チャプター18
〜ドナーガルテンの街 長老の屋敷・正殿〜
エルリッヒの想像を絶する所帯染みた答えに、さすがの長老も大きく口が開く。
「フ、フライパンの修理……ですか……」
「そ。何せ長いこと使ってるからね〜、最近ちょっと気になっちゃって、久しぶりに修理しようと思って」
というところまでを話して、そのあたりの話を一切していないことにはたと気がついた。かつてなぜこの街に来て、なぜこの街を去ったのかについて、語る必要もなしと語ってすらいなかった。
ということは、長老からしてみれば唐突にフライパンという単語が出てきたことになる。これは説明せねばなるまい。いや、そもそも百年前にしておくべきだったのだ。
「私、今食堂やってんのね。あの時この街に来たのは、そのためにフライパンを作ってもらうのが目的だったんだよ。で、この街を去ったのも、魔物の襲来が落ち着いて、フライパンを作ってもらったからなんだ。この話、してなかったっけね。唐突になっちゃって、ごめんね」
「いえ、あの頃は私も若かったですから、素性や目的など気にしてはおりませんでしたし、共に戦う仲間が増えたこと、若い娘と知り合えたこと、そんな俗なことに喜ぶばかりでした。尤も、今となってはこの街とギルドを預かる身、少しは変わりましたがな」
血気盛んな若い頃の話はどうも恥ずかしい。エルリッヒ個人はさほど変わった気はしていないのだが、それは裏を返せばあまり成長していないということの表れでもあり、悲しくすらある。もちろん、寿命が根本から違うといえばそれまでだが、過ごしてきた年月は同じはずだ。
対する長老は、この百年余りで若者からすっかり老成してしまった。こちらも人間以上に長く生きる竜人族とはいえ、過ごしてきた年月は重たい。なまじ立場があるだけに、一般のものよりも密度の濃い時間を過ごしてきた自覚がある。ギルドの絶対的な長となった後でも、いざという時には自ら剣を携え戦場に赴いた。数多の戦を経験する中で、仲間との別れも経験したし、戦の外でも、人間族の仲間はどうしても先に逝ってしまう。その悲しみに暮れる間もなく、街の問題を解決するために大臣たちと幾日も頭を捻ることもあった。怒涛のような日々も、ここ数十年落ち着きはしたが、振り返ると、あまりにもいろいろなことがありすぎた。
「私も、長老みたいにもっと大人になりたいよ」
「何をおっしゃる。羨ましく思う者は数多おりましょう。それはそうと、フライパンの修理と言いましたが、お住まいの街では駄目なのですかな? 確かにこの街には優秀な鍛冶職人がおりますが、調理器具の修理くらいであれば、どの街でもできましょう」
この街に再来し、そして自分を訪ねて来てくれたことはとても嬉しい。しかし、今は別の国に住んでいるというのに、わざわざこの街の鍛冶屋に任せるということは、よほどの理由があるはずだ。
魔王が滅んで百年、国をまたいだ交易もかなり盛んになってはいるが、それでも国外へ行くにはどの国も許可証や通行手形が必要なはずだ。当然日時もかかるし、海を渡るとなると危険も伴う。そして、旅には資金がいる。それだけの労力を割いてまで来るというのは、どういうことなのだろう。とても気になった。
「今使ってるフライパン、ここで作ったことは想像がつくと思うけど、グラビタイト製なんだよね。あの鉱石、この国でしか採掘されないから」
「なるほどそういうことでしたか。それでしたら納得ですな。しかし、わざわざあのような重たい金属を用いるとはなんたる豪気」
グラビタイトはこの国でしか採掘できない鉱石であると同時に、そのあまりの重さから何かに利用しようという者は限られていた。それも、人間より腕力のある竜人族が中心である。武器にすればその重量からとてつもない攻撃力を発揮し、防具にすればその頑強さからものすごい防御力を発揮するが、何しろ扱える者が少ないのだ。
それを、フライパンにしてしまおうというのだから恐れ入った。
「いやはや、その発想は我々でもなかなか」
「だよねー。私も驚かれたし、後にも先にもいないんじゃないかなぁ。でもさ、ただ重たいだけじゃなくて、熱の伝わりはいいし、なーんか、料理をおいしくする力が出てるような気がするんだよねー」
