チャプター21
〜ドナー山 山道〜
気配の主は、徐々に近づいてくる。緊張と共に武器を構えた四人が待っていると、次第に姿が見えてきた。
八匹いるその相手は、どうやら宙に浮かんでいるようだったが、人間の子供ほどの背丈に、丸い頭と凶悪そうにつり上がった瞳、そして紫色をした体躯はやせ細っていて、背中に生えた翼と、ギラリと輝く鋭い爪が目につく。どこからどう見ても、伝承の中のガーゴイルそのものだった。
「ちょっと〜、これどうする? 果てしなくめんどくさいんだけど〜」
伝承の中の存在と遭遇したのに、エルリッヒの感動は薄い。それは相手が敵であるということと、魔王が台頭する以前から人間界で暮らしてきているということから来ているのだが、それにしても淡白な反応だった。
「エルちゃん、驚かないの? こんなの、俺たち初めて見たんだけど」
「だよなあ。ヤバそうなのはわかるけど、俺も実はちょっとテンション上がってんだ。昔聞かされた話のまんまで」
「二人とも、のんきだね。普通、もっと焦らない? それにしても、おやっさんは灰色の体をしてるって言ってたんだけどな。亜種かな」
マクシミリアンの反応が一番まともだった。伝承の中の存在に会えたことへの感慨はもちろんあるだろうが、何よりもまず大切なのは、危険な相手と対峙していることへの用心であるべきだ。二人は歴戦の戦士なのに、それがおろそかになっている。
よほど腕に自信があるのか、はたまた本当にのんきなのか、マクシミリアンは測りかねていた。
「マクシミリアンさん、あくまで一般論だけど、亜種って普通は、原種に比べて強いよね。この場合、鍛冶屋さんが見たっていう灰色のと、目の前の紫色のと、どっちが原種で、どっちが亜種かな」
「うーん、どうだろうね。僕もそこまでは。でも、原種のほうが弱いっていう原則どおりなら、戦ってみればわかるんじゃないかな。もちろん、原種に手こずるほどの実力だったら、僕らの完敗だけどね」
手厳しいマクシミリアンの言葉に嘘はない。もし、目の前のガーゴイルに手こずるようでは、もっと手強い敵が現れるかもしれない中腹や山頂付近での採掘活動など、とてもではないができるはずもない。そういう意味では、この戦いはとても良い試金石とも言えた。
「それじゃ、まずはどうする? 出方を伺うか、先手を切るか」
「出方を疑うのは、ゲートムントらしくないやり方だね。もし、何もかもが伝承通りなら、対策も立てやすいんじゃないかな。それじゃ、一番槍は譲るから、まずはゲートムントが頑張ってよね」
文字通りの一番槍を任されたゲートムント。早速一歩前に出て、どのガーゴイルと戦うかを選び始めた。
パタパタと翼をはためかせて浮かんでいるガーゴイルたちは、少なくともゲートムントの目には誰が誰だか見分けがつかない程度にはそっくりだった。これでは、一匹に的を絞ると言うのもなかなか難しい。考え付く作戦は、ただ一つだった。
「そんじゃ、目印代わりに消えない傷でも付けてやっか!」
獲物がすぐ目の前にいるというのに、まるでこちらの様子を伺うように取り囲んだままでいるガーゴイル目掛け、ゲートムントは駆け出した。そして、手近な一匹に向け、鋭く槍を突き出した。
「ピギィ!!」
うめき声だろうか、人間の言葉ではない言葉を発し、苦悶の表情を浮かべるガーゴイル。獣よりは人に近い姿形をしているため、良心の呵責に苛まれないでもなかったが、その危険度は獣の比ではない。ここは戦士らしく、心を鬼にする必要があった。
傷口から紫色の血液を滴らせたガーゴイルAが、苦しそうな声色のまま、やはり人間には判別できない言葉で、何かしらの号令を発した。
「キキーッ!!」
どうやらそれは攻撃開始の合図だったらしく、残りの7匹は一斉に襲いかかってきた。四対七という不利な状況、あまり考えている暇はなかった。咄嗟にツァイネが指示を出す。こういう時、組織の中で戦闘訓練を積んできた経験が活きる。
「それじゃ、各自に判断で撃退。数は多いけど一人二匹を目標に、いいね? っとと、エルちゃんは無理しないでね」
「了解!」
「ツァイネの奴、一番俺向きの作戦指示を出して来たー!! 任せろ!」
「僕も、独自判断でいいのかな? 竜人族代表としても、年長者としても、いいとこ見せないとだけどねっ!」
ゲートムントは襲い来るガーゴイルを相手に、持ち前のリーチを武器に二匹同時に相手にする。相手がどこまでの実力を秘め、そのうちどれだけの実力を出しているのかはわからなかったが、とりあえずは優勢だった。
