チャプター56
〜ドナーガルテンの街 マルクト広場〜
己の限界を超え、力なく倒れるツァイネ。鎧を砕かれ無防備な上半身をさらけ出してなお、指揮官は静かな瞳を変えずにツァイネの姿を静かに見つめている。
「くそっ!」
ゲートムントは指揮官を睨みつけたまま駆け寄り、ゆっくりと抱き起こした。どういう思惑か、これだけの隙を見せているのに攻撃してくる気配はない。
抱き起こされたツァイネはゆっくりと意識を取り戻した。その表情は一見穏やかそうに見えたが、ゲートムントには隠しきれない悔しさが伝わってきた。
「ははは、ごめんね。鎧を破壊するところまではやったんだけど、しばらく……無理……」
悔しさと達成感がないまぜになった一言を残し、ツァイネは再び意識を失った。
「お疲れだぜ。後は俺と長老でなんとか凌ぐから、今は休んどけ」
優しく声をかけると、指揮官を見上げて睨みを利かせた。せめて、今はツァイネを安全なところに運ぶまでは攻撃させたくない。今手を出してこない以上、不意打ちのような真似はしてこないだろうが、なにしろ相手は敵なのだ、油断できないのもまた事実だった。
「動けぬ者を背中から撃ったりはせん、安心しろ」
「……後で後悔しても知らねーぞ?」
念を押してから、鎧越しにツァイネを背負って退却する。火事場の馬鹿力とはよく言ったもので、その重さは気にならなかった。一路長老のいる場所まで駆けるのだ。
戻ってきたゲートムントを長老は待ち焦がれていたかのように歓待する。
「おお、無事であったか!」
背中からツァイネを下ろし、そのまま横たえるとすっくと立ち上がり腰に手を当てて話し始める。ツァイネの活躍もあって、それなりに回復することができた。
「まあな。けど、疲れ切って気を失ってる。しばらくはこのまま休ませるしかなさそうだわ。長老、行けるか?」
「任せておけ。万全とは言い難いが、若者にだけ危険な目には遭わせられぬわ」
こちらも少し休めたおかげか若干ではあったが回復できていたようだった。吹き飛ばされた後ではあったものの、その場でじっとしているのは、あなどれない回復効果を持っていた。
こちらもゆっくりと立ち上がり、体の土埃を払った。すっかり上半身裸になってしまった指揮官の姿を見ると、無条件に自分が優位に立っているような錯覚に陥ってしまう。決してそんなことはないのに。
二人はもう一度武器を構え、ツァイネの抜けた穴を埋めるべく気合を入れた。気合だけでどれだけ補えるのかはわからないが、まずは動いてこそだ。
「少年、準備は良いか?」
「もちろんだぜ」
守備力が落ちた代わりに、相手は一層素早い攻撃を繰り出してくるはずだ。防御にしても同じである。当たれば今まで以上のダメージを期待できるが、その「攻撃を当てる」という行為が今まで以上に難しくなっていることも、意識しなければならなかった。
「さっきの借りは、ここで返す!」
力強く槍を握りしめると、まだまだダメージの残る己の身に言い聞かせ、長老とタイミングを見計らった。そして、
「行くぞ!」
「おう!」
二人は揃って大地を蹴った。そして、とても大きなダメージを負った後だとは思えないほどの身のこなしで指揮官に襲いかかる。ツァイネがいないことは大きいが、鎧を砕き防御力は落ちており、ダメージそのもの負っている。相手もまた、万全のままではないのだ。
「はぁっ!」
大振りな槍の旋風、
「どりゃあ!」
大地を穿つほどの重たい斬撃。それらが間髪入れずに襲いかかる。並みの相手であれば、あっという間に切り刻まれているであろうその攻撃を、指揮官は難なく防いでいた。
先ほどまでツァイネの想像絶する速度の攻撃を受けていたせいで、すっかり目が慣れてしまった。確かに攻撃は重たいため、当たれば大きなダメージを負うのは想像に難くなかったが、何分にも当たらなければどうということはない。攻撃が最大の防御であると言われるのと同じで、鉄壁の防御もまた、相手を疲労させ牙を削ぐための、最大の攻撃であった。
「くっ、全部防がれちまう!」
「さすがに素早い!」
結局のところ、今まで以上の速度で攻撃しなければ当たらないのだ。そこへ来てとても二人ではたどり着けない高みにいたツァイネの攻撃を受けていたため、ともすると止まって見えているのかもしれない。そうなれば、攻撃を当てることなど到底叶わない。
「どうやら、今の私の速度を超える攻撃は繰り出せぬようだな。実力者なのは認めるところだが、魔族も成長できる種族なのだ。先ほどあれほどの攻撃を見せられたのではな」
