チャプター15
〜ドナーガルテン 中央広場〜
宿屋街に位置する老舗の宿、ガストホフ「竜が翼を休める処」に当面の宿を確保すると、三人は荷物を置き、再び広場にやってきた。
宿の主人は背の小さい竜人族の老夫婦で、エルリッヒとは旧知の仲だった。だから、部屋の確保はともかく、いい加減な宿泊期間やそれに伴う宿泊費について、融通が効いたのである。
男二人を前に、エルリッヒが話を始める。
「さて、ここからは自由行動です。晩御飯は宿に併設されてるレストランで食べるから、そういう時間には間に合うように戻ってくるように。以上、解散!」
「解散! て、ちょっと待って、一緒じゃ、ないの?」
「そうだそうだ。俺たちを見知らぬ街にほっぽって」
いくつもの街を二人で冒険しているくせに何を、と思ったが、ここは初めての国、未だ慣れぬ竜人族の住まう街、戸惑うことに少しだけ理解を示すことにした。
「ほっぽってって、こっちは昔馴染みに会うんだから。さすがに二人はつれてけないし、どっか自由に過ごしてよね」
「少しだけ理解を示した」結果が、このわずかな理由の説明である。どう考えても理不尽なのだが、それでも二人は逆らえなかった。それだけの力関係が、すでに築かれている。二人は仕方なしとばかりに相談を始めた。
「??? 何相談してるのさ」
聞こうと思えば聞き耳立てることもできたが、そうはしないでいた。そこに大した意味はない。そして、話を終えた二人は、存外ワクワクした表情をしている。何を話し、どんな結論に至ったのか。
「じゃあ、俺たちさっきの鍛冶屋に行ってくる!」
「うん! 見たことないような武器がいっぱいあったもんね!」
なるほどそういうことか。並んでいた売り物の武具を思い出し、テンションが上がってしまったということか。いかにも二人らしいが、これで身の自由は確保された。願ったり叶ったりと言ってもいいだろう。
「あ〜。この国は、もう感じてると思うけど治安はいいんだよね。でも、それってギルドのみんなが一生懸命盗賊や獣を退治してるからこその安全だし、そのためには強くなきゃいけないから。そもそも、元々魔王の根城があったっていう場所にも、より近いしね。その分凶悪な魔物だって出るから、武器防具も強力になるんだよ」
「なるほど! 納得!」
「だな! そんじゃ、早速、行ってくるわ!」
さっきまでの三人で過ごしたそうなムードはどこへやら、一目散に駆け出す。そんな二人を見ながら、エルリッヒも目的地に向かい歩き出す。
目指すは広場の、いや街の一番奥に位置し、待ち合わせの目印にも使われる、大階段である。
大階段前にたどり着いたエルリッヒは、しみじみと見上げる。ここへ来るのは何年振りだろう。そんなことを考えていたら、階段の脇に立つ警備兵に声をかけられてしまった。
「そこの娘、どうかしたのか?」
「そこの娘? 私のこと?」
まるで指差すように長槍を向けてきたため、自分を指差し対象の確認をする。間違いではなかったようで、兜をかぶった頭が大きく頷いた。槍を向けてきたことも「そこの娘」呼ばわりしてきたこともなんだかカチンとくるが、ここで機嫌を損ねるのもよくない。まずは穏やかに応対する。
「長老の御殿を懐かしんでいただけだよ」
「そうか。見かけぬ顔だが、旅行者か」
この警備兵、私のことを知らないのか。ということは、竜人族ではないな? これは厄介かもしれない。エルリッヒは頭をフル回転させた。
「そ、旅行者。久しぶりにこの街に来たから、長老に挨拶しようと思って」
「なんだと? 娘、長老に謁見するのであれば、許可証を見せてもらおう」
そうなのだ。この街にとってもこの国のギルド組織にとっても重要な人物である長老は、おいそれと会える存在ではない。許可証を持っているのは街の役員かギルドの幹部職員、それに特別に腕を認められた戦士と長老のそばで働く職員に限られている。これが、かつてエルリッヒがこの街を訪ねた時のことを知っている竜人族なら、話がわかるため顔パスもできるのだが、この警備兵は取りつく島がなさそうだった。こういう場所の警備兵らしい、ルールはルール、というタイプに見える。
「許可証か……ないんだよね。ないんだけどさ、長老の知り合いだから、通してくれないかなぁ」
