12 ご主人様の天下
ソリッドウェル校長には、遠方で静養してもらうことになった。
校長席にはヴァーミリオン先生が座っていて、私とはもっぱら携帯情報端末で連絡を取り合っている。
私はといえば、ご主人様のいない研究室で、ご主人様が普段座っていた席を見つめて、えもいわれぬ寂しさに襲われたりしている。
私にとっての日常は、まだかえってきていなくて、研究室の扉は閉じたまんまだ。いつもは、開いていたのに。
まったく、この動きの少ないモニタたちが部屋にやってきてからというもの、私の生活は一変してしまった。
「暇だ……」
けれど、もしかしたら、暇なのは良い事なのかもしれない。
だって、おいぼれ校長の穏便な引退の後に、とてもゴタゴタしていて、大忙しだったから。
元校長の安全な新居を用意したり、私が落第した忌まわしき試験そのものを無効にする発表を行ったり、あらためて行われる期待に胸躍るおNEWな試験の開催を発表したり……。
めまぐるしい日々だった。そして、これからまた忙しくなるのだろう。
総合の天才、ヴァーミリオン先生が今後目指すのは、歴史上、これまで生まれた古今東西の哲学や、思想や、宗教などのうち、それらの長所を統合して、新たな努力目標を設定し、新体制を打ち立てようとするものだ。
きっと、これは革命ともいうべきもので、これをやるからには、今までとは比べ物にならないくらい、想像を絶するほどの忙しさになってくるんだろう。
だから、今すごく暇なのは、嵐の前の静けさみたいなものなんだと思う。
今の私がヴァーミリオン先生のためにやるべき仕事は、学園で起きている反乱の種を未然に察知することだ。ヴァーミリオン先生が言うには、「やや乱暴な方法でトップの座を奪ったので、反発する者がいるかもしれない。他にも、僕になら勝てると踏んで攻めてくる輩がいるかもしれない」というわけである。
そういったわけで、私はこうして、画面だらけの部屋で監視モニタの映像をぼんやり眺めていたのだけれど、さすがに一人で全てのカメラを見続けるなんて芸当はできるはずもなく……。
実を言うと、「もう監視なんか、いいや」と諦めて、仕事を半ば投げ出している状態なのだった。最初のうちは必死になって画面を睨みつけていたものの、必死になりすぎたからか継続できず、あっという間にばたんきゅー。
すぐに諦めてしまった。
申し訳なく思うし、自分で自分が情けないとも思うけれど、今の私の能力では、できることが本当に少ないのだ。
この仕事は、私には適してない。
ヴァーミリオン先生の采配ミスだ……とまでは到底言えないし、言うつもりもないけれど、とにかく私の限界なんて、まだまだこんなもの。
そういったわけで、こんな状況で「暇だ」なんて言った私は、愚かで、怠惰で、言い訳ばかりで、ご主人様のいいつけさえ守れない、駄犬以下の存在なのだ。
全然、もう本当に、救いようのない存在で……。
でも、だって、仕方ない。
今の私は、ひどい雑魚。まだまだ能力が足りないんだから。
大事な試験問題だって白紙提出しちゃった程なんだから。
ついに私は、顔を上げていることもできずに、机に伏した。
「うー、ご主人様は、今、何してるのかなぁ」
おそらくは、いやほぼ確実に、学園に新たな枠組みを作るための準備に追われているんだろう。すごく集中力が必要で……。だから、私がこの画面まみれの研究室に置かれているのは、校長室に役立たずな私がいたら目障りだってことだろう。
邪魔な私を追い出すために、「監視しておいてくれ」なんていう不可能な指示を与えたんだ。きっとそうだ。
私は目を閉じる。ヴァーミリオン先生のもとで働きたくて、初めてメイド服に袖を通した日の事を思い出す。
★
あの日、春から夏に替わる頃のことだった。第三校舎にある体育館で着慣れないコスチュームに着替えた私は、他の生徒たちの刺すような視線に耐えながら、中庭の緑のトンネルを俯きながら歩き、この研究室の前に立ったんだ。
あこがれのヴァーミリオン先生のもとで働きたい。彼の考えを理解したい。そう思い立った私は、彼のことを調べた。調べてみて、とても有名な先生だということがわかった。
以前の私だったら、きっとその時点で引き下がっていただろう。けれど、彼の下で彼の仕事を手伝いたいという気持ちが、どうしても止まらなかった。
今思えば、たぶん、恩返しがしたかったんだと思う。もしもあの屋上でヴァーミリオン先生と出会わなかったら、私もいまごろバリバリの邪教徒として死んだ目をしていたかもしれないから。
