風纏う者
俺たちは公爵殿下とお付きの守護騎士と連れ立って城の扉を出てすぐ左のほうに向かうと、やがて大きな大きな広場が見えてきて、そこには石造りの騎士の待合所や監視塔などいくつも立ち並んでいる。
広場は外周や、また一部分はすべて土で覆われており、騎乗した騎士が馬を走らせながら手に持った槍を藁で作られた人型の人形に突き刺して訓練をしている。一方で石造りで敷き詰められた場所では、プレート鎧や、鎖帷子などを着込んだ騎士がお互いに打ち合っていて、剣戟の音が鳴り響いている。
俺たちがたどりついた先は公爵殿下に所属する騎士団のうちの1つ、『ドラゴンウィンド騎士団』の訓練場だ。
ほかにも『ホワイトウルフ騎士団』、『ブラックガイア騎士団』、それと執事騎士のホムホムさん率いる『守護騎士団』で構成されているが、仮に熊太郎が騎士団に所属する場合には『ドラゴンウィンド騎士団』に配属することになるので見学に来た形だ。
やがて広場を少し進んだ中央には、緑色の髪を後ろで束ねた線の細そうな騎士が挨拶をしにきた。
騎士は両目を見えないのか目をつぶったままだ。しかし、それにもかかわらずまるで見えているかのように公爵殿下の前で立ち止まり挨拶をする。
「公爵殿下。お待ちしておりました」
「うむ。ご苦労じゃな。真斗殿この者が熊太郎が配属する場合の騎士団の長となる人物、名はフィンダス・フォン・クラリオンじゃ」
俺は公爵殿下からフィンダスさんに視線を移すと、スッと俺の目の前まで迷いなく歩いてきた。やはり目はつぶったままだ。
「ご紹介にあずかりました。私は、『ドラゴンウィンド騎士団』団長のフィンダス・フォン・クラリオンと申します。未だ技は未熟ではございますが、騎士として命をかける所存。よろしくお見知りおきください」
「これはまた謙遜するのぉ。フィンダス・フォン・クラリオン、ぬしはまさしく剣の天才じゃろうに」
剣の天才か。俺の視線は思わずフィンダスさんをとらえると、ほんの少しの間見つめてしまった。
そんな俺の好奇心に気づいたからこその提案だろうか。
「どうだろう、真斗殿。もし興味がおありであれば、我が騎士団を知りたいというのであれば、いっしょに訓練をしていっては?」
「そうですね、ではぜひとも」
「真斗殿は、ワイバーンを仕留めた男であり、戦鬼熊を前にしてなお生き残っておるお人じゃ。フィンダスどうだ、打ち合ってみるか?」
「はい。それは望むところ」
「真斗殿はどうじゃ?」
「はい、俺ももちろん、胸をお借りしたいです」
「ふむ。その格好では不便じゃろう。あそこの建屋で着替えをなさってきてはどうかな?もし武器、鎧などがなければお貸しもするが、真斗殿はそれそこのポシェットに入っておるのじゃろ?」
「はい。ご明察おそれいります。では少々お待ちを」
30メートルほど歩いた先にある石造りの頑丈な建物、中は窓から差し込む光で比較的明るく、俺が着替え終わるのにそんなに時間はかからなかった。黒のチュニックとズボンの上に皮の鎧と籠手を装着する。最後は鉄の剣と盾だ。
「お待たせいたしました」
「では、向こうに見える闘技スペースまで行こうかの」
しばらく歩いて闘技スペースの上に足を乗せて初めて実感する。
遠目にも大きく見えたこの場所は、実際にその場に立つと改めてその広さに驚きを感じざるをえない。
150メートル四方はあるだろう、石造りの床でかなりの大きさだ。
訓練中の騎士たちもそぞろに集まって闘技スペースの周りを取り込んだ。
もしかしなくても、今日俺がここに来ることは周知されているのだろう。
それもだ、ワイバーンを倒し、戦鬼熊相手に生き残った猛者として……。
ここまで注目されてしまうとプレッシャーを感じてしまうよ。
しかし、そんな中でもフィンダスさんは淡々としている。
腰に下げた細い剣、これはレイピアのようにも見える剣を取り出して構えると、サッと十字に切り払った。
ヒュッヒュッ
風を切る剣の音が一瞬鳴った。
そして、俺にはその剣の軌跡を目で追うことができなかった……。
「では、いざ」
「はい……!」
フィンダスさんは、剣を構えたままで、ただ無造作に俺に近寄ると剣を一閃した。
俺に向かって歩いてきているのを目はとらえていた。なのに、俺にはそのあまりにも自然な動きに反応することができない。
