チャプター16
〜ドナーガルテンの街 長老の屋敷内・正殿〜
街でも最も高い場所に位置する正殿は、長老が大臣や街の職員と政務を行う場所である。ここは街の中枢であり、国中を支配するギルドの中枢でもある。そして、それだけにここはおいそれと人が足を踏み入れられない、最重要機密区画だった。
天井は吹き抜けになっており、雨の日に合わせて天蓋が張られるだけの作りになっている。空を見ることがとても重要だという長老の言葉による設計だ。そして、周囲も壁ではなく、神殿のような柱があるだけで、気をつけなければすぐさま外に放り出されてしまうような作りになっていた。
これを、長老は開放的な設計と形容したが、誰もが長老なりのユーモアなのだろうと思っていた。何しろ、無理をすれば賊が入ることも容易いのだから。
「長老!」
街の名物にもなっている大階段下を担当する警備兵が、慌てた様子で入ってきた。この階段を駆け上るだけでも息が切れるが、それ以上に慌てた様子だった。
普段は平和な街に、このようなシーンは珍しい。思わず大臣は椅子から立ち上がった。
「なんじゃ騒々しい! 何事か!」
声を荒げる大臣。それはそうだろう。誰もが同じ気持ちでいた。もし、魔物や盗賊の侵入であれば、一大事だ。これを全力で排除せねばならないし、長老には、その総指揮を取ってもらわなければならない。
しかし、大臣はとても小柄な竜人族の老人だったため、イマイチ迫力に欠けていた。学者上がりの大臣だから、仕方ないのだろう。
「は、はい、その、長老と旧知だからここへ挨拶に来たいという旅の娘が訪ねて来たのですが、成り行きで大臣や、できれば長老に真偽のほどを確認してくることになってしまい……」
「なんじゃそれは。そのような話、眉唾に決まっておろう。そもそも、長老と差し向かいで話のできる間柄に若い娘などおるか。いいから追い返すのじゃ」
大臣の言葉からは、「思い返す」余地すら挟まれていなかった。いや、長い間側で仕えているからこその言葉には違いない。この数十年、ここにやってきた若い娘は、女官かギルドでも名うての女戦士だけである。旅の若い娘など、聞いたことがない。
「し、しかし、その娘竜人族でもないのにすごい力なんですよ。あんな力の持ち主、ギルドの戦士でも見たことがなくて」
「力が強い? ならばただ強靭な娘なのだろう。考えてもみよ。ギルドに登録している女戦士は、皆街娘から見れば信じられないような屈強な肉体の持ち主ばかりじゃ。人間族であろうと、そのような強き娘がいても不思議ではない。違うか?」
長老の言葉は逐一正しくて、一介の警備兵には反論できない。そもそも、たかだか二十歳そこそこの若い男が、二百年は生きていそうな竜人族の古老相手に言葉で勝とうなどと、できるはずもないのだ。
しかし、それでも「しかし」と言葉をつなげてしまう。何か言い知れぬ説得力が、その娘の力にはあった。
「しかしなんじゃ。ワシらはこう見えても忙しいのじゃぞ? そちとて警備の任をほっぽっておるのじゃろう」
「いえ、そこはその娘が警備してくれるということで。嘘を言っているようには見えませんでしたし、あの力なら、間違いなく俺……いえ私よりも役に立ちそうでしたので」
冷静に考えれば、これは明らかに職務放棄に近い状態だというのに、それでもなんとか明確な回答を欲している。もしかしたら、真相が気になっているのかもしれない。平凡で代わり映えのしない日常に降ってわいた珍事だから、それもあるのだろう。
「いくら力が強いと言ってもだなぁ、本当に信用できる者かどうかはわからんじゃろう」
「そ、それはそうなのですが……」
しどろもどろになり、いよいよ言い負かされそうになったその時、今までじっと黙ってやりとりをみていた長老が、口を開いた。
「……その娘は、赤い髪をしていたか?」
小さく呟かれたその一言は、重々しくこだました。若い頃、竜人族でも屈指の戦士だった長老は、誰よりも大きな体で、ただそこに座っているだけでも圧倒的な存在感と威圧感を放っている。そんな長老の言葉は、誰よりも重たく、誰よりも説得力があった。
