緑葉亭のおかしなお食事
俺が黒狼族の家から出て街に向かったせいでもあるのだろう。
周りの住人が俺を見る視線はそこまで敵意あるものでもなく、俺は無事に街の西にある大通りに戻ることができた。
もっとも、夜の道だったらどうなっていたかはわからないだろうが。
そこからさらに、街の中央を走る大きな大通りに戻った後で、俺は本当に久しぶりに宿屋『緑葉亭』に続く夜道をゆっくりと歩いている。
道の先に他の家々よりも明るく輝く建屋が見えて来た、どうやら着いたようだ。
扉をくぐると、お店のテーブルはほぼ満席で、そこかしこのテーブルではすでにお酒を飲みすぎて出来上がった人から、食事を食べた始めたお客さんまで様々だ。そんな中でも、俺に気付いたおかみさんがさっそく声をかけてくれた。
「あんた! 今日はソニアから話を聞いてたからね、夕飯もすぐできるからね、ゆっくりしておいき!」
「お兄ちゃん、クマちゃんいらっしゃーい! 夕飯食べるでしょー?」
「うん。お願いします」
「今日は飛び椎茸の丸焼きだよ!」
「飛び椎茸?」
「お兄ちゃん、それも知らないんだね」
ソニアちゃんが両手を腰に当てて、まったくおにーちゃんはなんにも知らないんだからね! のポーズだ。
「野原にねぇ、たまーに飛んでるんだよ。ほら、この椎茸にも羽がついてるでしょ」
ソニアちゃんが見本に見せてくれた椎茸には確かに羽がついていて、かすかに羽が動いていた。
「椎茸は飛ぶんだよ、おにーちゃん」
「なるほど」
「美味しいからいっぱい食べてね!」
少ししてソニアちゃんがお皿いっぱいに焼きあがった飛び椎茸を持ってきてくれた。
熊太郎の分も俺の足元に少し大きなお皿に入れて置いてくれた。
「はい、どーぞ!」
お皿に山と盛られた飛び椎茸はよく焼きあがっていて、うん、羽ももう動いていない。
安心して食べられそうだな。
「いただきます」
飛び椎茸は、『緑葉亭』独自のタレで味つけされていて、本当に美味しい。
お腹が空いていたこともあってあっという間に食べ終わってしまった。
熊太郎もどうやら食べ終わったみたいだ。
「ごちそうさま」
食べ終わるとソニアちゃんが駆けよってきた。
「飛び椎茸美味しいでしょー」
「うん、美味しかったよ」
「新鮮な飛び椎茸だからね、こんなのうちじゃなきゃ仕入れもできないんだからっ!」
実に誇らしげな様子なソニアちゃんだ。
だけど実際に美味しかったからね。
「そうだ、おにーさんからもらったお肉すっごく美味しかったよっ!」
「うん、それなら良かった」
「もうほんとにワイバーンのお肉のわけないのにねー、でもあれ美味しかったなー」
「ソニアー、あっちのテーブルの食器も片づけとくれー」
「はーい、おにーちゃんごめんね、いつものお部屋を使ってねっ」
軽くうなずく間もなく、ソニアちゃんはタタタと駆けていくと食器を持ってあっちにバタバタ、こっちにバタバタでお店も大繁盛だ。
2階の部屋と熊太郎といっしょに入ると、ベッドに横になる。
今日もいろいろ忙しかった。
気持ちの良い疲れに、自然と眠気が襲ってきて。
「あれー、フローラさんどうしたのー?」
「お父さんがいないのっ! ここに来てるかなって思ったんだけど……」
「シゲさんにも困ったもんだねぇ、フローラちゃん、シゲさんが来たら呼びにいかせるからね!」
「クララさん、ありがとう! でも私、お父さんを1人にしておけないから、他のお店に探しに行ってきますっ」
タタタタ
フローラさんは今日も大変そうだな。
しかしクララさんってまさかおかみさんの名前か? なんて可愛らしい名前なんだろうか。
そんなたわいもないことを考えているとますます自然な眠気に襲われていって……。
階下から漂ってくる食欲をそそる美味しそうな匂い。
そんな匂いにつられて、俺は目を覚ました。
熊太郎もそんな匂いには俺以上に敏感なんだろう、鼻をクンクンとさせている。
朝から食事なんて、そんなにモリモリと食べられないなんて人だってもちろんいるだろうし、実際、俺も昔、胃潰瘍だったときには食欲がなかったもんだけど。ただ、そんな俺でも一刻も早く、食事にかぶりつきたい。
そう思わせるこの匂いは間違いなく焼き魚だろうな。そんな香りに釣られるように俺と熊太郎はまっすぐに食堂まで降りていった。
朝早いにもかかわらず、テーブル席は半ば埋まっていて、お客さんはそれぞれに食事を進めている。
道理で良い匂いが漂ってくるわけだ。
「おはようございます」
「お、お兄ちゃんだね。朝飯はここで食べていくんだろ? クマちゃんもうちで食べていくかい?」
「はい。ぜひそうさせてください!」
「くまちゃんの分は悪いけれど、別料金になるからね?」
「はい。わかりました」
「あいよ。ソニアー、お兄ちゃんとくまちゃんに朝食1人前追加だよー」
「はーい」