閉じられたドアの前で、何度も練習した台詞をブツブツと呟く。
「私は、クラウディという名です。ヴァーミリオンさんの下で働かせて下さい」
震えた声で、五回くらい呟いただろうか。私はようやく、ドアをノックしようと手を振り上げた。
その瞬間、扉が開いた。
ヴァーミリオン先生だった。扉をあけたら私がいたのに、驚いた表情も見せなかった。後になって聞いた話だと、扉の向こうまで私の呟きがきこえていたらしい。
「君は?」
先生は、私の姿を観察した。頭の先からつま先までメイド姿をした私を見た。不審者を見るような目だった。
「あ、わ、あ、私は、クラ、ク、クラウディです。私、その、私、わ、私を仕事……」
全然うまく話せなかった。
「間に合ってる」
ヴァーミリオン先生はそう言って、冷たく扉を閉めようとした。
「ま、待ってください!」
私は涙声で扉に手をかける。
今思うと、もしかして、メイド姿で行ったのは失敗だったんじゃないだろうか。この間のオムライスの時のことを考えると、先生はメイド好きではなかったのかもしれないし……。普通に行っても受け入れてくれないだろうと思って、「何でも言うことをききます」ということを服装でアピールしようとした私の作戦は、見事に裏目ったのかもしれない。
それでも必死に、
「何でもします! 本当に何でもしますから、何でもお申し付けください!」
「いや、えっと……そんな……」
これでもかってくらいに戸惑う彼に向けて、もう一押し。私は叫んだ。
「お願いします! 私は、あなたの下で働きたいんです!」
静かな廊下に響く甲高い声。
「いいよ」
微笑とともに、彼は言った。騒がしくされると他の研究室の人たちに迷惑だったから、受け入れるしかなかったのだろう。
だけど私は、その困惑気味の笑いを、私を受け入れてくれた笑顔だと勘違いして、歓喜していた。
「本当ですか?」
「ああ」
「本当に……本当に本当ですか?」
「僕は、嘘を吐かないことにしている」
「ありがとうございます! 私、全力で働きます!」
こうして私は先生の下で働くこととなった。
「よく見たら君、この間、屋上で会った……」
「おぼえていてくれましたか!」
あの時は、本当に嬉しかった。
★
ふと思う。
私は、ヴァーミリオン先生のもとで働くために学校に入ったわけではなかったはずだ。メイドになりたいという夢があったわけでもない。
私は、本当は、何がしたかったのだろう。何を目指していたんだろう。ただヴァーミリオン先生に憧れて、それだけを心のよりどころにして、ヴァーミリオン先生の近くに居続けたくて、ここまで頑張ってきたと思う。だけど、その前は?
私は、どんな夢を描いてここにきた?
――学びたい。
そう思ってこの学校に入ったのは間違いない。だけど、何を学びたいと思って入ったのか、はっきりしない。
自分が何を学びたいと思っているのか。どんなことを大事にして生きていきたいと思っているのか。それを見つけるためにこの学校に入ったような気がする。それは、もしかしたら、姑息な答えの先延ばしだったんじゃないのか。
メイド服に袖を通したあの日から、ずっと先生を追いかけてきた。ヴァーミリオン先生の言葉を「ぜんぶただしい」とそのまま受け取っていたような気さえする。
すばらしい先生が言ったことなのだから、その言葉もすばらしく正しいものだと思い込んでいた。ヴァーミリオン先生が、校長を裏切って追放するまで、私の中でのヴァーミリオン先生は絶対だった。
いま、たぶん、それが崩れかけている。ご主人様であるヴァーミリオン先生のことを百パーセント信じられなくなって、どうすればいいのか、全然わからなくなってしまった。
何を信じればいいのか、全然わからなくなってしまった。
いつの間にやら眠っていた。監視に疲れてしまったようだ。
「やば、今、何時かな……」
そう呟きながら起きた時に、ぎょっとした。時計を確認しようとしたら、そこには銃口があった。私の眉間に向けられていた。
「交代の時間だ、メイドさん」
銃を向けていた男は、そう言って口の端を持ち上げた。
あまりに急なことで、何が何だか戸惑った。状況を把握して、恐怖で悲鳴を上げそうになったけど、そんなことをしたら撃たれる気がして、声を上げたい衝動を必死に抑えた。死にたくない。
反撃という選択肢は無かった。
私に戦闘力はない。戦闘力があるのはMOCAだ。ここにMOCAは居ない。
