ねじまきのうた
火の国。そこは多種族が共存する、鍛冶と冶金の国。
乾燥して荒れた平野部ではほとんど作物がとれず、痩せた土地が広がるばかり。反面、上質な金属を埋蔵する鉱山を多数持ち、その採掘と加工、そしてそれを求める冒険者で栄えている。また、厳しい自然環境から生命力の強い種が多く生息し、モンスターも強力なものが多いのが特徴。────というのが、かつてディルから聞いた受け売りだ。
こうして情報を思い返す分には無味乾燥だが、現実は予想以上だった。それはもう、悪い意味で。
エリクから火の国の首都にはシンボルとして巨大な炉が存在することを聞き出し、向かっている途中。人の争うような声を聞き、私は内心舌打ちしたい気分だった。
もっと早く気が付けば回り道をして上手く避けられたのに、この場所からでは少しばかり面倒だ。仕方なく岩場の陰に隠れながら、足音を消して首都の方へ向かう。
聞きたくもないのに、私の耳が声を拾う。
「……い、何とか言えよ!」
「…………え、い…………。親方は………………は」
細心の注意を払い、物陰から物陰へ移動していく。こんな騒ぎに関わりたくもない。
「……あ? さっきからこいつ、何見てんだ?」
足音が近付いてくる。どうやら二人の男が誰かに絡んでいて、その人物が私の隠れている岩の方を注視しているらしい。
……どこの誰だか知りたくもないが、迷惑だ。ここはひとつやり過ごそう。
私はすかさず手近な岩陰に走ったが、位置が悪かった。ちょうど岩が途切れていて、隠れるのが間に合いそうにない。何事もなくフェードアウトといきたかったが案の定、厳つい男に見つかってしまった。
「あぁ? 新米冒険者かよ。見せもんじゃねえんだぞ!?」
鼻に皺を寄せて、男は私にがなり立てた。
「わかってる。もう行くよ、興味ないし」
おざなりに返して歩き出す。こうなったらもう走る必要はないだろう。男は「お、おぉ」と言い、呼び止めるようなことはしなかった。
「おい、どうした?」
岩の向こうからもう一人の、浅黒い肌をした男がやって来た。右手には髪の毛を掴んで人を引きずっている。被害者は長髪の男か、さもなければ女だろう。
私の返答に気圧された風な厳つい男だったが、相棒の登場に正気に返ったようだ。困惑した風に言う。
「いや、新米冒険者みたいなんだが」
「……通りすがっただけ、邪魔する気はない。もういいでしょ」
嫌な予感がしたので素早くそう言い、立ち去ろうとする。しかし、浅黒い肌の男は逃がしてくれなかった。
「待てよ。そうは言っても人を呼ぶかもしれねえ。恨むな、よ!」
「あ、おい!」
もう一人の制止も聞かず、男は引きずっていた人を投げ出すと殴りかかってきた。単純な動きを上体を右に反らして回避する。
「『火矢』」
とりあえず頬をかすめるようにして、反撃として抜いた短剣から魔法を放っておく。火は尾を引きながら真っ直ぐに飛び、男の皮膚を少しだけ煤けさせて、岩に着弾した。男たちは岩の着弾部が赤熱し、どろりと溶けて陥没するのを見てどよめく。
「チッ、魔術師か!」
「なあ、初級魔法でこの威力ってことは……」
頭に血が上っていても、状況の把握くらいはできるらしい。男は浅黒い肌を怒りで紅潮させながら、被害者を放置して首都のある方角へ走り去っていった。
弱腰な方がそれに続き、こちらを気にする様子を見せるも、戻ってくることはなかった。
新米冒険者とか言っていたので、想像以上の威力に驚いたのだろう。穏便に騒ぎなんて無視して行きたかったのに。一方的に絡んできて彼らは何がしたかったんだろう。
引きずられていた人物は、仰向けになってぴくりとも動かない。
とりあえず近付いて尋ねてみる。
「……死んでる?」
「いいえ」
その人物は発条仕掛けのように上半身を垂直に起き上がらせた。
