間は上部から多くの明かりを取り込む構造をしている。その分、夜間は電気をつけても薄暗くて、私を不安にさせる。まるで古代のアナグラみたいだって思う。ショッピングモールみたいだって言う人も居るけど、私にとってはアナグラだ。そんな第六校舎の四階、いくつもの研究室が並んでいる中に、古文研究室がある。ここが、ヴァーミリオン先生の部屋だ。


 ヴァーミリオン先生用のデスクの他に、三人がけのテーブルが三つほど隙間無く並列に置かれ、そこに二人がけの机が組み合わされている。四つの机の真ん中には、書類がうずたかく積み上げられている。ここは、十人くらいが作業できる長方形の作業スペースとなっている。室内には新型のデスクトップパソコンが二台ある。奥には背の高い本棚が所狭しと並べられており、本が棚の上にまで積みあがっている。地震が来たらひどい崩れ方をして死人が出そうだ。


 この場所で、MOCAを操るシステムが生まれた。


 ヴァーミリオン先生か私か、どちらかが室内に居る時は、いつも扉が開け放たれていて、まさかこんなセキュリティの甘いところでMOCAシステムの開発・修正を行っているとは、学生には考えつかないことだろう。


 開け放たれた部屋の中、袖の広がったゆったりした服装の男の人が見えた。背筋を伸ばして分厚い本を読んでいる。どっちかっていうと痩せている身体。澄んだ瞳、滑らかな青白い肌、聡明そうな顔つきは凛々しく、だけども攻撃的では決して無い。穏やかな人。男性としてはやや長めの頬にかかる髪も手入れが行き届いていて触りたくなるくらい美しい。


「ただいま戻りました、ご主人様。遅くなって申し訳ありません」


「おかえり。……ああ、気付けば、もう夜か」


 いつものように、宝玉のように澄んだ瞳で、私を見つめていた。


 この人が、ヴァーミリオン先生。私の憧れの人であり、ご主人様だ。


 私と近い年齢でありながら、既に先生をやっている人だ。雲の上の人。追いつけない人であり、追い抜きたくない人。憧れの人。


 私は、先生の理想である「平和な社会」を実現するための手伝いができれば、それが最上の幸福だと思っている。


「何か変わったことありませんでしたか、ご主人様」


「いや特に無いな、今日も書籍を読んでいたら一日が終わった」


 ご主人様は、かなりの読書家だ。暇さえあればいつも書物を開いている。私も昔から病弱で、たくさんの本を読んできたけれど、ご主人様の読書量には全く到底かなわない。


 私は、ご主人様に、今日あったことを報告する。金丹ジャンキーを討伐したこと、ソリッドウェル校長に会ったこと、その足でMOCAに新たな指示を出し、四箇所あった金丹の製造現場を壊滅させたこと。


 全てを説明し終えた時、ご主人様は、分厚い本をバタリと閉じ、私に向かって掌を差し出してきた。


 どうしたのだろうと思いつつ、私は、ご主人の掌の上に、自分の掌を重ねた。犬が芸を披露するように。


「何してるんだ」


「えっと……お手、ってことかと思って」


「僕が君をケモノ扱いするとでも?」


「え、じゃあ、何なんですか?」


「校長のジジイから、何か預かって来てないか?」


「え、あ、は、はい、すみません、そういえば……」


 ああ、なるほど、そういうことか。ご主人様は、何もかもお見通しみたいだ。


 私はソリッドウェル校長から預かった茶封筒を、メイド服のポケットから取り出して手渡した。


 ご主人様は、中身を読んで、溜息を吐いた。


「これは、しばらく読書はおあずけかな。忙しくなるぞ」


「お手伝いします!」


 ヴァーミリオン先生がパソコンに向き合い、キーボードを高速で打ち込み始める。篠突く雨のような音が、研究室に響き出した。




 本に囲まれた研究室で二人きり、ご主人様はキーボードを打ち続けている。このまま徹夜するつもりだろうか。


 いつもそうだ。何か熱中することがあると、すごい集中力で、あっという間に何かを生み出してしまう。それは、私が百年かかっても不可能なことばかり。要するに、ご主人様には非常に非凡な才能があるのだ。それは、数多くの高名な学者が集まる学園内でも傑出している。今回もまた、きっと、知識と智慧と情熱で、社会のためになる素晴らしいものを生み出すに違いない。


 さて、手伝う……とは言ったものの、私にできることはお茶汲みやお掃除くらいのもの。メイドらしいと言えばそうなのだが、ゆくゆくは、全ての面でご主人様の手助けができるような実力を手に入れたいと思っている。今はまだ、全然、何も出来ないヒヨコ同然、いや、それどころか、割れてもいない卵くらいの力量しか無いけれど。


