侍女の願い
いくらでもこの洞窟にあるような、岩盤剥き出しの小さな部屋。扉さえない粗末な部屋の奥にあるのは、SF小説で出てくるような装置だった。直立した背の高い透明な円筒形の容器に、半透明な液体が満たされている。装置の中では、穏やそうな女性が安らかな寝顔を晒している。桃色の長髪が、海藻のように薬液の中でゆらめいた。
どうして、リディアがここに……。彼女がここにいるはずがない。もうずっと昔のことにも思えるけれど、リディアは数ヶ月前に水の国と金の国の境目の荒地で死んだ。白い無慈悲な光に呑まれて、消えてしまったのだ。その肉体を再利用したモンスターにしても、私が殺した。だから、こんなところにいるはずが、ないのに……。
ポット、というのだろうか。不思議な装置に近寄る。ここがダンジョンの中だとか、作戦中だとか。そういうことは、頭から抜けていた。
「ナミ様……? どうなさったのですか」
珍しく焦った声で呼びかける琥珀に応える余裕もない。あり得ない邂逅に、仲間の姿に見入ってしまう。
「見世物ではないのですが。私の主人の姿がよほどお気に召したようですね」
抑揚の薄い声に続いて部屋の入り口から最初に見えたのは、赤茶色のツインテール。黒いエナメルの靴が岩盤を音もなく踏み、また一人、懐かしい姿が現れた。
「ラトニア……?」
メイド服を纏ったツインテールの女性が、眉を顰めた。
「あのような欠陥品と一緒にしないでください。私はラトニア- II。器人の上位機体にあたるモノです」
ああ、そうだ。確かにラトニアにあったはずの猫耳と尻尾はない。少なくとも前から見た限りでは、普通のニンゲンと同じ耳に見える。見間違えるなんてどうかしている。
「貴女方がこのルートを使用する確率は84.02%。器人二機の配置で充分に妨害可能と算出されていましたが、思ったよりもやるようですね。これは戦力評価を上方修正すべきでしょう」
ラトニア- IIは、猫の瞳孔を持つ、赤茶色に発光する瞳で琥珀を検分する。自らの作品の出来映えを確認する発明家のような眼差しには、まったくといっていいほど感情がない。
「特にF-amの戦術回路の発達が目覚ましい。短期間であれほどの対策を練り、上位機体へのファイヤーウォール構築まで完璧にこなすとは」
予定よりは早いが、戦闘場所がどこであろうと関係ない。このくらいは誤差の範囲内だ。
ゆっくりと武器を引き抜くわたしの動作に気付いていないわけでもあるまいに、ラトニア- IIは焦るそぶりさえ見せない。
「貴女方に提案があります」
「提案?」
「この国で私が必要とするサンプルは、既に収集が完了しました。よって、火の国からは手を引きます。貴女方が私と争う必要性はこれにより、61.66%低下。戦闘行為の中止を要請します」
要するに、もうこの国にこれ以上用はないからお互い手を引こうと言うことか。
「断る」
「なぜですか?」
「クレメンスという神が、あなたたちを殺せばみんなを生き返らせてくれると言ったから」
「……死後を司る混沌神ですか。良いことを教えて差し上げましょう。死んだものはもう帰っては来ない。これは、神でも曲げられないこの世の真理です」
ですから、とラトニア- IIはポットを見上げて続ける。
「私はそれを克服します」
「克服?」
「このポットの中に入っているのは、リディア様の複製体です。先日貴女の部屋に忍び込んだ器人が密かに抜き取った、リディア様の毛髪から作り上げました」
複製体……言葉からすると、機械製の器人というよりはクローンのようなものなのか。ポットの中で眠るその姿は、私の記憶するリディアとまったく同一だ。もしかしたら表情の差異があった、光の国にいたリーデティア以上に本物らしいかもしれない。
ラトニア- IIはポットの前に移動すると、中で眠るリディアのクローンを見上げた。そして滔々と説明を続ける。
「そこに、私の保持するリディア様の記憶や、火の国で回収した記憶素材を組み合わせてあります。あとはインストールされた擬似魂魄がそれらを統合すれば、理論上、完璧にリディア様が復活されます」
