チャプター42
〜ドナーガルテンの街 マルクト広場〜
上空から新たに降り立った魔族は、先ほどの相手とは格が違うらしく、早速挑んだ数人が返り討ちに遭っていた。中には、複数人で戦っているケースも見られるなど、その強さは一線を画している。
これには、それまでの雑魚魔族を相手にしていた面々も怖気付き始めていた。今までの勢いが、崩れ始めていた。
「おい、やばいぞ」
「ああ。押され始めてないか?」
そんな会話が聞こえてくる。集団戦闘で大切なのは、勢いだ。勢いのある方が勝つというのが、定石だった。それが、たった数匹の魔族のせいで、一気に覆されようとしていた。かつての長老がそうであったように、少人数の精鋭が活躍するだけで、戦況はいくらでも動いた。たった一人が獅子奮迅の戦いを見せれば、それに勇気付けられた多くの戦士が、実力以上の力を発揮するのである。
魔族とて心を持つ生命、それは同じということなのだろう。
「まずいな。このままじゃ負けちまうぞ」
「そうだね。さっきまで優勢だったのに、同じ相手に互角の戦いをし始めてるし、よくない傾向だね。何しろ、あっちは数で勝ってる分、勢いがついたら一巻の終わりだ。俺たちがいいところを見せて、勢いを作れないかな」
これは、件の精鋭達を相手にするということである。半ば予想できていたツァイネの言葉に、ゲートムントは待っていたとばかりに表情を輝かせた。
「そうこなくっちゃな。人間だって強いってところを竜人族の連中に見せつけてやりてーし、おっちゃんの傑作、雑魚だけに振るうんじゃもったいねーしな!」
「そういうこと! それじゃ、行こうか! 俺はあっちの赤いのと戦うから、ゲートムントは向こうの青いのをお願い。くれぐれも無理だけはしないで。あの時の灰色のガーゴイルよりも数段強そうだからね」
注意を促しながらもツァイネの表情もゲートムントと同じく、とても明るい。これから強敵と戦い、命のやり取りをしに行く戦士のそれとはとても思えないほどに。軽い足取りで赤い体の魔族に駆け寄って行く。相手は、体躯が大きい上に頑丈そうな鎧と厳しい角という取り合わせで、ただ立っているだけでも威圧感があるというのに、その体に見合った大きな剣を振るい、戦士たちを次々となぎ倒していた。これでは、数の上でも士気の上でも部が悪い。
「ハッ! あれから百年、人間どももちったぁ強くなってるかと思えばこの程度か! もろいもんだなぁ!」
聞いていると腹立たしくなるようなことを言いながらの攻撃は、確実に周囲の戦意を奪っていた。
「とりあえず、一人くらいぶっ殺してやるか。こっちも景気付けだ! そらよ、喰らいな!」
腰が抜けたのか、魔族の足元で尻餅をついている戦士がいる。すっかり怯えきっていて、手にした剣もカタカタと震えさせるばかりで意味がない。ただただ恐怖の眼差しで魔族がこちらを攻撃する様を見ているだけだった。
こんなところで、自分の見ている目の前で犠牲者を出すわけにはいかない。ツァイネの足が一段速まった。
「オラァ! な、なにっ!」
勢い良く振り下ろされた剣は、戦士を切り刻むどころか、鋭い金属音にその進行を阻まれていた。思いもよらない事態に、その表情には驚きの色が浮かんでいた。
「貴様、何モンだ?」
攻撃を防いだのは華奢な少年。装備こそ立派だが、今自分が殺そうとしていた戦士よりも弱そうに見える。それが、いつの間にか視界の外から近寄り、人間にはとても止められないはずの一撃を食い止めていた。
ありえない。ありえないことが、今まさに眼の前で起こっていた。
「俺は、ただの戦士だよ。そこの彼と同じにね。さあ、今度は俺が相手だ」
「けっ、死に急いでもいいことなんざないぜ? それに、一人でやろうってか。いい格好したいのは理解できるがな、そこらにいる連中で束になった方が、わずかばかり死期が遠のくんじゃないかと思うぜ? いいのか?」
言葉遣いは汚いが、それだけに饒舌だった。いや、おしゃべりと言った方がいいのかもしれない。こういう、無遠慮に話すタイプの相手は、あまり好きではなかった。どことなく、ゲートムントを思い出させる。
