チャプター51
〜ドナーガルテンの街 マルクト広場〜
「さあ来い!」
一矢報いる覚悟で立ち上がったゲートムントは、気合いを入れるために力強く声を上げた。相手がとても強いのは重々承知。だが、あんな目に見えない力にやられるというのは、あまりにも屈辱的だった。
どうせやられるのなら、まともな攻撃でやられたい。と、そこまで考えて、大きくかぶりを振った。”どうせやられるのなら”などという消極的な気持ちで、これほど強大な相手には勝てるはずがない。どれだけ敗色濃厚になっても、勝つ気で戦わなくては。
とはいえ、油断できる相手ではない。いやがうえにも緊張が走る。
(それに、まだ魔法の力を隠してるかもしれねぇしな)
そう考えると、尚一層の用心を要求されるような気がした。これでもし炎の玉を投げてきたり、雷を落としてきたりされたら、さすがにひとたまりもない。
「こんなことなら、ドラゴン相手の方がまだマシだぜ。全く……」
戦士としてこれほどの強敵と戦う機会には、まず恵まれない。それが不運なのか幸運なのかは全くわからなかったが、今はただ、少しでも時間を稼ぐのみだった。ツァイネが戻ってくるまで、なんとかしのぎ切らねばならないのだ。
そして、ツァイネが全力で戦うためにも、時間稼ぎだけで終わってはいけない。
「さっさと死んでいれば楽になれたものを。なまじ腕に覚えがあるが故の不幸だな。苦しみ抜いて死んで行くことになろうとは。先ほどは幸運にもかすり傷を負わせることができたが、二度目はないぞ?」
「言ってくれるね。でも、あいにくと俺たちは勝つつもりなんでね。あんなまぐれじゃこっちだって満足しねーっての」
やはり、恐ろしい。現代の人間では到底理解も実現も不可能な紫色オーラを立ち上らせながら歩み寄ってくる姿は、とてもではないが人間の敵う相手には見えない。こんな相手と戦っているなんて、全く酔狂なものだと自嘲気味にすらなってしまう。
「威勢だけでは話にならんぞ?」
「当然だ! 人間の意地っつーか、俺の意地、見せてやるよ!」
まるで馬鹿の一つ覚えみたいだが、今一度指揮官のたもとに突っ込んでいく。まずは攻撃範囲内に飛び込まなくては始まらない。
素早く距離を詰めると、薙刀でも振るうかのように振り下ろす。どう見えているのかはわからないが、当然のように指揮官はそれを回避する。余裕とでも言わんばかりに状態を軽く反らして。しかし、ゲートムントもここまでは想定の範囲内。踏み込んだ次の一歩に力を込めて、鋭く突きを放つ。その連撃を想定していたのか、それとも人間以上の動体視力で視たのか、指揮官も負けじとさらに上体を反らし、曲芸のような姿勢になったかと思うと、槍を思いきり蹴り上げた。
「なっ!」
天高く跳ねあげられる槍。遠くに吹き飛んでしまいそうなそれを手放すまいと、必死に掴むゲートムント。当然、隙だらけになってしまう。焦りと恐怖が爆発しそうになる。
「終わりだな」
「いや、終わりではないぞ!」
体勢を立て直した指揮官の剣が攻撃に入ろうかというそのタイミングで、今度は指揮官の体が視界の右に消えた。突然の出来事に一瞬理解が追いつかなかったが、この声は長老のものである。長老もまた、無事だったのだ。
「長老!」
「この街の防衛を他の者に任せきりにするわけにはいかぬよ!」
ダメージは受けているはずなのだが、気迫なのかダメージ自体が小さいのか、長老の様子からはまだまだ戦えるように見えた。
今の一撃は、どう考えても有利な場面だったが、それでも、”大きく吹き飛ばす不意打ち”はなかなかできることではない。それほどまでに、見事な渾身の一撃だった。
もうもうと上がる土煙に包まれて尚、指揮官の禍々しいオーラは少しも弱っていない。もしかしたら、指揮官もまたダメージは受けていないのかもしれない。もしそうだとしたら、そんな嫌な予感はよぎるものの、今は危機を脱し、体勢を立て直す時間が得られただけでもよかった。
ゆらり、と立ち上がる影が見える。戦闘はまだまだ継続だ。
「隙を突いての不意打ち、見事だぞ?」
「へっ、頑丈な奴だな!」
「戦い甲斐があると思うことにしようではないか。戦士冥利に尽きるぞ?」
とてもではないが、一般人から出る言葉ではない。長老のこの言葉は、ゲートムントの心にも深く突き刺さった。まさに、目から鱗が落ちる思いである。
そうなのだ、強敵との戦いからは得るものが大きい。自分自信が成長できると思えば、むしろ望むべきなのだ。まして、日常的に戦う機会のない魔族の、それも桁外れに強い相手となれば、これはもう奇跡に近い。
瞬時に脳裏を駆け巡ったこの考えに、つい口の端が緩んでしまった。
