屋根裏部屋の友人
ツイノベより未消化SSを短編に書き直しました。
「ゼロワンゲーム140」屋根裏部屋 より。
(診断メーカーさんのお題より)
僕の家の屋根裏部屋は不思議なガラクタで一杯だ。
子供の頃遊んだ木馬がキイキイ揺れる。
オルゴールが思い出した様に歌いだす。
床いっぱいに敷かれた木製レールの上を車輪の壊れた赤い電車がカタカタと走る。
窓を見下ろす壁の肖像画がウインクして教えてくれる。移動する時は気を付けて。積み上げられた本の山がいきなり崩れてしまうから。
僕は出窓に腰掛けて、モスグリーンの窓枠に目一杯顔を寄せ、玄関から続く小さなアプローチの先の、黒い鉄製の門を見下ろしていた。
「また、あいつだ!」
以前勤めていた会社の元同僚が、門脇に佇んでこの家を見上げている。
僕は舌打ちして、シャッとレースのカーテンを引いた。
「どうしたの?」
「何でもないよ。どうでもいい奴さ」
僕の返答に、彼は、「ふーん」と喉を鳴らしニヤリと笑った。
この屋根裏部屋に籠るようになってから、もうどれほどになるのだろう? ここには何でもあるから、外に出る事もとんとなくなってしまった。一つだけある小さな出窓から朝日が差込み、夕闇に染まり暗闇に閉ざされるまで、僕はこの部屋で過ごしていた。
埃を被った本を引っ張り出して読んでいたり、彼の言う通りの図形を床の上にチョークで描いてみたり……。
ただ、窓の外の色だけが変わっていく。青から茜色、紺青から闇色へ。そして金色の夜明けを迎えるのだ。僕は繰り返されるこの静かな日常が気に入っていた。
この屋根裏部屋の窓からは、広い世界が見渡せる。
窓枠に凭れて、アプローチから続く門の先、白樺の並木道から十字路を経て更に奥にある小高い丘に目を向ける。それが朝夕の僕の日課だった。
毎朝同じ時間に、一人の少年がこの家の前を通って丘の上の学校へ行く。そして同じ時間に同じ道を逆に通り、家へ帰って行く。彼は時々立ち止まり、この家を見上げて吐息を漏らす。
何故かって? この家のかつての女主人、僕の妻だった女が自分の本当の母親だって知っているからさ。
だからああやって、毎日一目でも逢えないものかと、遠回りしてこの家の前を通って学校へ通う。
きみの母親は、もうこの世にはいないのにね。
あの少年、明日からはもう学校へ行くこともないよ。
ほら、丘の上の体育館から悲鳴が聞こえただろう? あれが彼の断末魔だ。
試合に負けたのは彼のせいではないのにね。
よってったかって殴られて。
ある日、彼が楽しそうな声でそう告げた。
白い顔がガラスに映り、僕に囁きくすくすと嗤う。僕の首筋に廻された腕が、僕を抱き締めて囁いた。
外の世界は怖いね、と。
僕はあの少年の白い顔を思い浮かべていた。妻に良く似た美しい子だった。
「彼は、死んでしまったのかい? それとも、今ならまだ、助かるのかい?」
僕の問い掛けに、彼はくっくと喉を鳴らして可笑しそうに笑った。
「助けてあげたいの?」
彼の笑い声がけたたましく響いた。狭い部屋にケタケタと木霊する。オルゴールも、肖像画も、あの優しい木馬までが笑い出す。
助けたいの? 助けたいの? 助けたいの? ……と。
「我慢するのは嫌いだよね?」
少年は、大きな衣装箱の上に腰掛けて黴臭い本の頁を紐解いていた。
特に返事はしなかった。どれが喋ったのか解らなかったから。
「我慢しなくていいんだよ」
ミシミシと響く天井。
ブラブラと揺らしていた少年の足首を、白い手が掴む。少年は面倒くさそうにその白い手を振り払う。
「後何日?」
僕は声に問い掛けた。
さざ波のような嗤い声が空気を揺らす。
我慢なんかしていないさ。ここは、凄く快適だよ。
くぐもった声が狭い屋根裏部屋に反響する。
きつい百合の芳香に、僕は開け放たれた窓から身を乗り出して覗き下ろした。
「君、お父さんはご在宅かな?」
僕に気付いた男が、この窓を仰ぎ見る。
ああ、あのしつこい元同僚だ。
