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チャプター43

〜ドナーガルテンの街 マルクト広場〜



(やった!)

 家屋の陰に隠れながら、遠巻きにツァイネの戦いを見ていたエルリッヒは、小さくとも手傷を負わせたことに、心の中でガッツポーズを取っていた。

 あれだけ頑強そうな魔族相手に互角に渡り合っている姿を見ると、ついつい興奮を覚える。しかし、ツァイネがまだまだ本領発揮をしていないように、グライドと名乗ったあの魔族もまた、本気を出していないように見えた。人間よりも攻撃手段に飛んでいる分、隠し種が恐ろしい。何しろ彼らは魔法の力を自由に行使することができる。一体、どんな攻撃を仕掛けてくるのか。

「ツァイネ……油断しちゃダメだよ」

 家屋の外壁を掴む手は自然と力がこもり、いつしか漆喰を穿っていた。




「人間の知恵、どうだった?」

 ツァイネは至極冷静だった。相手が身体能力の全てにおいて勝り、なおかつ得体の知れない力をも隠し持っているとなれば、小さく戦っていくのが得策だ。小さいダメージを積み重ねていくことで、ダメージを与えるだけでなく、相手のプライドを崩すことができる。人間にダメージを負わされているという屈辱が、次第に攻撃のミスを誘い、大きな隙を生む、そういう作戦だった。

「小賢しい真似をしやがって。だが、調子に乗っていられるのは、今の内だ。俺様が人間風情とは決定的に違うというとを、思い知らせてやる。ハァァァァァ!!!」

 大きな声とともに、気合いを込める。すると、なんだか周囲の空気が温かくなっていった。いや、これは暑いといった方がいいのかもしれない。とにかく、まるで焚き火の近くにいるかのような熱さになっていた。

「なんだ、これ……」

 グライドの周囲が、歪んで見える。これはまさしく、火のそばにいる時と同じだ。空気が熱せられて、歪んでいる。一見すると先ほどと何かが変わったようには見えないが、明らかに何かが違う。

 もともと油断していたわけではないが、ますます危険だと、身が引き締まる。

「これは、貴様ら人間風情には想像もできん力だ。炎、いや、熱。そうだ、炎熱魔法とでも呼ぼうか。全身に高温の力を纏わせたのよ。かつて貴様ら人間は、我らが魔王様の溢れ出る力を受け、魔法を使うことができた。だが、我ら魔族は違う。魔王様亡き後も、そして完全に力を取り戻していないときでも、同じように魔力を使うことができる。これは、その一端というわけだ。さあ、どうする? 触れたら最後、一瞬で身を焼かれてしまうぞ? その、剣に宿ったチンケな魔力など、比較にならんのだからなぁ!」

「他の人に目が向いてないのは助かるけど、さて、これはどうしたもんかな……」

 とりあえずとばかりに、剣に装着していた宝石を外す。強化のおかげか、まだその輝きは残っており、再使用できそうだった。鍛冶屋の仕事に感謝しながらそれを道具袋にしまうと、作戦を立て直すべく、武器を構えて対峙した。

「熱に効くのは氷の力だけど、向こうのほうが強かったら一巻の終わりだし、かといって他に有効な力があるとも思えないし、真正面から挑んだところで、果たしてどれだけ有効やら」

「どうした、攻めて来んのか? なら、せめてもの情けだ、じっくり作戦を考えさせてやろう。すでに万策尽きていることに気づいたら、かかってくるんだな!」

 なんという余裕だろうか。これが魔族たる者の優越だろうか。一気に畳み掛ければ簡単に勝てるかもしれないのに、ツァイネを倒してしまえば、全体の士気を下げることもできるかもしれないのに、そうはしないで、むしろチャンスを与えている。どうあがいても自分の勝利は揺るがないと確信しているからこそだろうが、これにはさすがのツァイネもカチンときた。

 普段、戦闘はじっくり楽しむ方だが、これにはさすがに一気に倒してしまいたくなった。武器を構えたまま、一歩、また一歩と近づいていく。

「どうした。作戦を考えるのはもう終わりか?」

「まあね。何としてでも、その自信を砕きたくなくなったよ」

 特に自信があるわけでもないというのに、不敵な笑みを浮かべるツァイネ。その様子はグライドにとってカンに触るどころか、むしろ相手にとって不足なしと映った。だからか、こちらも楽しそうな笑みを浮かべていた。

