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チャプター9

〜ノルドハーフェンの街〜



 潮風が香る、うみねこの鳴き声がする、潮騒がきこえる、男達の元気な声がする。晴天の下、ここは港町、否が応でも気持ちが浮き立つ。

「んん〜、海っ! 磯の香り! 波音っ!」

 一人波止場にやってきたエルリッヒは、港町の持つ独特の空気を楽しんでいた。最後に港町を訪れたのはもう何年も前の事。それはこの街ではないが、やはりどことなく空気が似ている。人と物の往来が多い事や、海のそばにある事が、人々を開放的にしているのかもしれない。

「さて、乗船券を買わないとだ」

 停泊している何艘かの帆船を前に、逸る気持ちを抑えつつ、乗船券売り場を探す。周囲を見回すと、それらしい小屋が見えた。どこの港町も、そう違う作りをしている事はない。恐らくはそこで間違い無いだろう。エルリッヒは駆け出した。

「すみませーん」

「はいこんにちは」

 小屋の中には、年老いた女性が一人座っていた。この女性が乗船券を売ってくれるのだろう。

「あの、乗船券を買いたいんですけど、明日出発で、北行きの、えぇと、あそこは……なんて言ったかな」

「サザンノクトかい?」

 まるで心を読んだかのように助け舟を出してくれる。年相応に枯れた声をしていても、頭の中は豊富な知識で満ち満ちているようだ。

 きっと、この街から出ている全ての寄港先を把握しているのに違いない。

「そうそう、サザンノクト! そこまでの乗船券が欲しいんです。できれば、明日出航する船で。三人分、ありますか?」

「明日の出航かい? ちょっと待っておくれな」

 老婆は少しの間海を見つめると、しわがれた顔でにっこりと笑った。

「大丈夫だよ。この分なら、明日は出航できるさね。それじゃ、銀貨三百枚だよ」

「へぇ〜、ちょっと見ただけで分かるなんて、すごいもんですね。はい、じゃあ銀貨三百枚!」

 そうして、銀貨の入った袋から百枚の束を三つ取り出しカウンターに並べる。

「どれ、数えさせてもらうからね」

 老婆は数を図るための道具を取り出すと、百枚の束が本当に百枚あるのかを数え始めた。立てられた三つの束はそれぞれ同じ高さだ。枚数が異なる事はない。もちろん、銅貨や金貨が混じっていない事は、見ればわかる。

 枚数を数えると言っても形式的なものだったようで、簡単に計測を行うと、すぐさま先ほどの笑顔を向けてくれた。

 どうやら、長年の経験から見ただけでおおよその枚数が足りているかどうかは判断できていたらしい。

「はい、確かに。それじゃ、これが乗船券三枚ね。出航は明日、教会の鐘が十回なった時だ、くれぐれも遅れないように。もちろん、乗船券は失くすんじゃないよ?」

「ありがとうございます!」

 受け取ったエルリッヒは喜色満面の様子で売り場を後にした。そして、間違いなく自分より年下の老婆に対し、心から感心した。

 少なくとも、エルリッヒは少し海を見ただけでは、明日の波の様子を窺い知る事はできない。本来の姿なら、気温や気圧のわずかな変化も感じ取れるが、人間の姿の今、その野生の感覚は多少鈍ってしまう。

「人間の可能性、か」

 不意に、そんな言葉がちらついた。




〜一時間後 宿屋通り〜



 ここは宿屋が建ち並ぶ通り。無事に乗船券を購入したエルリッヒは、そのまま街を散策した後、ここへやってきた。

 初めての場所だったため、歩いていた町人に場所を教えて貰ったが、結局一時間を費やしてしまった。

 そして、宿屋通りに入ったエルリッヒは目を見開いた。

「な、なんじゃこりゃーーーっっっ!!!!」

 通りには、二十軒もの宿屋が並んでいた。ずらりと並んだ看板が、めいめいの意匠で旅人を出迎えている。この中から男達を探さねばならないのか。正直とても面倒だが、そういう風に役割分担したのは自分だ。エルリッヒは観念して一軒一軒を訪ね歩いた。

