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19 ヴァーミリオン救出作戦3

 とても静かだった。耳の奥が痛くなるくらいに。


 岩に囲まれた大部屋に、私の小さな呼吸音だけがよく響く。


 作戦内容は以下のとおり。まず、私の隣にいるMOCAのプログラムを改変する。その後、プログラムを改変したMOCAが、他のMOCAと同一化する。それだけ。


 私の考えが正しければ、それで全てのMOCAが動けなくなる。次に、MOCAたちが止まったのを確認してから、第二校舎のスカイジェイルへ行く。ヴァーミリオン先生を助け出すのだ。


 至ってシンプルな作戦。賭けと言ってもいいものだ。


 成功率はゼロじゃない。

 けど失敗したら……どうなるだろう。


 でもでも、絶対に成功させる。


 全身全霊、「今」にすべてをかける。


 私は、高性能コンピュータの電源を入れ、雑な動きで、キーボードの埃を掃った。メイドにあるまじき汚らしい動きだが、今の私は、もうメイドではない。ただの私という私だ。


 MOCAは、私の乱雑な動きをじっと見つめている。


 次に、MOCAをケーブルに接続する。椅子に座るよう命じ、背中から紺色の服をめくりあげると、すべすべした手触りの肌がある。肩甲骨の真ん中に、電気コンセントのような形状の細かな穴があり、専用の細いプラグを挿入する。


 ほこりをかぶったモニタが、淡い光を放った。息をふきかけ、埃を吹き飛ばす。


 私のMOCAは、プラグを挿されるとすぐに眠ってしまった。


 さすがは、MOCAの寝室というだけのことはある。


 この部屋の一番大きなコンピュータには、私が欲する全てが揃っていた。MOCAのプログラムを書き換えるために必要なアプリケーションも、情報処理の速度も。


 私はキーボードを操り、MOCAのプログラム書き換えソフトを起動する。


 画面に、どっしりとした書体で、『孟軻―MOCA―』と表示された。ばばん、と大きく出て、ゆっくりと薄くなり、雨水が土に浸みていくように、だんだんと透明になり、見えなくなった。これが、MOCAシステムの起動画面。


 すぐに画面は切り替わり、黒背景に文字列が並んだものが登場する。これが、MOCAのプログラム。昔は、この大量の漢字列を見た時は、いつも立ちくらみを起こしそうになっていたけれど、今はもう、とっくに慣れた。むしろ、漢字列を見ないと落ち着かなくなるくらいだ。


 私は、一つ大きく息を吐く。次に息を吸ったら、埃まで一緒に吸ってしまって、軽く咳き込んだ。


 私は、MOCAの髪に優しく触れた。


「MOCA、やるよ」


 MOCAは答えない。眠っている。やって良いとも悪いとも言わない。だけど、私の判断で、存分にMOCAの中身をいじらせてもらう。


 用意して来た円盤をディスクドライブに差し込んだ。


 円盤は、するすると飲み込まれていった。


 この円盤には、大失敗作が刻み込まれている。何にもわかってなかった頃の私が、ヴァーミリオン先生のやり方を猿真似して失敗したやつだ。


 以前、昔の偉い人の言葉や行動を大量に注ぎ込んで、MOCAが全く動かなくなったことがあった。今回、あの時の欠陥データを利用する。


 まったく、何がどこでどう役に立つかなんて、わからないものだ。


 かつて「無かったことにしたい」と思った挫折の記録が、これから私を助けるのだ。


 視界には、虚空を見つめるMOCAの姿。いつの間にか目を開いていた。ぼんやりとした瞳に、MOCA自身の意志の光は無い。


 自分自身の基準というものを持たせぬまま、ただMOCAに知識情報だけを与えた。この未完成のMOCAには、情報の是非善悪を判断する機能が無い。だから、膨大な量の情報を前に混乱し、思考を停止し、固まる。フリーズする。指先一つ動かせなくなる。命令を与えられなければ何もできないMOCAが、命令を与えても何も出来なくなった。


「MOCA、立ち上がりなさい」


 しかし、MOCAは立ち上がれない。内部に滝のように流れ込んできた情報の処理に忙しく、私の命令に応答できない。


「よし、これでMOCAの準備はオッケー」


 このスーパー混乱状態を、すべてのMOCAに適用できれば、ある結果がもたらされる。


 そう、すべてのMOCAが止まるということだ!


 私は、さらにキーボードを操作する。文字の打ち込みも、昔よりずいぶんスピードアップした。


 他に、やらねばならない作業が二つある。一つ目は、この部屋にある電波発生装置を起動させること。二つ目は、今までオフにしてあった紺色MOCAの同期機能をオンに切り替え、同一化させること。


 両方、この端末から操作できる。


 性能の良いコンピュータだった。素晴らしい処理速度。MOCAの同期機能はオンになった。電波発生装置のランプが変色し、学園ネットワークに接続された。まだ外の様子はわからないけれど、これでMOCAたち約五百体に欠陥MOCAプログラムが一気に流入し、MOCAはすべて混乱して止まるはずだ。


 その、はずなんだけど……。


「え、ちょっと、嘘でしょ!」


 にわかに、目の前のMOCAが動き出した。目に赤い光を宿しているように見えるのは光の加減だろうか。


 MOCAと目が合った。しっかり私を見据えていた。


 私を、攻撃対象として見ている。そういう動きだ。


「まさか」


 私の作戦が読まれていたということ?