「ご主人様、校長からの指令って何だったんですか?」


 私が尋ねると、ご主人様は、キーボードを叩く手を緩めることなく答える。


「MOCAに、新たな機能を追加せよ、とのことだ」


「新しい機能?」


「校長は、MOCAに教鞭をとらせるつもりらしい」


「え、MOCAを……アンドロイドを、先生に……?」


「ああ」


 画面を見つめたまま、険しい表情で、ご主人様は頷いた。あまり乗り気ではなさそうだ。


 私は、モニタ内を覗き込んでみる。たくさんの漢字列が、画面を満たしていた。これがMOCAを動かすプログラム。猛スピードで、私には理解できない文字列が打ち込まれていく。複雑な漢字が次々に生成されていくさまは、視ているだけで眩暈を起こしそう。


 私は、少しでもご主人様の仕事を手伝いたくて、ご主人様に質問をする。


「ご主人様、MOCAとは、何ですか?」


「ソリッドウェル校長が発掘したオーパーツだよ。古代の叡智が詰まってる。ってこれ、君には、前に何度か話した気がするよ」


「そうでしたっけ? 忘れちゃいました」


 てへへっ、と頭をかいて言ったところ、ご主人様の表情が僅かに険しくなったので、ピンと背筋を伸ばして質問を続ける。


「でも古代の叡智というと、具体的にどういったものなのでしょう」


「そうだな、あえて一言で表すなら……物事の正しいやり方、かな。過去にあった全ての経験則から、最適な選択肢を見つけ出すシステムがMOCA。それが、今の僕の認識だ」


「なるほど、アンドロイドらしからぬ臨機応変さは、よく練られた細かなプログラムによるものだったんですね」


「その通り。ソリッドウェル校長が掘り出したのは、その膨大な量の経験情報だけ。それを考察し整理し修正してMOCAの肉体に流し込んだのが、僕というわけだね」


「膨大な情報というと、校長が発掘したのは、外付けディスクみたいなものですか」


「いやいや、大昔にそんなものは無い。掘り出したのは書物だ」


「書物?」


「見えるだろう? この部屋には、およそ二千冊の本がある。そのうち半分は、校長が命じて発掘させたものだ」


「二千の半分って……一千冊も!?」


 私は目を丸くした。そんなに多くの古書が地面に埋まっていたというのか。


「全く驚くような数じゃない。ほんの一部だ。ここにあるのは僅か一千冊だが、第二校舎にある図書室には、未精査の発掘資料が数十万は残ってるくらいだ」


「数十万……って。それって……つまり、ご主人様の力をもってしても、まだほとんど理解できていないと……?」


 ぴくり。一瞬、ご主人様の手が止まった。またすぐに動き出す。カタカタという打鍵音の中で、ご主人様は少し尖った声を出した。


「いいや、違う。そうじゃない」


「どういうことです?」


「人の話はよく聞くべきだ。言ったろう、『未精査』だ。『未読』とは言ってない。読むには読んだが、この学園では使えそうにない資料も多かった。それに、同じ本が何冊もあったりする。だから、そういう資料は放置して、重要度の高いものだけを厳選して、この部屋に持ってきている」


「ああ……なるほど。わからず屋ですみませんでした。つまり、ご主人様が、今やってるお仕事は……この部屋の棚に入ってる膨大な過去の記録を参考にしながら、今、この時代のこの学園という社会に適合するように、彼女たちの行動パターンを細かく指定するというものなんですね」


 ご主人様は私の方を向くことなく頷いた。


「そう、たとえば、目の前で崖から落ちそうな優しい女の子が居たら助けるとか、崖から落ちそうな凶悪犯罪者が居たら助けようとはさせるけれど、場合によっては見殺しにするとかね。細かく細かく何通りもパターンを入力して、やがては瞬時に細かい区別をできるようにさせる。そのようにプログラミングしている」


「なるほど……納得です。ところでご主人様、もう一つ気になることがあるんですが……もしMOCAが先生になったら、もともと先生をやってた人たちは、どうなるんですかね?」


「教員たちの行く末か……僕も気になるところだ。何せ、僕もいくつか講義を受け持っているわけだし。ただ、おそらく、僕が講義する回数は減ってしまうだろうね」


「そうなりますよね……」


「けど、たぶん、一時的なものだよ」


「え、何がですか?」


「MOCAは臨時教師ってことさ。そうでなかったら……」


 ご主人様は、また、手を止めた。


「そうでなかったら?」


 ご主人様は沈黙を返してきた。


 それから後は、「もう話しかけてくるな」オーラを出して、仕事に集中していた。


 邪魔にならない程度の軽い掃除を終え、ホット烏龍茶をヴァーミリオン先生のデスクの上に置くと、私は所定の席に座った。


 三つの机が組み合わされた作業用テーブルの一角。業務用コピー機と各種の辞書類を背負う席。ご主人様は、頻繁に、本のコピーを取って欲しいと言う。それから、熟語や文字の意味を調べて欲しいとも言う。


