チャプター17
〜ドナーガルテン 長老の屋敷内・正殿〜
エルリッヒは旧友の長老と久しぶりの会話に花を咲かせていた。普段厳しい顔で威厳を放つ長老も、今は表情を緩める。ただし、そこには少しばかりの緊張が含まれているように見えた。
「百年ぶりかぁ、懐かしいねぇ」
「本当ですな。ただ、百年から先は、細かく数えてはおりませんがな」
二人は顔を見合わせ、笑いあう。エルリッヒは玉座のために設えられた大理石の階段に腰掛けていた。椅子はあるのだからと長老が勧めるも、こちらの方が距離が近いからと、それをやんわりと断った。敷かれている絨毯の上はふかふかで、十分に座り心地がよい。
「ははは、だよねー。それはそうと、長老は随分と貫禄がついたね。あの頃はまだ若い感じだったのに」
「ご冗談を。さすがの竜人族も、百年も経てば変わりますて。それにひきかえ、エルリッヒ様はお変わりなく。相変わらずお若くお美しい」
世辞ともつかない軽口を叩く長老など、ここで仕える誰も見たこともない。長く仕えている大臣ですら、そんな一面は知らない。これこそ、過ごしてきた年月の大きな違いであった。二人とも正確な年月は覚えていないが、かつてこの街に滞在していたのは、一週間やそこらではない。
「それ、あの頃はみんなに言ってたよね。懐かしいなぁ。今そんなこと言ったら、威厳台無しだよね。だけど、あの頃はまだ魔王がいたんだっけ……」
「大変な時代でした。魔物も襲ってきておりましたし、ギルドもまだ発足からの日が浅く、参集する戦士たちも少なく、実力も認められておらず、エルリッヒ様のご活躍、今でも強く瞼の裏に焼き付いております」
何を隠そう長老はこの世界でエルリッヒが竜王族の娘であることを知る、数少ない一人だった。古来、竜族がルーツとされる竜人族は、竜を崇め慕ってきた。その王たる竜王の血を引く娘とあらば、崇めない道理はなかった。とはいえ、当人が望まなかったことや、どう見ても人間族の外見をしている娘に対し、若きギルドのリーダーが下手に出るなど、立場やギルドを大きくするという目標にもよろしくないと、エルリッヒができるだけ普通に接するよう求めた。
それでも今のこの態度は当時からのものであり、それには理由があった。
「魔族と魔物の大軍団、大変だったよねー。私も、元の姿とこの姿を行ったり来たりして、地上から空から戦い分けたりして」
「ですがエルリッヒ様のお力はまさに鬼神、いえ龍神の如く、魔物どもをあっという間に蹴散らしたそのお姿には、本当に我ら一同勇気付けられたものです」
度重なる魔物の侵攻は、今の盗賊団など比較にならない脅威であり、森の奥や山の頂でモンスターを相手にするのとも、訳が違っていた。何しろ、連中は明確に街を破壊し、人々の命を奪おうという目的で襲いかかってくるのである。それも、人間では太刀打ちできないほどの力や魔力を持ち合わせている。確かに当時の人間も魔法を使えたが、その実力において魔族相手には、話にならないものであった。
そんな折、魔物や魔族といった脅威だけでなく、武器を作るための鉱石採掘や薬草の調達、それにもちろん盗賊団の壊滅といったよろず困りごとの解決を目的として発足したのが、ギルドである。人間よりも長い寿命と強靭な肉体を持ち、まさに戦士にふさわしい竜人族が中心となり、その中でも特に屈強の戦士と名高かった長老をリーダーとして、この街で産声をあげたのだ。
「思えば、あの頃は人間族と我ら竜人族は、今ほど仲良くなかったようにも思いますな」
「異種族と言えば、どうしても猜疑心を抱いてた時代だもんねぇ。向こう三百年くらいこの世界で人間やってる私でも、それは感じてたよ。元々、人間が一番多かったけどさ。だから、今ギルドがここまで大きくなったこともそうだし、似た組織が他の国に広がったことも、本当にすごいと思うよ。それもこれも、あの頃地道に勝利を勝ち取って行ったのが良かったんじゃないかな」
