花売りの少女その2
木でできたバラックのような建屋が乱雑に立ち並んでいる。
そんなスラム街の道を歩いて入るだけで建屋の暗がりから、あるいは路地に座り込んでいる老人から、いやもうそこかしこから視線が浴びせられる。
間違いない、俺はククルハさんといっしょに歩いているからこそ、襲われていないのだろう。
そうして、たどり着いた建物はやはり朽ちかけた木でできた今にも倒れてしまいそうに見える小屋だった。
「真斗さん、どうぞお入りください」
「お邪魔します」
建物に入ると30代に見える男性と女性、それにまだ6歳くらいの小さな女の子が1人。
間違いない。ククルハさんのお父さんとお母さん、それと妹さんだろう。
ボロ切れのような布にくるまった男性はククルハさんのお父さんだろうか。両足を怪我していてもう動くことすらできないようだ。
一方、使い古されたくたびれた布を身にまとった女性がお母さんなんだろうか、部屋全体に響くような咳をしきりにしていて、止まることもない。
印象的なのは、男性も女性も共にひどく痩せていて明らかに栄養失調の末期なのではないか、その姿はあまりにも痩せすぎている。
妹ちゃんはほんとに小さい女の子だった。おそらくは一心に食べるものを与えられていたからだろう、痩せてはいなかった。
ただ、小さくケホケホと咳をしていて止まらないようだ……それはまるでお母さんと同じような症状に見える。
「…………」
「……帝国の人間かい?」
「私たちもここまでなのね……ケホケホ」
女性は妹ちゃんをギュッと抱きしめると観念したかのように目をつぶった。
お父さんは、動けない足をかばうこともなく両手で這いずるように俺の目の前にきた。
「殺すなら……わしだけを殺して、それでもう引き上げてくれないか?」
言葉もないとはこのことだろう。力のすべてを失った身体、ただ俺を睨みつけてくる眼光だけは鋭かった。
帝国がなにかはわからない。ただ少なくとも俺は敵ではない。
「帝国については詳しくは知りません。俺は王国でDランク冒険者をしている北条真斗と申します。真斗と呼んでください」
「その、今日はククルハさんの了解のもとで、ご挨拶に伺いました」
「え…………?」
お父さんとお母さんの視線がいまだ繋がれたままの俺とククルハさんの握られた手を注視して止まった。
「その……一生を共にする覚悟がおありで……?」
一生を共にとはどうゆうことだ?
ただ、1つだけ言えること、それは俺がここにきた時点でとっくに覚悟なんてできているってことさ。絶対助けるんだよ!
俺の右手に握られているククルハさんの手にギュッと力が込められる。もちろん俺だって今必死に握ってくるこの暖かい手を離すつもりはない。
「少なくとも、私はあなた方のことも、そしてこの小さな女の子のことも放っておくことなどできませんよ!」
「おいで!」
ケモミミと尻尾をフリフリと振りながら小さな女の子が、一生懸命によたよたと俺に向かって歩いてくる。
俺は妹ちゃんの背中に手をやって受け止めてあげる。
右手はククルハさん、左は妹ちゃんを抱きしめている形だ。
「おにーたん、あったかい……ケホッ」
「まさか、そのクーモモとも……?」
「当然ですよ」
「クーモモはね、ケホケホ、まだ幼いながらも、人を見る目はしっかりしているんですよ。その娘が信頼してくれているのなら……」
「娘たちのことはお願いします。正直私たちも長くはないでしょうから……ウゥゥ」
「すまんな、わしが怪我さえしていなければ……」
お母さんが感極まって泣いてしまった。
お父さんはそんなお母さんの肩を抱いて静かに下を向いて俯いている。
まずはみんなの状態の確認が必要だろう。
鑑定!
ポカンド・ドルドアース
説明
黒狼族の族長で39歳。栄養失調で両足を骨折しておるのじゃ。このままだとそうは長くはもたんのじゃ。頑張れ真斗!
モスモル・ドルドアース
説明
ポカンドさんの奥さんで31歳。普通に良いお母さんなんじゃが、栄養失調と肺病で、血を吐いて死んでしまうのじゃ。頑張れ真斗!