「さ、最高じゃねーか。こんなやつと戦えるなんて、恵まれすぎてるぜ!」
「笑いおった! お主、このような場面で笑うのか。昔を思い出すようだ。さあ、ツァイネ坊が戻るまで、しっかりと時間を稼ごうではないか」
再び武器を構え、次なる一撃に備える。まだまだ、戦いは始まったばかりだった。
「ツァイネ……宿屋に何を……」
ゲートムントと長老は大丈夫そうだ。気合も体力も、まだまだ残っているように見える。しかし、次にきになるのはツァイネのこと。宿屋に秘策を取りに行ったということだが、宿屋に何を持ち込んでいるのだろうか。
この数日で手に入れたものなら完全な付け焼き刃だ。そうそう通用するとも思えない。そして、王都から持ち込んだアイテムを用いるとしても、荷物にそんな物はあっただろうか。武器であれ秘密のアイテムであれ、把握している荷物には、見覚えのないアイテムはなかった。
「本当に、なんだろう……」
手っ取り早く考えられるのは、武器。しかし、今以上に強い武器を手に入れているとしたら、鍛冶屋での強化にはそちらの武器を用いるか、両方を強化するべきである。それをしないということは、やはりあの武器はツァイネが持ちうる物では最強なのである。しかも、秘密にする理由がない。となれば、強力な爆弾のようなアイテムの方が可能性は高い。小型、高性能、そういう特徴のある新型爆弾なら、確かにこう言う局面になるまで隠しておくのもわかる。しかし、これも考えにくかった。知りうる限り、ツァイネの人脈で最も爆弾作りが上手いのは、フォルクローレだ。そして、フォルクローレはそんな新アイテムを開発したのなら、一番に自慢しにくるだろう。ならば、爆弾の線も薄い。
「うぅむ……気になる……」
つい腕組みをして考えてしまう。今、ツァイネは宿屋に何を取りに行っているのだ。あのツァイネが本気で走っているのだから、すぐにでも戻ってくるだろうが、気になる時の待ち時間ほど長いものはない。実に焦れったかった。
「秘策とやらで、勝てるといいけど……」
指揮官の強さを考えれば、生半可な隠し種では勝てないだろう。ダメ元という気持ちがあるのか、明らかな勝算があるのか。その辺りもきになるところだった。
「なんでもいいけど……頑張って!」
応援だけではもどかしいのが本音だが、今はまだ、その時ではなかった。
「ふむ、さすがに無傷とは言わぬか。まあ、おかげでこちらも冷静になれたか」
土煙が消えると、指揮官は先ほど変わらぬ様子でそこに立っていた。口ではこう言っているが、手負いな上に冷静になった分を考えると、むしろ危険かもしれない。
「では、死んでもらおう」
呟きとともに、その姿が消えた。実際にはそう錯覚するほどの速度だったが、軽々と振るう剣の一撃は、速さも強さも一級品だ。防ぐのが精一杯だった。
「これが、本気の速度か!」
「ああ、侮れんな! だが、現にこうして持ちこたえておる! それは糧だ!」
戦いながらも、ゲートムントの横に並んだ長老は年長者としての訓示をくれる。こうしている方が、戦いの過酷さが和らぐ。
「そうっすね! 俺も、なんとか防げてるってことは、とりゃ!」
再び繰り出す鋭い突き。そしてその動きをフォローするように長老が屈み込んでの薙ぎ払いを放つ。これで綺麗な回避がっ難しくなり、バランスを崩してゲートムントの攻撃が当たるはずだった。
「甘いな」
「野郎! 飛びやがった!」
なまじ攻撃が速いだけに、相手の行動を見ている時間はない。全ては想定で動くしかなかった。だから、まさか瞬時に飛び上ろうとは、想定外だった。今思えば、地上に降りてから翼を折りたたんでいたのは、心理的に「飛ぶ」と言う可能性を消すためだったのではないか。
「忘れたのか? 我らは空から降りてきたのだ。飛ぶのは、当然であろう。幾度か幸運があったようだが、次はないぞ? これで終わりだ」
あっけにとられて動けないでいる二人の頭上を、指揮官の手から放たれた炎が舞った。この戦いで初めて見せる、魔法の力である。
「地獄の業火よ、焼き尽くせ!」
灼熱の業火が二人の体を包もうとしたその刹那ーー
「やらせないよ!」
「なんだと!」
どこからともなく飛んできた大量の水が、炎を消した。びしょ濡れになってしまったが、炎に巻かれるよりはいい。
「間に合ったか……」
「時間稼ぎの任は、果たしたようだな」
二人の目の前に現れたのは、ツァイネだった。咄嗟に水の力を持った宝石を埋め込み、二人を救ったのだった。
「待たせてごめんね」
「おせーよ、ったく……」
再び地上に着地した指揮官をよそに、二人は顔を見合わせ、安堵の表情を浮かべた。
「さあ、今度こそ、本当に形勢逆転といきたいもんだな!」
「ああ!」
〜つづく〜




