街に入っても一騒動
マルシィさんの熊太郎の可愛がりようはとどまることをしらず、しばらく続いていたんだけどようやっとひと段落したみたいで。
「うーん。本当によく懐いて、可愛いクマちゃんですね」
「そうなんですよ、もふもふですね」
「もふもふ?」
「あ、はい。こうもさっもさっとして愛くるしぃ感じと言うんですかね。もふもふです」
「もふもふ、いいですね! 響きも良いです!」
おぉ。マルシィさんとはもふもふを愛する会を一緒に作れそうだな。
「よくわかりました。熊ちゃん、街に入れちゃいましょう!」
ん、マルシィさんは何を言ってるんだ?
マルシィさんはおかまいなしに、待合所まで行くと、調査官の騎士男に宣言する。
「調査官殿、熊ちゃんは街に入れることに決めました。上の者に、そうですね、騎士総長のグラント様にマルシィがそう申し上げていたとお伝えいただいてもよろしいでしょうか?」
そう言うと、マルシィさんは胸にしまっている短剣を取り出すと、美しく刻まれた紋章を胸元に持つと騎士男にかざしてみせる。
その短剣に刻まれた紋章を見た騎士男の時間が止まったかのようだった。
調査官の食い入るように見つめるその視線は、胸元にもつ短剣の紋章を見ているのか、それを通り越してすでにマルシィさんの胸元の慎ましい膨らみのほうを見つめているのかは、俺にも伺い知ることはできない。
ただ、少なくとも、調査官の騎士男がマルシィさんの胸元を見る視線が血走っているのは確かなことで、見られているマルシィさんの胸元が、いわゆる貧乳に分類されるであろうことも間違いではない。
謎が深まるばかりのそんな静かな空間を、騎士男の息遣いだけが満たしている。
ハァハァハァハァ
さっきからのハァハァと質が違っている!?
まさか、この騎士男、マルシィさんにハァハァしてるのか?
俺がちょっとイラッとしていると、調査官の騎士男は急に居住まいを正した。
「はい。承知致しました。只今、公爵閣下の詰所より、グラント様をお呼び申し上げておりますが、私の方から、許可が下りたことをお伝えさせていただきます」
「ただ、その……」
そう言って、わずかにいいよどむ騎士男は、一拍置いて俺に視線をあわせた。
「ただ、その角と戦鬼熊となりますと、少々危険かとも思われます。熊を連れてきた……そのお名前を聞いてなかったな、ハァハァ、わしは騎士団で調査官を勤めておるモミンと申すのだが……」
「申し遅れました、私は北条真斗と申します」
「うん、真斗殿はこのあと、冒険者ギルドに行かれるのかな?」
「はい。報告に行く予定です」
「なるほど、冒険者ギルドまではな、私も同道させてもらいたいのだよ」
「……戦鬼熊といっしょにということなれば、たとえ子ども熊とはいえ、護衛の騎士が必要だろうしなぁ……」
「はい、わかりました。調査官殿、よろしくお願いします」
そう言ってチラリとマルシィさんを見ると調査官に向かってうなずいている。
そんな調査官さんは仕事に対しては迅速で、さっそく門番のおっさんを呼びつけると熊が街に入る許可を出したことを騎士本部のグラント様に伝えるよう、指示を出している。
門番のおっさんもいかにも忙しそうに、待合所の近くで休憩していた若手の門番を呼び出すと、至急伝言に走らせたようだ。
なんだなんだ。
まるでどこぞの黄門様の印籠のような劇的な効果をもたらした、あの短剣の紋様は。
さすがの俺もマルシィさんの立ち位置、身分に疑念が湧いてしまう。
よし、鑑定だ!
鑑定!
マルシィ・クーパ
説明
人族の女性。16歳。金髪、碧目の彼女は孤児院を運営しているアイルちゃんの優しいお姉さん。
……のはずなのじゃ……?
うーん、前回の鑑定とそんなに内容は変わっていないんだけど。
一体何者なのだろうか。
鑑定さんも俺と同様戸惑っているふうだ。
まぁ、なにはともあれ、熊太郎を街に入れることができたことで、スタート地点には立てたわけだし、マルシィさんには感謝だな。
「真斗さん、行きましょう」
マルシィさんはそう言って、街に入るよう俺をうながすと、アイルちゃんも俺の手を引っ張って、行こう行こうの構えだ。
よし、行くか!
