チャプター7
〜ヴォーデン街道〜
エルリッヒが子分Eに捕まってしまった。形勢逆転と見るや、首領はよろよろと立ち上がり、しかし強気な表情を浮かべた。
「へっへっへ、これで俺達の勝ちだな」
「親分、あいつ、どうしますか?」
幸い受けたダメージが大きかったため、子分A〜Dは立ち上がることができない。それでも、口は達者なようで、エルリッヒの処遇について訊いている。
おそらくは、このままゲートムント達を返り討ちに遭わせた後、エルリッヒを首領の側女にするか、人身売買で売り飛ばすか、そんなところだろう。容易に想像できる下衆な回答に、胸糞が悪くなる。
「そうだなぁ。売り飛ばしゃ、いい値段がつくんじゃねーか?」
「おお、名案ですぜ!」
「でも親分、俺達の女にしちまうのも、いいんじゃねぇですか?」
やはり、予想通り。二人とも、込み上げてくる怒りが目に見えるようだった。それでも、エルリッヒの安全の為には、手出しするわけにはいかない。下手に手を出そうものなら、命が危ない。そうでなくとも、怪我をしてしまうかもしれない。そんな事になったら、一生かけても償えないだろう。
自然と、武器を握る手に力が篭った。
「お前ら!」
「形勢逆転。さて、どうするかな。お前らをどう料理して、そこの女をどう頂いちまうか。考えただけで笑いがこぼれらぁ。へっへっへ」
本当なら、今すぐにでも心臓を刺し貫いてやりたいところだ。しかし、必死にこらえる。そして、考えた。
今、無事に事を片付けるには、どうしたらいいのか。
「む〜! む〜!!」
(離せ〜! こら〜!)
捕らえられている当のエルリッヒ。こちらも、口元を塞がれ満足に言葉が話せない。こんな奴、ちょっと力を出せば簡単に捻り潰す事ができる。それでも、「守られてるか弱い少女」を演じている間は、そういうわけにもいかない。
最低限、「旅慣れた料理人」くらいの認識でいてくれれば、もう少し力も発揮できるのだが。
「おい、おとなしくしてろ! ナイフが当たるぞ!」
子分Eは慌てふためく。喉笛に添えられたナイフは、エルリッヒが暴れる度にその白い首筋に触れる。ここで怪我をさせては自分が怒られてしまうと、子分Eも気が気でない。
エルリッヒとしては、「こんななまくらナイフが当たっても怪我なんかしない」と踏んでいたので、平気で暴れている。何が変わるわけでもないが、こうでもしないと、気持ちが落ち着かなかった。
自分の油断にも苛立つが、何より卑劣な野盗達に腹が立った。こんな卑怯なやり口で、しかも女の子を売り物にしたり、自分達の欲望のために好き勝手にしているというのか。
女の子の敵は、何としてでも撃退せねばならない。とはいえ、今できる事はほとんどないのだが。
「む〜〜〜〜!」
(このままじゃ済まさないからな〜!)
うめき声のような叫びが、辺りにこだました。
「さあ、その武器を足元に置いてもらおうか」
首領の言葉はこういう場面のお約束通りだ。武器を手放させて、それを奪えば、形勢逆転、という算段だろう。
しかし、二人は武器を手放す気配を見せなかった。それどころか、表情が強気なものに変わっている。
「おめぇら! そこの女がどうなってもいいのか!」
「どうなってもって、ねぇ。あんたさ、奴隷商人に売るつもりなんだろ? だったら、傷なんか付けられねーんじゃねーか?」
「だねぇ。かすり傷一つ付いたって、売値が大きく下がるって聞くしね。それでも、怪我をさせるつもり?」
自然と、頭脳戦の様相を呈し始めていた。相手も野盗としてはそれなりに経験を積んでいるのだろうが、ゲートムント達とて百戦錬磨だ。このような局面に見舞われた事はないが、護衛任務はなんども経験している。当然、無事に目的地にたどり着けなかった事もある。豪奢な馬車に乗っていると、嫌でも標的になってしまう。お金持ちが乗っていると、自らアピールしているのだから仕方ないのだが。
そういう経験を踏んでいるので、こういう時の対応はしっかりと頭に入っていた。事実、首領は慌てふためいたような顔をしている。
「そ、そりゃあ……そうだけどよ。って! てめぇら自分の立場が分かってんのか! 今ここで負けるくらいなら、怪我の一つくらいさせてやるぞ!」
「でも、そんな事できないでしょ? 普通、負ける事なんて考えないんだし。それに、もし何かあったら、怒り狂った俺逹が全力で倒すよ? 多分、武器がなくてもお前達よりは強い。どうかな、実は全然形勢逆転できてないって事、伝わるかな」
ツァイネの語りは、いちいち尤もで、首領は反論できずに、ただただ考えていた。首領は首領なりに、論破する余地や、もう一度形勢逆転するにはどうしたらいいかを考えているのだ。ない頭で必死に考えるものだ、とゲートムントは呆れるが、これもまた、作戦の内だった。
「さてと、そろそろ解放してあげてくれないかな。どうせ勝てないんだし」
「い、言わせておけば!! もう勘弁ならねぇ。優位に立ってるのは俺なんだ! 俺達が本気だって事を、思い知らせてやるぜ。おい! 構わねぇからやっちまえ! そいつの服を裂いちまえ」
「なっ!!」
首領の判断は、悪役としては無難だったかもしれない。相手を傷つけず、ダメージを与える事ができる。これなら、おとなしく言う事を聞くだろう。そして何より、服を駄目にしたところで、売り捌いても寝は下がらない。
卑劣な命令に、二人の怒りは青天井にこみ上げてくる。しかし、そんな二人よりも大きな衝撃を受けたのは、エルリッヒ本人だった。
「む〜!!」
(最低〜!!)