「お見舞い? 白百合を抱えて?」
僕は甲高い声で応えた。
僕は、可笑しくて堪らなかった。腹から湧き上がる歓喜で踊りだしてしまいそうに。
白百合? 死者に手向ける花だろ? とうとうこいつは勘付いたんだ。だから、あの女に捧げる白百合を抱えてやって来た。
でも……。
「あいつは僕が判らないんだ!」
窓に背を向け小さく叫んだ。弾けるように笑ったよ。その僕の笑い声に、低い声が重なる。二重奏のように。
パトカーのヘッドライトが幾つも夜空に反射していた。
僕は屋根裏の出窓に腰掛けて、慌ただしく動き廻る警官たちを眺めていた。にやにやと緩む口元を両手で覆って。伏せた顔から上目遣いに。
衣装箱から僕の干からびた遺体と、あの女の白い骨が運び出されている。
「見ちゃいけない」
優しそうな刑事が僕を庇うように抱きしめる。
「邪魔だな、見えないじゃないか」
窓ガラスに映る僕の顔。僕を裏切った妻にそっくりな。その顔の横で白い顔が嗤いながら囁いた。その声は、刑事には聞こえない。その姿も彼には見えない。僕は肩を震わせて笑った。まるで泣いているように唇を歪めて。
僕は惨めな醜い身体を捨て、この屋根裏部屋を捨てた。
若々しい体で僕は庭を駆け回る。伸び放題の芝生の、何年かぶりで踏みしめた柔らかな大地。遠い記憶を揺さぶる不思議な感触。
「おいおい、」
地面に伸びた僕の影から声が響く。
「あんまり浮かれて忘れていないかい? ちゃんと狩りをするんだよ」
僕はもう歳を取らない。死ぬ事もない。
その見返りに、彼を影に潜ませて、彼の餌を狩らなきゃならない。
僕は彼と契約したのだ。この身体を活かす見返りに、この素敵な友人と共に生きることを。そうして僕は、僕を嫌った妻と同じ顔をした子供として生きていくのだ。美しさを鼻に掛け、僕をさげずんでいたあの顔で。こんな楽しいことはないじゃないか。
だから狩りくらい、なんてことはない。平気さ。
ほら餌の方からやって来た。白百合を抱えて。
だって、こいつがこの身体の本当のパパだものね。親友だった僕を裏切り妻を寝取った男。生まれて直ぐに養子に出したこの身体を、ずっと探していたんだって?
おめでとう! さぁ、涙のご対面だ!
僕の背後で開け放たれた屋根裏部屋の窓が、風に揺られてキィキィ音を立てて揺れていた。まるで笑い声を立てているように……。
この身体のパパに連れて行かれたのは、白い四角い建物だった。あの、刑事さんがいた。刑事さんは、刑事ではなく医者だと名乗った。そして、椅子と椅子を向かい合わせて僕の手を握って言った。
「お父さんや、お母さんの事を覚えているかい?」
僕はチラリと、医者の背後に立つあの男を見た。
「心配ないよ。彼は民生委員だからね」
医者は注意を引き戻すように、僕の手を強く握った。
僕は記憶もないほど小さな頃、あの家に住んでいた男に誘拐されたのだという。そして何年もの間、監禁されていた。あの男の家に食料品を届けていた雑貨屋が、注文が途絶えたから不信に思い、警察に連絡したのだそうだ。子供のいないはずの家から子供の声がする、と、今までに何度もこの民生委員があの家を訪れていた。だが、中に踏み込むことが出来ず、今まできみを保護するのが遅れてしまったのだと。
僕は、あの家の男の妻の前夫との間の子供なのだそうだ。離婚の際、父親の方が引き取って育てていたのだという。男の妻が死んだ後、母親に生き写しだった僕は、妻を溺愛していた男に拐われあの家に閉じ込められた。
良く出来た話だな……。
僕は本当は体育館で殺されたはずの死体だからね、だから、生きていたとなったら不味いんだろ? 誰か行方不明になった子供の過去を押し付けて丸く収めるつもりなんだ。
それとも、この民生委員に化けている男、僕のパパだって事がバレると困るのかな?
まぁ、どっちだっていいよ。どうせお前たちは、彼の餌になるのだから……。
ほら、僕の影が立ち上がる。舌なめずりして待っているよ。