チャプター39
〜ドナーガルテンの街 マルクト広場〜
立ち上る煙を追ってマルクト広場へとやってきた。ここは多くの商店が並ぶ場所で、何かがあればそれだけ被害が大きくなる。近づくにつれて匂ってくる木が燃える匂いは、どこかが火事になっている証拠だった。
「ちょっ!」
「これはいかんな……」
二人の目に飛び込んできたのは、赤々と燃え上がる露店だった。家屋敷が燃えるよりはましだが、店主からしてみれば、家屋が燃えるのと何も変わらない。そして、そのような事情がわかるからこそ、周囲の人々は不安と驚きで立ちすくんでいた。
そんな状況を打破すべく、エルリッヒと長老は、周囲の市民を誘導し始めた。
「皆の者! ここは危険じゃ! 早く遠くへ避難するのじゃ!」
長老の声は、戸惑いと恐怖に怯える市民に勇気を与えた。長老が来たのなら大丈夫だ。その大きな体躯とよく通る声は、希望の象徴として街を支え、民衆の顔に浮かぶ安堵は、その力を失っていない何よりの証拠だった。
「長老、確か、そこの通りの奥に防火用の井戸があったはずだよね。とにかく、火を消さないと。ギルドの人たち! 井戸から水を汲んできて!」
駆け出した時は二人だったが、その姿はとても目立つ。いつしかギルドの戦士たちが一人また一人と集っていた。
当然、彼らをただ野次馬にさせておくつもりはない。そしてこの非常時、誰もエルリッヒからの指示に疑問を抱くことなく従っていた。言い知れぬ迫力を感じ取った、ということもあるのだろう。歴戦の戦士は、語らずとも剣を交えずとも、相手を感じ取ることができる。
「エルリッヒ様、市民の誘導は終わりましたが、エルリッヒ様も避難を。何者かの攻撃かもしれませぬゆえ」
「ううん、長老、そうじゃないよ。長老はここでみんなの陣頭指揮をお願い。何しろ、いるだけで士気が上がるんだからね。私が攻撃か事故か、調べてくるよ。なんか、嫌な気配もしてるしね」
燃え盛る露店を見ると、特に火が出そうなものは見当たらない。これは、やはり火事ではない。そうなると、放火かあるいは、なお凶悪な何者かによる攻撃か。
「放火なら、絶対不審者がいるはず。でも、この街にそんな人がいるとも思えないし……」
辺りを見回しても、不自然な人物は見当たらない。放火はもちろんのこと、街に危険人物が入り込んだということでもなさそうだ。
それにしても、炎となるとありきたりな獣による攻撃ではない。炎を吐く獣など、ドラゴン以外はこの百年見てはいないのだから、考えられるのはそれよりもはるかに危険な存在、魔物だ。何しろドラゴンであれば、その気配ですぐにわかる。今は、ドラゴン特有の気配を感じ取ることはできない。
「まさかね」
かぶりを振って考えを否定しようとしたが、可能性が他に思いつかない。魔物であれば、ほのを吐くことが可能であり、もっと高位の魔族、悪魔といった名前で呼ばれる存在であれば、炎の魔法を扱うことも可能なはずだ。かつてもこの街は屈強な戦士が多かったために狙われることは何度もあった。もし、魔王が本当に復活しているとしたら、再びこの街を狙う可能性は十分に考えられるし、炎を扱うなど造作もない存在が選ばれても不思議はない。
「もし、魔族が襲ってくるとしたら……」
考えられるのは、上空か。人間をはるかに超える視力を発揮し、上空を見上げた。青々と晴れ渡る空には、一見雲しか浮かんでいないように見える。しかし、そこに漂う違和感に気づかないほど、野生の勘は鈍ってはいなかった。
「あれ……なんだろう」
足元に転がる石ころを拾い、違和感のある場所へ向かい投げつけた。そこに遠慮はない。投げるモーション自体は普通だが、込められた力は人間のそれではない。もはや弓矢のごとき鋭さを持っていた。
「当たった!」
対象は上空高くにあるため、当たっても音は聞こえなかったが、青々とした景色が一変していった。何者かが、落ちてきたのだ。
「あれは……魔族!」
