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チャプター10

〜港町ノルドハーフェン〜



 朝、エルリッヒ達は港の突端にいた。澄み渡る空は蒼く、日の光を受けて穏やかに輝く海はどこまでも青い。吹き渡る潮風は温かく体を包み、そして鼻腔をくすぐる。

 海を前に、両手を広げて胸いっぱいに磯の香りを吸い込んだ。

「んん〜っ!! 気持ちいい天気! まさに出発にふさわしい朝!」

 眩しい港に目を向けると、帆船がいくつか停泊している。あのどれかが自分達の乗る船なのだろう。それを思っただけでドキドキする。

 元の姿に戻って飛んでしまえばあっという間で、それはそれで爽快感があるのだが、船旅の楽しさはまた別格だ。

「さてと、そろそろ行こうか。それじゃあ御者さん、一旦お別れですね」

「おっちゃん、帰りの道は大丈夫か?」

「もし帰りの客が見つからなかったら……」

「ははっ、大丈夫だよ。王都に行く人は多いからね。それに、私だってこんな商売をしているんだ、多少は剣術の心得がある。幸い、見せた事はないがね。みんなは、安心して旅立ちなさい」

 年長者からのアドバイスを受け、三人は御者と別れると乗船受付所に向かった。


「おはようございまーす」

「おはようございます。乗船券の確認をいたしますので、お出し頂けますか?」

 乗船受付所では、職員が乗船券の確認を行っていた。エルリッヒは昨日買った三枚の乗船券を渡す。

「はい。これで大丈夫ですよね?」

「ありがとうございます。サザンノクト行き三名分ですね? お連れの方は、そちらの方々で大丈夫でしょうか」

 後ろでは、ゲートムント達が明らかに同行者ですと言ったような顔で並んでいた。こんな顔をされたら、誰の目にも三人が仲間だと分かるだろう。とはいえ、わざわざそんな小細工は不要なのだ。行商の列にあって、明らかにそれとは違う一団なのだから。エルリッヒはどう見ても行商人には見えず、ゲートムントとツァイネも武具一式を荷物の中にしまい込んでいるので、明らかに軽装だ。かと思えば、槍をくるんだ包みが長く突き出ていたり、罠やたる爆弾も持ち込んでいるので台車いっぱいの大荷物があったりと、ただの旅とというよりは、どちらかというと、大道芸人一座のような雰囲気があった。

「はい、乗船券の確認は終わりました。船はあちら三番ドックに停まっている青い帆の船です。十時の鐘が出発の合図ですので、お忘れなく。船はもう入れますから、中で待って頂いても、外の待合所で待って頂いても構いません」

 ひとしきりの案内を受けると、三人は乗船口へと進んだ。ここはもう、乗船券を持っている人間しか入れない区画だ。そこにいるのは同じく出航を待つ人達か、船の運航関係者だ。逸る気持ちが止まらなかった。

「うわぁ!!」

 数え切れないほどの船旅を経験しているエルリッヒは、毎回港に来るとこのような興奮を覚えていた。まして今回は数年ぶりの船旅であり、このワクワク感をすっかり忘れていた。

 その高揚の新鮮さは、ゲートムント達と同じと言ってもよかった。

「うぉ〜! すっげぇ!」

「うん、ホントだね!」

 台車を引く二人も、間近に見る船の大きさに圧倒される。船といえば川を渡る小舟に乗ったことがある程度の二人が、大きな帆船に乗り、国外に出て行くのだ。その興奮は推して知るべしといったところだった。

「俺達、いよいよ海を渡るんだな!」

「こんな大きな船に乗るんだね!」

 テンションが上がりっぱなしの二人を見ていると、自然とテンションが落ち着いてくる。旅慣れた自分がしっかりと先導しなくては、という思いや、まるで弟を見る姉のような気持ちが湧き上がってきた。

「はっ! これが母性か!」

 などと思ってみるも、実際のところはわからない。

「ほら、二人とも、この後どうする? 乗り過ごさないなら船の中だけど、揺れるのがダメって人もいるから、そうなると少しでも長く陸の上にいた方がいいでしょ。どっちで待つ?」

「そんなの」

「船の中に決まってるじゃん!」

 まるで子供だ。中を探検でもするつもりなのだろう。だが、それならそれでいい。どのみち入れない区画は入れてくれないのだし、乗り遅れてしまう心配もなくなる。

「それじゃ、船に行くよー。はい、二人とも乗船券。そこに船室の番号が書いてあるでしょ? 到着までは、そこが自分の部屋だから。後、荷物は船倉に入れるから、荷札をしっかり括り付けるのと、大事なものは選別して船室に置いておくのと、最後にこれが一番大事なんだけど、荷物に爆弾が入ってる事は、しっかり船員さんに伝えておくんだよ?」

