チャプター11
〜港町サザンノクト〜
太陽が中天に差し掛かる頃、エルリッヒたちを乗せた船が港に着いた。
「ふ〜、到着到着!」
荷物を手に降りる乗客に混じって、エルリッヒ一行も降りる。旅の疲れを全く感じさせないエルリッヒに、慣れない船での移動に少し疲れた様子のツァイネ、そして、旅の疲れはおろか、船酔いすらどこ吹く風といった様子のゲートムント。
ゲートムントは起きると酔って辛いからと、朝食も摂らず、到着までの間はずっと船室で横になっていた。それが功を奏してか、陸に上がってからの様子はまるで別人で、元気そのものだった。
とはいえ、ツァイネには船酔いのことは知られたくなかったので、あくまでも「寝過ごした」という形を取っていた。
「あー、腹減った〜! 朝飯食い損ねちまったからな〜。早速どっかで飯にしよーぜ!」
昨夜驚くほど吐き戻して以来、水分補給しかしていないゲートムントは、揺れない陸に上がったことですっかり本来の調子を取り戻していた。忘れていた空腹も、戻ってきていたのである。
「ゲートムントは元気だねぇ」
「そりゃ、あれだけギリギリまで寝てたら……ねぇ」
朝、朝食の前にエルリッヒがゲートムントの船室まで起こしに行くと、ベッドの中で横になっていた。普段の威勢がまるで感じられないほど小さく見え、昨夜の船酔いに対する怯えが見て取れた。しかし、それをツァイネに知られるわけにはいかない。そこでエルリッヒに頼み、ただただ寝坊しただけだと口裏合わせを頼んでいた。
「そんなに寝心地良かったかなぁ。ベッド硬くて少し寝にくかったんだけど……」
ゲートムント一人の嘘ならすぐに見破られていただろうが、エルリッヒが口裏を合わせたことで、すっかり信じきっていた。
「ま、まあ、おかげでこうして元気でいられるってもんだ。荷物が軽いぜ! あっはっは!」
「はぁ、本当に元気だね、ゲートムントは。それより、こんなに暖かいなんて意外だったよ。俺たち、王都より北にいるんだよねぇ」
「でしょう? 説明してなかったっけ、まあいいや、せっかくこの国に到着したんだし、改めて教えてあげると、この国っていうか、この一帯は火山が多いんだよ。ほら、前に行ったハインヒュッテの村も、火山が近くて暖かかったでしょ? この国はそれが国土の全体にあるっていう感じ。多分、どこからでも火山が見えるんじゃないかな。そうそう噴火することはないけど、噴煙はずっと上がってるんだ」
ほら、と東に見える火山を指差す。そこには確かに雄大な山が見え、もくもくと噴煙が上がっている。普段王都から遠くに見える雪を被った山脈とはまるで違う姿だ。
「本当だ……火山か。噴火したら恐ろしいね」
「まーねー。でも、さっきも言ったけど、百年以上のサイクルだから、大丈夫だと思うよ。前に噴火したの、魔王がいた頃だし」
不意に、当時のことを思い出す。あの時は、麓の町が一つ消滅した。火山がもたらす肥沃な大地に惹かれてできた町だったが、噴火のリスクをあまり考慮していなかったのだろう、それはあっという間の出来事だった。
今ではもう誰も語り部のいない、悲しい出来事。
「ん? どうしたの?」
「いや、別に。それより、この国の火山はあそこだけじゃないから、この旅の間ずっといろんな景色が見えると思うよ。って、ゲートムント聞いてないし」
船の揺れから解放された喜びからか、ゲートムントはにこにことしている。しかし、船酔いを乗り切った自分に陶酔しているのか、二人の会話を聞いていない様子だった。もちろん、王都よりも暖かいことなど、まるで気付いていなさそうだった。
「あ〜、腹が減りすぎてヤバい……」
多くの荷物を手に、ゲートムントが船着場を出て行く。後ろをついて歩くツァイネは疲れたような、怪訝そうな表情をしていたが、事情を知るエルリッヒは乾いた笑いを浮かべるのみ。
(まぁ、あれだけ吐きゃ、お腹も空くわなぁ……朝ごはんも食べてないし……)
弱みを握ったというようなつもりはないが、少なくとも地上に降りて元気そうなので一安心する。さすがに、あの吐きっぷりに少しは心配していた。
「さてと、それじゃあ食堂を探しますか。ツァイネ、いい?」
「ちょっと慌ただしいけど、いいよ。お腹が空いてる時のゲートムントは手がつけられないからね」
