第五章 憩い
彼女の両親の墓参りから1週間、僕らはある計画を立てていた。
「ねえ、今度夏祭りがあるんだよね、一緒に行こうよ」
「えぇ、また乗り移るのは申し訳ないよ」
「蓮くんは真面目過ぎるよね、別にいいじゃんいいじゃん」
「分かったよ。一応確認だけど、それが、この間言ってたデートってやつ?」
「あ、バレたか」
えへへ、と舌を出す彼女を見て、本当に明るくなったなと思う。
あの日、墓参りの日、雪野さんはずっと帰りのタクシーで泣いていた。
でもそれは多分、嬉し泣きだったような気がする。
廃工場まで着くと、僕は乗り移りを解除して、おじさんが、「あとは任せろ」と言って、大通りまで運転して行ってくれた。
ありがとうございます。と、タクシーの背中にお礼を言って、そのまま廃工場に戻り、2人でいつものように眠った。
1週間前のことなのに、随分と昔のことのように感じる。
僕も、彼女の両親のように早く未練を捨てて、この世を去りたかったが、未だに通り魔は現れなかった。
そんな暗い僕を見て、彼女は夏祭りに行くことを提案してくれたのかもしれない。
「えっと、それっていつあるんだっけ」
「明後日だよ」
「でも、夏祭りに行っても何をすればいいの?」
「え? もしかして、蓮くんってデートしたことないの?」
「ないけど……え、あるのが普通なの?」
「ハハハハハハハハ! そうかそうか、ごめんごめん」
パンパン、と膝を叩いて大げさに笑う彼女に顔をしかめた。なんだかムカつく。
高校生は、デートしたことあるのが、普通みたいなこと言わないでほしい。
「大丈夫、私についてくればきっと楽しいよ」
「今まで聞いた中で一番不安な言葉だよ」
まだケラケラ笑っている彼女を見て、一瞬、自分たちが人間ではないことを忘れそうになってしまう。
僕らは、幽霊と透明人間なんだ。
その事実が、なんだか嫌に心に引っかかっていた。
◆
遂に夏祭りの当日になった。
「ねえ、そろそろ決めてよー」
「うーん。誰にしようかなぁ」
僕たちは、祭り会場で、乗り移る人を決めていた。
彼女は、足をバタバタさせながら、石段に座っていた。
「あ、あの人いいんじゃない? あの浴衣着てる人」
と彼女が、どこか抜けたような声で言う。
「でも、誰か待ってるっぽいよ」
そう答えると今度は別の方向の人を指さした。
「えー。じゃあ、あの人でいいじゃん。ほら、なんか振られたところっぽくない?」
その人は、しゃがみながら下を向いて落ち込んでいた。
自称恋愛マスター雪野さんの見解によると、祭りで落ち込むなんて、女子に振られるくらいだろうと思い、その結論に至ったらしい。
「うーん……まあいいや。じゃあ、乗り移ってくる」
「あいよー。ちょっと乗り移ってくる。ってなんか面白いね。今年流行りそう」
「流行らないから」
そんなくだらない会話をして、その男の人に近づいて行った。
どうやら、本当に振られたみたいな落ち込みようだった。
うつむいている下の地面は、少し濡れていて、もしかしたら泣いていたのかもしれない。
「ん…………」
こめかみに意識を集中させる。
体が、男の人の体に吸い込まれていく。
視点が変わった。
やっぱり、何回もやると慣れてくるもんなんだな。
最初の時より、大分早くなった気がする。
無事乗り移った僕は、雪野さんのいる階段の7段目まで登った。
彼女はどこから盗ってきたのか分からない、りんご飴を舐めていた。
「遅いよ、蓮くん。屋台で貰ったりんご飴も、草陰でしか食べれないし」
「貰ったんじゃなくて、盗ってきたんでしょ」
「どっちも一緒なの。私にとっては。あと、蓮くん。今、君は人間なんだから、私と喋っても、階段の横の草むらに話しかけてる変な人だよ」
忘れてた。自分は今、人間だったんだ。
幸いなことに、祭り会場は、賑やかで、彼女が喋っても、問題ないくらいだった。
「それにしても、よくりんご飴持ってこれたね」
「まあね。みんなお神輿見てて、りんご飴なんか気づかないよ」
彼女は袋を僕の前に差し出した。凄くいい匂いがする。
「はい、これたこ焼き。一緒に食べよう」
「なんか悪いなぁ」
「遠慮しなくていいって」
「いや、雪野さんじゃなくて、屋台の人に」
「大丈夫だって。食べちゃえ食べちゃえ」