遠くからソニアちゃんの声が聞こえてくる。厨房ではさっそく調理にかかっているのだろうか、ジュージューと魚を焼き上げる音といっしょに香ばしい食欲をそそる匂いが漂ってくる。
少し待つとソニアちゃんがでっかいお皿に大きなお魚を乗せてさっそく運んできてくれた。
「お兄ちゃん、できたよー。くまちゃんはこっちのお皿ね!」
でっかいお皿の上には丸ごと1匹の、焦げ目がつくまで焼き上げた魚がドテンと載っていた。
少しおかしいのは、魚に足が6本ついているところだ。
ヒレじゃなくて足なんだ。これはなんだろうか。
熊太郎はさっそく食べ始めているんだけど、俺はこの魚が気になって仕方ない。
「……これはまた変わった魚だね?」
俺の問いはソニアちゃんを心底困惑させちゃったみたいで、『おにーちゃん、またなの!』って顔つきで俺を見つめてくる。
「えー。お魚じゃないよ、お兄ちゃん!」
「うーん。お兄ちゃんはヘカトンマグロも知らないの?」
「ヘカトンマグロ?」
「そうだよ。これは見ての通りこの6つの足でね、すごいスピードで陸地を走って襲いかかってくるんだよ!」
「え? そんなのどうやって捕まえるの?」
「ヘカトンマグロはね、まっすぐにしか走れないんだよ。だから、落とし穴を掘って落っことして捕まえるの!」
「なるほど」
陸上を走っているのなら、それは確かに魚じゃないのか。
しかし、ようやっと納得した俺にソニアちゃんの発言が続いていく。
「だけどねー、たまに落とし穴をジャンプで飛び越しちゃうマグロさんもいるから、そうゆうマグロはバットで打ち返すんだよ!」
「バット!?」
「お兄ちゃん、バットも知らないの?」
「もちろん、あたしじゃあ無理だけど、冒険者の人でもそれを専門にしている人がいてね?」
ソニアちゃんはバットを持って振りかぶるポースをする。
「こうねっ! 打ち返すんだよ!」
バットを持っていないはずなのに、見事にホームランを打ってしまいそうな勢いのソニアちゃんだ。
「なるほどねぇ。ソニアちゃんはなんでも知ってるんだね。尊敬するよ」
「えへへー。なんでも聞いてね、おにーちゃん」
俺がソニアちゃんに心底感心したのが伝わったからだろう、本当に自慢げな姿が可愛らしい。
それにしても、異世界は本当に食材からしていろいろだな。
このマグロについている足だってそうだ。一体なんだというのか。
俺は手に持ったスプーンでマグロの足を何気なく突いてみた。
その瞬間だった。
焼き魚になったはずのマグロが足を使って飛び上がったんだ。
「は、跳ねたっ!」
「あ、お兄ちゃん、足は突ついちゃダメだよ。足を触るとね、動いちゃうからね!」
「はい……」
マグロが飛び跳ねた勢いで、魚の汁が飛び散ってしまった。
これは生活魔法でお掃除魔法のクリアブラッドの出番かな、そんなことを思っていると。
「しょうがないなぁ、特別だよっ!」
ソニアちゃんがポーズを決めた。
「クリアに♪ 飛んでけっ♪ クリアブラッドー♪」
くるくるくるりん♪ とソニアちゃんが回り始めると最後には腰に片手を当てて、人差し指と薬指でVマークを作って目元にかざした。
なんだ、このポース、日本でも見たことがあるような。
確かキラッとか擬音が聞こえてくるそんなポーズだったような。
なんてあざといんだろうな、異世界は日常からあざといのか、それともただ単にソニアちゃんが可愛いらしいだけなのか。
まぁ結論として、シミになってしまいそうだった汚れがさっと消えている。ソニアちゃんに感謝だ。
「ソニアちゃん、ありがとね」
「いいんだよ! おにーちゃんはマグロさんを初めて食べたんだから、知らないのは当たり前だよ!」
「これお礼に受け取ってくれるかな?」
俺がポシェットから家族3人で食べるのにちょうどいいくらいのワイバーンのお肉をお皿に載せると、ソニアちゃんが目をまん丸にして驚いている。
「これってあの美味しいお肉? ワイバーンのお肉? お肉なお肉?」
「うん、ワイバーンのお肉だよ」
「わーい、このお肉ほんとーに美味しいんだから、そうだなー」
なにやらちょっと考え込んでいるソニアちゃんは顔を上げるとニコッと笑った。
「もしもねー、お兄ちゃんが大人になったあたしにこーんな美味しいお肉をくれてプロボースしてくれたねー、将来お嫁さんになってあげてもいいよっ?」
まだまだ小さいソニアちゃんだけれど、赤い髪と紫水晶のような瞳と顔立ちからは将来美人さんになりそうな気配が伝わってくる。
まぁ、今はショートカットでなんとなくボーイッシュなイメージが強いんだけどね。
「はは、そうなれるよう頑張るよ?」
「わーい、おっにくおにくー♪」
ソニアちゃんはもう聞いていなかった。
ちなみにヘカトンマグロなんだけど、マグロとサバの合いの子みたい味がして、塩クジラの塩を振りかけて食べてみるとまさしく焼き魚そのもので、美味しかった。
ごちそうさまでした。