「そ、そっか、こんなもんが爆発したら沈没しちまうもんな」

「ありがと。やっぱエルちゃんは旅慣れてるね。俺達舞い上がるばっかりだったよ。こんなんじゃだめだね。浮き足立っちゃって、いつ足元をすくわれるか」

 意外な事に、ツァイネが少し表情を曇らせた。いい格好をしたいという見栄が砕かれたのか、それとも、自分の事を鋭く振り返ってしまったのか。いずれにしろ、こんな晴れがましいタイミングでするべき表情ではない。

「なーにしょぼくれてんの。足元浮いてるんなら、すくわれる事もないでしょ。こんないい天気なんだから、笑って出発!」

「だな。こんな初めてづくし、テンション上がるのは当然だろ。こういう状況は、楽しんだもん勝ちだぜ? でなきゃ俺達みたいな稼業はやってらんねーって」

 そういう事を一番わかっているはずのツァイネが、同じくらいわかっているゲートムントに諭される。しかし、二人の言葉が効いたのか、ツァイネの表情に明るさが戻ってきた。

「ありがと。……そうだね。楽しまなきゃ損だよね! 危険が迫ったら、その時に考えればいいよね。さ、船に乗ろっか!」

 少しばかり空元気にも見えたが、とりあえず元気を取り戻してくれたようで、一安心だ。三人は早速船に向かう。今は畳まれているが、青い帆はとても目立った。




〜帆船マリアテッセ号 船室〜



「へぇ〜、意外と快適そうじゃん♪」

 船に乗り込み、無事荷物を預けた一行は、そのまま船室の前で別れた。それぞれの船室は隣り合っており、何かあっても訪ねるのは容易だ。

 男二人は荷物を置くと早速船内の探検に出たようだったが、エルリッヒはのんびりする事に決めた。入り口の閂を掛け、室内を見回す。

 部屋の隅にはベッドがあり、壁の中央には丸い船窓がしつらえてある。今はまだ大した景色は見えないが、船出した暁には、とても素敵な景色が見えるだろう。

 そして、ドアのすぐ脇には小さな机も置いてある。個人的に用はないが、手紙を書くのにはちょうどいいかもしれない。

 広さも十分にあり、荷物を置いても余裕がある。人一人が過ごすのに何不自由のない船室だった。しかも、一等二等など、ランク分けされていないのが良心的だ。

「さーて、出航までくつろぎますか!」

 荷物を床に置くと、元気良くベッドにダイブした。これまた、思ったよりもふかふかだ。もっと固い、安っぽいベッドをイメージしていたのに、嬉しい誤算が続く。

「こりゃいいわ〜」

 これから数日間の船旅が、俄然過ごしやすくなる予感がしていた。




〜出航〜



 教会が十時の鐘を鳴らし始める。エルリッヒは慌てて飛び起き、一路甲板へと向かった。

「出航だ!」

 甲板には、同じように大海へ漕ぎ出すところを見ようと乗客が集まっていた。慌ただしく働いている船員達には悪いが、楽しませてもらうのが通りというもの。

「ん、あれは……」

 舳先のそばに視界を向けると、見慣れた男が二人。ゲートムント達だ。どうやら、先頭に立って眺めていようという事らしい。

「おーい、二人とも〜!」

「あ、エルちゃん!」

「いよいよ出航だってんで、一番前で見てようと思ってな」

 二人の気持ちはよく分かる。教会の鐘が鳴る間も、出航に向けた最後の支度が行われている。錨が上がり、帆が広げられ、すっかり準備は万端だ。

「乗客の皆様! 私が船長のオイゲンです! これより皆様をサザンノクトの街までお送り致します! どうかごゆるりと船旅をお楽しみください!」

 舵輪の前に堂々と立つ船長が、大きな声で挨拶をした。そして、今度はいささか乱暴な口調で叫ぶ。

「お前ら! 出航だ〜! しっかりやるぞ〜!」

「「おう!」」

 船長の号令に合わせ、甲板の船員が一斉に叫びを上げた。こういうやり取りの一つ一つにも、ついつい興奮してしまう三人。

「いよいよだね!」

「だね!」

「うぅ〜、楽しみだぜ!」

 ゆっくりと、船が港を離れだした。まるで進水式に立ち会っているかのような気持ちで三人は大海原を見つめていた。


 エルリッヒにとっては数年ぶりの、そして二人にとっては生まれて初めての、船旅である。




〜つづく〜

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