第三幕 ふわふわ羊の大行進
興行が終わり、おれたちは村長の家に泊まらせてもらうことになった。小さな村には宿屋もなく、比較的裕福な家がその役目を兼ねているというのはよくあることだ。
粗末な固いベッドで横になっていたおれだったが、夜半、騒ぎが聞こえて心地よい眠りから覚醒させられた。家畜が狂ったように鳴き狂う声に混ざり、女性と子供のような声がする。
「マリー、ねえマリー! わたし、もう限界よ!」
「マリー、おれももう疲れたゾ……」
「ビスタもリュックも、もうちょい気張りや。ジュンヤくん、ニジェ! ええ加減起きなはれ!」
ビスタ、リュック。マリーに、ジュンヤ、ニジェ。ヒトの名前なんだろうが、聞き覚えがない。
おまけに聞き覚えのない名前の誰かは悪魔を連れていて、おれと金髪の幼女を背に、村の羊と戦っているようだ。
「なっ、なんだよこれ!」
状況を把握しても、何がどうなってこんなことになっているんだかわからない。部屋の中心で杖を構えて障壁を出す黒髪の女の子が、おれの戸惑いの声に勢いよく振り向いた。
「ジュンヤ、目が覚めたのね! 羊が襲って来たの、武器を!」
「え、あっ」
物凄く美人のその女の子は一方的にまくし立てると、また羊の群れと戦い始める。飛び交う火の玉やら投げナイフやら水の鳥やら、非現実的な光景は、まるで現実味がない。
ジュンヤって誰なんだ? おれはジュンヤなんて名前じゃない。まして剣なんか使ったこともない、大工見習い。なのに、目が覚めたら見知らぬ美少女と美女が羊と戦い、隣のベッドには幼女の姿。いやいや、そもそもどうしておれは、村長の家なんかにいるんだ?
混乱する頭が、メェーという、うるさいくらいの羊の鳴き声で整理されていく。
おれはジン。アプ村の大工見習いをしている。昨日は……そうだ、仕事の後、呑みすぎて酒場で寝てしまったんだったか?
メェー。また羊が鳴く。
そうだ、おれは昨日呑みすぎた。きっと親切なヒトが村長の家まで運んでくれたに違いない。でも、じゃあ彼女たちは、誰なんだ?
悪魔の1匹、ムッツリ口をひき結んだ子供みたいな体躯のピエロが、暗愚羊の突撃をかわして黒い地肌の喉笛を、ナイフで搔き切る。嘘みたいに赤い血が噴き出すが、ピエロは華麗に宙返りすることで血飛沫を避けて、次の羊に狙いを定める。
羊の赤い血飛沫で、おれの足下の床を転々と丸く染まる。
「ヒッ」
何でこのヒトたちは羊を殺してるんだ!? 身の危険を感じて後ずさるけれど、もう後ろには窓しかない。がたり、と背中が壁に当たった。ピエロに指示を出していた眼鏡の女性が振り返る。もうダメだ。このままじゃおれも、異常者の女に、羊たちみたいに────。
「ジュンヤくん? まさか、きみ──リクシャ、ジュンヤくんを解呪してみて!」
「わかったわ。『秩序の円環を回す者よ、我が同胞の、邪なる呪いを払え』────」
黒髪の女の子が魔法を詠唱すると、おれの足元に白い光の魔法陣が現れ、発光。一瞬で消えていく。
頭が鈍く痛み、ベッドの脇に立てかけた剣を取りながら顔をしかめる。──ついさっきまで、おれは何を考えていたんだろう。リクシャたちはおれの仲間で、羊はモンスターだ。
まだ軽く、疼痛が残っているような気がする。おれは二、三度頭を振った。
「ありがとう、リクシャ。なんか頭がすっきりした気がする」
「コイツら、やっぱりただの羊じゃないわ。気をつけて! 鳴き声で、混乱に似た状態異常にさせられる」
「ああ。さっさと片付けよう!」
愛用のフランベルジュを握り、羊の群れに相対する。村長の家は平家で、おれたちのいる客間はほどほどに広いものの、出入り口の扉の周辺は、もはや暗愚羊の羊毛が黒い海のようだ。
