16 メイド卒業
クラウディ。それが私の名前だった。
曇りという意味で、目の曇った私らしい名前だった。
でも、これからは、その名前は返上しようと思う。
私の心にはもう、曇り空はいらない。
降り注ぐ陽の光を受けて、私も輝くんだ。
今まで私は縛られていた。ヴァーミリオン先生の見解だとか、昔の偉い人の偉い発言だとか、そんなものに縛られ過ぎていた。その見事な見解や、心打つ言葉の根本に流れる何かを、考えることもしなかった。
――己の心。
自分の心が何を求めているのかがわからなければ、学びのスタートラインに立てやしない。
別の言葉で言うなら、私は、今まで感情を捨てていた。
愚かにも、自分の意志をヴァーミリオン先生のものに近づけようとしていた。
間違いだった。臆病だった。責任逃れだった。甘えていた。
すべてをヴァーミリオン先生の基準で考えるってことは、どんな失敗をしても、「自分のせいじゃない」と主張し続けているようなものだ。そんな卑怯なことって、あるだろうか。
大事なのは、心だった。感情だった。意志だった。心地よいものを目指す欲望だった。
私は、メイド服を脱いだ。もう、この服は二度と着ない。
ヴァーミリオン先生のメイドは卒業だ。
私こそが、私の人生の主人公だったことに、ようやく気付けたのだから。
心が軽くなった私は、図書室の地下に再び潜った。
ものすごいハイな気分でキーボードを叩く。ノートパソコンが壊れてしまいそうな勢いで、力強く叩く。
次々とデータを書き換えていく。MOCAに、失われた感情ってやつをさずけるために。
これまでのMOCAが最優先にしてきたことは、主人である私を守ることだった。王将が斃れれば将棋は終わってしまうから、身を挺してでも私を守る駒となってくれた。おかげで助かったことが何度もある。
だけど、それは私が求めるMOCAのあり方では決してない。
MOCAのことは、MOCA自身が決めるのが望ましいと、私はそんな風に考えている。戦国ならまだしも、今の時代、金将には金将の人生があっていいはずだ。
何より大事なのは、自分の身だ。
ずっと思っていた。MOCAが可哀想だと。この世に存在して、多くの人間から蔑まれていたから。彼女は、生まれた時から、恐怖の対象として暮らす以外に選べなかった。
MOCAはアンドロイドだ。だから、もしかしたら感情なんてものを持っていないのかもしれない。持たせてもいけないのかもしれない。けれど、周りの人間から孤立し、遠ざけられる彼女を、私はもう、見ていたくない。
世の中には、自分と違う者を蔑む人間が多い。私だってその一人だ。どうしてそうなっちゃうのかを考えると、「安心できない」からだろう。自分を基準にして、感覚や価値観や考え方が共有できないと決め付けた時、ソレを視界に入れることすら嫌になる。
いくら、すべての人間の根本が正義心に溢れた善なるものなのだとしても、一切の苦楽を共有できない機械人形と一緒に仲良く暮らすなんて、現実的に考えれば不可能だろう。
MOCAは、今のままでは、優秀なボディガードとしてしか生きられない。犬よりも従順で強力な番犬としてしか活躍できない。
私は、そんなの、本当のMOCAじゃないと思う。
だから、もしも、ええと、こんなことを言ったらオカシイやつだと思われるかもしれないけど……もしも、「MOCAはアンドロイドなんだからアンドロイドとしてのあり方を受け入れればいいんだ」なんて誰かが言った時、それは、傲慢な押し付けなのではないかと反論したい。あなたはMOCAの何を知っているんだと問い詰めてやりたい。
ほら、最近よく問題になるセクハラってやつと同じだ。男は男らしくしろだとか、女は女らしくするのが当然だとか、そういうのと同じだ。嫌がらせなんだ。
ああ、でもな、私がやろうとしているMOCAの改良だって、もしかしたらMOCA本人が望んでないことかもしれない。「我々はアンドロイドとして生まれたのだから、最後までアンドロイドとして生きたい」なんて言われてしまったら、けっこうショックを受けるかもしれないな。
でも待って。それって、「赤ちゃんとして生まれたのだから、最後まで赤ちゃんのままでいたい」という不自然さと似てないだろうか。何が違うだろう。んー、難しいところだけども。
とにかく、私は、そう――MOCAの可能性を拡げたい!