 多くの辞典や事典や字典が電子情報化された今でも、紙の辞書にしか載っていない情報も多い。だからご主人様は、作業効率を上げるために私に面倒な辞書引きを押し付けてコピーを取らせるのだ。


 おかげでコピー機の扱いと辞書を引くスピードなら、ご主人様以外には負けない自信がある。特に辞書については、言われた熟語や文字を、辞書を開いた時にほぼ一発で出せるようになった。


「レボリューション」


 そら来た! この言葉の意味を調べてくれという指示だ。


 黒い背表紙の本に手を掛けた。十五冊セットの立派な辞書。私の胴体と同じくらいに巨大な辞書で、重くて、一冊が厚さ八センチくらいある。


 こんな辞書の角で殴ったら、たぶん人が死ぬだろう。


 机の上に辞書を開いて索引を見た。れぼ……れぼ……どんな漢字だろう。画数は……。


 音の響きから察するに、人名や地名だろうか。


 私は必死になってページをめくる。


 ああ悔しい。一発で目的のページが開けるという前言を撤回しなくてはならないかもしれない。思わぬ大苦戦を強いられてしまった。各種索引を使ってみても、レボリュウションなどという言葉に辿り着ける手がかりが見つからない。どうして。こんなはずでは……!


 ああ、ご主人様の手が止まってしまって静寂が訪れた。ご主人様の視線を感じる。気まずい。


「れぼ……れぼ……れぼりゅうしょん……」


 どうしようどうしようと頭を抱えている私に向かって、ご主人様は言った。


「英語だからね。どれだけ大きな漢和辞典で引いても載っているわけがない」


 なんだってー!


 英語の辞書で調べるべきところ、漢字の辞書を調べてたお馬鹿な私!


「えと……『レボリューション』は……意味は、『革命』……です」


 私は、英語の辞書を引き、しょんぼりしながら言った。


「アシスタント専用MOCAを作ろうかな」


「そんなぁ! それ私、用済みになっちゃう!」


「冗談だよ」


 ご主人様は私に微笑みかけると、また画面とのにらめっこに戻った。


 それにしても、すごい。ご主人様の仕事ぶりには、生涯敵わないと思う。あまり他人に向かって使いたくない言葉だけれど、「天才」としか言いようがない。


 非常に難解なはずの古典文を容易く解読し、自分なりに意味を解釈し、新たな価値を味付けしてMOCAの行動に反映させるのだ。桁外れの読解力と分析力と観察力がなせる神業である。


 ソリッドウェル校長の力では、古文を正しく解読することもままならない。平和のために悪を排除しようという考え方には賛同したいところだけど、それを支えられるだけの器が、果たして、あの老いぼれにあるのだろうか。


 これからは、MOCAの時代がくる。


 MOCAは、さすがアンドロイドだけあって、全員が頭の中にデータベースを飼うことができる。人間離れした知識量を持つこともできるし、さらに、適切なカリキュラムを設定し、命令として流し込めば、それを人間相手に伝授することなど造作も無いであろう。さらに、これからはMOCA同士、学内ネットワークで情報を共有することも可能になるから、人間とは比べ物にならないほど学習が早いだろう。単純な知識の量という意味では、既に彼女らに太刀打ちできる人間など存在しないだろう。


 そのような高度な実力を持っているからこそ、私のメイドの立場も危うい。しっかりやらなければ。私は拳を握り締めた。


「ここ、マーカーしといて」


「任しといて下さい」


 私は、ご主人様の指示に忠実に従う。ペンケースからマーカーを取り出し、強調すべき漢字列に蛍光インクを引いて手渡す。


「一行ズレてる」


「ぎゃあああ、申し訳ありませんご主人様!」


 解雇は近いかもしれない。


 MOCAに取って代わられてしまう風景を想像して、泣きそうになった。もしも、自分の立場を欠陥の少ないアンドロイドに奪われてしまったら。悔しくて、泣きたいことだろう。MOCAに取って代わられてしまう諸先生がたのことを考えると、不憫でならない。


「……それにしても、ヴァーミリオン先生。どうしてソリッドウェル校長は、MOCAを教壇に立たせよう、なんて考えたんでしょうか」


「うん、それは、おそらく……」


「何ですか?」


「恐怖政治、かな」



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