ククルハ・ドルドアース
説明
黒狼族族長の娘。黒髪、黒目の14歳の女の子。体調はだいぶ元に戻ってきておるのじゃ。あとは食べるものをちゃんと食べれば大丈夫!
クーモモ・ドルドアース
説明
ポカンドさんの娘の幼女ケモミミで6歳。栄養失調ではないけれど、肺病の初期症状。このままだとそう長くはもたんじゃろう。頑張れ真斗!
これはひどい……。
あと半月もかからずにこの一家全滅していたんじゃ……。
とにもかくにも回復魔法で治癒するしかないだろう。
「では、回復魔法使いますね!」
「「え??」」
「回復! 回復! 絶対回復ー!」
小さな小屋の中を目も眩むような緑色の光が包み込んでいく。
全ての光がポカンドさん、モスモルさん、クーモモちゃんに吸収されて消えていく。
痩せているのは変わらないけれど、一時的にだろう顔色に赤みがかすかに戻っている。
治ったかな? 大丈夫だろうか?
一応、念のため、肺病の懸念になりそうなものも取り除いておきたい。
「クリア! クリア! クリアブラッドー!」
俺を中心に清涼感を伴う波動があたり一面に拡散していく。
うん、もうこの際、一度このあたり一帯を清潔にしておきたいわ。
なので遠慮なしのクリアブラッドだ。
「これは……あれ、足が痛くない!?」
「ケホケホ。ケ……あれ、咳が出ない。なんでかしら?」
「おにーたんがなにかしたー、しゅごーい」
みんな茫然自失としているな。
よし、念のため再鑑定だ!
鑑定!
ポカンド・ドルドアース
説明
黒狼族の族長で39歳。栄養失調。ご飯を食べるんじゃ!
モスモル・ドルドアース
説明
ポカンドさんの奥さんで31歳。栄養失調。ご飯を食べるんじゃ!
ククルハ・ドルドアース
説明
黒狼族族長の娘。黒髪、黒目の14歳の女の子。真斗の優しさにふれ感動中。種族を超えた禁断の……なのじゃな!
クーモモ・ドルドアース
説明
ポカンドさんの娘の幼女ケモミミで6歳。尻尾がフリフリなのじゃ!
「…………っつ、グスッ、おどうさん、おがあさん、クーモモッほんどによがっだよおおお。グスグス……」
ククルハさんはそんなみんなの様子を見て泣き出してしまったようだ。
しかし、鑑定結果でも、あとは栄養失調以外の状態からは完全に回復しているようだ。
「お父さん、足はもう治りましたよ」
ポカンドさんが俺をジッと見つめてくる。
おっさんの熱い視線はいらない。
「お母さん、肺病はもう治りましたよ」
モスモルさんが俺をジッと見つめてくる。
狼耳が愛らしい。尻尾も左右にフサフサと揺れている。
「わしたちのことをさっそくお父さん、お母さん呼びか」
「え?」
なんか誤解をされている? ククルハさんのお父さん、お母さんって印象が強すぎてついつい呼び方が親しすぎてしまったみたいだ。気をつけないといけないな。
まぁ、しかし、今はそれよりも栄養失調からの回復が最重要だろう。
俺はポシェットから、お昼の屋台で買った39本の串を全部引っ張り出して布の上に山盛りにした。
調味料もそれぞれ木の皿に適量を盛り付けてお肉の前に置いておく。
熊太郎が食べたそうなので、3本の串焼きだけは、串を抜いて黄実を振りかけて熊太郎の前においてあげる。
それにしても、ケモミミ家族4人がいっせいにヨダレを垂らす勢いで尻尾をフリフリさせながら串焼きを見つめる姿は正直圧巻だ。
「よければ、こちらをみなさんでどうぞ!」
「黒狼族は、施しは……あ、真斗さんはもう身内になるのでしたな」
「ならば、ありがたく頂戴いたしますね」
「おにく食べるー」
「私もまだ食べたい……」
36本の串焼きは正直けっこうな山盛りだ。
しかもこの異世界の串焼き、結構1本の量が大きくて非常に食べごたえがあるんだ。
それをいっせいに食い倒していった。
いや、食べられないよりは全然良い話だ。
山だった肉は今はもう底をつきそうで、とうとうそんなに時間もかけずに全部食べきってしまった。
それにしてもさっきから気になっている疑問が1つ。
「あの、俺が身内って?」
「え? お兄さんは覚悟があるって」
「覚悟って、その、面倒をみる覚悟ですよね?」
「はい。私を一生面倒見るって……」
なんだって?
