15 旅路の果て
ご主人様が、MOCAを託してくれた。MOCAは私の命令にだけ忠実に従うよう、プログラミングされているようだった。
それは教鞭をとる前のMOCA。ただ私の命令を忠実にこなす兵。戦闘人形。
私は、MOCAを連れて学園内を旅した。
いろいろな人に出会った。
たとえば、軽い気持ちで金丹を服用し、依存症になってしまった人。副作用と闘っていた。後悔しているようだった。
それから、初回無料だったから、邪教の集いにも参加してみた。邪教がどうして邪教と呼ばれるのか、体験を通して理解しようと試みたのだ。だけど、結局、よくわからなかった。もしかしたら、彼ら邪教徒の思想は深遠すぎるのかもしれない。
他にも、学校の中では、本当にいろいろな活動団体があることを知った。戦いや争いを繰り返している組織が多かったけれど、そういうものばかりではなかった。音楽や文学、ボランティア、スポーツなど。私が見向きもしなかっただけで、いろんな集まりが存在していた。そんな、とても当たり前のことが、初めてわかった。
旅の間、MOCAは優秀なボディガードとして活躍してくれた。過激な金丹ジャンキーの残党に襲われそうになった時も返り討ちにしてくれたし、邪教徒の過激派が攻撃的な視線を送ってきた時も、にらみをきかせてくれた。もしかしたら、ボディガードをさせることこそが、ヴァーミリオン先生が私にMOCAを託した理由なのかもしれない。
結果的に武力を行使し、周囲に無言の圧力をかけることとなったため、MOCAと私は、憎しみの視線を大いに集めた。それでも、私が学内で自由な行動を続けられたのは、ヴァーミリオン先生の味方も数多く残っていたからであろう。
「ねえ、MOCA」私はMOCAに語りかける。
「はい」アンドロイドは感情の無い目で私を見る。
「ヴァーミリオン先生は、何がしたかったんだと思う?」
「…………」
このMOCAには知識がない。先生として過ごした時の記憶もない。戦うことと、ごはんを食べること以外のプログラムが無い。会話を重ねても知識が蓄積されることもない。バージョンが古い時代遅れのMOCAだと言ってしまっても良いのかもしれない。
「ねえ、MOCA、学問って何だと思う?」
「…………」
「聖人って、どういう人のこと?」
「…………」
以前は答えられた大事な問いにも、答えられなくなっている。ずいぶん原始的なところまでダウングレードしてしまったものだ。
このMOCAは、まったくもって人間らしくない。戦うと強いし、お肉が好物だから、むしろ猛獣に近いと言っちゃってもいいだろう。
私のご主人様は、どうやってMOCAを教師レベルにまで進化させたんだっけ。
思い返してみると、パソコンに延々とデータを打ち込んでいた。難しい漢字がたくさん並んだ画面。ご主人様がキーを打つ音に合わせて、どんどん新しい複雑な文字が表示されていった。画面を見ているだけで気分が悪くなりそうな重労働だ。
あれを、やらなくてはならないのか。
しかも、ご主人様が組んだプログラムも手に入らないから参考にできない。その上さらに、古文研究室の資料もない。こんな状況であんな作業をするとか……。
果たして、私自身のことすら何にもわかっていない私が、MOCAを一人前にできるのだろうか。
いや、やるしかない。やらねばご主人様に顔向けできない。
聞いた話によると、スカイジェイルに囚われているご主人様は、犯罪者として扱われ、不自由な生活を強いられているという。生徒たちの幸せのために立ち上がったというのに、だ。
会いたい。面会は禁止されている。でも、強引に警備を突破してでも、話をしたい。でも、そんなことをしたら、ご主人様に害が及ぶのではないか。それは避けたい。
私はご主人様を助け出すことだけを目的に生きている。そのために、託されたMOCAを育て上げてみせる。
私はMOCAに問う。彼女を育てるために問う。
「MOCA、あなたは、何のために生きているの」
「ご主人様のために行動します」
MOCAの言うご主人様というのは、つまり私のことだ。
このMOCAは、迷っているのだ。
何がしたいのか、自分でわかっていないから、どんな問いにも答えを出せないんだ。かわいそうなMOCA。
「MOCA、もし私がいなくなったら、どうする?」
「…………」
このMOCAは、心が育っていない。いや、心が目覚めてすらいない。心が機能していないから、自分のほんとうの願いが導き出せなくて、ただ誰かに盲従してしまうんだ。
★
第二校舎にある図書室へやって来たのは、いつかのご主人様との会話を思い出したからだった。
たしか、ご主人様に、MOCAの仕組みについて尋ねた時のこと。