「周りの仲間を巻き込んで、余計な怪我人を出したくないからね。そっちこそ、俺と戦うんだから、余計なプライドは捨てることだよ。魔族だからって無条件に人間より強いなんて思い込みは、死を招く」
「言わせておけば、面白え。俺様はグライド。貴様の名前は?」
ツァイネとの間合いを確保すべく飛び退ると、意外なことに魔族は自らの名乗りを上げた。どうやら、ツァイネのことを気に入ったらしい。話せばわかる、とはとても思えないが、一切話が通じないというほどではないらしかった。
「……ツァイネ。さっきも言ったように、俺はただの人間の戦士だ。勇者でもなんでもない、気負う必要のない相手だ」
一瞬にして、視線が凍りつく。今まで誰にも見せたことがないような、冷たい瞳をしていた。これが、親衛隊として国王を守るために手に入れた、いやさ捨て去ることのできた感情のコントロールである。
これには、グライドと名乗った魔族も、一瞬たじろいでしまった。人間のくせに、なんて目をしやがるのかと。
「さあて、こけ脅しはこれくらいにして、さっさと始めようぜ」
「そうだね。早くお前を倒して、みんなを勇気づけなきゃいけないからね」
ゆらり、と剣を構えると、次の瞬間、その体はすでにグライドの目の前にあった。
「なんだとっ!」
「そうそう、俺の専門は、このスピードだから」
事も無げにそう言い放つと、そのままの勢いで剣を振り上げた。あわよくばこのまま一刀両断、そう思った矢先、今度はツァイネが驚きの表情を浮かべることになった。
「そんな!」
「ガハハハ、どうやら、ご自慢のスピードじゃこの俺様の鎧は斬り裂けなかったようだな。あいにくと特注品でな、人間風情がこの鎧を超えようなんざ、どだい無理な話なんだよ!」
グライドの攻撃を受けないよう、今一度距離を取ると、目を細め、状況の分析をした。
(確かに、刃は通っていた。斬った時の傷も残ってる。でも、これじゃあ浅すぎるのか。いくら斬れ味が増したと言っても、俺自身の攻撃が軽いからな。浅く入った分鎧の厚みに阻まれるのも仕方ないか。できれば、温存しておきたかったんだけど……)
おもむろに道具袋を弄り、黄金色に透き通る宝石を取り出した。
「なんだそりゃあ。まさかこの俺様をそんなチンケな宝石でなだめようってんじゃねーだろーな。だったらそいつぁできない相談だ。誇り高い魔族が、人間ごときの申し出を受けるはずがないだろう。無駄だったな」
「そうじゃない。これは、魔法石だ。これを、こうすると!」
いつものように、宝石を窪みに嵌め込む。すると、刃全体に鋭い雷がほとばしった。その効果には、ツァイネ自身も驚きを禁じえない。
「まさか、ここまですごいとは……」
「な、なんだそいつは! 雷の剣か! だが、仮にも魔族の俺様に魔法が易々と通じると思うな!」
大きな足音を立てて駆け出したグライドに対し、ツァイネも駆け出して応戦する。相手は魔族だ。力が強いということ以外にも、気をつけなければならないことがあった。
それこそが、魔法である。彼らは、生まれながらにして魔法を扱うことができるはずだった。いつでも警戒していて損はない。
「ドラァ!!!」
これまた威勢のいい掛け声とともに振り下ろされる剣。ツァイネはそれを全力で受け止めた。先ほどはグライド側の油断もあったが、今度は向こうも全力だ、さすがに生半可な腕力ではない。
「くっ! さすがに、重い!」
「当然だ! 人間ごときがこの俺様の剣をいつまで受けていられるか……な……なにっ! これは!」
駆け出した瞬間からずっと威勢の良かった表情が、次第に曇り始めた。ようやく、ツァイネの狙いが功を奏し始めていた。
「見ての通り、これは雷の力。いくらなんでも、剣同士が触れ合ってれば、その力は伝わるからね! 魔族が魔法の力に強いなんてことは、とっくに想定済みさ! それでも、雷は自然の力でもあるからね、自然の力なら、防ぎきれないと踏んだのさ! たぁっ!」
一瞬の隙をついて、受けていた剣をなぎ払い、今一度鎧めがけて斬りつける。先ほどと同じように、攻撃は相手の体まではとても届かないが、切っ先から伝わる雷撃は、その限りではなかった。
「おのれぇ!!」
「まずは、先制の一撃を入れさせてもらったよ。人間風情がね」
〜つづく〜