「マルシィさんのおかげですね。ありがとうございます」
「いえいえ。子熊ちゃんが可愛いんですから、ただそれだけなんですよ」
すごい理由だな。
けれど納得の理由だ。
もふもふだしな。
「俺はこのままギルドに熊を連れて報告に行く予定なんですが、マルシィさんはどうされますか?」
マルシィさんのおかげで俺も熊太郎も街に入れたわけだし、どこかでお礼をしたいなって思いもあって聞いてみたんだけど。
「私も冒険者ギルドにごいっしょしますね。その今回の依頼、真斗さんはご存知かもしれませんけど、先日、私が依頼したものなんです」
やっぱりあのときに依頼したもので間違いなさそうだ……。
公爵の管理する森のはずを自由に出入りしているし……。
もしかして、公爵のご縁に連なるどこかのお嬢様なのかな?
でも、孤児院の保母さん的な運営者じゃないのか? それに名前だってふつうだったし。
うーん。
まぁ、少しうしろでハァハァしている調査官の騎士男の態度から鑑みて、なんかすごいお嬢様っていうのは間違いなさそうなんだけど。
俺はアイルちゃんを手を繋ぎながら、後ろに熊太郎を連れてギルドへ向かう大通りを歩く。
マルシィさんは熊太郎が気になるのか、時折、身を屈めて熊太郎をナデナデしている。
アイルちゃんは熊太郎より俺なのか?
俺の腕にしがみついて、くっつきながら終始ご機嫌で、スキップしながら歩いている。
現代日本で、こんなことになったら間違いなく通報ものだろう。
っと、一台の外装の立派な馬車が大通りを前から走ってくる。車内には身綺麗にした初老の男が1人。
その男は、車内から街を見ていたのだろう、俺と目があって、そして熊太郎を見た。
「止まれーい!」
男はその途端、声を上げる。
御者は急な呼びかけにもかかわらず、さすがにプロなのだろう。
急な指示にもかかわらず、馬を見事に制御すると、馬車は俺たちを少し過ぎたあたりでゆるゆると止まった。
「そこの男。その熊はどうした? 先ほど、門の出入り口で、角の生えた珍しい熊をかかえた冒険者が街に入る申請にきていると、調査官から聞いてきたのだが。そこの熊で間違いないのではないか?」
「はい。ただ……」
事情を説明しようとする俺を門番の若者が大声で遮った。
「グラント様、この男とこの熊で間違いありませんよ。この馬鹿がっ、グラント様の許可を取らずに勝手に熊を街に入れたなああああ」
「熊ともどもぶっ殺してやる!」
事情を説明できるはずの調査官のモミンさんは、後方30メートルあたりで手ぬぐいで汗をぬぐいながらハァハァてしていて、この場にすぐには来れなさそうだ。
騎士本部のグラントさんには、別にモミンさんから連絡に向かったはずなんだけど行き違いになったのか。
事情はまったく伝わっていないようだ。
その状況で、門番の若者は優位な状況に立てたことが嬉しいのか、ニヤニヤ笑いながら俺に殴りかかってきた。
無茶苦茶だな、おい。
「この馬鹿が! 成敗だ!!」
馬鹿はお前だ! 多少の死線をくぐり抜けてきたからだろうか、今の俺には門番の若者の俺のみぞおちめがけて放たれた右の拳を多少の余裕をもって躱すことができた。俺はスキル怪力は使用せず、あくまでもこの若者が放ってきたパンチと同程度の拳を、若者が狙ってきた同じみぞおちに食い込ませた。
「はぼわぁ」
門番の若者は我慢できずに、その場に足をつき、そのまま倒れこむと悶絶している。
だけど、同情はしないぞ、それと同じ威力の拳で問答無用に俺に殴りかかって来たわけだしね。
「やめんかぁ!」
間違いなく、この人が騎士男がお呼びしているという、グラントさんだろう。
その声は、さすがにその騎士総長の立場にふさわしいものだ、それとも、持って生まれた本来の性なのだろうか。
その威厳に満ちた声色が、門番の若者の馬鹿さ加減にイライラしていた俺を落ち着かせる。
そして、冷静に事情を説明するべきだろう、と俺に思わせる何かを含んでいた。
「そこの男、この門番の若者が急に殴りかかったことについては、まずは詫びさせてくれ。あとできつく急を据えておくでな」
「申し遅れたが、わしはグラント・カイゼル。公爵殿下にお仕えし、今現在は騎士総長を任されておる」
グラントさんは居住まいを正し、俺に頭を下げたあとでそんな風に自己紹介をしてくる。
うわぁ。
人は立場が上になると、その立ち位置に飲まれて、暴走する人が多いと思うんだけど、
この人、随分と謙虚だよね。
ただ、威厳みたいなものがあって、どうにも逆らえるような気がしない。
「それでな、その熊なんだが、儂は許可しておらんのだがの?」
グラントさんの眼光が鋭すぎる。
俺は冷や汗が止まらない。
でもね、言うべきことは言うよ。
そう思い、俺が騎士男の許可をもらっていることを言おうとして。
その時、アイルちゃんが叫んだんだ。
「おじちゃんのばかー。お兄ちゃんをいじめるなー!」
アイルちゃんがプルプルと怖そうに震えながらも必死に俺の前に立ってそんなことを言う。
俺でも怖いと感じるグラントさんにアイルちゃんは一歩も引かない。
なんて可愛いアイルちゃんなんだろうか。
そんなところにようやっと調査官の騎士男がよたよたと歩いてきてくれた。
どうやら事情を説明してくれるようで、俺もホッと安心した。
そんな調査官殿の目にも、グラントさん相手に一歩も引かないアイルちゃんの姿が立派なものに見えたのか、一言、俺に聞いてきた。
「真斗殿、この立派な子どものお名前はなんて言うんだい? ハァハァ」
「はい、アイルちゃんです」
「そうか……アイルちゃんか……ハァハァハァハァ」
「アイルちゃんハァハァ……」
調査官殿はしきりとアイルちゃんを見つめてはハァハァしている。
このハァハァは一体全体大丈夫なんだろうか?
