第二幕 軽業師の演技
おれたちは村で借りた馬に騎乗し、アプ村を目指していた。ギルドでは馬より早くリーズナブルな乗り物として疑惑の羊モンスター──暗愚羊というらしい──を勧められたが、当然断った。
闇の国にどんな異変が起きているのか、まだ全貌は掴めない。しかしながら、あの羊が国民に浸透しているのは確からしい。
「見えてきた。あれがアプ村やわぁ」
林を抜けたところでマリーさんが声を上げた。マリーさんの馬には、3匹の下位悪魔が一緒に乗っている。幼児くらいの大きさとはいえ、3匹もいたら、いっぱいになりそうなもの。落ちずに乗れているのは、やっぱり何か魔法の賜物なのだろうか。
おれも元々は乗れなかったけれど、移動手段として、この世界で馬はポピュラーだ。Aランクに上がったあたりで、リクシャに教わっておいてよかった。
おれの乗馬の師匠にあたるリクシャは、ニジェを前に乗せて、軽快に馬を駆っている。
村の近くでは例の黒い羊毛の群れが見えたが、ちょうど別の場所に移動するところのようだ。
「羊と行きあわなくてよさそうね」
リクシャが息をつく。
ニジェも言っていたが、あの羊にはモンスターだという以上に何か嫌なものを感じる。具体的に何が、というわけではないのだが、冒険者の勘というのか。実際にそれで生き延びた経験がある以上、やつらには近づきたくないというのが本心だ。
村に入り、ギルドに馬を返してからは、ばらばらに分かれて情報収集。村に目立った脅威がないので、その方が効率がいいだろうという判断。
ニジェは具合が悪いらしい風の精霊を気遣い、村外れへ。リクシャは村の人にナミや羊のモンスターの情報を聞き、マリーさんはといえば、興行をするらしい。
興行──それがなんなのかというと、一言で表すならミニサーカスだ。マリーさんが趣味と実益を兼ねて、方々で収集した、『ヒトから忘れられた伝承』。それを下位悪魔に歌わせたり、踊らせたり、曲芸だったり……そういったものと合わせて娯楽として上演している。
曰く、ヒトが集まるからちょうどいいんじゃないか、とのこと。
マリーさんは村の広場で夕方から行う興行の準備に追われ、おれたちは興行場所である村の広場を待ち合わせ地点として、方々に散った。
村の農家で、消費した細々とした消耗品を譲ってもらいつつ、ナミの消息を尋ねる。けれど、答えは冒険者ギルドの受付嬢と同じ。
「冒険者なんて、うちの村にはもうずっと来てないねえ。モンスターがなんだか前より多いし、近頃物騒だから」
というものだった。
「モンスター、そんなに多いんですか?」
「前は小鬼が数匹くらいだったんだけどねえ。最近、たまに大鬼が出るんだよ。羊がいなかったら、あたしたちの生活は成り立たんわねえ」
「…………羊」
あの不気味な羊がいないと生活が成り立たないっていうのは、どういうことなんだろう。
農家のおかみさんは、ふくよかな顔に笑みを浮かべる。
「そうよお。羊ちゃんがいれば、小鬼くらいなら突き殺しちゃうし、大鬼相手でも注意を引いててくれるうちに逃げられるしねえ」
「すごいんですね」
「ええ、もう。あんたも路銀に余裕があったら、1頭くらい譲ってもらったらどうかねえ。羊飼いのミーナちゃんに言えば、売ってもらえると思うわねえ」
おれは曖昧に愛想笑いして、おかみさんから堅いパンと乾物を数種類受け取って、その場を立ち去った。
大鬼といえば、中堅冒険者、Bランクが適正ランク。それを相手に時間稼ぎできるなら、暗愚羊は1頭あたりCランク相当の力があることになる。それが群れをなして村をうろついているとなると……ぞっとする。
おかみさんの長話に付き合っているうちに、気が付けば日は傾き始めていた。羊雲が流れていく青空に向かって一つ伸びをして、おれは村の広場へ向かった。
少し時間が早かったらしい。人もまばらな広場で、マリーさんはアーリーと、あと名前を知らない2匹の下位悪魔に指示を出していた。魔法で小さめの土の舞台を出し、色とりどりの光球や水の動物で飾り付けをしている。
次第に日は暮れ、広場が血のような赤い夕日に染まった頃、興行は始まった。
マリーさんがはじめに挨拶をし、下位悪魔たちが歌い、踊る。意外にも魔法で即席のセットを用意して、玉乗りや空中ブランコ、綱渡りといった演目もあって、興行は予想以上の華やかさだった。村人たちも、こういった娯楽は珍しいらしく、熱気が辺りを包んでいる。
真っ赤な舞台で踊る、子供のように小さなピエロの姿。
「わぁ」
女の子の感嘆の声が聞こえ、夕日が赤々と照らす観客たちの中、その姿が目に入る。
「っ……!」
おれはマリーさんの舞台から目を外し、その女の子の元へ急いだ。
「なあ、きみ!」
彼女は突然声をかけられたことに驚いたのか、目を白黒させている。困惑もあらわな声が、彼女の口から漏れる。
「え? あの……私ですか?」
「そうだよ、そう!」
遠目からだったし、人違いもあり得ると思っていた。だが、こうして近くでまじまじと観察して、確信を持つ。
「こんなところで何やってるんだよ、ナミ……!」
いかにも村の女の子が着ていそうな、野暮ったい草木染めの毛織のベスト。綿の丈夫なワンピースは生成り色で、裾のいかにも手作業な刺繍だけが装飾だ。
表情は以前見た時よりも柔らかいが、この顔は間違いない。そもそもこの世界で黒髪黒目はほとんどいない。いたとしたら、相当強い闇の魔力を持つ者なんだが……それなら、こんな辺境の村で生活しはしないはずだ。
ナミは勢いに押されたように、おれから一歩、距離を取る。
「ナミって誰ですか? えっと、私の名前はミーナなんですけど」
「冒険者のナミだろ? 【潜水者の街】の。水の国のギルドマスターが心配してた。なんだってこんなところで村人なんかやってるんだ?」
「人違いですよ。私はアプ村の生まれで、外に出たことは一度もないし」
人違い、なんだろうか。興行はちょうど終幕を迎え、村人たちの惜しみない拍手が日の沈んだ空に響いている。
もう一度よく彼女の顔を見る。やっぱり似ていると思うんだが、雰囲気が違うような気はする。ただし、顔の造作や髪型は、記憶の中のナミとまったく同じだ。
元の世界にいたころ、世界には自分と同じ顔の人間が3人いるっていう話を聞いたことがある。……こうまで否定するなら、他人の空似なんだろうか。違和感を拭えない気持ち悪さを感じながら、おれは謝った。
「……そうか、悪かった。人違いだったみたいだ」
「いえ。ナミさん、でしたっけ? 心配してくれる人がいるなら、見つかるといいですね」
ミーナはナミとは似ても似つかない朗らかで人のいい笑みを見せると、村の外れの方へ歩いて行った。




