こころのありか
「この坂を上れば、火龍の心炉です」
先導を務める琥珀がアナウンスする。
正面から突入した連合隊の奮闘があってか、ここまでほとんど戦闘なしにやって来られたのは幸いだった。
目前にあるのは、ひたすら真っ直ぐで幅広の坂だ。ここはそう戦闘が激しくなかったのか、周囲の岩盤も無傷だ。
琥珀はいつも通りの鉄面皮。だが、その下には、必死に逸る心を抑えているのがわかる。思い返せば彼女と出会って1週間くらいにしかならないはずだが、最初はただの無表情に見えた彼女の表情も、だいぶわかるようになってきた。
坂を上るにつれて、だんだんとヒトの声が聞こえてくる。あの一際威勢の良い少女の声はマレットだろう。彼女も無事、生き残ったようだ。
ポーチの中の紅茶色の魔晶石の存在を意識する。これは落ち着いた頃、彼女に渡すつもりだ。この色付き魔晶石の正体は未だもって不明だが、少なくとも、いつどこで死ぬとも知れない私が持っているよりはいいだろう。
もっともラトニア- IIとの戦いの詳細は、彼女には語るつもりはない。あんな……あんな悲劇を知るのは、私だけで充分なのだ。
「琥珀。下で何があったのか、詳細は誰にも言わないで」
「はい。かしこまりました、ナミ様」
琥珀への口止めも、これで完了。
プラントにはラトニアそっくりな強いモンスターがいて、討伐された。その事実だけでいい。
「負傷者の運び出し────冒険──任せ──」
マレットの声がはっきりと聞こえてきた。ダンジョン総動員に器人まで加わった攻勢ともなれば、無傷での勝利はありえない。だが、この分だと、被害は想定より抑えられたようだ。
詰めていた息を吐き、ゆっくりと出口へと向かっていく。緊張の糸が切れた、その時。
────ヒュン!
鋭い風切り音が聞こえた。たった一瞬の気の緩みを的確に突く、射手のお手本のような一射。回避は間に合わない。
射手の姿を探して上り勾配の洞窟の終点を仰げば、堂々と立って武器をこちらに向ける何者かの影が見えた。
遠距離系の武器で狙われているなら、速やかな退避が必要。洞窟内部の壁や床は、通路として整備がされている。だが、遮蔽物となる岩石の凹凸が全くないわけでもない。
「狙われてる、走って……!」
短剣を抜きつつ、姿勢を低く保って岩陰に走った。手頃な岩の陰に隠れ、壁を背にするようにして射線から外れる。しかし、琥珀は私の注意に反応しない。
「……琥珀?」
彼女は通路の真ん中で、立ち竦んでいた。ゆっくりと伸ばした右手は、胸部の左寄り──心臓の位置に当てられる。硬い金属の体を貫いて、メイド服の背中からは鋭く尖った金属が突き出していた。ゆっくりと体が傾ぎ、どさりという音を立てて彼女の体は地に伏した。
「やった、あたしやったわ! ねえ見て、器人よ。殺した、あたし、器人を殺したの!」
水を打ったように静まりかえった火龍の心炉に、はしゃいだ女の甲高い声が響き渡る。得意げに胸を張る勇者ミソラの腕は、既にボウガンを下ろしていた。
琥珀との間に距離があったとはいえ、声をあげた私の存在には気付いているだろうに。『器人を殺す』ということに気を取られて、まるで注意を払っていないのか。
反撃するべきかしないべきか。決断に迷う私とは裏腹に、勇者ミソラは意気揚々と勝ち誇る。
「まだ残ってたなんて、虫けらみたいにしぶといみたいだけど。このあたしの目からは逃げらんないわよ!」
一瞬のうちに起きたあまりの出来事に、後始末をしていた冒険者や職人たちは固まっている。誰もが声を発せず動けない中、最初に我に帰ったのはマレットだった。眉を吊り上げて、身長も強さも自分よりずっと上の勇者ミソラに詰め寄り、その豪腕で顔を殴りつけた。
「何やっとるん、その子は違う! 投降した器人やっていたやろ!? よう顔ぉ見てみ、会議にいたやろ!?」
「そっちこそ何すんのよ、痛いじゃない! 人形の顔なんてみんな一緒よ。まとめて撃つに決まってるでしょ」
勇者の防御力で吹っ飛びはしなかったが、赤くなった頬をさするミソラ。彼女は憤然と抗議すると、侮蔑を宿した目で倒れた琥珀を見下ろした。
「それよりあんたも見なさいよ! あたし、活躍したの。だからもっとあたしを見て! 喝采を頂戴」
倒れた器人の体とミソラを見て困惑するヒトもいたが、琥珀の顔を見ると愕然とするもの、マレット同様怒りを露わにするものが圧倒的多数だった。琥珀の種族が器人だからと複雑な顔をするものすら、ミソラの蛮行には顔を顰めている。
ミソラの主張は、真っ当な感性を持つニンゲンには理解できるはずもない。真っ当でない感性を持つだろう私にすら、理解できない。
敵意と怒り、困惑を一身に集めながら、ミソラは自身が注目されているという事実に酔って、満面の笑みを浮かべている。周囲のざわめきも、内容が耳に入っていないようだ。
職人の一人が街に駐屯する兵士を呼んできた。あの厳しい顔は、琥珀のいた工房の親方だ。少し遅れてナットも同行している。