当然といえば当然だが、首領の判断に怒りが湧き上がる。そして、ついつい身の危険を感じてしまう。怪我を負う可能性は限りなく低いが、こんなところで素肌を晒すわけにはいかない。なんとしてでも、子分Eが事に及ぶ前にカタをつけなければ。
本当は、守られてばかりのか弱い女の子ではないのだから、遠慮している場合ではない。ゲートムント達がどういう作戦を取るかはわからないけれど、自分の身は自分で守らなければならないのだ。
「へっへっへ、おとなしくしてろよ? そうすりゃ、怪我しねぇで済むからよ」
「む〜!!」
(怪我の問題じゃないわ〜!!)
子分Eは首筋のナイフを持ち変えると、切り刻む場所を探すように、刀身を体に添わせた。
(ひっ!)
悠長にしている場合はなかった。事態は一刻を争う。さすがに、ゲートムント達も身の安全を配慮してか、身動きが取れないらしい。背後を狙わせないためか、こちらに視線を向ける事すらできないでいる。恐らく、相当にもどかしいに違いない。
しかし、それこそがチャンスでもあった。
「む〜っ!」
「のわっ!」
エルリッヒの体を押さえつけていた子分Eの左腕を振りほどくと、そのまま右手首を掴み、捩じ上げた。
元々ゲートムント達への義理立てでか弱い女の子を演じているに過ぎない。この程度は造作もなかった。
「痛ぇ! 痛ぇよ!」
たまらず足元に落ちるナイフ。次の瞬間、子分Eの体は宙を舞った。左手で右手首を掴んだまま、片手で相手の体を振り回し、そのまま地面に叩き付けてしまった。轟音とともに、砂埃が少しだけ舞い上がる。気絶したのを確認すると、二人に気づかれないようにナイフを二つにへし折り、それを茂みに捨てた。
「女の子に掴まれたんだから、光栄に思ってよね、ゲス野郎」
気絶していて聞こえないだろう相手に、捨て台詞を吐く。次の瞬間、汚い言葉を使ってしまった事に軽い自己嫌悪を覚えたが、今はそれどころではない。自分の無事を伝えねば。
大きな声で、そして元気よく、二人に向かって叫んだ。
「二人とも〜! 私は無事だよ〜! こっちは大丈夫だから、その女の子の敵に、しっかりお灸を据えてやって〜!」
二人の耳には、それが油断させるために言わされた言葉でないと、すぐに分かる。先ほど聞こえた謎の轟音と合わせても、エルリッヒが返り討ちに合わせたのだと、すぐに気づいた。
「な、なんだって〜!!」
その、あまりの光景に、首領はもはや頭の処理が追いつかなかった。元気そうではあったが、細腕の小娘がそれなりに屈強な自分の手下に対し、ナイフを取り落とすほどの力で締め上げ、あまつさえ片手で投げ飛ばしてしまったのだから、無理もない。とはいえ、眼の前で起こった事実は、否定しようがなかった。
「どうやってあの場を切り抜けたのかは俺達も気になるけど、今はそれどころじゃねーよなー。さ、お仕置きの時間だ。俺たちの馬車を襲った事、骨の髄まで後悔させてやるぜ」
「ごめんねー、さすがの俺達も、女の子を人質にしたり、そのまま売り飛ばしたり囲ったりってプランには、怒り心頭なんだ。まして、この場で服を切れだなんて、絶対に許されないよね。覚悟は、できたかな?」
子分F(仮称)以下がまだ潜んでいないとも限らなかったが、少なくとも先ほどのような失態はしないだろう。二人は正反対の表情で、後ずさりする首領達に迫った。
「アーッッッ!!!」
人気のない草原に、首領の情けない声が響き渡った。
〜つづく〜