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チャプター58

〜ドナーガルテンの街 上空〜



「なぜ人間の味方をしているのかはわからぬが、竜族風情が魔族の指揮官を倒そうというのか。いかに大きな体躯を誇ろうとも、超えられぬ種族の壁があるということを思い知るがいい」

 本来の姿に戻ったエルリッヒを前にしても、微塵も動揺する気配がない。不意打ちの攻撃や大きな気配、そして通常のドラゴンよりも遥かに大きな姿など、初めは驚いたが冷静になると、勝てない相手ではないと踏んだ。

「まずは、小手調べだ」

 右手から魔力で作り出したエネルギーの弾を撃ち出す。先ほどゲートムントたちに大きなダメージを与えたのと同じものだが、今度はそれを連射する。

 対するエルリッヒも、動じることなく火球を吐き出し、それに対抗する。巨大な火球はエネルギーの弾を飲み込み、指揮官に直撃する。

「ぐっ! 瞬時にこれほどの火球を撃ち出すとは!」

(あれだけの魔法の弾を撃って、私の火球を浴びても平気な顔をしている。やっぱり強いな……)

 最初の一撃が終わり、次の攻撃に移る。エルリッヒの頭部に生えている角が白く光り始め、一帯の気圧が下がり始めた。エルリッヒが雷の力を扱うときの合図である。

「角が光っているだと? 何をするつもりだ……?」

 相手はドラゴン、コミュニケーションの取れない相手と戦っていると、どうしても一人相撲のような空気が漂うのだが、それでも抗戦の構えを崩さない相手であれば、無言のやり取りはできているような気になる。今がまさにその状態だった。

 気圧の低下をものともしない指揮官は、それが意味することを想像できないでいた。正確には、気圧の変化程度では体調や感覚に異常をきたさないのである。これが人間なら、何かの前触れだと思うところなのだが。

「躱せるか? それとも、受け切ってしまうか……」

 自問自答しながら次の一手を待っていた。念のため、防御の構えをとる。だが、心の内は決まっていた。もし見切れる速度なら、回避して反撃に出る。

 次の瞬間、エルリッヒは大きく翼を広げ、激しい咆哮を放つ。これには指揮官のみならず、その背後で見守っている部下たちはもちろん、地上にいる者たちも耳をふさいでしまう。

 そして、誰もが動きを止められたそのわずかな隙を狙って、魔族たちの頭上に落雷が起こった。あっという間の速度で、一瞬にして魔族を撃ち貫いては、次の魔族の頭上に落ちる。そうして、未だ大勢生き残っていた魔族の大半は、エルリッヒの放った雷によって焼かれてしまった。

「な、なんということだ! 竜が雷の力を操るなど!」

 思わずそちらに目を向けてしまった指揮官も、これには驚きを禁じえない。彼の知る限り、自然界にいる竜族が扱うのは、炎と毒だけのはずだ。雷の力を扱う竜は遥か昔にまで遡らなければその存在は確認できない。一体どういうことなのか。

『驚いている余裕など、ないんだぞ!!』

 余人にはただの咆哮にしか聞こえない竜言語で叫ぶ。空間全体がその叫びに呼応するように震え、指揮官めがけてひときわ太い雷が落ちた。雷の放つ眩い光によって、指揮官が黒い影のように見える。背後の魔族たちは細い雷でも十分なダメージを受けていたが、指揮官には通用しないだろう。だからこそ、より強力な雷による攻撃を繰り出した。果たしてどのくらいのダメージを与えられるのかは未知数だったが、無傷ではないようだった。

「はぁ……はぁ……貴様が何者かはわからぬが、これほどの力を持ちながら人間を守るとは、本当に理解できぬ……」

 その気になれば世界を滅ぼすことも可能であろうに、なぜ今まで野心も持たずにいたのか、今人間を救うために現れたのか。指揮官には理解できなかった。

 いや、事情を知らない全ての者が同じ思いだった。少なくとも、この街一つ滅ぼすことくらいはわけないだけの力を持っており、いかに屈強な戦士と言えど飛びかかられただけでひとたまりもないだろう。しかし、この街に伝わる竜伝説がいままさに目の前で繰り広げられているのだから、ここを生き抜いた若者は、長老の説明に腰を抜かすのに違いない。

