ひそやかなあしおと
不意にベッドの中で目を覚ました。固い寝床から音を立てないように身を起こすと、階下へと向かう微かな気配を感じる。
わたしはそっとベッドを抜け出し、エルヴィン仕込みの隠密術を駆使して気配を追った。
上階の部屋を割り当てられているのは、わたしと琥珀の二人だけ。とすると、こんな深夜に琥珀は何をしようというのか。
普通なら裏切りを疑うところだが、琥珀に嘘は無理だろう。まあ、もし裏切っているようならさらに裏をかいて後ろから刺せばいいだけだ。
今日は月が明るい。器人はおまけに目が発光することもあって、見失いにくい対象だ。よく利く夜目に見つからないように注意しつつ、尾行する。工房を抜けた先で捕捉した姿は予想通りの人物だった。
琥珀は尾行に警戒して時々周囲を探りながら裏路地を歩いている。気づかれないように数十メートルは距離を開けて、わたしもそれを追いかける。
琥珀が足を止めたのは、火龍の心炉のある洞窟、その手前のやや開けた場所だった。土砂やらなんだかよくわからないくすんだ鉱物の積もった小山が隅の方にいくつも集まり、人の背の中ほども高さがある大ぶりな金属製の荷車が傍に放られている。
わたしは荷車の、土がこびりついた車輪の陰にしゃがみこむようにして暗闇に聞き耳をたてる。
「マルガレーテ。体内通信まで使って呼び出した用件は何ですか?」
「琥珀……! よかった、来てくれたのね」
声は琥珀と同じくらいの少女の声だ。安堵した様子が声から窺える。
「……用件はもうわかってるわよね。琥珀は精神回路に障害が発生してるの。だから、一緒にプラントに戻りましょう? 上位機体に反抗するなんておかしいわよ。今ならきっと許してもらえるから、だから行きましょう?」
懇願するマルガレーテの提案を、琥珀はすげなく否定する。
「いいえ。貴女もそんなことがないことは理解しているでしょう? ラトニア- IIも私たちも、本質的には同じ。機械なのです。故障品は速やかにスクラップされると定められています」
「でも……でもそれじゃあ、アナタは殺されてしまうのよ」
マルガレーテの声は震えていた。彼女は器人のようだし、つまるところ琥珀を説得しに来たのだろう。こうして声だけ聞いていると、とてもマルガレーテが器人だとは思えない。それこそどこにでもいる、若い女の子のような話し方と感性を持っているように聞こえる。
念のため周囲の気配を探るが、マルガレーテと琥珀以外にはヒトの気配はない。彼女は本当に、闇討ちとか暗殺とかいったことは考えず、琥珀の説得のためだけに来たらしい。
ついでに彼女がこの場所を選んだことから、彼女たちの本拠が火龍の心炉へと続く洞窟内であることはほぼ確定だ。
「マルガレーテ。貴女は変わりました」
マルガレーテは無言だった。沈黙は琥珀の言葉を肯定していた。
「貴女も昔は、機械的な喋り方しかできなかった。以前の貴女なら、一人だけで私を呼び出して話そうとはしなかったでしょう。貴女が変わったように、私もまた変わったのです」
「それはそう、だけど。だからといってアナタ、このままでは死んでしまうのよ……!」
「…………ふふ」
マルガレーテが息を呑んだのが、気配でわかる。
琥珀は小鳥のように喉の奥で笑っていた。感情表現の希薄な琥珀の、聞いたことのないくらいはっきりとした感情の発露に内心で驚く。
「私は工房でヒトを眠らせてしまって、とても怖かったのです。貴女もそうでしょう、マルガレーテ。だからわざと宿屋で騒ぎを起こして追い出さざるをえない状況を作ったのでしょう?」
「それは……」
それが本当だとしても、マルガレーテは器人だ。上位機体であるラトニア- IIの意向に反する以上、肯定することはできない。
「拾ってくださったナット様を眠らせる前に、私が眠ろうと思いました。けれど、スクラップの私にも、まだできることがあるようです」
「それはアナタがやらないといけないことではないわよ! きっと別の誰かが」
誰かがいつか。それが叶わないだろうことも、琥珀がそれを受け入れないであろうことも理解している。けれど、それでも認めたくないという感情がマルガレーテの声からは溢れていた。
冷静ながらも穏やかに、琥珀は友人に告げる。
「マルガレーテ。機体番号F-ru。貴女のような友人がいてくれて、とても嬉しく思います。求めても、機体番号ではなくて『琥珀』という名で呼んでくれたのは最後まで貴女だけでした」
嫌だ、とマルガレーテは呟いた。
琥珀の覚悟を悟ったからこその拒絶に、琥珀が勇気付けるように言う。
「大丈夫です。貴女は貴女の思うように。私がたとえ壊れてしまっても、貴女がいてくれると思えば安心できます」
「やめてよ! どうして、どうしてそこまでするの……」
「私がお役に立てれば、もしこの問題を解決できれば……その時は、ナット様と一緒にいることが許されるかもしれません」
ナットは琥珀が最初に仕えていたニンゲンだ。わたしにとってギルドの仲間が大切だったように、彼女にとっての大切は彼なのだろう。
その人のためなら、自分はどうなってもいい。その気持ちは悲しいくらいにまた、わたしにも理解できてしまう。
……しかし琥珀は現主人(仮)のわたしをさっぱり勘定に入れていないのが若干引っかかるといえばそうなのだが。いや、別に仕えてほしいわけではないし、返品するのもむしろ望むところだ。ただ、かといってわたしが上手く問題を解決するまでの繋ぎというか、そういうものになっているのが物悲しい気がする。
虚しいというか……なんだろう。都合のいい女にされた感、とでも言うのだろうか。
感動的な密会なのに、どうにもモヤっとする。
「さようなら、マルガレーテ」
琥珀が歩き出す気配がする。帰った時にわたしがベッドにいなければ、琥珀に尾行がバレてしまう。微妙な心境を押しやって、わたしはマレットの工房へと夜の街を首尾よく先回りして、固いベッドに納まったのだった。
今年ももうじき終わりですが、もうちょっと年内に更新を頑張る予定です。長期化してしまっていますし、どんどん進められるといいなあ……。構想はラストまでできているんですが、どうにもやることが色々で、モチベ維持が難しい今日この頃です。
ちなみに、現時点ではあと数話で火の国編が終わり、闇の国、金の国と進み、結びになる予定です。