その姿は、あのガーゴイルのようでいて、少し違っていた。人間の大人くらいの身長で、衣服を身につけている。嫌な予感はどうやら当たったようだ。ガーゴイルよりも高位の存在が、この街を襲ってきた。しかも、相当数いるらしく、集団の中でのリーダー格というわけではないらしい。こんな相手がなぜ急に。いや、それは今考えても始まらない。襲ってくるというのなら、戦わなければ。
「エルちゃん!」
「これは一体」
背後からゲートムントたちに声をかけられた。どうやら、二人もこの煙に気付いたのだろう。危険を察知したからか鍛冶屋から来たからか、二人は完全武装だった。
「二人とも! 装備の受け取りは終わったの?」
「まあな。それより、これは一体どうなってんだ」
「見たところ、火事みたいだけど、エルちゃんいま、空を見てたよね」
さすがにツァイネはよく見ている。エルリッヒの様子から、これが火事ではないと察したのだろう。ゲートムントの正義感は心強く、ツァイネの洞察力は頼もしい。
「たぶん魔法で見えなくなってると思うんだけど、空の上でに、魔物がいる。それも、あの時倒したガーゴイルよりも高位のやつもいっぱいいるっぽい。それがね、この街を襲ってきたってことみたい。準備はしないとだよ」
「それ、冗談じゃないよね。だったら、すぐにでもなんとかしないと!」
「まあ待てツァイネ。相手は上空だろ? んなもん、俺の槍でもどうしようもねえよ。攻めてくる気があるなら、放っておいても地上に降りてくるだろ」
言い得て妙だ。こんな高いところに入られては、攻撃も何もあったものではない。一方で、向こうは上空から攻撃できるのだろうが、この範囲しか攻撃してこないということは、基本的にはあまり大規模な攻撃はできないのだろう。
考えられる理由は幾つかあるが、魔王の復活が完全ではない、遠距離攻撃の得意な種族が少ない、といったところが妥当な範囲か。
考えをまとめ終えたエルリッヒは、二人の前に向き直った。
「これはあくまで私の予想だけど、雑魚魔族……って言ってもそれなりの力はあるだろうけど、そいつらが大挙して襲ってくるはず。だから、みんなと協力して戦わなきゃいけないんだけど、大丈夫かな」
「みんなって、ギルドの連中ってことだよな」
「だったら大丈夫だよ。俺たちより格上の戦士もいるし、この数日出入りしてたから顔見知りも何人かいるしね」
「そういうことなら、私の出番ですかな」
聞き覚えのある声。三人が振り向いた先にいたのは長老だ。巨大な太刀を手にしたその姿は全盛期そのままで、なんとも頼もしい。
「長老!」
「今の話、聞かせてもらいましたぞ。それならば、陣頭指揮はお任せくだされ。やはり、玉座で成り行きを見守るなど、性に合いませぬわ。異国からの客人も、共に戦ってくださるということ、感謝しますぞ」
「いえ、そんなこと。俺たちはただ」
「悪いやつと戦うのが性に合ってるってだけだから、そんな大したことじゃねーって」
若い二人の気概に目を細める間もなく、長老は号令をかけた。
「ここにいるギルドの勇者よ! これより凶悪な魔物が襲ってくる! この火災はその鏑矢じゃ! 皆一丸となってこの街を守ろうではないか! 消火に当たっている者以外はここに集うが良い!」
長老自ら陣頭指揮に当たって厄災に立ち向かうなど、魔王時代が最後である。伝説に聞いていたそのカリスマ性に、ギルドの登録戦士たちは一斉に声をあげ、長老の元へと集った。街を守るためという目的はもちろんあるが、皆長老の持つカリスマ性にすっかり酔っていた。
「良いか。これから襲ってくるのは人間ではない。獣でもない。竜人族の幾人かは相対したことがあるかもしれぬが、凶悪な魔物だ。心してかかるように」
かつての戦いを思い出し、血がたぎるとともに、経験してきた悲劇もよぎる。今度は一人の死者も出すまいと心に誓った。
しかし、その内心の決意をかき消すような声が、上空から響き渡った。
「雑魚風情が心してかかったところで、そこに勝利などはないぞ?」
声のするその上空には、人間に似た姿の魔族と思しき男と、その周囲に浮かんでいる、無数の魔物の姿があった。
〜つづく〜




