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ぼくといちまさんの夏〜丑三つ時に泣く声〜

 パシャリ!


 静寂を切り裂くシャッター音。

 デジカメのスクリーンには古びた人形が映っている。

 紅い着物はすっかりくすみ、独特のアルカイックスマイルを湛えた顔には、若干のヒビが走っていた。素敵なことに、心霊写真につきものの白い球体オーブも至る所に飛んでいる。

(いいね……、実にいいねぇ)

 ざんばらな髪を手櫛で優しくいて、ぼくは不敵な笑みを浮かべる。

「……最高だよ、いちまさん」

 ひひっ、うひひっ、いひひひひひ、うひひひひひひひ――

 薄暗い闇の中で、ぼくはいつまでもいつまでも笑い続けた。


 ――あの頃の僕はなんというか、実に純粋な子供だったのだ。

 不思議を愛する心を持ち、世の中のあらゆることが希望に満ち溢れていると信じていて、人生のままならなさに思い悩むなんてこともなかった。


 もちろん、酸いも甘いも噛み締めた今なら分かる。人生には取り返しのつかないことがあるのだと。


 あの人形の前で、父さんはどんなにか複雑な思いでいただろう。

 そして鏡を覗き込むときの恐怖たるや……。ああ、とても僕には耐えられない。けれど、目を背けていたところで何の解決にもならないってことも分かっている。

 やはり、戦わなきゃならない。

 かつて父さんがそうしたように――


――


――――



――――――それは十五年前の夏のこと。


 当時僕は小学生三年生で、お世辞にも計画性のあるほうじゃなかった。

 だから、楽しい楽しい夏休みも残すところ一週間になったところで、ようやく宿題に取りかかるというありさまだ。

 おかげで五日もの間、夏休みの友をやっつけたり、前衛的アバンギャルドな図画工作に勤しんだり、ネットで拾った素材を読書感想文としてパッチワークしたり、揮発きはつした記憶の埋め合わせに日記帳に想像力の限りを尽くした小説を書いたり――なんてしょうもないことに費やしていた。

 まぁ努力のかいあって、残り二日の段階で残すは自由研究だけ、ってところにこぎつけたわけだが、そんな自堕落な日々を過ごしていた僕が、この自由研究ってやつに関してはやる気まんまんだった。


 題材はオカルト。

 平たい話が不思議でおっかない事を研究してやろうってことだ。

 きっかけは、まだ読書感想文をまともに書こうと思っていた頃、図書館で本を探している最中に怖い話の本にすっかり夢中になったこと。そして自由研究の内容が、先生曰く「真面目に取り組むなら何でもいいよ~」とのことだったからだ。

 もっとも、この時は想像もしなかった。

 これがきっかけで、己の宿命ってやつを思い知ることになろうとは――


「市松人形とは、着せ替え人形の一種である。あずま人形、京人形とも呼ばれ、け、京阪地方では『いちまさん』の愛称で親しまれている。えーと……これなんて読むんだっけ? ナントカまたは木で出来た頭と手足に……ここな、じゃなくて胡粉ごふんを塗り、おがくずを詰め込んだ布で出来た胴につなげた人形で、裸の状態で売られ、衣装は購入者が作成する。女児の遊び道具のほか、裁縫の練習台としても使用された。大きさは20cmほどの小さいものから80cmを超えるものまであるが、20cm前後のものが一般的である。女児の人形と男児の人形とがあり、女児の人形はおかっぱ頭に植毛が施され、男児の人形は頭髪が筆で書かれている」

