20 ヴァーミリオン救出作戦4
懐中電灯なんてものは持ってきていない。かわりに、普段カメラ用に持ち歩いている携帯端末で代用した。明かりは弱いけど、無いよりはマシだ。電池の残量が少ないから、真っ暗闇にならないか心配。電源が切れないことを祈る。
ここは一度、通ったことがある。ヴァーミリオン先生を先頭に、私やMOCAが続いて歩いた道だ。ソリッドウェル校長を追放した時のことが、もう随分昔のことのように思えた。
今は、ただ一人、ヴァーミリオン先生までの道を行く。
おそるおそる、地上へ続くドアを開ける。
芝生に隠された扉から外に出た。
外に出た時、人の姿はなかった。MOCAもいなかった。
しばらく歩くと、赤い服を着たMOCAがいた。歩いている途中の姿勢で、止まっていた。まるで世界の時間が止まってしまったかのようだ。私が目の前に寄っても、冷たく柔らかい頬をつまんでも、全く動かない。
「成功、したんだ」
あとはもう、スカイジェイルに行くだけだ。
私は薄暗い第八校舎を通り抜け、無人の第一校舎も抜けて、屋外に出た。屋外には、たくさんのMOCAがいて、いろんな姿勢で固まっていた。
遥かに見上げる第二校舎の最上階。通称スカイジェイルにヴァーミリオン先生がいる。
エレベーターの前で、三体のMOCAが止まっていた。私は、それを横目に見つつ、非常階段を使って二十五階まで歩いていく。
疲れているはずなのに、一段踏むごとに足取りが軽くなっていく。こんな感覚は久しぶりだ。ようやく大好きな人に会える。
地下からここに来るまでに、多くのMOCAとすれ違った。だけど、人の姿は見えなかった。
おそらく、MOCAの動きが一斉に止まったとき、敵は何が起こるかわからない恐怖で逃げ出したのだろう。
「MOCAのことを、よく知りもしないくせに使おうとするからだ」
なんて、かく言う私も、ついさっき、MOCAの仕組みを理解し切っていなかったばかりに、MOCAに襲われそうになったわけだけど。
まさか徐々に、段階的に均一化されていくなんて考えもしなかった。てっきり、一気に同化していく仕組みだとばかり。本当にもう、何とか無事で済んで、よかった。
もし私があのままMOCAに捕まったり、亡き者にされてしまったら、学園は破滅に向かっていただろう。邪教を徹底的に排除しようとしたソリッドウェル校長が目指したものと変わらないヒドイ世界、否、それ以下の地獄が訪れる。
学園すべてがMOCAという武器によって支配され、反対意見を唱えようものなら抹殺されてしまうような、そんな腐り切った学園に成り果ててしまう恐れがあった。
今、私がヴァーミリオン先生を助け出すことで、学園は救われる。
抹殺や排除だけでは、時計の針を止めてしまう。
たとえば危険薬物「金丹」は確かにどう考えても悪だけど、そのような薬を作り出す技術は、使う人によっては素晴らしい過程と結果を生み出せる。
たとえば「邪教」は、学園の外から入ってきた教えであり、自分自身の超人への目覚めを最終目的としたものだ。世の中をないがしろにして、自分勝手な考えに人を導いて、人間もどきにしまうことから、私たちには邪教と呼ばれている。だけど、この教えの修行法の中にも心を洗ってくれるような素敵なやり方があった。邪教が実際に人の心を、命を、救うことだって絶対にあり得る。
ヴァーミリオン先生の考える「伝統」っていうのは、受け継がれてきた決まりごとを厳しく守ることじゃなかった。それじゃソリッドウェル校長と同じになってしまう。ヴァーミリオン先生は、受け継がれてきた決まりごとを根っこから再確認して、あるべき形、より優しい方向に変えていくことこそが、「伝統」だと考えていたんじゃないだろうか。
そして私も、心優しい大好きなヴァーミリオン先生と似たように、あってほしいと思えるような、ここで生きていたいと思えるような、優しい世の中を目指したい。みんなと一緒に目指したい。これが、私の出した答えだ。苦しい自問自答の日々の果てに見つけた光だ。