俺は街の公職についている立場の人間がそんな変態さんだったら嫌だぞ。
グラントさんの鋭い眼光がアイルちゃんを人撫すると、ふと俺にまた問いかけるようにその鋭い瞳を向ける。
子どもにも容赦ねーな。
「その……」
俺はとにかく騎士本部から来たと言う騎士男の許可があり、街に入ったことを説明しようとして、マルシィさんが、俺の前に一歩先んじて立った。
こうずずいっとそれはそれは勇ましく立ったんだ。
「私が許可を出しました。その旨は、騎士総長に伝えるべく、今も伝令が走っているはずです。グラント様、おわかりいただけると助かるのですが?」
うおう。マルシィさんの言葉はどこか気品があってそして威厳があるんだよね。
グラントさんは、急に語りかれた言葉に、その鋭すぎる眼光を、今度はマルシィさんに向ける。
ギラリと光る瞳は、マルシィさんを捉えると、絶対零度にまで下がり、マルシィさんを射抜いた。
なんだ、この状況。
俺の冷や汗が止まらない。
だけど、グラントさんも冷や汗が止まらない?
明らかに挙動がおかしいんだ。
「ひ、姫……」
グラントさんは、目を見開いて、かなり驚いている様子だ。
微かに聞こえてきた呟きもどうみてもおかしい。
姫? 姫だって?
お姫様って。
まさか、その正体はこの街を治める公爵殿下のご令嬢?
でも鑑定の力を信じていいはずなんだ。そう、ただのクーパさんなんだよ。
鑑定!
マルシィ・クーパ
説明
人族の女性。16歳。金髪、碧目の彼女は孤児院を運営しているアイルちゃんの優しいお姉さん。
さっきの調査官の騎士男、明らかに胸元を見つめてハァハァしていた……はずなのじゃ……?
ダメだ。俺の鑑定はあまり役には立たない。
だけど、やっぱりただのクーパさんであって、ここの公爵殿下のようなヴァーミリオンではないんだよね。
うーん、一体全体どうなっているのか。
グラントさんは、そんな中でも、姫と呟いた自身のつぶやきでハッと我に返ったのか。
それとも、結構な騒動になっていて、道行く人が足を止めはじめていることが気になったのか。
あえて居丈高に、マルシィさんにではなく、俺に言ってくる。
「わかった。もう良い。そこの熊を連れてどこに向かっているのだ? もちろん、冒険者ギルドにであろうな?」
うん、ここはあえて冒険者ギルドに行ってくださいね、とお願いされているような気がするな。
気のせいだろうか。
まぁ、事実、俺はこれから冒険者ギルドに向かう予定だし、あえて否定する気もない。
「はい。冒険者ギルドに報告するために向かっています」
俺がそう言うと、グラントさんは心底ホッとした風に俺に言う。
「そうか。実はわしも冒険者ギルドに用があっての。一緒に行くわい」
グラントさんは馬車から降りると、倒れている門番の若者に声をかける。
「この愚か者が! 牢屋で反省しているが良い」
グラントさんは、馬車に同席している騎士にそう指示を出すと、御者に城に帰るよう伝えて、俺たちのそばに歩みよった。
最近妙におっさんに縁があるんだが。
とうとう渋いおっさんもか。
俺は内心そう思いながら、もちろん、態度にはいっさい表さない。
「この度は、私のクマのためにご足労いただきありがとうございました。あらためまして、私は北条真斗と申します。グランド様、どうぞよろしくお願いいたします」
そうしっかり挨拶をした俺を見て、グラントさんはほぉと、俺をほんの少しだけ評価するふうだ。
まぁ、どう見たって一回の冒険者にしか見えない若者だからな、俺。
まさか、きっちり挨拶をして来るとは思わなかったのかな。
そうして、それから10分も立っていないだろうか。
冒険者ギルドの前に立つ俺たちがいた。