あの時、MOCAを動かすのは古代の叡智だとご主人様は言った。古代の叡智とは、何か。「一言で表すなら……物事の正しいやり方。過去にあった全ての経験則から、最適な選択肢を見つけ出すシステムがMOCA」なのだと言っていた。
なるほど、アンドロイドらしからぬ臨機応変さは、よく練られた細かなプログラムによるものだったのかと、私は頷いた。
「校長が掘り出したのは、その膨大な量の経験情報だけ。それを考察し整理し修正してMOCAの肉体に流し込んだ」
そしてご主人様は、古文研究室の本棚たちを眺めながら、
「見えるだろう? この部屋には、およそ二千冊の本がある。そのうち半分は、校長が命じて発掘させたものだ」
二千冊の本というだけでも、読むのに何日かかるかわからないが、この後、ご主人の口から、さらに驚くべき事実が発せられていた。
「第二校舎にある図書室には、未精査の発掘資料が数十万は残ってる」
そう。MOCAを動かす手掛かりがあるのは、何も古文研究室だけではない。図書室にも膨大な量のMOCA関連資料がある。
あの時、ご主人様がやっていた作業というのは、古文研究室の棚に入ってる膨大な古の記録を参考にしながら、今、この時代のこの学園という社会に適合するように、MOCAの行動パターンを細かく指定するということだった。
だから、図書室の資料を参考にすれば、MOCAの行動パターンを組み上げることも不可能ではない。
図書室のある第二校舎は、学園で一番高い建物である。下層は図書室となっていて、最上層は、今や牢獄だ。重大犯罪者を収容する施設となっており、通称スカイジェイルと呼ばれる。平和だった頃には、高所から望む都会の街が素敵だったのに、今ではもう、警備が厳重で立ち入ることすらできなくなってしまった。私のご主人様も、ここに閉じ込められている。
私は、スカイジェイルに向かうエレベーターを見つめながら、誰にもきこえないような小声で、
「必ず助け出します。待ってて下さい、ご主人様」
そう言うと、図書室の扉を引き開けた。
私はMOCAのプログラムを組むための小型ノートパソコン一台を抱え、図書室の地下に行く。そこに放置されている大量の資料を再発掘するためだ。
図書室の隅にある隠し扉から螺旋階段を下って下って、隠されし最下層へと潜る。
私はメイドだし、MOCAはMOCAだから、二人で歩いていると超目立つ。けれども不審尋問を受ける恐れはあまり無い。図書室の職員の中に協力者がいたからだ。ここ図書室は、スカイジェイルの直下にありながら、ヴァーミリオン先生に同情している人が多い。よほどの迷惑を掛けない限り、問題ないだろう。
螺旋階段を降りた先にあった重たい鉄の扉を、MOCAに開けさせる。金属のこすれる音が、耳に障った。
「うわぁ、これは……」
扉の向こうは、広く汚い部屋だった。テーブルの上に、雑然と古い書物が積み上げられている。はっきり言えば、かなり散らかっている。
ずいぶんと長いこと放置されていたようで、あちこち埃まみれでカビくさい。埃が地層みたいになって積もっていたり、蜘蛛の巣が張っているところもある。長時間こんな場所にいたら、どんなに健康な人でも病院行きになってしまうんじゃないだろうか。
服の袖で口と鼻を軽く押さえざるをえない。
「うう、これは、マスクを用意してくるんだったわね」
私にとっては宇宙服を着たいくらいに耐えがたい環境だったけれど、MOCAはさすがアンドロイド。全然平気そうだった。
一旦外に出て、マスクなど必要なものを買いに行き、まずは徹底的に掃除する。図書室のずっと下にある部屋だし、防音もしっかりしているので、掃除機をかけても図書室利用者の迷惑にはならない。
たまった埃を駆逐して、散らかっていた本をすべて棚に戻し、ちゃんと使える部屋になった。隠し書庫はよみがえった。木のぬくもりに溢れるデザインを取り戻したのだ。
これなら、どれだけ作業に没頭しても大丈夫そう。
磨きたての椅子を引き、持ち込んだノートパソコンを起動する。このしょぼい性能のパソコン一台で、MOCAの新しいプログラムを組み上げる。戦闘用のMOCAプログラムを基盤に、付け足していく。以前ご主人様がやっていたような、地味で苦しい作業に取り掛かるんだ。
何日も、何日も、本棚にある数十万点の資料とにらめっこしながら作業を進める。
試行錯誤。
食事と睡眠以外は、いつもこの部屋で、MOCAと二人だった。
作業をするうち、日付は冬から春になった。あっという間に時間が過ぎていってしまう。「ご主人様は、こんな手間のかかる作業をあんな短時間で仕上げていたのか」と、身をもって理解できた。
