第五幕 綱渡りの街
学院を擁する学園都市は、高い建物が軒を連ね、綺麗に区画整理された都市だった。街全体を高い灰色の塀で覆い、モンスターの侵入を防いでいる。
おれたちは学院に戻った教授とその護衛という体裁で、学園都市に潜り込むことに成功した。学院へ向けて、商店街が続くメインストリート。活気に賑わうその通りでは、激しく違和感を感じる光景が繰り広げられていた。
すぐ近くの雑貨屋で学生服を着た小鬼が2匹、棚に陳列された柄付きの便箋を見ながら、濁音の多い言語で会話している。向かいのパン屋では、子供を一口で呑み込めそうな顔をした大鬼の客が、人間の店主から大きなバゲットを買っている。
巡回中らしい、揃いの紋章のついた鎧を着込んだ兵士たちは魚人、獣人、それに大鬼。
モンスターとヒト。本来なら敵対し、本能的に相容れないもの。それらが無作為に入り混じり、それでいて『学園都市』っていう一つの形を矛盾なく成立させている。
「マリーさん、学園都市って前からこうだったり……?」
「そんな阿呆なことあらへんよ。安心しぃ。これはうちから見ても異常やわ」
マリーさんは淡々と言うと、立ち止まって花屋の壁に貼られたチラシをはがして手に取った。見れば、あちこちに同じチラシが貼られているようだ。
「……そういうこと」
そうして、目を通し終わったチラシをおれに渡す。ポップでカラフルな文字で、音符やピアノ、ハープといった楽器が楽しげに描かれている。
おれはそこに書かれた文字を読み上げた。
「『毎日夕方6時より、学院のセレモニーホールにて、無料演奏会開催中! 抽選で選ばれた国民の方に、招待状をお配りしています。招待状をお持ちの上、セレモニーホールにお越しください』」
下の方にさらに暗愚の絵がついていて、吹き出しがでている。
「『夢のようなひと時を、あなたに』」
何が夢のようなひと時だ。洗脳してるだけだろう。ふざけたチラシを投げ捨てようとすると、後ろの方でニジェに監視されていたミーナが小さく声を上げる。
「あ……これ……」
「お姉ちゃん、知ってるの?」
「…………うん」
ミーナはニジェと手を繋いだまま、近くの石畳の上に落ちていたチラシを拾い上げた。
「これ、村のヒトも楽しみにしてました。わざわざ招待状と一緒に、迎えが来るんです」
「そうなの? どんなえんそうかいだったか、聞いた?」
「あれ……それは、そういえば」
ミーナの目がまた、暗く澱む。
「農家のハンジおじさんも、ギルドのラーサお姉さんも……帰ってこなくて。でも、学園都市はいいところだから、それで向こうにいるんだって、思っていたけど」
「ジュンヤ、これ」
リクシャが眉を顰める。
どこも見ていない黒い瞳。無理矢理辻褄を合わせて、それを信じ込んでいるような言動。おれにも覚えがある。これは羊の洗脳の効果だ。
「行くものが誰も帰って来ない演奏会、か。これは、モンスターの居場所も決まったようなもんだな」
「せやなぁ。ただ、いつもなら教授のうちがいれば、大抵の学院の敷地内は好きに入れるんやけど、どうかなぁ」
学院の敷地内は広く、セレモニーホールはその大きなドーム状の屋根を堂々と芝生の植わった一角に聳えさせていた。街中でも十分歌声は大きく聞こえていたが、ここまで近付けば、元凶がホールの中にいるのははっきりとわかる。
太陽はまだちょうど空の真上のあたり。演奏会の開始時刻はまだ先だ。
ホールの入り口の前には兵士が立ち、通行止めしている。マリーさんが中に用事があるといっても、演奏会のゲストの邪魔になるからといって、取り合ってはもらえなかった。
「こうなったら……いや」
メンバーに号令をかけて突撃するか。一瞬、そんな考えが頭を掠めた。だが、モンスターは街中に溢れかえっていたんだ。あれが全部こっちに向かって来たら、さすがに物量で潰されてしまう。
剣の柄にやった手を戻し、一度そこを離れる。
「いやぁ、さっきはよう堪えたなぁ、ジュンヤくん」
「けど、これはもうどうしようもないです。こうなったら、ギルドからの高ランク冒険者の応援を待って侵入するしか」
「安心しぃ。何のために案内役がおると思うとるん?」
マリーさんはニヤリと笑う。
「教授にしか伝わっとらん、地下迷宮を使うた隠し経路、いうんがあるんよ。人気がなくなった頃に案内するわぁ」
授業開始の予鈴がなると、学生や、そこに混じった学生服姿のモンスターたちが一斉に教室に入っていった。相変わらず、小鬼や大鬼の学生服姿はシュールだ。どうでもいいことだが、あのサイズの制服は特注するしかないだろうな。
本鈴が鳴り終え、マリーさんが動き出す。向かうのは、セレモニーホールからほど近い倉庫群。その中でも一番埃っぽくて薄汚れた倉庫に、マリーさんは入っていく。中にあるのは何年前から放置されているんだかわからない、辞書みたいなボロボロの本やら錆びた天秤計りやら。一言で言うと、ガラクタばっかりだ。
貴重品が一切ないためか、鍵すらついていない。
「これはさすがに不用心じゃないですか?」
「汚なすぎて、不良学生も寄り付かんのよぉ。みぃんなゴミばっかやしねぇ」
マリーさんは笑いながら、倉庫の隅の方に目を向けた。すぅっと、彼女の目が細くなる。
「誰か、この道を使うたねぇ」
ぐちゃぐちゃに避けられた、体操用らしきマットやクッション。その横の地面に、木製の板が剥き出しになっている。マリーさんは屈み込み、板と床の間の僅かな隙間に爪を入れて引っ張った。奥には、ヒト一人がやっと通れるくらいの穴。側面には縄ばしごが架けられていた。
はしごを下った先は、学園の地下にある迷宮。煌々と明かりに照らされた通路は幾重にも複雑に分岐し、マリーさんがいなければ早々に根を上げていただろう。
出てくるモンスターといえば、小型のネズミや芋虫型モンスターばかり。さっさと倒して進んでいく。
「マリーさん、どこに向かってるんですか?」
「まずは大きい広間に行くんよ。で、そっからセレモニーホールの裏っ方に出られるんやわぁ」
けど、とマリーさんは通路の床に視線を滑らせる。
「こん辺りも、誰か通った跡があるんよねぇ。こんなとこ、演習でもないと使うたりせんし……」
「ここはお歌が聞こえないの。風の精霊が、向こうにヒトがいっぱいいるって言ってるよ」
そういえば、ニジェの言う通り、地下に降りてからはあの歌声が聞こえない。
「そうやねぇ。せやから──聞こえとるんやろ、そこの」
通路の隅に向かって、マリーさんが突然声を上げた。おれたちは武器に手をかけ、通路の陰に目を凝らす。
足音もなく、制服を着た男子生徒が姿を現した。
「マリオネット先生」
「その制服、偵察係やな?」
男子生徒はマリーさんの質問には答えず、緊張した面持ちでおれたちを見返している。そして、慎重に言った。
「先生たちは、正気ですか?」




