進化
抜けていた一話です。これで前後が通じると思うんですけど。
ディルがアクアキャットの死体の周りを囲むように、杖の石突きで魔法陣を描いた。アルファベットのようにも見える記号が地面に、円形に並んでいる。
「じゃあ、やり方はさっき説明したから分かるよね?」
ディルは確認した。
「うん」
ディルが魔法陣から出るのを待って、私はディルから教えてもらった死霊術の詠唱を始める。借り物の短剣を握りしめた。
「『我ここに、魂に隷属を刻み、僕を創造する。汝が名は……』」
ここで名前をつけないとだけど……。どうせこの世界の生き物だし、適当でいいや。
「『……ナギ。呼び声に応えよ』」
即興で考えたにしてはいい名前だと思う。詠唱を終えると、刻まれた文字が黒く明滅し始める。
魔法陣から闇のような粒子があふれ、アクアキャットの死骸を覆った。
「これ……成功なの?」
不気味すぎる反応に心配になってきた。
「大丈夫だよ!」
力強くディルが言った。
闇はやがておさまって、そこには……銀色の毛並みに青い瞳をした、すらりとした体躯の猫が、四つ足で立っていた。
「なんか……違う?」
もっとアクアキャットって、毛色が灰色っぽかった気がする。
困惑する私の隣で、ディルが興奮したように叫ぶ。
「進化だー!」
そして一直線にアクアキャット(?)のところへと駆け寄った。
リディアが微笑ましいものを見るような微笑を浮かべる。
「進化ですわね。珍しいことです」
「進化ってどういうこと?」
「死霊術師や使役獣師がモンスターを使役するときに見られる現象ですわ。魔力が高い者に、稀に起きるのです。あれはアクアキャットの上位個体、フリーズキャットですわね」
ディルの歓声が聞こえる。
「うわー! うわー! うわあー!!」
ディルがフリーズキャットに触ろうと右手を伸ばすと、氷でできたリングがフリーズキャットの周りに凝った。
ディルの手はリングに阻まれる。悲しそうにディルは手をさすった。
「冷たい……」
「ああして氷や冷気を操ります。雪山などで吹雪に紛れて狩をすることが多いモンスターですわ。死霊術を用いたので、フリーズキャットのアンデットということになるのでしょうね」
リディアはそう言いながら手を組み祈り、ディルに治癒魔法をかけた。
「ありがとー」
ディルはフリーズキャットに触るのを諦めたらしく、とぼとぼとこちらへ戻ってくる。
フリーズキャットは優雅な足取りで私に近づく。
まさか急に襲われないかと身を固くするが、フリーズキャットは私の前で跳躍し、腰に巻いたポーチの上に乗ると眠り始めた。
恐る恐る背を撫でると、ひんやりとしている。
ディルがそれを羨ましそうに見ながら言った。
「でもさ、こうなると魔力制御を覚えないとじゃない?」
「そうだな」
後ろで成り行きを見守っていたカスターが同意した。
「魔力制御?」
「うん。進化を起こすくらい魔力が高いってことは、魔力制御は必須になるね。暴発したら危ないんだよ?」
「へえ。どうなるの?」
「えっとね、体パァンするんだよ」
無邪気にディルは答えた。
「……体パァン?」
不吉な表現に、つい聞き返す。
「そう。体が風船みたいに内側から魔力で破裂してー」
それ以上聞きたくなかった。私はディルが言い終わる前に、可及速やかに言った。
「よろしくお願いします」
そしてその日から、パティエンティアまでの数日、魔力制御や魔法についてのディルによる講義を受けることになった。
モンスターをカスターたちに補助されながら倒し、森を進んだところでその日の移動は終了。
焚火を囲んで、リディアとカスターに見守られながら、魔法の講義が始まった。
「まず魔力制御だね。ナミは魔力を感じられる?」
「魔力がなんなのかすらわからない」
「魔力っていうのは、ニンゲンが持っている力。魂から汲み出されるもので、使いすぎると気絶しちゃうんだよ。手を出して」
私が右手を出すと、ディルは手をとろうとして……ナギに引っかかれた。
「わっ、何すんのさ!」
「……フーッ!」
ナギはディルを威嚇している。どうやらディルが嫌いらしい。
「手から直接魔力を流して存在を感じてもらうつもりだったのに……」
ディルがむくれていると、ナギが私の手にじゃれついた。そこから何かが注ぎ込まれるような、不思議な感覚がする。
この何かには、覚えがある。私は手のひらを見つめながら、体の内側にある何かを取り出すイメージを作り、それを手に集めてみた。
ディルはちょっと残念そうにしている。
「魔力は感じ取れたみたいだね。それならあとはもう、実践で覚えた方が早そうかな。……はあ」
ナギは満足げに喉を鳴らしている。ディルはそれを見て、またため息をついた。
「……はあ。まあ、死霊術はまだ謎が多いからね。色々がんばって」
「謎が多いのは他の魔法も同じだよね」
「……死霊術っていうのは混沌の神に属するって前教えたよね?」
「論理魔法もそうだよね」
「そう。だけど、死霊術は特に、死者に関する領域でしょ? そもそも混沌の神って冷酷無慈悲、残酷な邪神だっていう伝承があるから、縁起悪いんだよ。ひどいと死霊術師っていうだけで迫害されるんだ」
「……あらゆることが最低なのは、この世界では普通なの?」
「そう言われると苦しいかな」
苦笑するディル。リディアが言う。
「この世界では、死んだニンゲンは、三つの要素に分かれると言われておりますの。記憶は秩序に消え、魂は混沌に還り、肉体は自然に溶ける、と。三柱の神は、等しく力を持っておられます。けれど、混沌の神はこれといった恩寵を与えない神なので、信仰の対象として不人気なのですわ」
「ふうん」
「ナミは基本は大丈夫そうだから、明日からは実践だね。参考になるかわかんないけど、ボクの本だったら貸してあげるから。死霊術 の本も、少しはあるし。論理魔法の魔法文字とかは勉強すれば、使えるようになるよ」
「……私、テンペランティアで、論理魔法、神聖魔法、精霊魔法、どれも才能なしって言われたんだけど」
「大丈夫だよ。論理魔法は努力しだいで誰でも使えるから。明日から頑張ろう?」
「……うん」
それからは、みんなで話し合って、不寝番の順番を決めてから寝ることになった。私が当番に入っていないのは肉体的にありがたかったけれど、やはり安心して眠ることはできない。
彼らが信じられないのではない。道中彼らは親切だったし、どうやら害意はないらしいということもわかる。
けれど、それでも私はどこか張り詰めずにはいられない。
不安と警戒を感じ取ったのか、ナギが鳴いた。
「なに? 見張りでもしてくれるの?」
期待はしていない、ただの当てこすりのつもりだった。だが、ナギはまた一声鳴くと、木に寄りかかっていた私のポーチの上から降り立ち、地面の上に座り込んだ。
どうやら本当に、見張りをしてくれるらしい。
私はようやく眠気を感じることができて、焚火の炎をなんとなく見つめているうちに、緩やかに眠りに落ちた。
パティエンティアへの道中は、こうしてあっという間に過ぎていく。
現在改稿中です。書き出しからかなり間が空いていたので、設定が矛盾していたり、流れがおかしいところの修正をしています。
随時直しますが、お気付きの点がありましたら知らせていただけると助かります。