手を止め、椅子に腰掛けて眠るMOCAを見つめた。両手をだらりと垂らして、首を斜めにして微動だにしない。
「MOCA、あなたを愛してる」
私の思いを、ぜんぶMOCAに注ぎ込む。
新しいMOCAが、最も優先するようになること。それは、
「――自分自身を大切に守ること」
これは、多くの生物に共通する、いわば本能であると言えるかもしれない。これまでは、私のことをご主人様と言って守ってくれたけど、それは、もうやめてもらう。
新しいMOCAが、二番目に組み込むもの。それは、
「――目の前にいる大切な誰かを守ること」
まずは私かな。それから、大切な誰かをどんどん増やしていって、やがては大きな範囲を守っていく。
だって、人間ってそういうものでしょう。自分自身からはじまって順番に、家族、友人、まち、国、地上全て、人ではないものにまで守備範囲を広げていく。
全ての行動パターンは、この二つを基準にするよう設計した。
さらに、これを単なるパターンではなく、感情をもった、血の通った思考にしていくために、もう一つの要素を新たに組み込んだ。
――人間には有って、戦闘用MOCAには無いもの。
人間が、あとから勉強しなくても、持っている感覚。
それは、「痛み」だと思う。
怪我をした時の痛みはもちろん、誰かを傷つけた時や、誰かの心や身体が傷ついたのを見た時にも、少しだけ痛みを感じるよう設計し直した。
自分を大事にすることと、痛みを知ること。これが、「共感」という現象を生み、自分を大事にすることに繋がっていくと考えた。
つまり、
「――自分がされて嫌なことは、相手にもしない」
目の前の誰かを思いやる心を芽生えさせた。
これから、新しくなったMOCAは、いくつも失敗を重ねながら、自分で選択を繰り返していくだろう。図書室にある大量の書籍をあっという間に読破し、自分にとって大切な知識を蓄積していくことになるだろう。
そう、大事なことを見落としたままでは、いくら読書に励もうとも、人間としての判断力は育たない。
人間の判断力というのは、別の言葉で言うと……陳腐になってしまうけど、けれど、それは、つまり、「優しさ」ってやつだ。
もう私がプログラムを打ち込むまでもない。ヴァーミリオン先生が組み上げたMOCAと同じように、自分の判断で動くようになってくれた。
やっと、ヴァーミリオン先生の背中が見えた……。
安心したからか、急に力が抜けていく。私は床に寝転がる。愛するMOCAのかたわらで、深い深い眠りに落ちた。
★
「はい、MOCAのぶん」私は彼女に焼肉丼を手渡した。食堂で買ってきたやつだ。普段は陶器の丼で出されるんだけど、テイクアウトしたいと言ったら、特別にプラスチックの容器に詰めてもらえた。
MOCAは焼肉が好きなので、喜んでくれるだろう。
「私は、ミルクレープ」こっちはコンビニで購入した。
頭を使う作業に没頭した後だ。たとえ体重の増加が気になったとしても、自分へのご褒美として甘いものを買ってしまうのは仕方ないことだ。そんな私を、誰が責められるだろう。
ただ、このとき問題が起きた。大問題だ。
MOCAは、私のミルクレープをじっと見つめている。視線はマイスイーツに固定され、微動だにしない。やばい。
「も、もしかしてMOCA、こっちがいいの?」
MOCAは答えない。焼肉丼とミルクレープに交互に視線を送っている。どう答えたら良いのか考え込んでいるのかもしれない。
「じゃあ、半分こして……」
と、私がミルクレープをフォークで半分に割ろうとした時だった。MOCAは、その常人よりも遥かに優れた運動神経を使い、私の目の前からミルクレープを見事に持ち去ったのだ。まるごと手づかみで持っていって口に放り込み、もぐもぐしている。
「こら、MOCAぁ!」
なんという思いやりの足りない行為だろう。早くも反抗期になってしまったのだろうか。
いくら自分を大事にするようになったといっても、今の行動は完全にクソガキだ!
