公爵との謁見
食事を終えると、一度2階に戻って正装に着替えた。
俺の一張羅、就活用の背広だ。
おかみさんとソニアちゃんには今日の夜食と明日の朝食が不要であることを伝えた。
もちろん、泊まりにはこれるかもしれないけれど、公爵家の訪問は熊太郎の将来もかかっているしね。
俺としては、泊まり込みで公爵家を訪問したいと考えている。
早朝の清々しい朝の空気の中、孤児院に到着するとマルシィさんは朝の準備もいろいろ終えて、俺がくるのを待っていてくれたようだ。
アイルちゃんもすぐ側にいて、一目散に飛びついてくる。
「おはようございます」
「お兄ちゃんだー。わーい!」
そんな可愛いアイルちゃんだ。俺も頭を撫でずにはいられない。
ナデナデ
アイルちゃんは俺にしがみついたまま、満足そうにニコニコとしている。
「こら、アイル! 今朝も言いましたけど、今日は所用で出かけますからね。年下の子どもたちの面倒もお願いしますからね」
「むー、そっかぁ、お兄ちゃんすぐいっちゃうのかぁ……」
アイルちゃんもずいぶんと顔を下に向けてしまって、寂しそうな様子ではあったんだけど、年下のユアナちゃんだってそうだったし、孤児院にはアイルちゃんより小さい子だって何人もいる。だからだろうか、お姉ちゃんとしての気持ちからなんだろうな、頭を上げると俺を見つめるその黄金の瞳が太陽の光を反射してキラキラと輝いている。確かに少しだけ寂しそうではあるんだけど、お姉ちゃんとして責任を果たすんだってアイルちゃんの気持ちが伝わってくる、そんなしっかりとした瞳だった。
「また、遊びくるから、ね?」
「もー絶対に約束だからねっ!」
アイルちゃんの瞳は少しも曇ることもなく、輝いたままだ。こうやって子どもは少しずつ大人になっていくのかと思うと正直お兄さんとしては少し寂しい気もするけれど、きっといいことのはずだよね。
「それで真斗さん、今日はこのあとにグラント様が馬車でこちらに参りますので、ごいっしょに同乗して公爵家を訪問することになります。よろしいですか?」
「はい……」
いよいよ公爵家への訪問だ。足元の熊太郎のもしかしたら一生の居場所になるかもしれないんだ、体はほど良い緊張と、それとやっぱり公爵って俺からは想像できないくらいに偉い人なんだろうし、なにしろここのどでかい街を治めているんだし。
それにポカンドさんが言っていた、神智将マイヒゲル。帝国の攻勢を支えていた将軍か……。
そんな俺を下から覗き込むように急にマルシィさんが俺の至近に顔をヒョコッとよせてきた。
「真斗らんらしくないですよ? ドキドキしていらっしゃいます?」
「えぇ、そうですね?」
ドキドキしたのは、マルシィさんが下から上目遣いでそんな近くから急に見つめてきたからなのもあるんですよ?