えも言われぬ曖昧な直感によって選ばれたグラビタイト。しかし、それを用いて作られたフライパンは確かに最高なのであった。惜しむらくは、軽々と振るえる者は竜人族のような、人間を凌駕する腕力を持った者に限られてしまうということである。
「なるほど。私は料理のことは分かりませぬが、グラビタイト製であればこの街でなければ修繕できないというのも理解できます。しかし、お気をつけ下さい。今、あの山には恐ろしい魔物が棲息しておりますので」
「ま、魔物? 獣じゃなくて?」
表情を険しくした長老からもたらされた話は、なんだかキナ臭い。獣と魔物の決定的な違いは魔王の加護を受けた存在かどうかである。魔王がいた頃からの戦士である長老が「魔物」と言ったからには、獣以上に危険な存在なのに違いない。
「もしかして、魔王が復活したっていうあの噂……」
「はい、恐らくは偽りではないのかと。ギルドにもここ最近獣が凶暴化しているという情報が入っております。魔物は魔族とは違い魔法などは使いませぬが、姿も大きく、炎を吐いたり巨大な角で相手を一突きにしたりと、芳しくない話も耳にしております」
なんと面倒な話だろうか。ピッケル片手に山を登り、三人がかりで採掘をすればあっという間に片がつく、そういう話ではなかったのか。もちろん、中腹での採掘の後、山頂付近での希少鉱物の採掘と、そこに住んでいるらしい凶悪な獣の討伐は予定のうちだったが、獣と魔物では話が違う。
「めんどくさ〜。めんどくさいけど、めんどくさいだけだから、まだいいのかなぁ」
「どういうことですかな?」
腕を組み、首を傾げ、眉をへの字に曲げてつぶやく。心底面倒臭がっているようだが、恐れおののいているわけではなさそうだ。これこそ、長老の知るエルリッヒの姿である。
本来なら、地上で最も気高い竜の王女であるはずなのに、姿形も相まって、どこまでも人間臭い。
本人はまだまだ人間の感情や価値観を勉強している最中と思っているようだが、当然、そんなものはとうに獲得しているようにしか見えなかった。
「どういうことも何も、私の相棒二人は、どこに出しても恥ずかしくない戦士だからね。多少手強い魔物だったら、討伐できると思うよ。でも、怪我をされても悪いし、時間が余計にかかっても嫌じゃ〜ん」
「そ、そういうことでしたか。やはりエルリッヒ様はエルリッヒ様ですな」
長老の知る限り、炎を吐いてエルリッヒの右に出る相手はいなかった。よしんば魔物が炎を吐く能力を持っていたとしても、負けることはないだろう。それどころか、あらゆる生き物に効果のある、あのドラゴンスレイヤーを手に戦えば、十分に一人でも仕留められるだろう。それでも、元の姿に戻ることは極力避けていたことから、本来の実力で戦うことにはなんらかの制限を設けているのが伝わってきた。
「今さー、か弱い町娘として暮らしてるんだよねー。ドラゴンスレイヤー出すわけにもいかないし、フライパンは預けちゃってるし、最悪人間二人の戦力だと、いくらか時間がかかるかなーって思ってさー」
「勝利することが前提というのであれば、多少の時間は目を瞑るのも、冒険の醍醐味ではありませんかな? 自由に街の外を歩きまわれるだけでも、今の私には羨ましいことこの上ありません」
少しばかりの悲哀を覗かせた長老に、はたと気付く。確かにそうだ。外を歩き回って冒険ができるだけで、十分に楽しいじゃないか。それなら、多少のアクシデントも楽しむべきではないか。目から鱗が落ちる思いがした。
それに、あの二人の実力は十分に信用している。王都の外で修行を重ねてきたという話を考慮すれば、未知なる実力を秘めている可能性も高い。勝利だけを考えれば、間違いないだろう。となれば、楽観視したほうがいいのかもしれない。
「最悪、あの二人が気を失いでもすれば、私が倒しちゃうしね。ならいっか」
「実力を隠すというのも、苦労しますな」
あの頃とは色々違うのだということには寂しさもあるが、それはそれで楽しい。そんな現状を再確認して、二人は高らかに笑い合った。
長老にとっては久しぶりの大笑いだった。
〜つづく〜