 ぼくは得意げにレポート用紙を読み上げる。おおー、とどよめく三人の友人達。

 どんなもんだ。

 むふん、と鼻の穴を膨らませ、みんなの称賛を一身に浴するべく身構える。

 と、竜司リュウジ貞子サダコが顔を見合わせて、

「真面目だ。陽一ヨウイチが真面目に調べものをしてきた」

「びっくり。明日は雪が降るんじゃないの?」

 なにか期待していたのと違うけど、まぁいいさ。

 せっかく気合いを入れた恐怖の自由研究だ。

 家に遊びに来た友人達に、たっぷりとその魅力を語って涼んでもらえらばそれでいい。

 気になるのは、ノーパソに向かっていた俊雄トシオが一人渋い顔をしていることだ。

「どうしたの?」

「……今のってさぁ、ほとんどウィキのコピペだよね?」

 むっとして僕は抗議する。

「いいじゃん。何かまずい?」

「手抜きじゃん! 超手抜きじゃん!」

「だって大学生の従兄弟も、締切ギリギリの論文をウィキペを使いまくって仕上げたって言ってたし!」

「それ、参考にしたら絶対に駄目な人じゃん」

 しょうもない舌戦を始めるぼくらに、他の二人がブーブーと不満の声を上げる。

「もう前置きはいいからさぁ。早く人形を見せてよ」

「そうそう、呪いの人形なんだろ?」

 やれやれ――仕方ない。

 まだまだレポートは続くのだけど、結局みんなそれが目当てなんだ。出し惜しみし過ぎて、もういいやと他の遊びを始められたらつまらない。

「じゃ、ついてきて」

 クイクイッと、ぼくは小粋な手招きをした。


 みんなで連れ立って廊下に出る。

 ぎしぎしと床板が鳴る度に、みんな落ち着かない様子になるのがなんとなく面白い。

 ぼくの家はありていに言ってボロ屋だった。

 なにせ百年前から建ってるって大きな日本家屋なのだ。トイレとバスルーム、ダイニングキッチンだけはリフォームして新しくなっていたけれど、手つかずの部屋のが全然多い。一時期は何世帯もの大家族で暮らしていた時期もあるらしい。

 そして、廊下の一番奥にその部屋があった。

 この部屋は父さんに「入っちゃいけない」と言われている部屋の一つ。もっとも、両親は共働きで日中家にはほとんどいない。だから、ばれやしないとぼくは全然守っていなかった。

 障子を開けると、微妙にカビの匂いがした。毎日換気しているはずだけど、いまいち日当たりが悪いのでしょうがない。

「おおっ、あれか!」

 目当ての物を見つけると、みんな小走りで駆け寄った。

 そう。違い棚の上に鎮座ましましている人形こそがぼくの市松人形。

「うわー、ブキミぃ」

「ホラー映画の世界だよね」

「やっべえ、夢に出そう」

 みんなが怖がっているのを見て、ぼくは得意な気分で一杯だった。けど、子供ってのは直ぐにおちゃらけに走るから困りものだ。

「これ、誰かに似てるよね?」

 と、貞子サダコが言って、それは始まった。

「なんかバナナマンっぽい顔してね」

「あー、分かる分かる」

 人形の持つ神秘性は一瞬にして崩壊。

 それからは大喜利状態だ。

「関取の何々のが似ている」とか、「クラスメートの誰それにそっくり」とか、はては「俺が俺達が市松だ」とか、しょうもないことを先を争って喚く。


「いちまさんを馬鹿にすんな!」


 ぼくは大声で一喝した。

「この人形はっ、本当に呪いの人形なんだぞっ!」 

 さすがにみんな反省したようだ。

 そわそわと落ち着かない様子で、俊雄トシオが訊ねてくる。

「えーと、その、具体的にどんな呪いがあるの?」

 よくぞきいてくれました。

 気を取り直して僕は熱弁を奮う。 

「この市松人形はね、髪が伸びるんだ!」

 ほほー、と感嘆の声が上がる。

「ほら、これを見てくれ」

 ぼくは観察記録を開陳した。

 オカルトにはまり始めた時、ぼくはすぐにこの人形を観察してみようと思った。

 この広い屋敷には、古井戸、小さなお稲荷様の社、暗い池に石灯篭、甲冑を納めた蔵、能面の間、開かずの間など不気味な見所がいっぱいあるのだけど、やはりあの人形は特別だ。