土埃で汚れた、黒い飾り気のないワンピースと白いエプロン。メイド服を着た人間の少女は耳こそないけれど、どこかラトニアを彷彿させる。乱れた茶髪から垣間見える琥珀色の目で瞬きをし、彼女の視線がゆっくりと私に向けられた。
そして、一言。
「初めまして、ご主人様」
私は無言で彼女を見つめた。彼女も私をじっと見つめた。
今、何て言った? ……ご主人様? 私はこの世界の誰かに仕えられる覚えはない。まして想像するだけで気持ち悪い。
しかし聞き間違え、ではないはずだ。しばらく考えて、私は言う。
「人違い」
「いいえ。ご主人様はご主人様です」
彼女もまた、きっぱりと言い切った。
話が通じない。どうして今日初めて会ったニンゲンに主人扱いされないといけないんだ。
私の直感が告げている。これは私が散々回避しようとしたアレ──面倒ごとに違いない。
私は瞬時に決断を下した。ここは何も見なかった、聞かなかったことにしよう。
無視して歩き続けていればそのうち諦めるはず。そう思い、私は一路、メイド少女を放置して歩き始めた。
そうして日が落ち始めるまで、どれだけ進んだだろう。
夕陽に赤く染まり始めた岩ばかりの荒野。渇いた地面を踏み締めながらこっそりと背後を盗み見ると、結構なペースで歩いているのに彼女は遅れずついてきていた。
ラトニアと似ていると思ったけれど、よく見ると種族も違うし色も違う。共通点はメイド服と、強いて言うなら雰囲気だろうか。ただの服装だけで似ているなんて感じてしまうところ、私もだいぶ精神的に参っているのかもしれない。
所詮はメイド、非戦闘職だ。今は良くても、このまま行けば数時間で引き離せるだろう。幸いにして、火の国の首都は大きな休火山の麓にある。上り坂は彼女にはさぞ辛いことだろう。
背後に付かず離れず感じる気配を無視し、私は火の国の首都へと先を急いだ。
◆◇◆◇◆
数時間後。
首都の宿屋の一室で、私は早くも判断の甘さを思い知っていた。簡素な木のベッドの上で、私は何度目か数えることすら放棄したため息をつく。
「どうかなさいましたか、ご主人様?」
感情の込もらない声で尋ねたのは、部屋の隅で直立不動の体勢をとるメイドだ。
「……あなたの存在にため息をついてたんだよ。そのご主人様っていうの、やめて。鳥肌が立つから」
「ではマスターと──」
「嫌」
「主様」
「嫌。ほぼ変わってない」
メイド少女は首をきっちり15度ほど傾ける。それから、数秒後に澱みなく機械的に敬称を羅列し始めた。
「お嬢様、主人殿、主人様、我が君──」
深いため息が口から漏れる。それを聞き、またメイド少女はさっきと寸分のズレもない角度で首を傾げた。
この話題を続けても不毛だ。やはり私の目に狂いはなかった。彼女は間違いなく、面倒ごとそのものだ。
億劫ながらしばらくは付き合うことになりそうだし、このくらいは聞いておいた方がやりやすいだろう。
「私の名前よりあなたの名前は?」
「…………私の名前はご主人様がお付け下さい」
「嫌。だって名前、あるんでしょ」
本当に初めから名前がないなら、私の質問に答えるまで間なんてできないはずだ。
メイド少女はぱちりと艶やかな飴色の瞳を瞬かせた。それが私の初めて見た、彼女のニンゲンらしい仕草だった。
「……前のご主人様は私のことを、琥珀と」
「そう」
聞くことは聞いた。誰だか知らないけれど、この際だ。この街の異常を探りながら、前のご主人様という人物を探し出せば彼女を押し付けられるだろう。
どうせ短い付き合いだからと、私は一時彼女の存在を許容することにした。横目で見た彼女は、名前通りの色の瞳で窓の外を見ている。視線を追えば遠い夜空に、見るものを嘲笑うような細い月が浮かんでいた。