一方、ツァイネはと言えば、こちらは持ち前の素早さが武器だった。素早い動きで、瞬時に相手の翼を切りつけていく。そうすることで、ガーゴイルは飛んでいられなくなり、地上に着地せざるを得なくなっていた。もちろん、これが相手にとって不利になるのかは、全くの未知数でもあったが。兎にも角にも、二匹を相手にまずは地上に降ろすことを最初の攻撃とした。
同じ頃、一行にとって最大の未知数だったマクシミリアンは、二人よりも大きな身長を武器に、手にした斧で頭からガーゴイルたちを叩き伏せていた。さすがに悪魔の眷属、一撃で沈むようなことはなかったが、重たい斧で思い切り殴られて無事であるはずもなかった。明らかに、動きが鈍くなっている。
この斧の持つ驚異的な鋭さをもってしてもガーゴイルを両断できないでいることは、マクシミリアンを少なからず驚かせたが、今は十分な戦果が出ていると判断するのが最善だろう、と自分を納得させていた。
「みんな、やるなぁ。一人二匹じゃ数が合わないけど、お言葉に甘えて楽させてもらおうかな。それっ!」
か弱い乙女という漠然とした認識の上にどっかとのしかかっているのは、人知を超えた重さを誇る、グラビタイト製のフライパンを軽々と振り回す戦姫のような姿。できるだけ二人をがっかりさせないように、毎回毎回気をつけながらも、ついつい攻撃に転じてしまう。
今回もそれは同じで、二人が攻撃に集中しているタイミングを見計らい、襲ってきたガーゴイルの攻撃を防いだ。重すぎるくらい重たいフライパンは、すなわち強固な盾にもなる。見るからに鋭い爪による攻撃を防ぐと、まず相手の反応を伺い、むしろ痛がっていることを確認すると、ようやくその隙をついて相手の脳天を思い切り殴りつけた。
攻撃を防いだ直後にできるはずだった相手の隙を突かないのは、ついつい出てしまう油断と余裕。あれだけ鋭い爪が弾かれれば、絶対痛いだろうと踏んでのことだ。予想通りの反応だったからよかったものの、まるで意に介さず次の攻撃に移っていたら、あるいは一撃をもらっていたかもしれない。
どんなに軽傷であっても、一撃は一撃だ。幸運だったの一言に尽きる。
「いよし!」
エルリッヒがガーゴイルの頭をぶん殴った頃、他の三人の攻撃もひと段落していた。ゲートムントの相手をしたガーゴイルは、そのうちの一匹が盛大に貫かれたらしくすでに地面で絶命しており、もう一匹も怪我を負ったのか、全身から紫色の血液が流れている。次に、ツァイネと戦った二匹も、翼をやられ飛ぶことは適わず、地上戦では背丈の違いからか、一方的に不利な形勢に一旦ガーゴイルAのそばへ退却していた。そして、マクシミリアンの相手をした二匹も、同じようにガーゴイルAの近くへ退却していたが、どちらもその頭の形は大きく歪み、ひしゃげていた。もちろん、エルリッヒが相手をした一匹は、食らった殴打のあまりの威力に、気絶して転がっている。このガーゴイルたちが思ったより弱かったのか、はたまた弱っちい人間だと油断していたのかはわからないが、最初の攻防は一方的な優勢に終わった。
「みんな、いい感じじゃん」
「今のところはね」
「お、相変わらずツァイネは殊勝だねぇ。俺たちが強すぎるって考えはないのかよ」
「ゲートムント君、それは危険だよ。伝承によると、火を噴くって言うんだからね」
退却を経て、ガーゴイルAを中心に横一文字に並んでいたガーゴイルは、相変わらず理解できない言葉で何かしらを話し合っていた。本来なら、相談している隙を突くのだが、何しろ人間の言葉を話さない、危険だという判断が全員にあった。これは、竜言語を母語とするエルリッヒもまた、同じだった。
少なくとも、ドラゴンが互いに使う言語とは、明らかに異なっていた。
「キキーッ!!」
「キキッ!」
「キィッ!!!」
一行には、終始このようにしか聞こえない。この言葉にどんな意味が込められていて、そもそも何を相談しているのか。仕方なく、出方を伺うことにした。
ゲートムントの額に、一筋の汗が落ちる。嫌な汗だ。
「なんか、話がまとまったみたいだな」
「くれぐれも油断しないで」
「そうだね。相手は手負いだし、何をしてくるやら」
(本来なら瞬殺だから、もどかしいわこれ……)
一人とんちんかんなことを考えてしまっていたが、何かを仕掛けてくることは間違いない。そう思って武器を構えなおした次の瞬間、
「キキィーーッ!!!」
ガーゴイルAの号令の下、7匹全員が一斉に炎を吐き出してきた。
「なっ!!」
予想外の攻撃に、一行は驚きを隠せなかった。
〜つづく〜