 あの虚ろな瞳で見つめられると、わけもなく胸がドキドキしてくるしね。

 そんなわけで、七月末から毎日欠かさず市松人形を写真に撮り、髪の長さを測っていたわけだ。

「そのマメさで、朝顔の観察でもすればよかったのに」

 ぼそりと呟く貞子。やれやれ、とぼくは呆れて言った。

「これだから女ってやつは。浪曼ろまんの欠片もないね」

 男子二人は無言で目を逸らした。

 ――さて、そんなことより記録の中身だ。

 測定記録の結果、髪は一ヶ月ほどの間に着実に伸びていることが分かる。

 毎日毎日の変化は数ミリ程度だが、最終的には十センチにも達したのだ。初日に撮った写真と現状を比べてみても、その変化は明白なもの。

 ドヤア、とふんぞり返るぼくをよそに、みんなは好き勝手なことを言う。

「どう、伸びてる?」

「うーん、よくわかんね」

「せっかくだから、縦ロールにしてみた」

「おおー、お嬢様だ」

「パンが無いならお菓子を食べればいいのにぃ」


 ……こいつら。


 さすがのぼくも、堪忍袋の緒が切れる。 

「何やってるんだ!」

 途端、室内が水をうったように静まり返る。

 ――今のはぼくじゃない。

 いつの間にか背後には父さんがいたのだ。

 しまった。

 ぼくは大きなミスに気がついた。 

 父さんはカメラマンの仕事をしていて、時々は真夜中のうちに仕事に出ることもある。そんな日の前日には、こうして早く家に戻ってくるのだ。

 まさか、今日がその日だなんて……。

 父さんは蒼白な顔でしばし呆然と立ち尽くしていたかと思うと、突如ぼくらにつかつかと近付いてきて、

「触るんじゃない!」

 大きな声で一喝し、人形を奪い取ってしまった。


 それから、ぼくはこんこんと諭された。

 あの部屋には入っちゃ駄目と言ったはずだ。そして、あの人形はお婆ちゃんが大切にしていた物。古いだけに傷みやすい。あんな風に粗末な扱い方をしたら駄目だろう。

 そして、最後にこう付け加えたのだ。

「いいか。あの人形にはなるべく関わるな。でないと、いずれ恐ろしいものを見ることになるぞ……」

「それって、髪に関すること?」 

 すると、父さんははっと顔を上げ、

「お前……もしや、あの人形の髪に触れたりしなかったろうな?」 

 父さんの声は、低く唸るような恐ろしいものだった。ぼくをぎろりと睨む目付きは血走っていて、とてもじゃないけど「はいそうです」とは答えられなかった。

 結局、そんなことはしていないと嘘をついて、ぼくはようやく寝床についたのだけど、


(――寝れない)


 こちこち、と動く時計の針の音を聴きながら、ぼくはひたすら寝床の中で悶々としていた。

 父さんは市松人形について、何かを隠している。

 けれど、あの調子じゃ教えてくれそうもないな。髪の伸びる謎に関わるのであれば、是非とも知っておきたいんだけど……。

 そうこうしているうちに、喉が渇いたのでぼくはリビングに水を飲みに行くことにした。

 コップに冷たい水を注いで、ごくごくと喉を潤す。

 今何時だろうと思って、時計を見れば午前二時を過ぎていた。

 いわゆる丑三つ時ってやつだ。

 そんな時、どこからともなく妙な声がしたのだ。


 ――うっ、ううっ……うっ、うっ……


 何だろう?

 ぼくはそっと廊下に歩み出た。

 そして聞いた。廊下の奥、あの部屋の方からこんな声がするのを。


 ――髪ぃ…… 髪がぁ……


   ――戻せぇ…… 私の髪をぉぉぉ…… 


 それは、まるで地の底から響くような慟哭だった。


 全身に鳥肌が立つ。

 やばい、やばい、やばい。

 さすがにこれはやばい。

 ぼくは大急ぎで部屋に戻ると、頭から布団を被って耳を塞いだ。

 早く朝になれ。早く朝になれ。

   

 翌朝――

 ぼくは自分を恥じていた。

 求め続けていた恐怖が現実となった途端、尻尾を巻いて逃げ出すなんて研究者失格だ。

 いちまさんが本物なら、どこまでもついて行くべきじゃないか。 

 勇気を出して、ぼくはあの部屋に向かって歩く。

 ぎし、ぎし、と軋む廊下。

 いつもより不気味な音に聞こえて、ぼくは何気なく足元を見た。


 毛、毛、毛。

 そこには、大量の髪の毛が散らばっていた。


「うああああああああああああああっ!」


 ぼくは叫んだ。

 驚いて母さんが飛んできた。

「いちまさん? いちまさんなの?」

 うわごとのように繰り返し、昨夜の恐怖体験について語る僕の様子に、母は変な本の読み過ぎだと呆れてどこかに行ってしまった。 


 そして、再び夜が訪れる。


 ぼくは決心した。

 今夜は逃げない。あの泣き声が聞こえてきたら、市松人形の様子を確認してやるのだ。

 懐中電灯を片手に、丑三つ時まで布団の中で眠らずに待つ。

 そして、その時が来た。


 ――うっ、ううっ……うっ、うっ……


 今晩もあの恐ろしい声が、廊下の奥から聞こえてきた。


 ――髪ぃ…… 髪ぃぃぃ……


   ――戻せぇ…… 私の髪をぉぉぉ…… 


 全身の血の気が引いた。

 それでも、ここで逃げたらいけないと、ぼくは無理やり足を踏み出す。

 これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だろう。

 