それは、マグナスさんを激流であり、怒涛のごとくと称するとしたら、風のように静かな一撃とでもいおうか。
俺はなにをされたのかもわからずに、ただ、フィンダスさんの細剣は俺の首元で寸止めされていた。
次のもう1手、これもまったく同じだった。
スッといつのまにか近づかれると、俺はなにをすることもできずに……やはり細剣は俺の首元で寸止めされている。
俺のスキル剣術はパッシブスキルで常時発動している。なのにそもそも俺の目にもとらえられない斬撃にはなすすべもなく……。
そして、未来視によってもフィンダスさんの剣の動きは、まったく見えてこない。
そもそも寸止めする気だからだろう。殺気がないんだ。
こうなってくると、あとは素の俺の力が全面に出てしまうだけだろう。ただし、それはそう、フィンダスさんから攻撃されるのを待っている場合にはだ。
3手目、今度は俺から攻撃を仕掛けていく。
スキル疾風と、怪力、静音を利用した攻撃だ。さすがに透明化を使用してしまうとあまりのスキルの性能に問題が起きそうなので、そもそも人前ではむやみに使用する気はない。
しかし、この3スキルの併用効果だけでも常人にはとらえきれないはずだが……。
俺は一瞬でフィンダスさんの目の前まで移動すると、鉄の剣をなぎ払った。
キン
しかし、俺の力の乗った一撃は、フィンダスさんの剣によりなんなく受け止められた。
それも片手でだ。もちろん、フィンダスさんの細剣が特殊な金属で作られていて、硬い可能性だってあるだろうから、剣を折ることができないことについては異論はない。
しかしだ、俺はスキル怪力を使用しているんだ。それはある程度大きな石さえも軽く持ち上げてしまうほどの力だ。
それなのに……そう俺の剣がフィンダスさんの剣に触れる、まさしくその直前に俺の剣はなにか見えない衝撃に阻まれて、だいぶ威力を失わされていた。それはまるで見えない結界に阻まれるかのように。
ならば、火炎剣で押し切っていいくか。けれど、メイアさんの初めて作った処女作の剣だ。火炎剣を使用すればおそらく溶けて消えてしまう。
それだけはさすがにできない……守りたいあの幼い笑顔。
では、俺の持つ紋章の力はどうだろうか。しかし、あの紋章を見られて大丈夫なのだろうか。俺は魔王としてこの国から追い出される事態だけは避けたいところだ。それに俺にも意図的にあの力を発生させることもできない。現に今も俺に右手にはなんの変化も起きていない。
ふと最後の思案が俺の頭に思い浮かぶ。あれはそう、俺のおじいちゃんがオンボロな道場で言っていた言葉だ。
「真斗や」
「なーに、おじーちゃん?」
「相手が強者であればあるほどな、油断するものなんじゃ」
「ふーん。油断するとどうなるの?」
「それはな、あえて相手の剣を受けてしまう慢心に繋がるんじゃよ」
「剣を受ける?」
「そうじゃよ。おじいちゃんもな、あの酒呑童子の前に殺されそうになったときがあってな、手も足も出んかったんじゃが」
「じゃが?」
「真斗、見ておれよ!」
そう言ったおじーちゃんは空中に高く飛び上がるとそのまま前に高速で回転するとその遠心力すらも力に変えて竹刀を道場の床に叩きつけた。
ドカーン
ひどい音がしてその斬撃は道場の床を破壊するのみにとどまらずに、大地にぽっかりと2メートルの大穴を開けた。
そうおじーちゃんは竹刀で大地に大穴を開けたんだ。
「おじーちゃん、すごーい」
「すごいじゃろー」
「でも、道場壊れちゃったけど、それでもいいの、おじーちゃん?」
「それはのー、よくないの!」
ニッコリと笑う俺のおじいちゃん。
「でも、それだけ空中でぐるぐる回っちゃうと、相手は逃げちゃうんじゃないの?避けちゃうよ!」
「だからの真斗や。相手の油断を誘うんじゃ。この攻撃をする前にはなんでもいい、相手に攻撃を受け止めさせるだけのなにかが必要になるんじゃよ」
そうだ、俺にはあのおじいちゃんから教えてもらったグルグル回転剣が切り札として使用できる。あのジャンプ、今なら足にスキル怪力を使用すれば問題なく俺でも空中を飛翔することができるだろう。
あとは油断させるなにか、もしくは攻撃を受け止めさせる状況を作るか……。
鑑定さん、フィンダスさん攻略のための情報を!