たこ焼きを爪楊枝で刺し、口に運ぶ。
何かを食べる感覚なんて、いつぶりだろう。
熱くて火傷しそうになるのを抑え、噛みしめる。すごく美味しい。
「お、これで共犯者だね」
その時、笑いながら言う彼女の後ろで、花火が上がった。
真っ暗な空に、赤、白、緑など、鮮やかな色が描き出される。
「綺麗……」
と彼女は言った。
僕は、空に消える光を見て、雪野さんの両親が天に昇った時のことを思い出した。
未練をなくせば、あの世へ行ける。
僕の未練は、通り魔への復讐だと思っていたけど、今思えば、それが正しいかどうかはわからない。
でも、この大きくて壮大な花火と、花火に照らされて輝く彼女の顔を見て、僕は、全てがどうでもいいと思えたのだった。
今だけは、自分が幽霊であることを忘れよう。
花火の間くらいは、まるで人間みたいに振舞う僕を、天も許してくれるはずだ。
ズキッ
急に頭が痛んだ。
ここでふと、何か大切なことを思い出したような感覚に陥った。
あれ?この感情、どこかで……
思い出そうとすると、こめかみが痛くなる。
なかなか思い出すことができず、遂に諦めて、2個目のたこ焼きに手を伸ばす。
別にいいんだ。今、僕は、花火を見ながら透明人間の雪野さんと花火を見ている。
これは、多分、幸せってやつだと思う。
自然と口が動いた。
「ねえ、雪野さん」
「……ん?」
彼女の眼は、なんだか虚ろだった。
「僕たち、普通の人間だったらこんなに仲良くなれたのかな」
「蓮くんと私って、仲良かったっけ?」
「えええ……」
それは結構ショックだった。
「冗談だよ。そうだね、なれたんじゃないかな。でもね、普通の人間なんていないんだよ。みんなどっかおかしいの。それを隠しながら、みんな生きてる。隠しきれるわけないのにね。それが原因で、死んじゃう人だっているのにね。なのに、人は、他人が隠してる部分を指摘して、責めるんだよ」
「みんなどっかおかしいくらいが、丁度いいんだよ。きっと」
多分本質的にそういうことではないのだろう。けれど僕はそう答えたくなった。
彼女は少し笑いながらこう言った。
「そうだね。普通過ぎる人間なんて嫌だよ。逆に。透明人間の私が、幽霊の蓮くんを好きになるんだもん。どこにも普通のことなんて出てこないよ」
え? 今、好きって……
「何、その驚いた顔。もしかして、気付いてなかったの?」
そんなことは、初耳だ。全く気付くことができなかった。
「そんなの分からないよ。恋愛経験なんてほぼ皆無だし」
「へえ、すごい鈍感ぶりだね。むしろ尊敬に値するよ」
「あ、ありがとうございます」
「で? 女の子が好きって言ったのに、君は何も言わないわけ?」
どう反応すればいいんだろう。自称恋愛マスターの厳しすぎる試練が、僕の前に立ちはだかる。
「え、えっと、雪野さん」
「はい」
「僕は雪野さんのことが……」
「うん」
「すき……やき……」
空気が一変した。
「殴っていい?」
「ごめんなさい……」
「ほら。ちゃんと言って」
「…………好きです。雪野さん」
「おお、よく言えました。なんだかこっちが恥ずかしいよ」
彼女の笑顔は、まるで真紅の花が咲くみたいだった。
そして、それは、暗い空に鮮やかに映える花火を連想させた。
ショートカットの彼女の髪が、静かに揺れる。
顔が赤くなっていて、この人、綺麗だな、と思った。
「さあ、蓮くん。そのたこ焼き食べたら、射的に行こう」
「え、射的やるの?」
「もちろん、私はできないから、やるのは君だけどね」
「え? 当たり前だけど、僕、お金持ってないよ?」
幽霊がお金なんか持てるはずもない。
「そこのポケット」
「ほえ?」
驚きのあまり頓狂な声が出てしまった。
まさかこの人……
「結局その人の体がやるんだから同じことでしょ。大丈夫、景品はその人にあげればいいし。雰囲気作りだよ。雰囲気」
ああ、やっぱりこの人はめちゃくちゃだ。
「わかったよ、行こう」
「お、やけに素直だねぇ。もしかして、私に惚れちゃった?」
鼻息が荒い彼女が聞いてくる。
「まあね」
「え? は? ちょ……」
「ん? なんか僕変なこと言った?」
「い、いや、なんでもないよ。さ、行こ行こ」
こうして、僕たちの、射的という名の戦いが始まった。