自分勝手過ぎる!
修正してやる!
食べ物の恨みはおそろしいんだぞって情報を、脳みそに直接ぶちこんでやる!
もうプログラムする必要がないとかさっき言ったけど撤回させてもらう。まだ足りなかった。後でたっぷりプログラミングしてやるんだから!
結局、反省する姿を見せてくれたので、言葉で叱るだけでプログラミングはしなかったけれど、こういうヒドイことをされると、人間の本質的な善ってやつを疑いたくなってしまうな。
そう考えて、私はMOCAを完全に人間扱いしていると気付いた。どうしてか嬉しくなった。
間違えて、反省して、先に進む。
MOCAにも、常に、そうあって欲しいのだ。
ところで、さっき、目を覚ました私が食堂に向かう途中、図書室に勤める協力者から、ある重要な情報を得た。
なんと、私がMOCAへ愛情を注いでいる頃、同じ第二校舎の上層でも、MOCAに関する研究が形になっていたらしい。それは、やっぱり私の作業とは方向性が違っていた。
早い話が、戦闘に特化したMOCAの再実用化に成功したということだ。私とは真逆の研究を奴らはしていた。
あの真冬の日、ヴァーミリオン先生が最上階スカイジェイルに囚われたことで、MOCAをうまく管理運用できる人材がいなくなった。MOCAは絶大な力を持った兵隊である。MOCAを制する者があれば、その者が天下を取ることになってしまうだろう。そこで、協議の末、MOCAの使用自体を禁忌として封印することで決着していた。
しかしながら、これは封印を言い出した男の策略であったと思う。
あの日、先生と私の天下を引っくり返した連中は、決して一枚岩ではなかった。大きく分けて四つの勢力。すなわち、金丹服用者、汚職教師、邪教徒、元校長の部下の四つに分かれていた。このうち、MOCAを動かせるだけの知識を持っていたのは、汚職教師グループであろう。
賄賂によって試験をパスした輩といえど、まがりなりにも教師だった連中だ。ヴァーミリオン先生ほどではないけど、それなりの実力はあると思う。たぶん。
「どんな仕掛けが施されているかわからないから、研究室や関連施設を丸ごと封印する」
とはじめに言い出したのも、この汚職教師グループであったと聞く。
つまり、封印するという姿勢を周囲に見せつけながら、研究データを極秘裏に持ち出し、MOCAのプログラムを解析していたというわけだ。そして今、時間は掛かったが、まんまと戦闘人形として運用する目処が立ったらしい。
ヴァーミリオン先生がいなくなった後に、即席の反乱連合軍が分裂することを見越した上での策でもあった。結果的に反乱連合軍は分裂してしまったが、残ったMOCAを手中に収めることには成功していた。おそらく連中は今、こう考えている。
「これで学園を恐怖で支配できる。以前ヴァーミリオンが、やったように」
そう、以前、私のご主人様だったヴァーミリオン先生も、混乱を収めるための一時的な措置として、MOCAによる校内の監視を選択した。たくさんのカメラやモニタを設置して、私に監視役を命じた。
私が先生の指示をうまくこなせず居眠りしたせいで、ヴァーミリオン先生が捕まってしまったのだった。なんとも苦々しい思い出がよみがえる。
これから、数日のうちに、汚職教師グループが学園を統一するだろう。
MOCAという、暴力によって。
――でも、待てよ。
私は、ある作戦を閃いた。今、あの時の失敗を取り返すチャンスが訪れたんじゃないだろうか。
うまくすれば、ヴァーミリオン先生を助け出せるかもしれない。
これから先、彼に恩返しをするために、私の手で先生を助け出そう。
勢いよく立ち上がり、踏み台にのぼった。本棚から学園の見取り図を取り出して、机の上に広げた。