「ダメだ。そのような話、信じられるか。なんのために許可証が要ると思ってるんだ、なんのために俺がいると思ってるんだ。真偽の怪しい話をいちいち信じて通してたら、警備の意味がなくなってしまうだろう」
言っていることは何も間違っていない。その通りだ。しかし、ここでひるんでいてはせっかくの旧友に会えないではないか。なんのためにゲートムントたちと別行動しているのだ。仕方がない。ここは一計を案じるか。
意を決し、表情を強張らせた。
「お兄さん、いいから通して。私の話が信じられないっていうんなら、上に上がって確認すればいいでしょ。あそこには長生きしてる竜人族の人が何人もいるんだから」
「それはそうだが、なぁ。それでは警備が手薄に……」
きっと、相手が男だったらもっと強い態度で断っているのであろう。端々に見える言動は失礼だが、どうにもエルリッヒが少女だから物腰は柔らかいようだ。
ならば、これを利用しない手はない。
「警備が手薄? なら、私が守ろうか? ようは、この階段を不審者が登って来なきゃいいんでしょ?」
「そりゃまあ、そういうことになるが……お前はは見たところ戦士でもないようだし、どう見ても腕っ節は俺の方が……」
兜越しに見える顔が呆れているように見える。なんとなく、カチンとくる。つい反論せずにはいられない。
腰に手を当てて詰め寄った。
「ちょっと、それは失礼じゃないの? こっちは料理人だよ? 毎日重たいフライパンや鍋を振るってるんだから、腕力だってそこらの細腕の女の子と一緒にしないでよね! なんなら試してみる? 腕試し」
「おいおい、無茶を言うな。俺はこの街の警備兵だ、仮にもそこらのギルド所属の戦士以上の実力を認められているんだぞ。町娘の腕自慢など相手になるか」
そういえばそうだった。彼らは長老の覚えもめでたいこの街の警備兵。当然そのプライドは山のように高いのだった。そして、その高すぎるプライドは、時にこのような紳士的な振る舞いにも現れた。軽率にはその腕前を見せないのだ。まして、相手を怪我させてしまいそうな場合は尚更である。
「ちぇっ、つまんないのー。じゃ、その槍をちょっと貸して?」
「な、なんだおもむろに。何を企んでいるんだ。こう見えて暇じゃないんだぞ」
呆れる警備兵に、エルリッヒも負けてはいられない。ここ以外の出入り口は、できるだけ使いたくないのだ。
「その槍、備品なんでしょ? 例えば壊れたらすぐに新しいのをくれるの?」
「そりゃまあ、真っ当な理由があればな。何を企んでるのか知らないが、これを壊そうっていうのは勘弁してくれ。始末書は書かねばならんのだぞ」
困り果てた様子の警備兵には少し気の毒に思わないでもないが、大事なのは自分であり、それ以外は二の次である。一瞬の隙をついて槍を奪うと、それを握りしめた。
「あっ、何を! というか、いつの間に!」
「まず一つ、今のが私の速さ。それから、次が……」
右手に持った槍の先端を、左手で掴む。そして、
「いよっと」
それを軽くへし折ってしまった。金属としては柔らかいのか、真っ二つに折れたりはせず、ぐにゃりとひしゃげるように曲がった。
「普通の小娘に、こんなことができる?」
「あああ!!! 何をするんだ!!! こんなの、どう報告すればいいんだ。わかったわかった。わかったからとりあえず返してくれ」
やはり、支給品を壊されるというのはありがたくないのだろう。心で小さく謝りつつ、Vの字型に折れた槍を返した。警備兵はすっかり肩を落としている。ここまできたら、もう一息だ。
「お前が強いのはわかったから、とりあえず知ってる者がいないかだけは訊きに行ってやる。けど、その間絶対に怪しい奴は通すなよ?」
「わーい、ありがとー!!」
抱き付かんばかりの勢いで喜ぶ。もちろん抱き付いたりはしないが、話がここまで進んだことに対し、少しばかり態とらしい喜びを表現して見せた。
「ったく、なんなんだ。それにその力と速さ、竜人族なのか? 見たところ俺と同じ人間族に見えるがなぁ……」
「どう見えようと、私は私。それじゃ、お願いね〜。できれば大臣か長老本人にお願〜い」
面倒くさそうに大階段を上る警備兵の背中に手を振りながら、エルリッヒはにっこりと笑った。
結果オーライである。
〜つづく〜