チャプター59
〜ドナーガルテンの街 上空〜
「はぁぁぁぁぁ!!」
指揮官の力がみるみる高まっていく。どうやら、ただ大口を叩いたというわけではないらしい。強固な鱗を通して、その気配が伝わってくる。今までゲートムントたちと戦っていたのだって、決して手を抜いていたわけではないのだろうが、ある程度温存していたのは間違いなさそうだ。
(さて、どれほどの力が出せるものか……)
人間の姿だったらため息をついているような思いを込めて、息を吐く。それだけのことなのに、口からは炎が漏れる。当然、その程度のことは指揮官にとっても威嚇にすらならない。
お互い、自分の方が強いという絶対の自信を持って対峙していた。
「待たせたな。さあ、絶望を見せてやろう」
見た目はまるで変わらないが、溢れ出る気配はもはや別物と言ってもいいほどだった。魔族の中でも強力な存在のはずである指揮官、一体どれほどの力を見せてくれるのかと、期せずして胸が高鳴るのを覚えた。
「行くぞ!」
叫ぶと同時に指揮官の姿が消えた。いや、あまりの速度に消えたかに見えただけだったのだが、その速度を以て、一瞬にしてエルリッヒとの距離を詰めた。
「食らえ!」
拳に魔力を込め、それを刃のように形成すると勢い良く切り込んだ。エルリッヒの目には、先ほど放った魔力とはまるで違うということが良く伝わってきた。
しかし、その刃は体を刻むことはなかった。エルリッヒもまた、強い羽ばたきによって瞬時に間合いを取り、より高い位置から火炎を吐いた。
本気を出した指揮官の速度には驚かされたが、見切れない速度ではなかった。攻撃にしても、当たれば無傷では済まないかもしれないが、当たらないようにすることは造作もない。そうして、炎によって魔力の刃に立ち向かった。
「くっ!」
相変わらず強力な火炎だ。魔力の刃で防いではいるが、熱までは防ぎきれない。じりじりと、肉体を焼いていく。早く斬り伏せてしまわなければ。
もう一段強い魔力を込め、一思いに薙ぎ払う。すると、分厚い壁のように視界を覆っていた炎が真っ二つに割れ、そのまま消えていく。ようやく、膨大な熱から解放され、視界が確保された。
「さあ、見事防いで見せたぞ! 今度はこちらが!」
前方にいるはずの、桜色の竜がいない。炎を吐いた後、どこかへ移動したというのか。左右を見回してもそれらしい姿は見えず、羽音も風圧も感じない。次に、気配で探ろうとしたその時、
「上か!」
見上げたそこには、自らに大きな影を落とすように、件の竜がいた。一体何をしようというのか。
「落ちろー!!』
雄叫びにも似た叫びとともに、急降下し急襲する。上空から、これほどの質量を持った存在が襲い掛かるのだ。それは並大抵の威力ではない。
とっさに防御姿勢をとったものの、圧倒的な重量差には勝つことができず、地勢い良く地面に叩きつけられてしまった。
「ぎゃ!」
先ほどは剣で済んだが、今度は指揮官が落下してきた。その、あまりに豪快な戦い方に、見守っていたゲートムントはただただ感心するばかり。とりあえず、人間にどうこうできる相手ではないということだけが強烈に伝わってきた。
正確には、この戦いに参加しているもののうち、驚いていないのは当時の戦いを知る竜人族の戦士だけである。幾多の戦いを経験してきたゲートムントとツァイネの二人はもちろん、この街で暮らして居るギルド所属の戦士でさえ、驚きを禁じ得ないでいた。彼らは彼らで、猛獣との戦いを経験していたり、この街でかつて行なわれた戦いの話を幾度となく聞いているのに、である。
「これが、伝説のドラゴン……」
「そうだ。我らでは到底及びもつかぬほどの力を秘めた、髪にも等しい存在だ」
地面に激突した衝撃で未だ動けぬまま伏している指揮官を遠巻きに見つめながら、上空の巨竜に思いを馳せる。
「おのれ……なんだあの力は……」
