チャプター50
〜ドナーガルテンの街 マルクト広場〜
「貴様ら三人は、この集団では精鋭なのだろうと思ったが、こんなものか」
見事に吹き飛ばされた三人をそれぞれ見下ろすように冷たい視線を投げながら、呟く。
「かつて我々の侵攻からこの街を幾度となく救い、我が同胞を数多手にかけた竜人族の戦士は年老いた。あらゆる生き物の命を削ると謳われた竜殺しの力を秘めた槍は当たらず……」
近くで倒れるゲートムントと長老に呆れたような言葉を投げかけた次に、離れた場所でうずくまるツァイネに視線を移す。
「グライドを葬るだけの実力を持ち、その剣はスピード自慢のようだが、この手に傷一つ付けることが適わず、よくよく非力なものだ。この程度の実力しか持ち得ない相手に、我らは押されていたというのか。実に情けないものだな」
感情を見せぬまま、一人話し続けている。独り言というよりは、指揮官として、この戦いを総括しているのかもしれない。
「くそ……たった一人に三人がかりでこれかよ」
毒づきながらも、ゲートムントは槍を杖代わりに立ち上がる。幸い、鎧が衝撃を吸収してくれたおかげでダメージはさほどでもない。それよりは、まるで歯が立たなかったことの方が、よほど大きな精神的ダメージだった。
しかし、もし直接攻撃を食らってしまえば、大ダメージは免れないだろう。考えただけでも、冷や汗が出る。
「ほぅ、まだまだ元気なようだな。そうでなくては面白くない」
感心したような指揮官の言葉には見向きもせず、長老のところに歩み寄る。そして、手を差し伸べた。
「長老、大丈夫っすか?」
「何のこれしき。久方ぶりの戦だからな、全力が出るまで、少し時間がかかっているようだわい。悪いが、もう少し迷惑をかけるぞ?」
長老の言葉がハッタリか本当かは、ゲートムントにはわからない。だが、その真偽はどうでもよかった。体力も気合もまだまだ十分、それだけが重要だった。
「けど、このままじゃ危ないってのは、変わんねーよな」
「お主、何か策でもあるのか?」
その問いかけに答えることなく、ゲートムントは相棒に向かい、叫んだ。
「ツァイネー! 今のうちに宿に行ってこい! あれを取ってこいよ!」
「あ、あれを? でも、それじゃあ二人が!」
二人の間で交わされる言葉には、多くの感情が潜んでいた。少ない言葉の中に、信頼と心配がない交ぜになる。
「だから、体力の残ってるうちしか持ちこたえられねーだろ? それに、出し惜しみしてる場合じゃねぇぞ!」
「……わかった。できるだけ早く戻ってくるよ。だから、頑張って!」
決意を見せるツァイネは二人を置いて、宿のある方角へと駆け出した。事情を知らない長老も、ゲートムントたちの意図することはなんとなく伝わったのか、何も言わなかった。
「あの二人何を……」
様子を見ているエルリッヒにも、二人の様子は気になった。そして、当然のように長老と同じ結論に達する。
”何やら秘策のための道具を取りに行った”のに違いない、と。
「一体、どんな隠し玉を持ってるんだろ……それで勝てればいいんだけど……」
今見せつけられた圧倒的な力の差に、嫌な予感が脳裏をかすめた。秘策一つで何とかなるほど、甘い相手なのか。そう思うと、言い知れぬ不安が胸中を覆う。
「もしかしたら……」
つぶやきながら向きを変え、はるか後方高くそびえる長老の屋敷を見やった。
「何を企んでいるのかは知らんが、二人がかりとは、舐められたものだな。先ほどは三人がかりでもまるで歯が立たなかったというのに。仲間が戻ってくる前に死なぬよう、せいぜい気をつけることだ」
「んなこたぁ、百も承知なんだよ。それでも、今は持ちこたえなきゃなんねーんだ。あいつが戻ってくるまではな」
「と、いうことだ。若者に命運を託すと賭けた以上、どこまでも乗っかるのみ。むしろ、油断しているのは貴様の方ではないのか?」
ニヤリと笑った長老の瞳が、一瞬赤く光った。そして、次の瞬間……
「何っ!」
指揮官の目の前まで詰め寄っていた。
「まだまだ、あの頃には程遠いがな」
落ち着いた様子のまま、しかし圧倒的な速度で手にした大剣を振り抜く。これにはさすがの指揮官も、防御が精一杯だった。