古文研究室での作業を思い出す。ご主人様の操るコンピュータ画面には、いつも昔の偉い人の言葉や行動が羅列されていた。それを真似て、昔の偉い人の言葉をプログラムに流し込んでみた。そしたらMOCAは、それなりに動くようにはなった。だけど、ご主人様が開発したMOCAの頭脳には全く及ばない。というか、根本的に何かを見落としている気がする。
迷いの中で、私はMOCAを外に連れ出した。自分が改変したプログラムを搭載したMOCAに外の世界を歩かせることで、MOCAがどういった動きを見せるのかを実験したのだ。
失敗、失敗、数え切れないくらい失敗。
うまくいかない。私が組み上げたMOCAを動かすプログラムでは、MOCA自身で何を判断することもできない。かえって知識の分だけ迷いが生まれ、戦闘の命令すらも受け入れなくなってしまった。知識情報を入れれば入れるほど、MOCAの判断は鈍った。おかげで、あやうく敵に殴られるところだった。ぎりぎり何とか逃げたけど。
「ああもう」
苛立ちが募る。全然うまくいかない。自分で判断を下せるような、ちゃんとした自律思考プログラムになってくれない。
「何がダメなんだろう……」
わからない自分の愚かさに嫌気が差す。
どうにか、ご主人様が作ったMOCAと同水準のMOCAを作りたい私は、やがて地下倉庫に籠もりきりになった。寝食すら忘れてMOCAプログラムの完成に取り組んだ。
失敗、失敗、うまくいかない。私はぼさぼさになってしまった髪をがさがさと掻きむしった。
「だめだ、お風呂はいろう」
私は、何日かぶりに外に出て、シャワーを浴びた。頭を冷やしたかったから冷水を浴びた。エプロンや純白の頭飾りを装着し、いつものメイド姿になり、戦闘用に戻したMOCAを従えてぶらぶら歩く。三月の優しい風が吹いているけれど、季節はまだ春になったばかり。なかなかに肌寒い。
学園内を歩きながら、私は、いつのまにやら解決策を考えていた。
「あれ、おかしいな。気分転換するはずが、いつの間にかMOCAのこと考えてる……」
どうしても、思考がMOCAに行き着いてしまう。意図せず、頭の中で、MOCAを動かす漢字列を並べ替えていた。これでは全く気晴らしにならず、散歩の意味や効果が薄いのではないかと思う。
だけど、それだけ重要なんだ。ご主人様のために、MOCAを育て上げることが。
何度も考えないようにしようと思っても、どうしても考えてしまうのだから仕方ない。没頭っていうのはこういうことなのかもしれない。諦めた私は、MOCAのことを考えながら、MOCAとともに散歩を続ける。
ハトの声がする。赤茶色の煉瓦が敷き詰められた広場を抜けると、水路が見えてくる。なだらかな傾斜を階段と共に流れ落ちる水路に沿って、桜並木があった。まだ蕾の状態で、まったく咲いていない木々の下を歩く。水路の中心には噴水がある。とはいっても、平和なときには私達の目を楽しませてくれるはずの、この噴水、今は沈黙している。そんな、ただの水たまりと化している場所を横目に見つつ、私は一度門の外に出た。そして、学園で最も新しい建造物である第八校舎を見上げた。
「ここに来るのも、久しぶりね。校長に経過報告をしに通ったのが、ずいぶん昔のことのよう」
MOCAに語りかけるようにして言ってみたが、MOCAは返事をくれなかった。他愛の無い会話ができるようにプログラムされているわけではないのだ。
私は深い溜息を吐いて、第八校舎の敷地内に足を踏み入れた。以前は、警備員が門番として雇われていたけれど、今は居ない。
かつては、綺麗な景色だった。緑の芝生、緑の松、白く蛇行した道が真っ白の校舎へと続いていて……。今はどうだろう。校長への抗議集会で踏み荒らされた芝生は茶色く変色し、ところどころ剥がれてぼろぼろ、折れた松の枝も散乱したままになっている。真っ白だった校舎の壁は、生卵をぶつけられた部分だけ変色してしまっている。
学園の玄関にもかかわらず、この不快な景色。学園の荒れた惨状を読み取ることができる。綺麗に整える人が誰も居ないのだ。私だって、こうした惨状に気付くことはできても、何も手が打てない人間の一人だ。
松や芝生の間にある道は、第八校舎に続いている。一つのところに流れ込んでいる。蛇みたいにぐにゃぐにゃ曲がりくねった道を、二人で並んで歩いていく。
この校内の旅は、特に何処を目指しているわけでもない。目指す場所が簡単にわかればいいけれど、そんな楽勝な話は、なかなか無い。
私は学園名が刻まれた校舎を仰ぎ見ながら歩く。曇り空を背景に、立派な建物がそこにある。下の方は汚れてしまっているが、建物の上部は相変わらず白く美しい。
建物が汚れた事件の日から、私の日々は、ずいぶん目まぐるしい。
ご主人様がMOCAの武力を使って校長を追放したかと思えば、すぐに私が銃を持った賊に人質にされてしまい、結果、ご主人様は囚われの身となった。