兵士はいまだ狂ったように笑い続けるミソラを見ると、職務に忠実に、彼女を拘束した。勇者として強い力を持っていても、射手という後衛職のミソラはさほど手間をかけずに逮捕される。
兵士が罪人の拘束用の魔道具を起動すると、白い輪がミソラの体を縛り上げた。
「嫌、離しなさいったら! あたし、悪いことなんかしてない! 離しなさい、っ、離せって言ってるでしょクズ!」
「──『封呪』」
あまりのうるささに閉口した神聖魔法使いが、魔法を唱えた。本来は呪文の詠唱を防ぐ用途の魔法のはずだが、声そのものをしばらく出せなくするものなので、ちょうどいいのだろう。
音を出せなくなった口で、それでもミソラは何かをさかんに言おうとしている。読み取ろうとすれば読めるが、どうせ罵詈雑言だ。心の底からどうでもいい。
親方はミソラを厳しい目で見た後、ナットの肩を叩いた。ナットの視線の先で、通路に倒れて転がった琥珀の体が、ふっと消失した。彼は後に残った残骸、ハート型の金属塊をじっと見つめていたが、視線はそのままに、幽鬼のようにふらふらと歩き出す。
等身大の機械人形だった琥珀の大きさからすると、金属塊は小さなものだ。両手で持てば、手に載せることだってできる。
ナットは金属塊をガラス細工に触れるようにそっと抱えると、堰を切ったように落をぼろぼろとこぼした。
「あ、あぁ……あ、そんな。嘘だ……」
弟子の終の別れを邪魔しないようにという配慮からか、親方は辺りにいたヒトビトに何か伝えると心炉から出て行く。
最後に私に目配せをした親方に、私は首を縦に振って合図した。言われなくても、私は一時とはいえ琥珀のパーティーメンバーだったのだ。最後まで彼らを見届けるつもりだった。
嗚咽の合間に、ぽつりぽつりとナットが思い出を辿る声が聞こえてくる。
「鍛治のギフトがなくても、僕の作る武器が好きだって……。丁寧に、使う人の事を考えて作られてるって。誰かを守るための武器だって、言ってくれたのに、それなのに、どうして……どうして君は」
ナットは眼鏡をずらして乱暴に手で涙を拭うが、次々と溢れてくるためほとんど意味をなさなかった。大きく鼻をすすり、くすんだ橙色のつなぎに包まれた腕で顔を覆う。
「…………嘘だ」
「ナット。琥珀はそれでも死んでもうたんや。戦うっちゅうことにはいつだって、死ぬ危険がある。モンスターに殺される、トラップにかかる、それに……仲間割れや恨みを買って他のニンゲンに殺されてまうことやって、あるんよ」
「だけど、琥珀はそのどれでもない。あんな風に死んでしまう理由なんて、なかったはずです」
マレットの言葉を受け入れられないナットだが、彼の言い分は必ずしも正しくはない。
「忘れたの? あの子もモンスター。洞窟で何人も、器人を倒したでしょ。琥珀だってヒトを眠らせてる」
ナットは私の言葉に項垂れると、静かに涙を流しながら口を閉ざした。彼だって忘れてはいないはずだ。忘れられるはずがない。
琥珀が眠らせたのは、ナットのいる工房のニンゲンだったのだから。
「ナット。その琥珀の嬢ちゃんの遺したドロップアイテム、持っててやり。それは『器人の心』ちゅうらしい。それがホントなら、その塊は琥珀の嬢ちゃんの心なんやから」
マレットはそう言い残すと、心配そうにしながらも、洞窟から出て行った。
嘆くナットと二人きり。私は彼に何をすべきなのか。仕方がないことだったと言えばいいのか、それともミソラに怒りを見せればいいのか。どちらも正しくて、間違っているように思える。
私がみんなを亡くした時は、何を言われても心に響かなかった。それを思うと、正解などどこにもないのだろう。ただ涙が枯れるほど泣いて、叫んで。それでようやく理解できるのだろう────死というものは。
どれだけ大切なヒトであっても。どれだけ、涙が枯れて心を切り刻んで、血の涙を流しても。
もう、彼ら、彼女らは、決して戻りはしないのだ。そう、それこそ『奇跡』でも起きなければ。
私は洞窟の隅の壁にもたれて座り込み、少し離れたところからナットを見守ることにした。
それにしても、火龍の心炉は何度も話題に出たけれど、見るのは初めてだ。広いドーム状の部屋で、鍛治のための道具が、今は壁際へ乱雑に押しやられている。
部屋の一角は、どういう理屈なのか溶岩が溜まっている。塔のように背の高い煉瓦の囲いの中で、坩堝にかかった金のような溶岩が、赤々と煮え立った泡を吐き出していく。
私の視線の先で、不意に溶岩がごぼりと大きく弾けた。いや、それどころか、何か様子がおかしい。中央の部分が盛り上がり、小さな泡がボコボコとたくさん噴き上がっては割れる。まるで、溶岩の下にいる何かが浮かび上がってきているような……。
「ナット……! こっちへ」
あれ、おかしいな……そろそろ火の国編が終わるはずだったのに、長くなっている?
すみません、もう少しお付き合い下さい。