指揮官は自由に動かない体を苦々しく思いながら、突如現れた相手の力に呆れ、そして恐れを抱いた。ただ大きいだけではない。何か、”明らかに”別次元の力を有している。自分がこの世に生を受けてから、この百年を省いても二百年は生きているというのにあれほどの力を持った竜族には出会ったことがないばかりか、その噂すら聞いたことがなかった。雷の力を扱う神話上の能力もそうだが、吐き出す炎とて規格外だ。自然界の元素を操る力はもともと基礎的な部分と高度な部分が同居しているが、そのようなレベルではない。体内の可燃物質が引火して炎を生み出しているなどと説明されても、到底納得できないほどだ。
あれでは、本当に「自然界の力」をそのまま操っているようではないか。負けるわけにはいかないが、あの攻撃にこのダメージ、今はなすすべが見つからない。
上空で羽ばたく竜は、桜色の鱗を煌めかせ、未だ微塵の疲労も見せてはいなかった。
(とりあえず、相応のダメージを与えることはできたか)
衝撃のあまり、石畳に埋まるようにして倒れている指揮官を冷たく見つめながら、次の一手を考えていた。少なくとも、エルリッヒにとってはまだ終わりではない。
自分が止めをさす必要はないかもしれないが、まだ体力が相応には残っているであろう状況を考慮すれば、このまま去ってもゲートムントたちが止めを刺せないかもしれない。何より、魔族こそ絶対強者だと思っているその鼻っ柱をへし折っておきたかった。
もしかしたら、魔王はこの戦いをどこかで見ているかもしれないのだから。
(完全復活できていないからこそ、脅威になりかねないこの街を攻めたわけだし、ああして地道に戦ってきたはず……)
そう考えればこそ、魔族に対し圧倒的な力で相対する存在がいることを思い知らせてやる必要があった。人間を守るための強者がこの世界にいるとなれば、魔族の侵攻も慎重になるだろう。
(さて、やるか)
あれこれ考えつつも、次なる攻撃手段については手短な思案で決めてしまった。氷である。大きく息を吸いきんだ後、それを街に向かい吹き出す。先ほどまでは灼熱の炎を吐き出していた口が、今度は凍えるような吹雪を吐き出している。その、あまりの規格外っぷりには、自分自身でも可笑しいほどだ。
吐き出された冷気は、日差しを受けてキラキラと輝いているが、その温度はいささかも上がっていない。指揮官を中心に、遠目にもわかるほどはっきりと氷塊が出来つつあった。
「な……に……」
まだ立ち上がれないでいるというのに、腕や足の先に氷がまとわりついて動きを封じている。こんなことができるのは一人、いや一頭しかいない。しかし、だとしたら、なんと常識外れなのだろうか。
魔法でもないのに炎と氷、そして雷の力を同時に扱えるなど、前代未聞にもほどがある。今のところでは風の力だけは扱えないようだが、あれだけの風圧を生み出すことができるのであれば、もはやそれも愚問と言ってもよかった。
「い、一体何者なのだ……」
ますます身動きが取れなくなる中、唯一動く頭で必死に考える。そして、考えのまとまらぬうちに唐突に死の恐怖が襲ってきた。生まれてこのかた、初めての感覚であると同時に、かつて多くの人間に与えてきた感覚でもあった。
「よもや、このようなところで、あのような相手と相見えてしまうとはな……」
魔族の大軍勢と自分の能力があれば、容易い任務だったはずなのに。徐々に奪われていく体温に、意識が朦朧とし始めてきた。次第に、思考はますます鬱々と沈んでいく。
(陛下……無様な死に様を、お許しください……)
魔王への最後の祈りを捧げると、死を覚悟して全身の力を抜いた。しかし、いつまで経っても止めの一撃は襲ってこなかった。それどころか、上空の竜は炎を吐くでもなく、飛びかかってくるでもなく、こちらを一瞥すると、天高く飛び立ってしまった。
(な、なんだと! 一体何が!)
動かぬ体を震わせるほどの衝撃が走った。一体なぜ、息の根を止めなかったのか。自分に勝機が残っているかどうかはもはやわからなかったが、一命を取り留めた今この一瞬に、指揮官は安堵した。
だが、その驚きを覚えたのは、指揮官だけではない。ゲートムントたちもまた、同じ思いだった。と同時に、指揮官を倒さずにいなくなってしまったことに、少なからぬ疑問が浮かんでいた。
誰も事態を飲み込めないまま、桜色の竜ーエルリッヒーは戦線から離脱した。
〜つづく〜