ご主人様を助ける力のないしょぼい私は、ご主人様のこともMOCAのことも全然知らない。ご主人様は、「MOCAのことを頼む」と言ってくれたけれど、「頼む」と言われても、何をどうすることが模範解答なのか判然としない。
そこで私は、まずご主人様であるヴァーミリオン先生と同じ立場に立ちたくて、教師という地位を得ようとした。でも、試験に臨んだけれど、あえなく撃沈した。
試験に落ちた後になって、言い訳がましく色々と考えているうちに、ご主人様や校長の考えの一端を何となく理解することとなった。教師という立場にならなくても、違った方向からご主人様のことを考えようと動き出したんだ。
――MOCAとは何だ。
それを知るために私は、私とご主人様の巣であった古文研究室に出向いた。部屋は封鎖されて立ち入り禁止。私は、他のMOCA関連施設をあたってみることにした。そんでもって、その途中で、自分がMOCAを作ったと言い張る科学者風の男に出会い、このMOCAを受け取ったんだ。
だけど、このMOCA、とんでもない不完全なMOCAで、私を守るために動いたり、私の命令を聞いて動くことはできても、自分で考えて動くことができなかった。どういうわけか金丹常習者を討伐する時のMOCAに戻っている。戦闘のみに使うための存在に成り下がっていた。教師として働いたときのMOCAは、自分で物事を判断する能力があったのに。
「……あっ」
思わず私は、そんな声を出した。
突然、MOCAをスーパーMOCAにする方法を思いついた――わけではない。あやうく転びそうになったのだ。考え事をしながら歩いていたものだから、足元がおろそかになってしまった。
MOCAが素早い動きで私の身体を捕まえてくれたおかげで、事なきを得た。
「怪我はありませんか、ご主人様」
まったく不完全なMOCAだ。私を守ることを最優先にプログラミングされた、戦闘に使用するだけの目的で作られたMOCAプログラム。私が求めているのは、こんなMOCAではない。
「……ねえ、MOCA」
「はい、なんでしょうか、ご主人様」
私はムッとした。
本当に、困ってしまうよね。私なんかのこと、ご主人様だなんて呼ぶのは。
私などという、大して実力の無い人間に仕えるようプログラムされているMOCAが、とても可哀想な存在に思えてきた。こんな風に、誰かに盲従しているうちは、一人前の人間とは呼べないんじゃないだろうか。
早く、MOCAを一人前にしてあげないといけない。そうしないと、私は、いつまでたっても、私のご主人様に会いに行けないじゃないか。私は苛立ちを彼女にぶつける。
「MOCA、どうしてあなたは、私なんかのことをご主人様と呼ぶの?」
と、自分でそう言った瞬間、はっとした。
身体中に電流が走ったかのような感覚を伴う、ある気付き。
今度は本当に閃いた。
そう。
そうだ。
私は今まで心の中で散々MOCAのことをばかにしてきた。ただ盲従しているだけだと。
だけど……同じじゃないか……。
盲従しているのは、私も同じじゃないか。私だって、ヴァーミリオン先生の考えを絶対に大事なものだとして、先生の考えに違和感を抱くことがあっても、先生の考えに逆らおうなんて、ほとんど考えてこなかった。
今だって、ヴァーミリオン先生の幻影から自由になれないでいる。
それは何故か。
私が、何を「したい」のかが抜け落ちていたからだ。自分のために生きていなかった。
他人のために……、ヴァーミリオン先生という名の、他人のために生きていた。
私は、ヴァーミリオン先生をご主人様と呼ぶ。このMOCAは、私をご主人様と呼ぶ。
そうなんだ。
そうだったんだ。
このMOCAは、私と同じだ!
客観的に見たら、こんなにも当たり前のことに、ようやく気付いた!
私自身が迷いの中に居るからこそ、MOCAの状態がわかる。
今まで私は、根本的なところで間違っていた。ご主人様が全て正しいとか、正しくないとか、ご主人様だったらどう考えるかだとか、模範解答は何かとか、実はそんなこと、ぜんぶ、大した問題じゃなかったんだ。
そうやって他人に全部押し付けて、私は私を持たなかった。
――私にとって、何なのか。
――私の「したい」は何なのか。
それがわからなかったから、自分から動くことができなくて、迷ってばかりだった。
私を動かすエネルギーは、己の中にあった。
誰かの中にあるんじゃない。私自身の中にあった。
私は、先生という他人のことを「ご主人様」と呼んできたけれど、それは、とても、おかしなことだったんだ。
誰かが私のご主人様なのではない。
私のご主人様は――
「私こそが、私のご主人様だったんだ!」
叫び、フリルまみれの頭飾りを解き外し、光射す雲間に向かって放り投げた。




