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花売りの少女その1

 少女の持つ草籠は、確かに草花で飾られていた。

 ただ、その花は、どこにでも咲いている野の花ではないのだろうか。

 朝から積んだからだろうか、少し萎れている草花が多いのだけれど、少女の目にはもうそれすらも認識できていないのかもしれない。

 あまりにも弱々しいその姿は、もう正直に言ってしまうと天に召されてしまう、その一歩手前の状態に見える。

  

 俺は異世界に着てからも、確かにスラム街を通って孤児院に行くことが何度もあった。

 そして、最初に命の危険を感じてときに初老の男に助けられて以来、スラム街を通るときに特に危機感を感じることもなかったが、それでも俺の中に残っていた危機感がスラム街をゆっくりと見渡すような気持ちの余裕を、正直俺から失わせてもいた。

 その自身で目を塞いでいたものが、今初めて俺の目の間に姿を現したわけだ。

 

 正直、スラム街の現実を、ある程度は想像してわかっていた。ただ、それは命の危険を感じる恐怖の場所としてだった。

 そして、今俺の目の前にいる少女は、俺の心の琴線に触れるどころではなく、俺の心を大きく動かしてくる。


「どれも良い花ですね。よろしければ、その草籠の中の花をすべて売ってくださいませんか?」

  

 嘘を言うつもりはない。お金に余裕ができたからこそ言うことのできる、これはただの同情だ。

 だけど、俺の素直な気持ちでもある。

  

「全部ですか……?」


 少女はそう言うと草籠の中の草花をみて、そうして萎れてしまっている花がいくつもあることに、初めて気がついたのだろう。

 急にビクッと体を震わせると、俺に謝り始めた。


「す、すいません。花が萎れてしまっていて、私、この花をお売りすることはできません……」


 そう言う少女は、まったくお金なんて持っていなくって、明らかに食べるものだってなにも持っていないはずだ。

 なのに、そんな状況なのに俺にはっきりと売れないと言い切ったんだ。

 俺はそのとき初めて決心した。

 この少女を絶対に助けてあげたいってね。


 そうして、また俺はもう1つの驚くべき事実に気がついた。

 少女の耳が、頭の上にピョコンと立ったことに。

 今までは、へなっとしていて髪といっしょくたになっていてわからなかった。

 けれど、草花を売れないと、そう俺に言っきったときに一瞬だけど、ピコットこう立ったんだよな。

  

 しかし、初めて見たケモミミが元気よく立ったのは一瞬に過ぎなかった。

 そのすぐ後には、またへなっとしなれてしまって。

 そう、まるで少女のケモミミが少女の今現在を表しているかのようで、ケモミミはもう少しも反応してはいない。

 俺には少女のケモミミは、もう2度と起き上がってくることがないように思えてならない。


 人が人を助ける、もしくは助けてあげると言うこと、そのことは傲慢なんだろうか?

 ただ、少なくとも、今この娘のために、どうにかしてあげられるのは俺しかいないだろう……少なくとも俺にはそう思える。


「いえ、その萎れた花こそが今の俺には必要なんですよ? ですから、全部売ってくださいませんか?」

「萎れた花を何に使うのですか?」

「まぁ、いろいろと使いますし」

  

 少女は頑なに首を横に振る。

 俺の提案は、彼女にとっては受けるいわれのない施しとしか思われていないのだろう、そして事実その通りでもある。 

 少し出方をかえてみる必要がありそうだ。


「では、交換というのはどうですか? この串焼きと交換しませんか?」

  

 それは端的に言ってしまえば、少女にとっては決して断ることのできない誘惑だった。

 理性では、どうしようもないことだってあるだろう。

 だって一目見ればわかるほどに、少女はやせ細っているのだから。

 