鑑定!
フィンダス・フォン・クラリオン
説明
緑髪の人族で、33歳。盲目の天才剣士じゃな!
ダメだ。俺の知ってる情報とそんなに変わらねぇ。
「フィンダスさん!」
「どうしましたか?」
「向こうにでっかいトンボがいて、こっちに向かって襲ってきてます!?」
「…………」
フィンダスさんは沈黙を保ったまま、ただあたり一帯をただ静かに風が流れている。
ふと、フィンダスさんが左手を上空に掲げた。
その手の先の上空にはなんということだろうか……。
本当にトンボがいたんだ。そして、でっかいトンボはなにか見えない斬撃により斬り刻まれていった……。
「それでどうしましたか、真斗さん?」
「いえ、その……」
さすがの騎士団長といえばいいのだろうか、搦め手から油断を誘うことはできない。ならば、もう真正面からぶつかるしかないじゃないか!
それに、俺も男だ。言うべきことは言うべきだろう!
「フィンダスさん、俺の剣に攻撃をなにかの結界で防いでいますよね?どうでしょう、次の俺のこの剣による攻撃、受け止めきる自信はありますか?」
「ふふ。私の結果を破って一撃を入れると?いいでしょう。次の真斗さんの攻撃、真っ向から受け止めてみせましょう!」
俺はスキル怪力のみを使用する。
そして、フィンダスさんの前で上空にに大きくジャンプをする。
フィンダスさんまでの距離は、およそあと10メートルもないだろうか。
俺は体を丸めると、全身の筋肉を怪力をして満遍なく行き渡らるその勢いのまま前に回転する。
1回転目、2回転目、3回転目、そして4回転目で俺の体の力をくまなく使用した回転力は傍目にもかなりのものになっている。
そして、これが5回転目、6、7、8……。何度回転しただろうか、俺の右手の紋章が小さく光り輝いていた。
俺の音速を超えたかもしれない回転力とスキル怪力の乗った会心の一撃をフィンダスさんの剣が受け止めた。
ガキーン
また見えないなにかの結界に阻まれて俺の一撃はだいぶ勢いを相殺された。しかし、今度はその剣撃の勢いがまだ充分に残っていた。
激しくぶつかり合ったあと、フィンダスさんの剣にヒビが入って止まった。
「ふふ。大したものですね。私の風の結界をなお打ち破ってくるとは……」
「ふふ、正直冷や汗ものでしたよ。最後の攻撃もそうですが、途中で、風がざわめいていましたよ。なにかとてつもない力の片鱗が……」
とてつもない力か。俺の右手は今はもう光り輝いてはいない。
「いえ、俺こそ。フィンダスさんの剣の動きが本当に見えなかったんですよ」
「それに、そのフィンダスさんは……」
そう、フィンダスさんはずっと目を閉じていたんだ。なのに動きのすべてを把握している。
「あぁ、気を使わせてしまいましたね。私は生まれつき目が見えないのですよ。その代わりに、風がすべてを教えてくれます」
「風ですか?」
「えぇ。私の幼きころからの友、風は目には見えませんが、いつも私のそばを巡り見守ってくれています。それに剣の腕だって、私は、子どもの頃からただひたすらに剣のみを振るってきましたからね。まぁ騎士なんて皆そうですが」
「失礼ですが、真斗さんの体の作りはとてもそのような筋肉の持ち主には見えない。なのに力強い。不思議な人ですね」
「恐縮です」
「真斗はの、カムシンのご出身ということなんじゃよ」
「ほぉ。そうすると、カムシンに伝わる技であったと?」
「……はい。まぁそうですね」
カムシンさんごめんなさい。
「真斗殿の腕前は充分にわかりました。よろしければ、このままドラゴンウィンド騎士団の訓練をご覧ください」
騎士たちは再び激しい訓練に戻っている。
気合のこもった叫び声が、いくつも聞こえてくる。
「「「えい! えい! えいやっ!」」」
そんな風景は大きな青い空に見守られていて、その澄み渡った空の上には1メートルを超えそうなトンボが飛んでいた。