「竜人族風情が」、「何を企んでるかたまったもんじゃない」。影でそう言う者もいた初期のギルドだったが、当然人間の中にも団員はいたし、支援する者もいた。そう言った人間の協力者が広報活動を続けて行ったことはもちろんだが、街の危機という共通の難題に対し、積極的に活動し、安全と平和に貢献して行ったことが、信頼の獲得につながっていた。そこに大きな一手を加えたのが、たまたま街を訪れていたエルリッヒの存在である。
ふらりと現れたその娘は、姿は人間族のようなのに竜人族をもはるかに圧倒する力を持ち、魔物の襲来に際しては見たこともないような漆黒の剣を振るって防衛に当たっていたため、話題になっていた。
そのため、自然とギルドとの、つまりは長老との繋がりも強くなっていった。
「まさか、あの剣が竜殺しの勇者が所有していたドラゴンスレイヤーだとは、夢にも思いませんでしたがな。ハッハッハ!!」
竜の王女がこの世で最も強力な竜殺しの力を秘めた剣を所持しているなどと、当時は夢にも思わなかった。もちろん、そもそも伝説のドラゴンスレイヤー自体、神話や子供に話して聞かせる騎士物語の中にしか存在しない、架空の武器だとすら思われていた。それが目の前にあろうとは、誰も思いもしなかったのである。
「そりゃ、竜人族だって、千年も生きてる人はいないし、竜殺しの力は私たちに最も強く効くっていうだけで、あらゆる生き物に通用する力だからね。もちろん、武器としての切れ味も一級品だし。この街で何匹の魔物を屠ったんだっけね〜」
呑気に話しているが、エルリッヒの話していることは、紛れもない武勇伝であり、ゲートムントたちが聞けばテンションがうなぎのぼりになってしまうような話である。話して聞かせられないのはもったいないが、今は思い出話に花を咲かせる時間だった。
「そうですなぁ、千匹くらいまでは勘定しておりましたが、あとはもう、皆面倒になりましたからな」
「だよねぇ。でも、街の安全を守るのが一番の目的だし、殺生はそのための手段でしかなかったからなぁ」
長老以外の誰にもばれないよう元の姿に戻り、街を守護する桜色の竜として戦ったことも、今ではいい思い出だが、街の人に見つからないよう姿を変え、同じく街の人を傷つけないよう戦うのは、とても苦労した。吐き出す火球一つ、落とす雷撃一つとっても、家や露店のテントに当ててはいけない。そして、低空で羽ばたいただけで、逃げ惑う町人を吹き飛ばしてしまう。いまだかつて、あんなに苦労して戦ったことはなかった。
「しかし、実際救われた命は数知れず、街の者一同、感謝しておりましたよ」
「だからって、叙勲までしなくても良かったんじゃない? わざわざ勲章制度まで新設してさ」
それこそ若き長老の狙いだった。その正体を知って以来、普段通りに接しろと言ったエルリッヒの願いに従い続けることが苦痛でならなかったのだ。そのために、街の脅威をいくつか退けたタイミングで叙勲させ、感謝と敬意を込めて自らが下手に出ると宣言した。つまり、竜王族を崇めたいという内心を悟られず、自らの心に自然に振る舞うことに対し、街中に納得させるだけの理由をつけたのだ。
これは策士としか言いようがないと、呆れ半分に感心したものだった。
「でも、今こうして話していることは、もうお止めにならないんですな」
「今更でしょ? 百年以上も前の話を持ち出してどうこういうほど小さい器じゃないよ。ま、あの大臣が聞いたら、発狂しそうだけど」
悪戯っぽい笑みはまるで変わっていない。さすがに百余年という年月は竜人族にも長く、すっかりおじいさんになってしまったが、竜族でも唯一人間の姿を取ることができるという竜王族は、その寿命も桁違いだ。人間族に比べてはるかに雄大な存在だと思われている自分たちが、ついちっぽけな存在に思えてしまう。
事実、姿形では圧倒している長老は、今までエルリッヒに一度とて腕試をして勝ったことがない。それほどまでの存在なのだ。
「まぁ、大臣はさておきですな、此度エルリッヒ様は何用でこの街にいらしたのですかな?」
「そういえば、話してなかったっけ。フライパンの修理をね、しに来たんだよ」
どんな答えが出るかと思えば、あまりにも所帯染みた回答に、長老は玉座から転げ落ちそうになってしまった。
〜つづく〜