「う……肉……お肉……」


 少女の動きは急だった。

 草籠を放り出すと、両手で俺の手にかぶりつくような勢いで、串焼きに噛み付くとそのまま奪い取る。

 よほどお腹が空いていたのだろう。

 俺は、もう1串、少女の前に差し出した。

 少女は、少し冷静になったのか、目の色にはかすかに理性の色が戻っている。

 ただ、目の前の串を出されて、なお、食欲を抑えられるほどのものではない。

 少女は、生きるために食事をする。至極当たり前のことだった。


 2串目、そして3串目を食べ終わって、少女は初めて完全に自分を取り戻したようだ。


「あ……。私はなんてことを……」


 そう呟いた少女は、路上に転がっていた尖った石を手に取ると、即座に喉に突き刺そうとする。

 俺は、慌てて少女の手を掴んで止めた。


「ちょっと! どうしてそんなことをするんですか?」


 少し口調が詰問するふうになってしまった。


「黒狼族が人族の施しを受けてしまったんですよ。もう、死ぬしかないじゃないですか!」


 黒狼族……。

 俺にはわからない世界で、ただ、住む世界が異なれば文化が違うのも当然だ。それは少女のケモミミが証明してもいる。

 ただ、それでも俺は問わずにはいられなかった。


「なぜ……そこまで?」

「掟です」

「掟なんかより生きることの方が大事だろ!」


 これはあくまでも俺の中の常識なだけだ。それでも、俺は我慢ができなかった。


「あなたは黒狼族に最後に残された誇りさえ踏みにじると、そう言うんですか!」

  

 何か、とっかかりはないだろうか。

 少女が生きるために必要ななにかだ。

 俺はためらうことなく少女を鑑定した。

 頼む! なにかこの状況を切り崩すなにかを俺に教えてくれ、鑑定さん!


  鑑定

  ククルハ・ドルドアース

  説明。

  黒狼族族長の娘。黒髪、黒目の14歳の女の子。両親と妹が死にかけている。それでも誇りは汚させない! それが黒狼の掟なんだからっ!


 なるほど。少女の言っていたことは、すべて本当のことで、この娘は誇りのためには死すら厭わない。

 だから、俺はあえて問いかける。


「あなたはその誇りで、飢えて待つ自分の家族さえ殺そうというのか?」

「なにをっ!?」


 少女のケモミミが再びクワッと立つと、心なしか野生の狼とでも言おうか、ピンと立つケモミミからは威圧感さえ感じさせてくる。

 だけど、俺だってここで引いてはいられない。けっして引くわけにはいかない。


「私はその花を買うといいました。この肉と交換でです。私にとってはこの肉とその花を同じ価値を持つんです。ここまで言ってもまだ納得できませんか?」


 目の前には、肉汁が溢れる串焼き。

 そして、少女は先ほど、自分だけが肉を食べてしまったこと。

 家には、両親と妹が自分を頼りにひたすら飢えに耐え忍んでいることを思い出してしまったのだろう。


「私ばっかり食べてしまって……情けないですぅ……」

「ウワーーーン、グスグス、ウワアアアアアアン」


 少女の涙はしばらくの間、止まることがなかった。俺にはただただ少女の背中に手をやってさすってあげることしかできない。

 そうして、日も暮れそうになってきた夕暮れどきのひと時に、少女は静かに俺に問いかけてきた。


「……あなたは本当に馬鹿な人なんですね。なぜそこまで……?」

「人が人を助けることに理由なんていりますか?」

「……あなたはなにか勘違いされていませんか? 私はあなた方アーシア教で定められるところの汚れ、亜人ですよ?」


 俺にはその問いに答えるつもりはない。女神アーシアが仮に亜人を汚れと定めたとしても、俺にはこのケモミミ娘は1人の自由意志を持った女の子なんだ。


「回復! 回復! 絶対回復ー!」


 回復魔法の光が少女の体を包み込むと、少しずつ少女の体に吸収されるかのように消えていく。


「すいません、お聞きしていいのかわからないんですが、もし、病気の両親がいるのなら、俺ならどうにかできるかもしれません」

「…………」

「俺を信じて、家まで案内してくれませんか?」

「…………」


 少女は俺が使用した回復魔法の力と、食べた串焼きの相乗効果によってだいぶ顔色が赤らんできている。

 俺と少女はお互いに、しばらく見つめあったまま、少しの時が流れると、少女はなにか決心したのだろうか、瞳は強い光が宿るとキラキラと輝きだした。綺麗な黒曜石のような瞳だ。


「……わかりました。その覚悟はあるんですね?」

「当然です」

「……私の名はククルハ。ククルハ・ドルドアースです。ククルハって呼んでください。お兄さんのお名前は?」

「俺は北条真斗、よかったら真斗と呼んでください。こっちの熊は熊太郎です」

「キューン♪」

「真斗さん、では行きましょうか……」


 少女はそう言うと、ソッと俺に手を伸ばした。

 俺はその手をためらうことなく握り返す。

 少女の手はカサカサで、か細く弱々しい。だけど、じんわりとその暖かさと命の躍動が俺にも伝わってくる。


「はい、行きましょう」


 俺は少女の住む西のスラム街の家まで一緒に歩いて行く。

 足元の道は、ゴミと廃棄物で汚れきっている。そんな道を俺たちはただただ静かに前に向かって進んでいった。

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