リクシャが長杖を振るうと小さな魔法陣がいくつも空中に現れ、紅蓮の火球が羊に殺到。黒いもこもこした羊毛はなかなかに防御力があるようで、多少えぐれたようになっても即死するほどのダメージは与えられない。
ムッツリ顔ピエロのリュックと並ぶようにして前に出て、暗愚羊に向かって剣を振るう。羊の注意はリュックがひいてくれる。一薙ぎでまとめて3匹の羊の胴体が斬り裂かれ、床に沈んで血だまりを作る。
すぐに奥の廊下から2匹の羊が部屋に雪崩れ込むが、リクシャの火球で足を止められているうちに、リュックの投げナイフが額に生えることとなった。
さらにその奥から押しのけるように、3匹の羊の姿。同時に部屋の後方の窓に黒い影が迫り、ガラスが破られる。
「アーリー!」
「わ、わかってるよ、まり」
マリーさんの声に応じて泣きピエロのアーリーが、ベッドのニジェに水の防御魔法を張る。暗愚羊の巻角と降り注ぐガラス片から、半球形に湾曲した水の膜がニジェを守る。すぐにリュックが小さな体を活かした曲芸じみた動きでニジェを回収。ニジェはまだ眠っている。この騒ぎで起きないっていうのは普通じゃない。これも暗愚羊の魔法効果の一つなんだろう。
ニジェを守りつつ、連携して暗愚羊を倒していく。床に残った魔晶石とドロップアイテムを手早く拾い、広々とした一室はそのまま、即席の作戦会議場にる。
「暗愚羊は闇の国に響いとる歌の歌い手。その使い魔みたいなもんやと思ってええと思うんよ」
戦闘によって荒れた部屋のベッドに座り、マリーさんが切り出した。
「闇の国の村や町には暗愚羊がおって、そこにいるヒトに状態異常をかけ続けてるんやと思うわぁ。そんで、リクシャは混乱に近い言いはったけど、うちの見立てでは、あれは『洗脳』やないかと思う」
「『洗脳』ですか? おれは起きた時、自分がジンっていう名前の、この村の大工見習いなんだって……なんていうか、信じ込んでましたけど」
「そうやねぇ。そういう偽りの設定を、現実だと信じ込ませてはるんよ。そんで、まるで物語を演じるみたいに、『闇の国』ちゅう劇に強制的に参加させてる、ちゅうことやねぇ」
自分の本当の設定を忘れさせられて、別の設定で上書きされたようなあの気持ち悪さ。ほかの消息不明になったヒトたちも、ああやってどこかの村か町かの登場人物の役を振られているんだろうか。
「じゃあ、ミーナはまさか……」
「ああ、顔がよう似てはる言うてた子? 多分、その子がナミなんやないかなぁ。ただ、魔法職の高ランク冒険者なんよねぇ?」
「ええ。ナミはSランクの死霊術師です」
出会った頃はAランクだったが、各地でのモンスターの討伐などが評価されて、今はもうSランクになっていると聞いた。マリーさんの確認におれが頷くと、彼女は悩ましげに腕を組む。
「うちやリクシャ、それに下位でも悪魔のビスタたち。魔法耐性が高うて、対策をしてれば、洗脳がかかったりはしない思うんやけどなぁ。まあ、確認はしてみてもええんとちゃう?」
「ジュンヤ、あたしなら『洗脳』を解呪できるわ。広範囲でってなると厳しいけど、1人ずつなら簡単よ!」
まだ目覚めないニジェの世話をしていたリクシャだが、話はしっかり聞いていてくれたらしい。
たしかに調教師のマリーさんよりもはるかに魔法耐性が高い職業のナミが、あっさり状態異常にかかるというのは腑に落ちない。だが、それも含めて確認すればいいことだ。リクシャの自信に満ちた申告で、おれの中で今後の動きが決まった。
「ミーナの家に行ってみよう。それからおれたちだけじゃ、闇の国全域となると対応は無理だ。確認を終えたら急いで村を離れて、ネーフェさんに連絡を取る」