先ほどはもっと鈍い動きで、やすやすと受け止めることができたのに、この一瞬でこれほどまでに動きを磨いたというのか。昔の勘を取り戻しつつあると言っても、この速度は想定外だ。
「これが、竜人族最強と恐れられた男の力なのか……!」
「そう買い被られても困るな。ただ、人より大きな体を持ち、人を扇動するのがうまかっただけだ!」
力任せに振り下ろされたその攻撃は、指揮官を後ずさりさせるほどの勢いを持っていた。吹き飛ばすほどではなかったが、それでも先ほどとは明らかに違っている。
ゲートムントには、体が大きく身体能力が高いだけにも見えていたが、その実竜人族の戦士は戦闘のプロフェッショナルでもある。普段ゲートムントたちの暮らしている国よりも凶悪な魔物や獣が出現し、騎士団のような組織もないこの国では、嫌でも屈強な戦士が育つ。そんな環境が、種族固有の身体能力と相まって、生まれながらの適性を伸ばしていた。
「な、何が長老だよ。全然老ぼれてねぇ、まるっきり現役じゃねぇか!」
これだけの動きを見せられて、奮い立たないわけがない。まるきり、どちらが発奮させているのかわからないような状態になっていた。
しかし、どこからともなく力があ湧き上がってくる。都合のいい話だが、それが感情というものなのだと実感する。
「よーし、負けてられねぇ! 俺も加勢するぜ!」
こちらも元気なゲートムントが駈け出す。長老のように鈍っていた体が活性化するようなことはないが、それでも気合十分の今、普段以上の力が出せそうな気がしていた。
「えぇい、小賢しい!」
先ほどのように、圧倒的な力の差で跳ね除けようとするが、パワーもスピードも増している長老の攻撃は防御に徹するのがせいぜいで、攻撃を挟む隙がない。そして、それに比べればはるかにゆっくりと攻めてくるゲートムントではあったが、何しろ得物の性質がまるで違う。今の状況では、それを簡単に防ぐのはそうたやすいことではなかった。
「行くぜぇ!」
攻め続けている長老の邪魔にならないよう、その左側から踏み込んだゲートムントは、指揮官の目の前で大きく腰を落とし、一瞬視界からその姿を消した。そして、体を起こす勢いを味方に、いつも以上の素早さで槍を振るった。
「くっ!」
大きく振り上げられた槍は、その漆黒のフォルムも相まって指揮官の目測を狂わせた。その頬に、大きく傷をつけることに成功したのだ。
「よもやこのような相手に我が血を見ようとは、思わなかったぞ!」
頬を流れる一筋の血に、瞬時に怒りがこみ上げてくる。
「貴様ら、死期を早めたいらしいな! 今までのような手ぬるい戦い方はせんぞ!」
攻撃を受ける手がふっと緩んだかと思うと、大きく叫び、辺り一面を吹き飛ばすほどの衝撃波を放った。ただ、叫びとともに気合を入れただけで、二人は再び大きく吹き飛ばされてしまった。
「い、一体何が……」
優勢だったのはほんの一瞬だけで、まさかこんなにあっさりと形勢が戻るとは、思いもよらなかった。途端に、無力感が支配する。これほどのテンションの起伏も、なかなかないことだった。
「さあ、まずはそこの槍使い、貴様から葬ってやろう」
近づくだけでビリビリと肌が震えるようなオーラを放ちながら、一歩、また一歩とこちらに向かってくる。果たして、どうやってトドメを刺そうというのか。あの手にした剣で一月にするのか。それとも、圧倒的な力で頭を握りつぶすのか。そんな超証めいたことを考えていたら、不意に開き直る気持ちが湧き上がってきた。こんな異国の地で命を落とすわけにはいかない。だが、どうせ死んでしまうのなら、せめて、少しでも抗わねば。
思考を支配していた無力感はじわじわとその勢いを失い、代わりに最後の一矢をどう報いるか、という思いが脳裏を占有し出す。
「まだ、負けてらんねーよな」
二度にわたって大きく吹き飛ばされてしまったが、言い換えればまだ「吹き飛ばされた」だけで、直接の攻撃は一度も受けていない。勝機を失ったわけでも、敗北が決定したわけでもない。
少しだけ楽観的に今の状況を分析すると、ダメージの回復を待つかのようにゆっくりと立ち上がり、今一度、その手の槍を強く握りしめた。
〜つづく〜




