団員の呼び声
土の国ヒュマニタスの首都、仁和城城下町は沸いていた。大通りには沢山の店が開店し、お祝いムードに任せてお祭り騒ぎ。
おれはギルドの二階の窓から、それを複雑な顔で見下ろしていた。
近くの店先には、和風な模様の入ったのぼりの『化猫退治祝』という黒々した字が揺れている。
ニジェが、おれの顔を覗き込んだ。
「お兄ちゃん、悲しいの?」
「……ああ、そうだな」
幼い容姿をした彼女の金色の頭に手を載せ、撫でる。
『化猫』。それは土の国で起きていた不可思議な現象、その元凶となっていたモンスター、『憤懣の化猫姫』のことだ。城下を中心に、存在するはずのないヒトやモノが現れるという現象が発生していた仁和。
おれたち【フランベルジュ】がSランクギルドとして昇格する際に選んだ依頼が、その調査クエストだった。
以前、水の国で出会った冒険者ナミ。去っていった彼女の嘆きと悲しみを思い出し、気付けば手に取っていたクエスト。私情からかつての彼女の仲間に関連のありそうな依頼を選んで受けて、仲間からの反発は覚悟していた。だが────。
「いいんじゃないの?」
「なっ、リクシャ!?」
「勘違いしないで。アタシたちには荷が勝つ依頼よ。正直にいって、ピーネが抜けた【フランベルジュ】じゃ途中放棄もあり得るわ。でもね」
リクシャは杖を手に持ったまま腕を組み、諦めたように息を吐いた。
「アタシ、ナミには借りがあるんだもん。……だから、ダメ元でも受けて見ていいと思ってるわ」
「お兄ちゃん、ニジェもさんせいなの」
体の小さなニジェも、精一杯背伸びをして自己主張した。
「ナミお姉ちゃん、悲しそうな風が吹いてたから。ニジェ、力になりたいの!」
「そうか。みんな、ありがとう」
受付では渋い顔をされた。しばらく前までの調子に乗った振る舞いを改めて、ようやく認められて。やっとSランクになれるかどうか。そんな大切な時期に、危うい依頼を好き好んで受ける必要はない。
ギルドマスターのイヴァンさんに呼び出されて面談をすることにもなったけれど、最後にはおれの意思が固いのを見て納得してくれた。
「まあ、お前さんたちが軽い気持ちで選んだんじゃねえことは、よくわかった。せいぜい死なないように頑張れよ」
ナミが凍結猫を相棒として戦っていたというのは、風の噂で聞いたことがあった。正直に言うと、あの頃は「うっわぁ、モンスターをテイムすんのかよ、異世界最高、かっけー」とか呑気に思っていた。恥ずかしいような懐かしいような。
仁和は異世界が元の世界を懐かしんで作った町、ということになっているらしい。異世界、要するに大昔の勇者の血を継いだ王族が治める国の首都。
代々女王が王位を継ぎ、豊饒をもたらすブレスを神から与えられて、その力で国の豊かさを保証してきた。だが、問題が起きた。先代の女王が死去した後、残された王族は王子だけだったのだ。ブレスを継ぐ者は一人もおらず、事態は混迷を極めた。そんな時、一人の少女が現れた。
曰く、自分は先代女王の落胤だと。
曰く、『豊饒』のギフトがあるのだと。
彼女は城の周囲のあらゆる枯れ木に花を、実をつけてみせた。瘦せおとろえはじめた土地は緑に覆われ、病を得たヒトビトを癒した。
だが────ある一人の土の国の民が、城下を離れたことで異常は観測された。
城下町から離れた従兄弟の家を訪ねたある男が、その場で崩れ落ちて骨と泥に変わってしまったというのだ。似たようなことが続き、冒険者ギルドでの調査が断行されることとなった。
「日が沈んで月が昇る。ニャら、ナナツヨが廻るのもおんなじことニャ? 誰が死のうと生きようと、かんかんのうを踊るだけなのニャ」
「黄泉がえりも黄泉路降りも、大した違いは、ないのニャア」
「確かにあちしは嘘をついたニャ。でも、生きてるヒトは夢を見てよくって、死んだヒトはダメなのニャア?」
これらは憤懣の化猫姫が言っていたことだ。
見たいものだけを見て、聞きたいことだけを聞けばいい。彼女はそう、高らかに主張した。
女王が崩御した影響で不作に苦しんだのは、ヒトだけではなくモンスターもだった。仁和は飢えたモンスターの大規模な襲撃を受け、すでに城下をはじめとした都市の3割ほどのヒトが死に絶えていたのだ。化猫姫はそこで、幻術をかけた。
まだ『豊かだった仁和』の幻を見せ、死人の魂までを化かしていた。
化猫姫の幻術が解け、ヒトビトは邪悪な幻から逃れたとはしゃいでいた。だが、一方で親しいヒトが消えたことを嘆く声もあった。たとえ幻でも、夢を見たままでいたかった、という彼ら。
自分がしたことが間違っていたとは思わない。食糧支援を受けなければ、仁和の残りの7割のヒトビトも危うかった。幻術は所詮幻。幻の食事で満腹中枢は騙せても、本当に栄養が得られるわけじゃない。あのままでは、いずれ緩やかに餓死者も出ていたはずだ。
細長い、透明な結晶を指でつまんで窓からの日に透かす。
化猫姫が消えた後に残った魔晶石。鑑定した結果、『化猫姫の氷涙』というらしいこの結晶は、強い魔力を秘めているのだとか。
あの化猫は──最期まで、涙なんか流さなかったけれど。
扉がノックされる音で、おれは我に返った。
「失礼、わたくし水の国のギルド所属、ネーフェと申します。ジュンヤ様にギルドマスターイヴァンより、クエストを預かって参りました」
「ん、ああ」
できる秘書風の長身の女性に差し出された紙は、見慣れたクエストの依頼書だ。いまだぼんやりとした頭で受け取ったそれには、こう書いてあった。
依頼名 【潜水者の街】ナミの救出
報酬 達成段階による
依頼者 水の国ギルドマスター イヴァン
詳細 Sランク冒険者である【潜水者の街】のナミが、闇の国で消息を絶った。闇の国に入ったものは一人も戻ってこない。どうかその原因を調査し、馬鹿娘を回収してほしい。
読み進めるにつれ、頭が冷えていく。クエストの依頼書を持つ手に力がこもり、くしゃりと音を立てる。
「もちろん拒否権はあります。どうなさいますか?」
おれの返答は決まっていた。




