第四章 償い
「今日……命日なんだ。私の両親の」
そう言った彼女の眼には、うっすら涙が浮かんでいた。
なにやら、気まずい雰囲気になる。
彼女の話では、人を殺してしまって透明人間になった日、マスコミは、彼女のことを行方不明として報道したらしい。
それに心を痛め、マスコミの取材や、精神的なダメージで追い込まれていた両親は、2週間後にこの世を立ったのだった。
「そっか。だから命日の今日なら、お墓の前に両親の霊がいると思ったんだね」
「……うん」
なるべく努力したのだが、優しく言うということがこんなに難しいとは思わなかった。
悪いこと言っちゃったなあ。
そう思いながら、すごく長く感じる沈黙の時が過ぎた。
そして、永遠とも思えるその静寂を切り裂いたのは、意外な声の主だった。
「お、蓮じゃねえか。何してんだこんなとこで」
それは、知り合いのおじさんの幽霊だった。
僕に、幽霊の世界のことを、色々教えてくれた人だ。
「あ、おじさん」
急に喋りだした僕を見て、雪野さんも驚いていた。
「鍵のかかってない自転車を探してるんですけど、なかなか見つからなくて……」
「まさか、お前も、どっかに行きたいと思ってるのか?」
「え?」
意外なことを聞いてくるおじさんに、僕は変な声が出てしまう。
「いや、あるんだよ。幽霊はみんな。幽霊だけど、誰かに乗り移ってどっかに行こうって思うことがな」
「おじさんは行ったことあるんですか?」
「ああ、あるよ。一度、海にな。特に理由はないんだけどよ」
すごく理由がありそうだったけど、あえて聞かないことにした。
「その時はどうやって行ったんです?」
僕はすかさず訊く。
「タクシーだよ。タクシーの運ちゃんに乗り移ったんだ」
雪野さんがピクリと反応する。これならもしかして……
「あの、おじさん。理由は聞かずに、僕を数キロ先の集団墓地まで連れて行ってくれません?」
僕はおじさんの目を見る。
「おう、いいぜ。お前ならどこでも連れてってやるよ。どうせ暇だしな」
「ありがとうございます! じゃ、今から行きましょう」
「え? 今からかよ? しゃあねえな、じゃあタクシー探すか」
それから僕らは、なんとかしてタクシーに乗ることができた。
ただし、面倒くさくなりそうだったので、おじさんには雪野さんの話はしていない。
今、僕の隣に乗っていることも。
「しかしまあ、タクシーの運ちゃんにかっこいいやつはいないもんだな」
おじさんが運転しながら言う。
おじさんの乗り移ったタクシーの運転手は、白髪交じりで、結構年だった。
「いいじゃないですか。僕も乗り移るならもっとかっこいい人が良かったですよ」
しかし、最初に見つけたタクシーに乗っていた客なのだから仕方がない。この中年の男に乗り移るしかなかったんだ。
そんな、僕が乗り移った様子を見て、雪野さんは、ずっと笑いをこらえていた。
◆
4分ほどで、集団墓地に到着した。
おじさんは、待ってるから、終わったら戻ってこい。と言ってくれた。
本当に良い人だ。
その場所は、森に囲まれていて、夕日に赤く染まった木が生い茂っている所にあった。
そんな集団墓地の隅っこに、彼女の両親のお墓はあった。
そして、彼女の両親と思われる2人の幽霊が、静かに立ち尽くしていた。
ずっと見られているから、不安に思ったのだろう。
お墓の前に立つと、優し気な男の人の幽霊が、僕の乗り移った中年の男に話しかけてきた。
「もしかして、乗り移っている方ですか?」
落ち着いた声だった。
「はい。そうです。用があってきました。こんな身なりですけど、一応高校生です。えっと、雪野さんのご両親でしょうか?」
そう言うと、二人の幽霊は驚いた顔で、
「ええ……」
と訝しげに言った。
その様子を、肝心の雪野さんは、黙って見ていた。
それから、僕は話し始めた。
透明人間になった彼女のこと、なぜそうなってしまったのか。
最後に、彼女が今、ここにいること。
彼女の両親は、驚きで口が開いたままだった。やはり親子だな。と思った。
「なぜ、あなたは、雪野が見えるの……?」
彼女の母親は恐る恐る訊いてきた。
僕は、ただこう答えた。
「分かりません。でも多分、僕にも雪野さんにも霊感があることが関係しているかと」
「あなた、名前は……?」
「片井 蓮と言います」
名前を名乗ると、彼女の父親が反応した。
「片井君。君は雪野と喋れて、私たちとも喋れる。しかし、私たちは、透明人間になった雪野とは喋れない。だから、せめて、君を通して雪野と話がしたい」
彼女の父親の目は哀愁を帯びていた。
「もちろんです。僕は、そのために来ました」
それから、僕を通して、彼女と両親は、長い話をした。
「雪野、体調はどう?」
「体調はどうかって、お母さんが聞いてる」
「全然大丈夫だよ。って言って」
「全然大丈夫だって言ってます」
「よかった……」
話しているうちに、父親も母親も、涙が頬を伝っていくのが見えた。
「私たちはね、急にあなたがいなくなって、本当に辛かった。神様に何度もお願いした。でも、あなたは戻ってきてはくれなかった」
僕としても聞くのが辛い話だ。
「もう、2人とも疲れたって、屋上から飛び降りたの。でも、まだ未練が捨てきれずに、天には昇れなかった。幽霊になっていくら探しても、あなたは見つからなかった」
母親の話は続く。
「でも、命日にはもしかしたら会えるんじゃないかって、2人で、命日はここにいることにしたの。こうやって最後に話ができたのも、神様がお願いをやっとかなえてくれたからなのね。ありがとう。片井くん。そして、雪野、あなたは、見えなくても、ずっと私たちの宝よ」
そう言うと、雪野さんの両親は、体から光を放って少しずつ天に昇り始めていた。
僕は慌てて、
「雪野さん、2人はもう未練がなくなっちゃったから、天に昇っちゃうよ。感謝の気持ちを伝えるんじゃなかったの?」
「蓮くん、言ってくれる? ありがとうって」
「だめだよ。その言葉は、僕じゃなくて、君が直接言うべきだ」
「でも、私の声、聞こえないよ?」
「いいから。それでもいいから」
「……分かった」
「よし、頑張って」
彼女が大きく息を吸い込む。
そして、真っ赤な空に向かって叫ぶ。
「大好きだよっ……!!」
彼女の両親は、天に昇りながら、にこりと笑ったような気がした。