こう言ってやりたい気持ちを俺はグッと抑える。
「右手をお貸しください」
「え?」
俺がソロソロと右手を差し出すと、マルシィさんは俺の右手に手文字で『人』と書き込んだ。
マルシィさんの握られて俺の右手はどこか温かくなって。
「真斗さん、今私が右手に心が落ち着く神聖文字を書き込みました、一息に食べちゃってください!」
「え?」
「真斗さんっ!」
「はいっ!」
俺はマルシィさんが書いてくれた一文字をパクッと食べてゴクリと飲み込むと、マルシィさんはそんな俺を見てニッコリと微笑んだ。
「ね、勇気がでてきませんか? 緊張がほぐれるんですよ!」
「マルシィさん、これって日本のジンクスなんじゃ?」
「日本? 我が家の秘伝です!」
自信満々なマルシィさんだ。神聖文字が『人』って漢字にも思えたんだけど。
俺が今ここにいるように、日本人はこの異世界に過去にもいて、そこから伝わっている風習なのだろうか。
そんなとりとめもないことを考えていると、立派な装飾に彩られた大きな馬車がガタゴトガタゴトとやってきた。
降りてきたのは、もう初老だろう貫禄充分な騎士、そうグラントさんだった。
それともう1人の若手の騎士、実に精悍そうな雰囲気だ。
「おはようございます。皆様、ご準備はよろしいですかな?」
「おはようございます。俺は問題ないです!」
「おはようございます。私も準備万端ですよ!」
「では、行きましょうか、順に馬車にお乗りください」
マルシィさんから馬車に入っていって熊太郎を抱えた俺とグラントさん、若手騎士の順に乗り込んで、馬車はガタゴトと走りだす。
大通りに出るまでは結構揺れたけれども、一度整備された道に入ると丁寧に整備された道をゆっくりと走っていることもあって、比較的乗り心地もよくあたりを見渡す余裕も生まれてくる。
本当に人の多い活気のある街で、街の大通りを走る公爵家の馬車に萎縮する雰囲気もなく、それはこの街を治める公爵の治世が安定していることを証明しているかのようにも思える。
しばらく走ると、やがて大きなお城が見えて来て、騎士の門番にまもられた大きな扉が前にみえてくる。
御者と門番が少しのやり取りをすると、公爵邸の門が開いて馬車はさらに進んでいくとしばらくして、ゆっくりと止まった。
俺たちが順に降りていくと、少し進んだ先に石造りの大きな城の入り口が見えてくる。
城に入るための扉を左右には、守護している騎士が2名、背筋をピンと伸ばして立っている。
グラントさんが騎士総長だからだろう、扉にの前に立つと特に違和感をもたれることもなく、守護騎士からの質問が発せられる。
「ご用向きをどうぞ!」
「うむ。戦鬼熊の件で騎士総長グラント・カイゼル、公爵殿下に拝謁を賜りたい!」
「はい。ご用件は伺っております。どうぞお入りください!」
扉が大きく軋む音を立てながら開いていく。
そして、扉が開くと、さっそく執事だろう壮年の紳士が姿を現した。
着ている服にはシワ1つなく、生えている髭は綺麗に手入れされていて、髪型はオールバックだ。
この特殊能力を使いそうな雰囲気、それに反して柔らかな人柄を感じさせる雰囲気。只者ではなさそうだ。
付き随うメイドだろう8名のメイドが合わせて両サイドでお辞儀をして出迎えられる。
これ、下手をするとこの雰囲気だけで飲まれてしまいそうな、そんな厳粛さ。
「ようこそおいでくださいました。私は執事騎士のホムホムと申します。ご当主様はこちらでお待ちでございます」
ホムホム?
俺たちは執事騎士のホムホムさんに案内されて少し進むと、またもや大きな扉があって守護騎士2名が控えていた。
「ご苦労、お客様ご来賓!」
守護騎士により扉が開いていく。
奥に座っているのがマイヒゲル・フォン・ヴァーミリオン公爵だろうか。
遠目にもかなりの年配に見えるが。
左右には何人もの守護騎士が屹立して控えている。
その中をまっすぐに俺たちは進んで行く。
「ヴァーミリオン公爵殿下、お客様ご来城いただきました!」
「うむ、グラント、ご苦労じゃったの」
グラントさんが公爵殿下のすぐ近くの右の上座だろう場所が定位置なのだろうか、おもむろに歩いていき立ち止まった。
一方で、執事騎士のホムホムさんは左の上座だろう位置まで移動し、同様立ち止まる。
おもむろにマルシィさんが座り込むんでお辞儀をする。異世界の風習だろうか、儀礼にのっとった挨拶をしている。
うん、俺にはわからないわ。
「本日は、ご拝謁に賜り恐悦至極に存じます。私は女神アーシア様にお仕えする神の使徒マルシィ・クーパと申します。ヴァーミリオン公爵殿下には本日お時間をお取りいただき、ありがとうございます」
なんという儀礼のマナーだろうか。次は俺の番なのだが、さてどうしたものか。
まぁ、とにかく礼儀を尽くしたい気持ちだけはある。
なにしろ、場合によっては熊太郎の面倒を見てもらう人たちのトップに位置する人なのだから。
であれば、儀礼のマナーに間違いはあったとしても、俺の気持ちをまずはまっすぐに伝えてみよう。
熊太郎を抱えた俺がそんなことを思っていると……。
「マールシア姫殿下、お変わりないようで安心いたしました。お願いですから私ごときに頭をさげるのはおやめください!」
なんといったらいいのでしょうか!