「でもそれは、リディアじゃない」
クローンはいくらそっくりでも、本物ではない。現代に生きていた私は、それを知識として知っている。
それにリディアの肉体を再現した技術がいくら正確でも、物質的に同じであっても、中身が違うならそれは別物だ。記憶をいくら塗り重ねて本物そっくりの反応をできるようにしたとしても、それは機械的に入力された情報を引き出しているだけ。本当にそう感じて泣き、笑うわけではない。
まして他の人間の記憶が混じっている時点で、オリジナルとは言えない。それは……ただ本物と同じように動く人形を作るだけの、自己満足だ。
「ラトニア- II様。私には、それが大主人様だとは思えません」
「なぜですか?」
「私ども人形は、どれだけヒトに近づいてもヒトにはなれないのです。インプットされた情報をシステム通りにアウトプットする。器人とはそういう機械です」
「ええ。その通りです。それのどこが違うのです? ヒトとて、様々な思慮によって状況を『分析』し、適切な行動を『アウトプット』します。同じことでしょう」
ラトニア- IIは冷淡に琥珀の異議を斬って捨てる。
けれど、違う。ぜんぜん違う。
どこが違うのか説明することは難しい。それでも、その二つは明らかに違うと感じる。
ただ、言葉に表せないわたしの感覚は彼女らには伝わらない。だからわたしは、もう一度同じことを繰り返すしかなかった。
「それでも……違うよ」
「そうですか。残念です。大主人様の仲間だった貴女でしたら理解してくださるのではないかと思っておりましたが、所詮、愚蒙なニンゲンですね。私の完璧なプランを理解するには及ばないようです」
琥珀が鎖鎌を喚び出して構えるけれど、ラトニア- IIは相変わらず余裕の表情だ。
「ここで戦闘するとリディア様に傷が付く恐れがあります。移動しましょう」
「わたしには、その必要はない」
どの道あのリディアの模造品は処分しなければいけない。ヒトから奪った記憶で構成されたモノの存在を、奪われたヒトたちに近しいものは消して許さないだろう。
仲間の姿をしたものがどうせ消されてしまうなら、自分自身の手でけじめをつける。そのために、まずはこの狂ったモンスターを討伐する。
行うべきことは、もう決まっていた。
わたしは手ぶらで佇むラトニア- IIに、弱体の魔法を唱えた。しかし、メイド服の表面で、魔法は微かな光になって弾けるように消えてしまう。発動に失敗したのだ。器人としての身体能力の他に、人工物の体は高い魔法抵抗まで兼ね備えているらしい。
死角から蛇のように襲う琥珀の鎖鎌も、
「これは直撃すると少しばかり痛そうですね」
と、白磁の指で刃を挟み込むようにして受け止められた。すぐに琥珀色の鎌は、鎖で琥珀の手に引き戻される。無表情がデフォルトの彼女も、流石に焦りの感情が覗いている。
ラトニア- IIが流麗に詠唱すると、部屋の床一面に大きな白い魔法陣が現れた。激しい一瞬の光の後、私たちは岩造りの広間のようなところに移動していた。広い空間には金属製のパイプやボックス状の機体が転がり、工場という言葉がしっくりくる。ここがわたしたちが当初目指したプラントなのだろう。
「琥珀、私は貴女の優れた学習能力と適応能力を高く評価しています。ここを制圧することは即ち、器人の生産や修理も全てストップされることを意味します。それでもまだ戦闘行為を望むと、そういうのですね?」
「はい。私の主人のために」
「そうですか。では────」
ラトニア- IIが両手を前に出した。魔力が高まり、光の粒子が彼女の華奢な手の中で形を成していく。
「機体F-amは神経回路に重篤なバグが発生していると断定。制圧後、速やかに解体・修理作業を実行します」
紅茶色の目を烱々と発光させて、メイドが武器を手に踊りかかった。
お昼頃に投稿しようとしたんですが、少し遅れてしまいました。システムアップデートをサボっていたら、文章の選択、加工がいつのまにか上手くいかなくなっていて焦りました……。
直ってよかった。
年内にもう少し更新できると思います。