ん? そんなこと言ったか? 放っておけないって話になって、えーとそれから……。
「それに真斗さん、差し出した私の手を握り返してくれて、そのまま私の両親にご挨拶を……」
「そうですね」
「それは私たちの風習では婚約する方を家族に紹介するための手順なんですけど……」
「え……」
「それでそのあとクーモモを左手に抱えて婚約の挨拶中に抱っこをなさいましたよね?」
「えぇ、確かに」
「婚約の挨拶をしている中での空いている手を使っての、さらに追加の女子抱っこ。この場合はクーモモなんですけど、それは将来お嫁さんにするって意思表示になるんです」
「…………」
「けっこう有名な儀式なんですけど、ご存知ではなかったのですか?」
「実は、最近カムシンから出てきばかりなんですよ。それでさっぱりその手の話には疎くって、もう本当に……はは」
「そんなに遠方から……」
もはや言葉もないとはこのことだろうか。
ククルハさんのみならず、クーモモちゃんともご婚約?
なんだ、一体俺の身になにが起きている?
「ははは、しかし実にめでたい。それにクーモモもよく懐いておられる」
「ちょっと早いけれど、お兄さんなら安心ね……」
いかん、このままだとお嫁さんがいきなり2人だ。
しかも1人は子どもだ。さすがに歳をとってからの話だとは思うが……。
いずれにしろ、今の俺はこの異世界での冒険をまだまだいろいろしてみたいという思いがあって、お嫁さんを作って家を構えて落ち着いて暮らすっていうのは……。うーん、どう見ても自分でも想像できないな。となると、申し訳ないけれど、素直に謝るしかないだろうなぁ。
「すいません。お嫁さんの件、勘違いをしていました」
ポカンドさんがくわっとまなこをひんむいた。
「なんですと! 掟が……いや、わしらは命を助けられたんだ。しかも、クーモモもよう懐いとるし」
「ククルハ、正直に言いなさい。真斗さんのことをどう思っているんだい?」
「真斗さんは、黒狼族の男性の中にも正直いなかった。本当に心優しい人、種族は違うけれど私は……大好きですっ!」
ククルハさんの黒いパッチリとした瞳は真っ直ぐに俺を見つめている。
少しずつ元気を取り戻しているだろう、まだ痩せすぎているのは気になるけれど、今はもう耳も元気に立っていて、おおかみ尻尾も左右にフリフリで可愛らしい。
「ふむ。ならば、どうだうだろうか真斗殿。時間を置いていただいても構いませんので、少しだけ前向きに考えてみてくださらんか?」
「もちろん、命を助けていただいた上に、こう申し上げるのも厚かましいとは存じておりますが……」
そういって親父さんは俺に頭を下げたままあがることがない。
「お父さ、ポカンドさん顔をあげてください」
ポカンドさんが顔を上げる。澄み切ったまなこのまま、俺に視線を合わせると再度頭を下げてしまう。
「真斗殿、このようなことを言われるとは心外かもしれませんが、まずは娘たちとお友達から始めてみてはどうでしょうかな?」
「黒狼族は10歳を越えれば立派な大人、しかしお父様がそうまで仰るのであれば……」
お友達か……それなら俺だって異存はない。
むしろこちらからお願いしたいくらいだ。まだまだこの一家が心配なのもあるし、それに黒狼族は誇り高い種族なんだ。それは最初に死にかけたのククルハさんと話したときからわかっていること。
確かに異文化交流は誤解を生むし大変だ。だけど一歩ずつ前に進んで仲良くなっていけばいいことだ。
そう、俺はこの人たちと仲良くなりたい。だからこそ、ポカンドさんの提案は俺にとっても渡に船だ!
「こちらこそ、ぜひお願いします!」
ポカンドさんもモスモルさんも、ククルハさんもクーモモちゃんもみんなうれしそうに尻尾をフリフリフサフサと揺らしている。
おっさんの尻尾フリフリはいらない。
おもむろにポカンドさんが言った。
「ではさっそく始めましょうかな。ふわもこ縛りを!」
ふわもこ縛り!?