私は私を信じているし、私は人間を信じている。
最上層の扉を開ける。絨毯の上を歩く。
最後の扉の前には、MOCAが十体ほどいたけど、すべて止まっていた。
MOCAの壁の隙間を簡単に抜ける。もしメイド服なんか着てたら、ひらひらしてる部分が多くて、MOCAの指とかに引っ掛かっていたかもしれない。今は、もう脱ぎ捨てているから、するすると抜けられる。
重たい両開きの扉を押し開ける。細い通路があった。
通路を抜けると、二百人は収容できるような、大きな空間だった。スカイジェイルという呼び名には似合わず、展望台と呼ぶのがしっくりくるような場所。目に飛び込んで来たのは、地上二十五階からの景色。雲ひとつ無い空、手前にはマンションがいくつも立ち並んでいるのが見え、遠くには都会のビル群を望む。春のぼんやりとした空気のおかげで、天と地の間は普段よりぼやけて見える。実に良い眺めだ。
ふと、人影に気付く。景色にばかり気を取られていたけれど、部屋の真ん中で、椅子に座って、本を読んでいる彼がいた。
長い髪、きれいな目、久しぶりに見た、でも以前と変わらない姿の、優しい人。
「ヴァーミリオン、先生?」
「やあ、久しぶりだね」
先生は、本を開いたまま、私の呼びかけに答えた。
全く動じていない。まるで、私が来るのを知っていたみたいな態度だ。
「先生、驚かないんですか?」
「君の服装が今までと違うことを、かな? それとも瞳の奥に美しい光を宿すようになったことかな? 言われてみれば、確かに驚くべきことかもしれない。ずいぶんメイドの服を気に入っていたみたいだからね」
「いえ、その、それじゃなくて、私が助けに来たことについて」
「それは、予想していたことだからね」
やっぱりか。もしかして私は、ヴァーミリオン先生の掌の上で完璧に転がされていたのだろうか。
と、その考えに至った時、なんだか、ひどくがっかりしてしまった。せっかく自分で見つけた答えだと思ったのに、ヴァーミリオン先生の計算の中で、いわば駒として使われていたように思えたからだ。
だけど、先生の次の言葉を聞いて、私は息を吹き返した。
「でも」彼は、本をぱたりと閉じた。「MOCAを連れてこなかったのは予想外だ」
ヴァーミリオン先生にも考えつかなかったことを、私はやってのけたのだ。
あれ、でも、MOCAを連れてくるっていうのは、どういうことだろう?
「MOCAちゃんなら、寝室で寝ています。他のMOCAを止めるためです」
「何、どうやって?」
ヴァーミリオン先生のここまで驚いた顔を、私は初めて見た気がする。
「ええと、MOCAのプログラムを作る時に、失敗したことがあったんです。彼女にちゃんとした判断力を持たせないまま情報だけを大量に与えた時、MOCAが混乱して全く動かなくなったから、それを利用したんです」
「MOCAのプログラムを作る? 君が?」
「あれ? そういうつもりで、私にMOCAを託してくれたんじゃ……?」
「……そうか。君は、君一人で答えを出したんだね」
「え? ええと、一人でやってみろっていうメッセージが込められていると思って……」
「いいや、僕の頭の中で描いていた画とは、だいぶ違うよ。僕がMOCAを託したのは、君に白紙の状態からプログラムしてもらうためではなかった」
「え……じゃあ、どういう……」
「実はね、僕が用意したMOCAプログラムが、古文研究室にあったんだ。もしもの時、君が困らないように、隠しておいた。持ち出せないように固定した箱の中の、さらに箱の中、そうそう簡単に発見できない場所に置いてあった」
「でも、古文研究室は、厳重に監視されて……」
「仮に警備があっても、MOCAの実力なら楽に突破できたはずだ。だから、君が取りに行かなくても、MOCAに力ずくで回収させれば良いと思っていたんだ。そのために、僕は君にMOCAを託した」