二人は顔を見合わせ意思疎通を図る。押し切られたような気がしないでもないが、昼時でお腹が減っていたのは二人も同じだったし、エルリッヒはこの街の料理が気になっていた。渡りに船だったと言えなくもない。
「それじゃ、決まりだな!」
そうして、三人は食事のできるところを探して歩き出した。
「はぁ〜! 食った食った!」
一時間後、食事を終えた一行は、消耗品の買い出しを済ませると、街の外門に来ていた。いよいよ出発である。
「ほんと、美味しかったね〜!」
「あのスパイス、なんだったんだろう。訊けばよかったなぁ。ピリッとするのに爽やかで、フルーティかと思えば舌が熱くなって。他にも、あのスープの味も再現できるかな。甘いはずなのに辛くて」
これから危険な街の外に出るというのに、エルリッヒは先ほど食べた料理のことが頭から離れなかった。料理人としては、同じ国内でも色々な味があるというのに、まして外国の料理だ、気にならないはずがない。
「エルちゃん? どした?」
空腹が満たされたからか、解放の喜びが落ち着いたからか、普段通りの様子に戻ったゲートムントが話しかけてきた。
「えっ? あぁ、なんでもないよ、なんでも。ただ、料理人としての矜持がね」
「うわ、それ俺には難しいわ。それより、出発できそう? ツァイネは大丈夫か?」
「ちょっとゲートムント、そう急かさなくてもいいんじゃない? それに、ここからは辻馬車じゃなかったっけ? 歩いて行くのは現実的じゃないと思うんだけど……」
買ったばかりの地図を広げ、旅程を確認する。目的の街は大陸のちょうど中央、ほぼ真北に位置している。が、自分たちの国までは描かれていないので、距離感は掴みにくい。エルリッヒの記憶が頼りだった。
「ゲートムント、元気なのはいいけど、歩いて行くわけないじゃん。馬車で行くに決まってるでしょ?」
「そ、そっか。いやー、すまんすまん、つい元気が余っちまって。で、馬車はどこで手配できるんだ?」
ぐるりと街の中を見渡すも、それらしい馬車は見えない。同じ船で来た商人たちも、当然この街から外に行くはずなので、すでに彼らに先を越されたか、はたまた場所が違うのか。
「馬車は、街の外。この国はそこまで危険じゃないから、街の外って言っても即狼ってことも、即盗賊ってこともないんだよ。ほら、行くよー」
ここからの案内人はエルリッヒ。二人を先導して街を出て行く。この国は初めてでないエルリッヒは気楽なものだが、狼どころか魔物や盗賊が襲ってこようとも撃退できるだけの戦力を持っているはずの二人が、なぜか少しびくびくしながら一歩を踏み出した。
街の外は、それだけで舗装されていない土地である。踏み出した足の感触は、柔らかい。自分たちの国とは、土の質までが違うのかと、少しばかり感激した。
「街を出て、すぐに見えるはず。あ、あったあった」
外に出てすぐ右手に、複数台の馬車が停車してあった。そこは辻馬車の集合場所であり、行き先を告げるとその土地やその街道に一番明るい御者が担当してくれるというシステムになっていた。
早速、エルリッヒは目的地を告げ、馬車を手配する。名乗り出た御者は、人の良さそうな恰幅のよい口ひげのおじさんだった。
「よろしくお願いしまーす」
ヘーゲルと名乗った御者に挨拶をすると、馬車内に荷物を積み込み、早速乗り込んだ。馬車といっても、いつも使っている馬車とは違い、もっと簡素な幌馬車だった。エルリッヒは、お尻が痛くならないかを心配するのであった。
「お嬢さん、よろしければこの毛布をクッションにお使いください」
と、心配を察してかヘーゲルは就寝時に用いる毛布を貸し出してくれた。どの程度の効果があるかはわからないが、これはありがたい申し出だった。二つ返事でそれを受け取ると、笑顔でお礼を言う。
それから、手持ちの荷物でも代用できることに気づくのだが、そんなことよりも、この心遣いがありがたかった。やはり、商売というのは心だ、と再確認する。
「それでは、行きますよ。目的地は北の街ドナーガルテン。ハイヨー!!」
ムチのしなる音が響き渡り、馬車はゆっくりと進み始めた。街までの数日、そして街に着いてから過ごす日々、いったいどんな出来事があるのだろうかと、胸踊る三人であった。
〜つづく〜