私を囲んでいたのは、四人の男女。瞳の奥は、憎しみで濁っていた。
全員、見覚えがある。銃を構えているのは、MOCAが教鞭をとる前に先生をやっていた者、他は、邪教徒の過激派、それから金丹を服用した罪で私が捕まえた女、そして最後に、校長の部下だった女。
男二人に、女二人。
みな、ヴァーミリオン先生の敵ばかりだった。いくつかあった敵勢力が手を組み、統治体制を固める前に結託してヴァーミリオン先生を倒そうとしたようだ。そうして狙われたのは、校長室ではなく、このMOCAの開発・運用をしている古文研究室だった。いや、もしかして、部屋が狙われたんじゃなくて、この私が狙われたのかもしれない。私ったら見るからに弱そうだし、実際ひどく弱いから。
四人は特に目立たない容姿であり、大して強そうではない。けれど、銃を向けられてしまった以上どう考えても私に勝ち目が無い。彼らは私のザル以下の監視をかいくぐり、このモニタだらけの研究室に侵入した。
今さら、ヴァーミリオン先生に連絡を取ろうとしても、もう遅い。MOCAに指示を出そうにも、もう遅い。女の手で、私のポケットから連絡用の端末が抜き取られた。両手を挙げている私には、どうすることもできなかった。
私は人質になってしまった。
犯人の一人が、私の携帯端末を勝手に操作して、ヴァーミリオン先生に連絡をする。電話で話す。
「詰めが甘かったようだな、ヴァーミリオン」
すると、ヴァーミリオン先生の声が、漏れきこえた。
「誰だ?」
「オレだよ、オレ。オレオレ。オレが誰だかわかるか? ヴァーミリオン」
「……なるほど、そういうことか」
「そうさ、かつての同僚。貴様のせいで職を失った男さ。だから、これは復讐」
逆恨みというやつだと思う。
思うだけで口には出さなかった。
「ともかく、ヴァーミリオン、よく聞け、貴様の女は預かった。この女を殺されたくなかったら、今すぐその椅子を明け渡せ」
「卑怯な……」
「卑怯? 卑怯だと? 貴様がそれを言うか。MOCAを使って学園を支配してきた貴様が!」
「ちがう!」我慢できずに私は叫ぶ。「それは、ご主人様の意志じゃなくて校長が――」
銃声、それから書物に銃弾が突き刺さった音。私は黙らされた。
やっぱり本物だったんだ、その銃。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。私が夢見ていたのは、ご主人様との平穏な毎日だったはずだ。こんな風に銃口を向けられるのが当たり前な世の中なんて、望んじゃいない。
きっと誰も、望んじゃいない。
ご主人様は、混乱の中にある学園を少しでも良くしたくて、校長を追放した。この人たちは、それがわからないのだろうか。それとも、わかった上で反抗しようというのだろうか。
もしかしたら、この人たちは「自分裁かれる」と思ったのかもしれない。
実力なく賄賂で教師になった者は立場を失い、金丹ジャンキーは薬物使用で犯罪者確定。邪教徒も追放される恐れがあり、校長派だった者も保身のためには反抗しかないと考えるに違いない。
甘く見た。私がモニタを見ていなくてもMOCAが警備してくれていると甘く考えていた。ひどい激甘だ。
「彼女を解放しろ。彼女は関係ない」
ご主人様は、私を助けようとしてくれている。けれど、女の一人が言う。
「関係ない? はっ、それはないわね。この女がMOCAを使って、あたしらの仲間をぼこぼこにしたの、あたし知ってるんだからね」
金丹を服用していたのが悪いのに、まるで私が悪かったみたいに言われた。最低の気分だ。
「……わかった」ご主人様の悔しげな声。「僕のことは好きにすればいい。この席だって譲ろう。だから、彼女に危害を加えるな」
「よし、いいだろう。校長室で待っていろ。そちらに我々の仲間が行く。指示に従わない場合は……わかるな?」
「……ああ」
「何か言い残すことはないか、ヴァーミリオン。最後に、お前の女とちょっとだけ話させてやるよ」
男は、私の耳元に、携帯端末を近づけた。
電話越しに、先生の声がきこえた。
「大丈夫、君のせいじゃない」
「ご主人様……」
そしてご主人様は最後に、こう言った。
「MOCAのこと、頼む」
そこで、通話は終了した。ご主人様が切ったのだ。
――どうしてこうなった?
与えられた仕事をこなせなかった私のせいだ。飽きっぽい私が監視をサボってしまったからだ。三日坊主どころか三時間坊主だったばかりに、ご主人様の天下が三日天下になってしまった。