「では、どこからでもかかってこい」

「……そうさせてもらうよ。たぁっ!」

 額から流れる一筋の汗を拭うと、一気に距離を詰め、斬りかかった。

「なっ!」

 その速度に、グライドは目を丸くした。速さに自信があるのは先ほどの攻撃で知ったし、本人も語っていた。しかし、これは予想以上だ。今まで戦ってきた人間の戦士がおよそ発揮しうるはずのない速度で駆けてきた。

 これには、さしもの魔族といえど受けることしかできず、不利な体勢になってしまった。

「速いっ!」

 だが、驚いたのはそこまでだった。グライドの顔には、すぐに先ほどまでの余裕が戻ってきた。攻撃がいかに素早かろうと、受けることができた。そして、こちらには全身に宿る熱の鎧がある。直接灼くことはできなくとも、すぐさま間合いを取らざるをえないはずだ。それに、今までの経験からスピードに自信のある戦士は、往々にして攻撃が軽かった。おそらく、それは同じだろう、そうも踏んでいた。

「さあ、どうする? 踏み込むか? 斬りこむか? いいや、熱さで耐えられないんじゃないのか?」

「さっきから、言葉遣いが変わったみたいだね。魔力を解放すると、知性が上がるのかな。面白いね」

 ツァイネは間合いを取るどころか、尚も推してくる。いかにも攻撃の軽そうなツァイネが、自分よりはるかに巨漢のグライドに対し、優位な体勢を保っていた。スピードで驚いたばかりだというのに、力と熱体勢という二つの驚きが襲ってくるとは、まさに青天の霹靂だった。

「そ、そんなことは知らん! 貴様、攻撃は軽いんじゃないのか! なぜ熱さに耐えられる!」

「この力はね、ただの修行のたまものだよ。血の滲むような努力をしただけだからね。熱さに耐えている秘密は、教えるもんか! 教えたら、俺の優位が脅かされちゃうじゃないか。さあ、小競り合いはもう終わりだよ! 温存しておくつもりだったけど、遠慮してられる相手じゃなさそうだから、そろそろ決めさせてもらうよ!!」

 ようやくとばかりに、ツァイネは飛び退る。予想をはるかに超えた力から解放され、グライドは思いがけずホッとしていた。まさか、自分がこんなに小さな人間にしてやられるとは、思いもよらなかった。

「……こんなに涼しく感じるなんて」

 一方のツァイネは、グライドが息を整えているのと同じに息を整えていた。「秘策」で熱を緩和させているとはいえ、やはり熱かった。刃先を軽く触ってみても、まるで今鍛造されたかのような熱さを持っており、赤く染まっていないことや、変形していないことが嘘のようだった。尤も、普段炎の力を纏わせたり、直後に氷の力を纏わせたりしていることからもわかるように、これは鋼ではない。鍛冶屋が行ったのがあくまで「強化」であり、「製造」そのものは王都に存在する工房での秘密の工法で作られている。そして、それはツァイネにも一切知らされていない。騎士団の中枢で働く者にも、明かされていないことは多かった。

「さて、幾分気も晴れたし、それじゃあやるかな!」

 まるでこれから遊びにでも出かけるような明るい表情で、再び武器を構える。今度は、剣に何かしらの宝石がはまっている。一挙手一投足を観察し、宝石が魔力を供給していると見抜いていたグライドは、内心の焦りを禁じえなかった。

(まさか、あんな攻撃をしやがるなんてな。しかも、あの宝石、何の属性の魔力だ……)

 せめて、属性だけでもわかれば対策も取りようがあるが、これではそうもいかない。わかることといえば、目に見えて刀身に何かの力を纏うものではなさそうだということだ。あとは、先ほど以上の速度を出さないよう、神、いやさ魔王か邪神にでも祈るばかりだった。

「行くよ。これが、俺の必殺奥義!」

 ツァイネは腰を屈め、力を込めた。



 何かの力が高まっていく気配に、グライドは防御姿勢を取ることしかできなかった。




〜つづく〜

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