「事情はどうあれ、我が前に立ちはだかるのであれば容赦はせぬ。行くぞ!!」

 今度は剣を構え、斬り掛かる。この場にいる誰も、この剣とエルリッヒの甲殻のどちらが強固かなど知らない。だが、その答えはすぐに出た。

 勢いよく振り下ろされた剣は、エルリッヒの胸部を斜めに刻み、鋭い傷をつけた。かに見えた。

「なんだとっ!」

 鱗を貫いてその体を深々とえぐり、したたかなダメージを与えたかに見えたが、それは全て指揮官の予想に終わった。なんと、鱗の硬さに耐え切れず、剣は根元からポキリと折れていた。




「うわっ!」

 上空から落ちてきた指揮官の剣がすぐ近くに突き刺さり、ゲートムントは慌てて身じろぎする。自分たちが全力で戦っていたあの指揮官の剣が、あのドラゴンの前には防御する必要すらないのだ。いかに圧倒的な存在であるかが伺えた。そして、自分たちがいかに強力な存在に救われたのかも思い知った。

「すげーな。でも、なんで俺たちを救ってくれたんだろうな。こことは別の国なのに……」

 その疑問には、長老が答えた。今この質問に答えられるのは、長老しかいない。

「殿下は世界中を旅しておられるからな、どこの国かは関係ないのだ。そして、竜王陛下から竜族の秩序を守る任を受けておられるのだ。自然界の秩序を狂わせず、人間社会を脅かさず、そういうルールを守らないドラゴンを裁くために現れる」

「てことは、俺たちが殺されそうになってたから助けに来たっていうよりは、人間を殺そうとしたから治安維持に来たってことなのか……」

 ややこしい話だが、自分たちを殺そうとしていたのが、すなわち人間社会への脅威となっていた、ということなのだろう。結果助けられたのだから、その理由はどうでも良いのだが。

 しかし、秩序を守るためにわざわざ飛来して同族を倒してしまうというのだから、人間にも負けないほどの社会を持っているのだろう。全てが新鮮な知識だった。

「俺も、驚いたよ……」

「ツァイネ」

「まあ、我らには想像もできんほどの世界ではあるがな。何せ竜王の末娘と言われた殿下ですら、ゆうに数百年は生きておられるのだから……」

 人間以上の寿命があっても驚きはしないが、数百年となると、さすがに驚きを禁じえない。

「まじかよ……」

「じゃあ、すごいおばあちゃん!」

「……殺されても知らぬぞ? 竜王族は長命なのだ。数百年生きようと、まだ若い娘なのだ。さあ、今一時見守ろうではないか、この街を守るために戦ってくれる姿を」

 これ以上話していると迂闊なことを言いかねない。話を観戦、そして応援へと向けた。




「魔法も剣も通用せぬとは、予想外だった。やむをえまい、全力を出すしかないようだな」

 それは、半ば敗北宣言のような意味を持っていた。全力を出さずに勝ってこそ魔族としての威厳を示すことができる。それが、実力を見誤り全力を出さざるをえない状態になった。

 もちろん、どう見積もろうとも勝利するためには全力を出すしかないのだが、これは屈辱以外の何物でもない。

「速度も力も、比較にならないものと思い知るがよい。といっても、理解はできぬだろうがな」

(笑わせてくれるな、比較にならない速度と力とは)

 鼻で笑うのは危険だが、それでも自意識の高そうな言葉は、やはりおかしい。言葉を理解できないと思われているのがなんとも皮肉っぽい。

 おそらく、野蛮な野生生物とでも思われているのだろう。だが、その方が精神的ダメージを与えられる。比較にならないと自負する相手の本気がどの程度の実力であれ、それを受け止めて叩き伏せる。

 エルリッヒの思いは明快だった。

『ならば、命を賭してかかってこい!』

 指揮官の挑戦を受け止めるように、激しい雄叫びをあげた。




〜つづく〜

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