「待って下さい! そんなことしたら、人質になってる先生の身が危険じゃないですか」
「僕のことなんかどうでもいい。それよりも、この学園を正すことが大事なんだから」
「何言ってんですか」私の声は震えていた。どういうわけか、目から尋常じゃない量の涙も流れていた。「先生、ご自分を、大事に、してくださいよ……」
そしたら、ヴァーミリオン先生は困ったように微笑んで、
「こらこら、泣くのはまだ早いよ。全部終わってからだ」
「……はい」
私は、めいっぱい、泣きながら笑った。
合流した私たちは、スカイジェイル内にあった機械で、MOCAのプログラムを改変した。ヴァーミリオン先生は、いとも簡単にMOCAのプログラムを書き換えていった。先生と私の命令だけを守るようになった。五百のMOCAは、すべて私たちに寝返ったというわけだ。
「行きましょう」と、私は言う。
「行こうか」彼が頷く。
先生が私の横に並んで、同じ歩幅で、同じリズムで歩いていく。
MOCAは、私たちが歩いた後をついてくる。蟻の行列みたいだ。
第八校舎に入った。MOCAたちの揃った足音が廊下に響く。新しい建物だけど、これだけの人数が同時に歩いたら、さすがに足元がぐらぐらと揺れた。
ふかふか絨毯の通路を歩き、私と先生で、校長室の重たい扉を開ける。
そこには……。
――誰もいなかった。
学園を支配しようとしていたはずの人間がいるはずなのに。
「旗色が悪くなって、逃げ出したんでしょうか」
「そうだろうね。この程度の責任感で学園を支配しようとしていたなんて、許しがたいことだよ」
私に銃を向けた奴らとの最終決戦が無いなんて、拍子抜けもいいとこだし、全然すっきりしないけど、MOCAたちを止めてヴァーミリオン先生と合流した時点で、敵に勝ち目は無くなった。一方的にぼこぼこにされる前に逃げるのが賢明な判断だと思う。
だけど、だけどね。
私は、この怒りをどこへぶつければ良いんだろうか。
あいつらのせいで、私がどれだけ苦しんだか!
いや、もとをただせば、私がモニタの監視をサボったから招いた事態とも言えるけども、でも、そうはいっても、人質作戦なんて人の道にあらず。捕まえて改心させた上で裁かないと気が済まない。
だけど、ヴァーミリオン先生は私の内なる怒りを見て取って、言うのだ。
「つまらない人間のことは、相手にしないことだ。まずは、これから、この学園を、一緒に良くしていこう」
一緒に、か。
「そうですね。過去にとらわれすぎては、いけませんね。大事なのは、とことん『今』を見つめ、『今』を生きることです」
だけど、先生にとっては、今の私の発言は気に入らないようだった。
「しかしね、やはり過去というのは、宝の山だからね。はるか昔から運ばれてきた言葉に無駄な部分など一切無い。だから、ひとつひとつの言葉を細かく細かく見ていかねばならないんだ。だけど、残念なことに僕らは今、その宝玉のような言葉たちを書物を通してしか受け取ることができない。とはいえ、幸いなことに読める形に整理整頓してくれた尊敬すべき先輩たちがいて、そのおかげで僕らは宝を宝として愛でることも使うこともできるというわけで…………どうたらこうたら」
ああ、しまった。久しぶりの長い長い熱弁が始まってしまった。
普段なら耳を傾ける気が起きるというものだが、さすがに今日は、とても疲れた。
私は、彼の熱烈な講義を子守唄がわりにして、立ったまま眠りに落ちていく。
意識が薄れ、倒れそうになった私を、抱きとめてくれた人がいた。先生――じゃなくて、MOCAだった。
「おい、大丈夫か?」
駆け寄ってきて、私の顔をのぞきこむヴァーミリオン先生。
こういう時の、あなたの立ち位置は、そこじゃない。「何であの時、私をキャッチしてくれなかったの」って、一生、ねちねち言い続けてやろうと思う。
こうして、戦いの果てに、私たちの学園は自由を取り戻した。
これから、私たちの学園は、平和を取り戻していける。