いよいよもって応戦を終わらせようと思ったか、左手でゲートムントの槍を受け止め、右手の剣で長老の大剣を受け止めると、そのまま再び吹き飛ばした。指揮官は消耗が少ないのか、二人とも強かに体を打ち付ける。
「っ!!」
「ぐおっ!」
そして、動けないでいるのを確認すると、右手に魔力を込め魔法の弾を作り出し、それを二人それぞれに向けて放った。青白いエネルギーが襲う。
「!!」
「!!」
声にならない叫びがこだまして、辺り一面がもうもうとした土煙に覆われた。魔法の攻撃というものは、こんなダメージを受けるのかと、新鮮な痛みを味わうことになってしまった。固いようで固くなく、熱いようでも凍りつくようでもあり、またそうではないようでもあり、実体のない、形容しがたいものだった。ただ、ダメージだけはしたたかに受けている。はっきりと、”痛い”という感覚だけは伝わってきた。
「そろそろ、終わりだな」
冷徹な指揮官の声が聞こえてくる。いよいよ、決着をつけるつもりらしかった。
「……これは、まずい。まずすぎる。このままじゃ……」
ずっと、身動きひとつせず戦いを見守っていたエルリッヒも、この様子にはさすがに危機感を覚えた。二人は大きなダメージを負い、今まさに指揮官は止めの一撃を放とうとしている。唯一対抗可能な速度で動けるツァイネも今は気絶していて動けない。これでは、負けるに任せるしかなくなってしまう。
つい、掴んでいる屋敷の壁に穴が開くほどの力がこもる。一刻を争う事態に、エルリッヒもまた、決断しなければならなかった。
「こうなったら、やるしかない!」
覚悟を決め、遥か彼方を見上げる。それは、この街で最も高い場所に存在する、長老の宮殿。
「ん……」
激しい騒音と振動に、ツァイネが目を覚ました。土煙で状況はよくわからなかったが、どうやら戦いは続いていたらしい。ゲートムントと長老は、果たしてどこまでやってくれていたのだろうか。まだやられていなければいいのだが。淡い期待を胸に周囲を見回す。
「ゲートムント! 長老!」
ゆっくりと晴れていく土煙の向こうに、二人はいた。幸いまだ意識はあるようだったが、今のままではとても戦える状態ではない。一体何があったというのだ。
「ほう、目覚めたか」
「これは……お前がやったのか!」
回答を待つまでもなく、これは指揮官の仕業である。純粋な戦いの果てに、勝敗が決しようとしている。それだけのシンプルな図式だった。
「お前のおかげで……今まで以上に素早い攻撃を見切ることができるようになった」
「そんな!」
思わぬ一言に、声を失ってしまう。力なく、その場に座り込むことしかできなかった。
「よし!」
エルリッヒは一路長老の宮殿へと駆けていた。街の人たちは皆避難しているのか、猫一匹すらいない。これは幸いだった。こうしている姿を誰にも見られずに済むのだ。
百年前のものではあったが、この街の避難マニュアルは覚えている。非常事態が起こった時、誰が誘導し、どこへ避難するのか、どこが無人になるのか。少なくとも、あれから世界は平和になった。マニュアルの裏をかいくぐって人のいない道を選んだのは、正解だったと言える。
「後はこれを登れば!」
見ただけでやる気の削がれそうな大階段。その前にたどり着くと一拍の呼吸をして、気合いを入れ直す。あと少しだ。指揮官が止めの一撃を放つのも、おそらくはあと少しだろう。どちらにしろ、時間はない。
一段飛ばし、二段飛ばしで駆け上がる。当然、息がきれるはずもない。
「おしまいだっ!」
最後まで登りきると、眺望を味わうこともなく中へと入っていく。普段なら資格を持たない者の立ち入りを禁じている街の最高機密エリアにあたる場所だが、今は誰もいない。
長老はもちろんのこと、大臣や中の職員、そして警備の兵士などは皆、軒並み避難しているはずだった。
念のため本当に無人かどうかを確認しながら、中央に足を進めていく。玉座の前までたどり着くと、柱の陰に隠れて衣服を全て脱ぎ捨てた。
「さて……」
そうして、再び玉座の前に立つと、吹き抜けになっている天井を見上げる。青々とした空と、真っ白く浮かぶ雲のコントラストが美しい。
「やりますか!」
意識を集中させる。特別なことを行うわけではない。ただ、本来の己に戻る、それだけのことだ。
エルリッヒが精神を研ぎ澄ます度、空は急速に雲行きを悪化させていた。次第に、雷鳴が聞こえ始める。
「みんな、待ってて!」
次の瞬間、激しい稲妻が轟いた。
〜つづく〜