1 プロローグ ―ご主人様が言うには―
早朝の地下鉄に揺られて運ばれていく。
始発の車内は人がまばら。それでも、白黒メイド服に身を包む私は、電車の中だと特に目立ってしまうようで、たくさんの視線を集めてしまう。最初は恥ずかしかったけれど、最近はあまり気にならなくなった。
真っ白に波打つ頭飾り、黒い服の上から装備した白いエプロン。ふわりと膨らんだ肩、襟と袖口の白。黒いスカートの下からは、白い布が揺らぎ出ている。膝までの黒ハイソックスとスカートの間は肌が露出されている。
コスプレに見えてしまうだろうか。
でもコスプレなんかじゃない。
これは私の普段着――いや、少し違うか。これは仕事着だ。つまり、私だけの制服みたいなものなのだ。
電車を降りてすぐに、大きな看板が目に入った。
巨大看板には、私の通う学校の広告があった。「聖人育成の最高峰! みんなで聖人になろう! 願書受付中!」という文字が躍っている。
私は毎朝、この文字を見て気を引き締めようとする。
今日も聖人を目指す一日が始まるのだ。
駅を出て、商店街を抜け、なだらかな坂を下る。
左手に、大きな建物群が見えてくる。
相変わらず、都会的で、無機質な雰囲気だ。
私の通う学校は、たぶん、他と比べても圧倒的に説教くさいはずだ。
なぜならここは、聖人を養成する学校だからだ。そんな学校に通っているからには、私も聖人を目指している。わりと本気で目指している。成績は理想からはほど遠い中の上レベルだけども、恥ずかしげもなく聖人を目指している。
――でも、聖人って何だ。
私は思考する。
よくわからない。
考えてみても、考えてみても、いくら考えてみても、霧の中にいるみたいで、うまく言葉にできない。
たぶん、決まりごとを考えたり、どんな課題があっても即座に完璧な回答を用意できたりって人のことなんだろうけど……。とにかく私には手の届かないような存在で、それこそわたしのご主人様のようなスゴイ人のことをいうのだろうけど……。
私のご主人様が言うには、聖人とは人間の理想像であって、無の境地みたいなもの、とかいう話だ。
でも……わからない。
本当に全然わからない。
きっと、私の頭が悪いから、理解できないんだ。
ご主人様は、聖人という言葉を出すと、必ず、「人間はみんな、聖人になるために学ばなけらばならない」と力をこめて言ってくる。
「学ぶとは何だろうか?」
わからない。そんな大きなこと、一言で言えるわけない。
「人間とは何だろうか?」
飽きることなく学び続けていくのが人間だ。毎日新しくなり続けていくのが人間だ。そうでないなら人間ではない。ご主人様に耳が痛くなるくらい何度も聞かされ続けている言葉だ。
何もかもわからない。でも、ご主人様が言うのだから、そうなのだろう。
聖人になるために学ぶのが人間なのだろう。
ご主人様が言うには。
ご主人様が言うには。
ご主人様が言うには――。
私のご主人様は何でも知っている。その中でも、「聖人」について語るとき、とても熱がこもった話しぶりになる。
私は、そんな、いつも説教くさいご主人様が大好きなんだ。
ご主人様のように、アツい人間に、私もなりたいのだけれど……。
視界には、並木道。その向こうに銅像があった。右に左に視線をやれば、大きな石の箱が、いくつも並んでいる。
今日も、聖人を目指す一日が始まる。