 ううん、それは考えにくい。


 じゃあ何で?


 もしかして、私、だまされた?


 そんなはずは……。


 私は必死になって考えようとした。


 だめだ、そんな暇はなかった。


 逃げないと。


 地面を蹴ろうとした。その足をMOCAに掴まれた。動きが速すぎる。咄嗟に靴を脱いだ。トカゲが尻尾を切って逃げるみたいに。


 MOCAは追ってくる。


 机に飛び乗ろうとした。机が蹴飛ばされて、飛び乗ることすらさせてもらえない。


 突然目の前から机が消えて、着地し切れなかった私は、四つんばいになって逃げる。


 MOCAが走って追ってくる。


 何とか私は立ち上がり、片足裸足で猛ダッシュ。


 卵の形をしたMOCAのベッドに入ろうとしたけれど、開け方も閉め方もわからない。どうしよう。


「いや! だめ! やめて!」


 叫んでも、嫌がっても、MOCAは私を捕まえに来た。


 どうしてこんなことに。


 MOCAの同一化に失敗してしまったのだろうか。


 おかしい。考えてた展開と違う。こんなところで一生を終えたくない。


 どういうことだ。どうしてこうなってしまった。


 私を攻撃するってことは、他のMOCAに出ていた命令に私のMOCAが染まってしまったということだろうか。


 赤色MOCAを紺色に染めようとして、逆に赤色のほうに染められてしまったのか。


「ああ、そっか……」


 考えてみれば、赤いMOCAは五百近くいるんだ。ただの一体のみしかいない私の紺のMOCAが数に飲み込まれるのは当たり前のことだったかもしれない。


 私のMOCAが、私を捕まえる鬼に一瞬で変わってしまった。


 病弱で、しょぼい運動神経しか持たない私が、いつまで逃げられるだろう。そんなことを考えている間にもう、足を滑らせ、地面に肘を強く打った。


 MOCAの手が伸びてくる。


 ――捕まる。


 と、思ったが、MOCAの手は、私まで届いていなかった。コンピュータから伸びた一本の糸。さっきMOCAの背中に繋いだケーブルが、ピンと張り詰めているのが見えた。


 それは一瞬のことだったのかもしれない。MOCAの動きがひどくスローモーションに見えて、私はその間に様々な行動パターンを思いめぐらせた。


 そして私は、MOCAから遠ざかるという行動を選択しなかった。


 心の準備をしていたわけではない。けれど、感覚としては、そう、身体が勝手に動いた感じだ。


 私は、ケーブルのせいで僅かにバランスを崩したMOCAの横をすり抜けた。ケーブルの出発点に向かって走る。視線の先には高性能コンピューター。


 その画面で、MOCAのプログラムが目まぐるしく書き換えられているのが見えた。この情報処理のスピードを見る限り、人間の手によって手を加えられているわけではないだろう。


「やば」


 私が送り込んだ欠陥データが、ものすごい勢いで消去されている。おそらくMOCAシステムの自衛機能によるものだ。もしかしたら、急激な改変を防ぐように設計されていたのかもしれない。


「でも」


 待って。違うかも。


 よく見ると、私の欠陥データは、消されているばかりじゃない。私が打ち込んだことのない文字列が追加されたりもしている。


 ――どういうことなのか。


 私は自分でも驚くほどの早さで答えを出した。


 それは、とてもとても単純な話。


 足りないのだ。


 五百のMOCAを混乱させるには、データ量が足りなかった。


 膨大な量の情報を与えて混乱させる。この方法は決して間違っていなかった。だが一体のMOCAを止めるために必要な量と、五百体を相手にするのは別の話だったんだ。ドラム缶いっぱいのコーヒーに角砂糖を一つ落としても、甘くなってはくれない。


「だったら!」


 そうだ、今から情報を追加すればいい。


 私はケーブルの下をくぐって、画面と再会した。キーボードを掴み取る。立ったまま漢字列を打ち込んだ。頭に入っていた偉人の言葉を次々と打ち込んだ。神業と言ってもいいほどのスピードが出せたのは、命の危機を感じていたからだろう。私に秘められていた能力が、この刹那に開眼した。


 一瞬の勝負。


 少しでも操作ミスをしてしまえば、もうお終い。


 目を大きく見開いて、息を止める。十本の指は、ほんとに自分の指かと疑いたくなるほどの尋常ならざる動きをする。


 激しい音が響き渡る。土砂降りの雨のような。


 MOCAが攻撃しに来る気配がある。逃げられない。


 間に合って。


 どうか、止まって。


 どうか!


「MOCA!」


 私は叫び、目を閉じた。


 音が、止んだ。


 きこえてくるのは、自分の荒い呼吸と、心臓が発する大きな音。


 いつの間にか強く閉じてしまっていた目を開けると、私の腕が二本あった。キーボードの上に乗っかっていた。


 生きてる。


 よかった。


 画面の動きも止まっていた。文字列は増えることもなければ、減ることもない。


 私のMOCAは、どうだろう。


「MOCA?」


 返事は無い。しっかり止まっている。床を見つめているように見えるが、実は何も見つめていない。何もできないMOCAになっていた。


 地上に溢れる敵のMOCAも、同じように止まってくれたかな。


 わからないけど、とにかく急がなきゃ。先生を助けるんだ。


 歩き出そうとしたらふらついた。


「だいぶ、消耗したぁ……」


 本当に、死ぬかと思った。



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