ヴァーミリオン公爵は白髪の白髪の長い髭を揺らしながら、真っ先にマルシィさんのもとまで駆けよってきた。
まさしく走ってきたんだ。心臓大丈夫なのか? と思わず心配したくなるほどだ。
「マールシア姫殿下ー!!」
もう見るからにヴァーミリオン公爵は感動にプルプルとその老体を震わせている。
この人が神智将マイヒゲル殿下か。なんというかふつうに優しそうなおじいちゃんで、俺の日本でのおじいちゃんとどこか似ていて仙人みたいな雰囲気だった。
しかし、ここからはマルシィさんが大変みたいで。
今度は逆にマルシィさんが体をプルプルと震わせて、必死に言いつのる。
「マ、マ、マ、マルシィです!」
「…………」
「……はは。これは失礼しました。マルシィさん、ようこそいらっしゃいましたな?」
心なしか左右に控えていた守護騎士たちも、あまりの出来事に動揺したのか鉄のプレート鎧をガシャガシャと音をたてている。
なにかの漫才なんだろうか、これは。
ふとヴァーミリオン公爵殿下が場の雰囲気をごまかすかのように俺を見つめきた。
まぁ、なにはともあれ自己紹介は重要だ。
「申し遅れました。私は北条真斗。冒険者ギルドに所属し、現在はDランク冒険者として日々公共の福祉のために活動してございます!」
「うん。詳しくはグラントからも聞いているよ。ワイバーン退治に続いて、戦鬼熊の子熊も連れ帰ったとか。それにあのマグナス殿にも認められている新進気鋭で最速でDランクの冒険者になられた真斗殿じゃな」
「本日は、忙しい中、よう来てくださった。わしは今日が待ち遠しくてな楽しみで楽しみでな、こうしてお会いできてうれしいですぞ、真斗殿」
なんというおじいちゃんスキルなんだろうか、そう言って俺の両手をグッと握ると親密をこれでもかと親密さをアピールしてくる。
いや、公爵殿下のような方が俺ごときといっては身も蓋もないが、平民にそんなんで良いのだろうか。
まぁ、そうとはいえ、俺の緊張はだいぶほぐれて素直に自分の思いを伝えられそうな、そんな気持ちにさせてくれた。
公爵殿下は言葉を続けた。
「マールシア様が……姫殿下がわしの管轄するモモトの森でウェアウルフに襲われて……わしはなその話を聞いた時にの、正直心臓が止まってしまうかと思った……。真斗殿はな、このじいの命よりも大切な姫の、姫の命を救ってくださったのじゃ!」
「いわば、真斗殿はわしの命の恩人よ!!」
ふと、マルシィさんを見るとまたまた体をプルプルと震わせている。
「マ、マ、マ、マ、マルシィです!」
どっちやねん!
鑑定!
マールシィ? ・クーパ
説明
人族の女性。16歳。金髪、碧目の彼女は孤児院を運営しているみんなの優しいお姉さん。
……のはずなのじゃ???
うん? マールシィ? って前に鑑定したときはマルシィさんだったはずなんだけど。
というか、はずなのじゃ???