 みしり、みしり。廊下を進むごとに、声は徐々に大きくなっていった。

 だらだらと額から脂汗が垂れてくる。


 ――戻せえええぇ……髪ををぉぉぉぉぉぉぉぉ


 やばい。

 これやばい。


 やばい。やばい。やばい。

 やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。

 やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。

 やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。やばい。

 

 「うわあああああああああーっ!」


 大声を上げてぼくは走り出す。

 逃げるんじゃない。

 前進への鼓舞だ。

 すると、


 「ぎゃああああああああああっ!」


 廊下の前方から野太い叫び声がした。

 何だ今の。

 さすがに驚いて立ち止まる。 

 やがて、ギイィと蝶番の軋む音がして、廊下の隅に明かりが差した。

 そして、現れたのは――

「あれ、父さん?」

「なんだ、お前か……」

 廊下を突き当たって左には、一昔前まで使われていた洗面所がある。

 バスルームのリフォーム時にできた新しい洗面所のがずっときれいなので、今となっては誰も使わなくなっていたけれど、一応今でも使えはするはずだ。 

「どうしたんだ陽一。こんな夜中に大声なんか上げて。びっくりしたじゃないか」

「父さんこそ、こんな所で何してたの?」  

「出勤前に身だしなみを整えていたんだよ」  

「え、今日も早朝からの撮影?」 

「そうだよ。昨日の仕事は相手都合で流れたからな」 

 やれやれ、と父さんは大きく溜息をついた。

「じゃあ、さっきの変な声は父さんの?」

 すると、父さんはばつの悪そうな顔をした。 

「……聞かれちまったのか。あーあ、当分は秘密にしておきたかったのになぁ」

「え、どういうこと?」

「なんだまだ分からんのか。ならいい。世の中には知らない方がいいこともある。お前には将来に希望を持って生きて欲しいからな」

「???」

 何が何だか分からないでいるぼくを、父さんは慈愛に満ちた眼差しを送った。

「いいか、陽一。あの市松人形には手を出すなよ。子供の頃、俺はあれにいたずらをしてたんだ。そしたら、ごっそりと髪の毛を抜いちまってな。きっとその報いで、俺は呪われちまったんだ」

 父さんは寂しそうな表情で後頭部を撫で擦すると、お休み、と言って仕事へと向かっていった。

 

 その後、ぼくは市松人形をこっそりと持ち出し、頭髪部分について少々乱暴な調査をした。

 結果、この市松人形は長い毛の束を二つ折りにしてその中心部分を接着するという方法で植毛がなされていたことが分かった。この場合、接着が弱くなってくると髪の毛が引っ張られる度に、片側だけがどんどんと伸びていくことになる。つまり、市松人形の髪の長さが毎日徐々に伸びていたのも、毎日のようにいちまさんを愛でていたことが原因である可能性が高いのだ。

 以上の研究結果をつらつらと書き連ねて提出したところ、先生からは「科学的で大変よろしい」とお褒めの言葉をもらい、ぼくといちまさんのひと夏の物語は幕を閉じたわけだが――


――


――――



――――――



 ――あの頃の僕はなんというか、実に純粋な子供だったのだ。

 不思議を愛する心を持ち、世の中のあらゆることが希望に満ち溢れていると信じていて、人生のままならなさに思い悩むなんてこともなかった。


 もちろん、酸いも甘いも噛み締めた今なら分かる。

 人生には取り返しのつかないことがあるのだと。


 あの人形の前で、父さんはどんなにか複雑な思いでいただろう。

 そして鏡を覗き込むときの恐怖たるや……。ああ、とても僕には耐えられない。

 けれど、目を背けていたところで何の解決にもならないってことも分かっている。

 やはり、戦わなきゃならない。

 かつて父さんがそうしたように――


「戦わなきゃ、現実と!」


 発毛剤を手に、鏡の前で叫ぶ。

 僕はまだ二十代。

 最近、抜け毛の多さが気になってきた。

 もし、若くしてハゲになってしまったら――

 想像するだけで鳥肌が立つ。

 ああ、これほどの恐怖が他にあるだろうか。

 

 いちまさんの呪いだって?

 とんでもない。

 父さん……これは血の宿命。

 いわゆる遺伝ってやつですよ。

夏のホラー2015に投稿しようと思いましたが、さすがにやめました。

ご笑納ください。

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