「は? 長老、今なんと……」
説得力があり、重たい長老の言葉のはずだったが、出てきたのは髪の色を気にする一言。つい、戸惑ってしまう。
「……髪の色は、赤かったかと訊いたのだ」
「は、はい! 確かに、燃えるような赤毛をしておりました!!」
言葉の真意は計りかねたが、ともかくも長老直々の質問である。訊かれたことには答えなければ。警備兵は姿勢を正すと声高らかに叫んだ。
そして、それを聞いた長老は、僅かに表情を緩めた。
「……そうか」
「は、はい!!」
まだ、長老から声がかかったことによる緊張は解けない。これが、一介の警備兵という立場であった。
「まったくも〜、手間取らせすぎ!」
問答が終わったかと思うと、警備兵の背後から快活な声が響いた。逆光になってよく見えないが、その声と姿形は、娘のものである。
「あぁ〜!! お前、下で守ってろと言ったじゃないか! なんでここにいるんだ! 警備はどうした!」
その声を聞くや否や、ここが長老の前だということも忘れ警備兵は叫びだす。そう、彼女こそが「長老と旧知の仲」だと自称した娘なのである。
「コリャ! 長老の御前であるぞ! そのように声を上げるなど無礼と心得ぬか!」
頭に血を昇らせる大臣をよそに、警備兵は娘の方へ駆け寄った。そう言えば、あの折り曲げられてしまった槍は途中の階段に捨て置いてきたのであった。それを不意に思い出した。
「なんでって、お兄さんが遅いから。それに、ここに来る間、誰も怪しい人はいなかったよ? この街の治安を考えたら、少しくらい穴が開いても平気でしょ。ね、長老」
「む、むぅ……」
娘はあまつさえ長老に話しかけ、長老も気まずそうな返答をしている。警備兵は、何が何だかわからない。自分と話をしていたのではなかったか。
「理由はどうあれ、守るって言ったんだから守ってもらわなきゃ困るだろう」
「それはそうかもしれないけど、今ここに不逞の輩がきたら、とりあえず私がどうにかするから、それなら問題ないでしょ? 長老の身の安全は守られるんだし」
「おぬし何者かは知らぬがこのような場でそのような大立ち回り、許されるはずがなかろう! それに、ここは水際、何かあってからでは遅いのじゃ!」
大臣の剣幕も尤もである。これには警備兵も援護をしたい心持ちだった。しかし娘の態度は変わらない。入り口からつかつかと中に入ってきて、その中央で長老の顔を見上げると、にっこり笑って話しかけた。警備兵はもちろん、大臣の制止もまるで意味をなさない。当然、他の面々はこの一連を黙って見ていることしかできない。
「長老、もしもの時、狼藉者を退治するのに私が一番適任だってこと、忘れちゃいないよね? せっかくゆっくり話がしたかったのになぁ」
「む、むう。み、皆の者、この者が旧知だという話は本当だ、だから、安心するがよい。それと、少し席を外してはもらえぬか」
この街で、そしてギルドで最も尊敬を集める存在である長老が、頭が上がらない様子だ。これは只事ではない。となれば、この娘は只者ではない。全員がそう思った。警備兵が目の当たりにした力も、竜人族でもないのにそれを以上の能力を持っていそうだと感じたことも、あながち外れてはいなさそうだった。
身の安全が心配だと言い続ける大臣を筆頭に、全員が訝しげな表情のままであったが、長老の命とあれば従わざるを得ない。しぶしぶと言った様子で席を立ち、この場から出て行った。
最後に残った警備兵も、長老に一礼をすると大階段を降りて行く。後に残ったのは、長老と娘の二人だけ。しんと静まりかえる。
「本当に、お久しぶりですな。エルリッヒ様」
「様はやめてよね。だけど、何年ぶりかな、百年は経ってたよね。うん、久しぶりだね!」
普段は見せないような柔和な表情の長老と、本当に懐かしそうに目を細めるエルリッヒ。およそ百年ぶりの再会であった。
〜つづく〜