1ついえることがあるとすれば、鑑定しきれないなにかがあって、それはもう明らかに公爵殿下よりの上位にたっておられる姫様。
…………まぁ、細かいことはおいといて、現状はマルシィさんのままでいいのだろうか……。
マールシアというもう1つの名前で自己紹介をされたのならば、そのときにあらためてまた考えようか。
俺としてはできれば身分差のためにお互いに遠慮して話すようなことを、マルシィさんとの間にはしたくないんだけど……。
それにしても、マルシィさんの再度のつっこみに公爵殿下が『しまった! またやってしまうた!』とばかりに長い髭がユサユサと揺れていてそのあまりの揺れの激しさはまるでメトロノームみたいで、おじいちゃんの心臓が急にパタリと動きを止めてしまうのではないかと心配させる。
ここは無理にでも、本日の要件を切り出して、話の流れを変えたほうが良さそうだ。
なにしろガルフスタイン帝国の攻勢を支えていた名将なんだ、今、ここでこんな漫才のために失ってしまってはアルデバラン王国としても報われないだろうから。
「そういえば! 先日以来、熊太郎とは常に一緒なんですよ!」
「ふむ。太郎というと、それはまた強いオスに育ちそうな、良い名前だのぉ。目元もずいぶんと可愛らしいクマちゃんじゃな」
「メスです!」
「ふむん? あぁ、カムシンご出身だとか、やはりそちらではそのような名前付けを?」
「……はい。そんなことも比較的に多いのでしょうか……」
「ふふ。真斗殿はユーモアすらもおわかりいただける、懐の深い方なんじゃな」
公爵殿下、太郎はオスにつける名前だって知っていたのか。それなのにあえてメスの熊にオスの名前をつけた俺のセンスをユーモアとして、逆に俺を持ち上げてくる……。
ここが戦場だったら、俺はその命を散らしていたのだろうな。さすがの智将なんだ。
マルシィさんは体の震えがおさまったのか、おもむろに公爵殿下に言った。
「ヴァーミリオン公爵殿下、それで今日の要件に入りたいのですが、構いませんか?」
「はっ。もちろんでございますとも」
平民のマルシィさんに頭を下げる公爵殿下。
この場所はすでに混沌を極めている。
「真斗さん、今日はヴァーミリオン公爵には1日、お時間をいただいてございます。ですから、存分に公爵殿下とお話しなさって、ご不明なことがあれば、なんでも公爵殿下にお聞きして、それに頼っちゃってくださいね!」
「遠慮はご無用ですよ。ね! 公爵!」
マルシィさんはいろいろと吹っ切れてしまったのか。とうとう口調が砕けてしまっている。
「当然でございますとも! 真斗殿は、戦鬼熊の子熊がどのような場所で過ごすことになるのか、また、我が軍の活動を実際に見てみたいと伺っているがの?」
「はい。左様でございます」
「今日はわしの口から、そのことは伝えてあるでな。存分に見て構わんぞい」
「ありがとうございます」
「それぞれに現場を担当している士官にも重々説明してあるからの、遠慮せんで話しかけてもらって大丈夫だの」
「まぁ、一応のぉ、まずは軍の練習風景、兵士の弊社や暮らしぶりを見てもらってからの、次には熊太郎ちゃんの住む厩舎を案内しようかと思うておるんじゃが、構わんかの?」
「それと一通り見終わったら、今日はうちに泊まってもらって買わんからの、ご一緒に晩餐などいかがじゃろうか?」
「はい。ぜひとも」
「まぁ、実際に見て回っての、わからないことがあったらわしになんでも聞いてもらって構わんぞい」
「真斗さん、私も今日はご一緒させてもらいますね。ただ、すみませんが昼過ぎには引き上げますが」
「はい。マルシィさんには本当に助けられてばかりで……」
「いいんですよ、真斗さん。熊太郎ちゃんの将来のことなんですから。私こそ最後までごいっしょできなくて申し訳ないです……」
「マルシィさん……」
「真斗さん……」
ふと見つめ合う俺とマルシィさん。
「マールシア様? どうされたのですかの?」
「マ、マ、マルシィです!」
「これは失礼しましたの!」
さすがの智将だ。俺とマルシィさんとの間に拡がっていた空気は一瞬で霧散する。
「まずは、そうじゃな。真斗殿に問題なければ騎士の訓練風景から見学するかの?」
「はい。お願いします」