「ごめんくださ〜い」

 フロントを訪ね、予約を確認してもらう。宿帳を見せてもらうわけにはいかないので、逐一フロント係に尋ねなければならない。少々心苦しかったが、やむを得ないだろう。

「予約を確認したいんですけど」

 当然、相手は客商売、嫌な顔はしない。それでも、内心どう思っているかと思うと、気が引けてしまうのだ。何しろ、建ち並ぶ宿屋のうち、十九軒に対しては客でないのだから。

「ゲートムントという名前で入っていませんか?」

 ゲートムントの名前を広めてしまう事にも少しの戸惑いが芽生える。しかし、これもまた、自分で言い出した事なので仕方がない。骨が折れる事にも、文句を言う権利はないのだ。

「そうですか、ありがとうございます」

 予約が入っていないと分かると、ぺこりと頭を下げて宿を後にする。そんな事を獣数回繰り返した頃、不意に見慣れた生き物が視界に飛び込んできた。

「!! 君達!」

 それは、ここまで三人を運んでくれた馬達である。普通の人間には見分けなどつかないだろうが、普段から愛情をかけている御者や、人間とは目線の違うエルリッヒには、十分に見分けがつく。そして、何より彼らが繋がれているすぐそばに、自分達が乗ってきた馬車が停留してあるのだ、わざわざ予約確認などをせずともこの馬車を探せば早かった。

「うぅ、私の苦労は何? あの時間はどこへ?」

 膝から崩れ落ちそうになる気持ちを必死に立て直すと、その宿屋の中に入った。名前は「オーベルジュ海竜の鱗」、どことなく「竜の紅玉亭」似た雰囲気の名前に好感が持てる。看板も、近海に棲息しているのだろうか、竜のような生き物の姿が彫られていた。これは真似をしなくては。

「ごめんくださ〜い」

 今度は気が軽い。間違いなくゲートムント達が予約しているのだから。しかし、部屋を確認するためには、やはりフロント係と話をせなばならず、多少の心苦しさが芽生えていた。

「いらっしゃいませ」

「えっと、ここにゲートムントという名前で予約が入っているはずなんですけど、どうですか?」

 恐らくは、遅れて連れが来る、と言うような話をしてあるだろう。そうなれば、名前を出しただけでも十分なはずだ。

 フロント係の反応を見ると、宿帳を手に名前を探している。もしかしたら、ゲートムント達が来た時には別の人間がいたのかもしれない。

「ゲートムント様ですね、少々お待ちください」

 宿帳をパラパラとめくっている。果たしてそんなに前なのだろうか。いくらなんでもそこまで多くの客は宿泊できまい。嫌な予感がした。

「もしかして、ないんですか?」

「申し訳ございません。ゲートムント様というお名前は宿帳には……」

 嫌な予感が的中した。もしかしたら、ツァイネの名前で予約したのかもしれない。でも、もし御者の名前で予約が入っていたら。エルリッヒは御者の名前を知らなかった。エルリッヒが後から探す事を考えたら、名前を知らないかもしれない御者の名前では予約しないだろう。

 もう一度、尋ねてみた。

「あの、じゃあ、ツァイネという名前ではどうですか?」

「ツァイネ様、ですね? お待ちください」

 今度はすぐに表情が変わった。

「全員で四名様、二部屋のご予約でございますね? 確かに、後からもうお一方いらっしゃると伺っております」

「よかったー。それで、どこの部屋ですか?」

 フロント係に部屋番号を教えてもらうと、軽快な足取りで客室のある二階へと向かった。




「どれどれ、ここだね?」

 教えてもらった部屋を見つけると、軽くノックをする。

「はーい、どなたですかー?」

 ツァイネの無邪気な声がした。なんとなく安心するのは、やはり旅の仲間だからだろう。

「どなたも何もないでしょー。開けてもいーい?」

 声で分かるだろうと、もはや名乗りもしなかった。しかし、その読みが外れる事はない。声の主は、すぐさま駆けつけ、ドアを開けてくれた。

「待ってたよ!」

「こっちこそ、探したよ」

 エルリッヒは、部屋の中へと入って行った。中には、ゲートムントと御者もいた。ようやくの合流である。

「おかえり、エルちゃん」

 紳士的な態度で出迎えてくれたおじさんに、ふわりと笑顔で一言。

「ただいま」




〜つづく〜

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