第三章 憂い
「協力してほしいことがあるんだよね。お礼はちゃんとするからさー、お願い! 蓮くん!」
どうやら僕は、彼女の笑顔に弱くなってしまっていたようだ。
「お礼が何かにもよる」
ああ。僕は何でこうなるんだろう。
「そうだねー。うーん。じゃあデート一回分でどう?」
「いやいや、幽霊と透明人間がどうやってデートするの」
「乗り移ればいいじゃん。誰かに」
ええ。またかよ……
「何回もやると申し訳ない気が……」
「同じ人ならね、でも毎回違う人だったらみんな1回ずつだから大丈夫! 丸く収まるね!」
はあ。結局こうなるのか。僕にはなぜ丸く収まるのか考えすらつかない。
まあ、でも、たまには人助けも悪くないか。
「分かったよ。ちょっとだけなら」
すると、彼女は、僕が言い終わる前に、
「やったー!さすが蓮くん。かっこいい!」
とマシンガンのようにまくしたてた。
「そういうのいいから。で、何をすればいいの?」
「えっとね、自転車で10キロ先の集団墓地まで連れて行ってほしいんだ」
「なに? 肝試しでもするの? 霊が近くにいるってのに」
「違うよ。私は、両親のお墓参りがしたいだけ」
「え……?」
どういう事なんだろう。
思えば、彼女の両親の話を聞くのは初めてだ。
「なんで墓参り?」
「そりゃあ死んじゃってるからだよ」
「いやいや、そういうことじゃなくてさ、なんで自転車で墓参り行くのに僕がいるのかってこと」
「だって遠いじゃん。歩くのは疲れるし。でも蓮くんが人に乗り移って自転車をこいで、私が後ろに乗れば、いけるでしょ」
「ああ、そうか。雪野さんが自転車に乗ったら、勝手に動いて見えちゃうもんね」
「でしょ。そしてね、もう一つお願いが」
なんだかめんどくさそうな話になってきた。僕はちょっと嫌になる。
「もう、そんな目しないでって。デート2回にしたげるからさー」
と能天気に言う。
「別にそういうの求めてるわけじゃないけどさ」
「でね、お願いっていうのは、幽霊になった私の両親と、透明人間の私の通訳になってほしいの」
彼女はこう続ける。
「ほら、前に言ってたじゃん。この世に未練があると幽霊になるって。だから、私の両親は、どこかにさまよってる気がするんだよね」
「未練が残るような死に方したってこと?」
「まあそこらへんは後程話すとして」
これ以上突っ込んでいいのかどうか少し迷ってから、僕は聞いてみた。
「雪野さん、両親と何を話したいの?」
「透明人間になるまでの話とか、感謝の言葉くらいだね。言いたいのは」
「ふうん。で、いつやるの?」
「明日だね。思い立ったが吉日ってよく言うし」
「思い立ったのが今日なら、明日じゃだめだと思うけど……」
「そんなことは気にしないの。それより、乗り移る人とパクる自転車探そうよ」
変なことを普通のトーンで言う雪野さんがおかしくて、僕は少し笑う。
変な人だ。
それから僕は、彼女に無理やり連れられて、近くの商店街で人と自転車を探すことにした。
「ねえ、この自転車鍵かけてないよ!」
表情がすごく嬉しそうだ。事情を知らない人から見たら、完全に犯罪者だけど。
「へえ、それに乗ればいいの?」
「うん、もちろん。あとは人だね」
なぜか不気味な笑い方をする雪野さんを見て、サイコパスについて解説していたテレビ番組を思い出した。
それから少し歩くと、彼女は、突然に、
「ねえ、思ったんだけど、今から人探しても意味なくない?」
と小さくつぶやいた。
「探そうって言ったのあんたじゃん……」
なんだか力が抜ける。
「まあまあ、そう怒らないでよ蓮くん。ほら、今日はもう秘密基地に戻ろう」
いつからか、廃工場が僕らの住処になっていた。そして、その二人だけの場所を、彼女は『秘密基地』と呼ぶのだった。
廃工場への帰り道、彼女は近くのコンビニエンスストアに入って、店員が眠っている隙にモンブランを盗ってきて食べていた。
もし店員が起きていたら、世にも珍しいモンブランの空中浮遊を目にしていたはずだ。
「仕方ないとは思うけど、やっぱりそうするしかないんだね」
と、僕は苦笑いしながら言った。
「何? 確かに法律では盗みはだめだけど、透明人間に法律はないんだよ」
結構めちゃくちゃだな。
罪を償うどころか、増やしているような気がする。それは言わないけど。
彼女が生きるには仕方のないことなのかもしれない。
◆
そして、翌朝、作戦は決行された。
しかしここで、事件は起こった。
「え? 何で?! 自転車がない!」
彼女が見つめる先には、空の自転車置き場があった。
朝のうちに持ち主が乗って行ったのだろうけど、彼女はなぜか怒りに燃えていた。
「ゆ……許さん……っ!」
いや、怒っても仕方ないでしょ。そう思いながら結局僕らは、別の自転車を探すことにした。
しかし、このご時世、鍵のかかっていない自転車は、そう簡単には見つからない。
「あー。何なのー。鍵なんかかけないでよー」
またもやコンビニからコーラを盗ってきた彼女は、僕の横で座りながら言う。
「仕方ないよ。今日はあきらめよう。」
僕は正直、早くやめたかった。
しかし彼女は、「ダメ。絶対に今日」と言い張る。
そこで、僕は聞いてみた。単純に、今日という日に執着する理由が、疑問だった。
「なんでそんなに今日にこだわるんだ?」
少し間があった。
それから、彼女は小さい声で
「今日……命日なんだ。私の両親の」
そういった彼女の眼には、うっすら涙が浮かんでいた。