森祓いの歌姫
今まで滞在した水の国も光の国も、他種族はいるものの人間が過半数だった。こうしてエルフに囲まれて自分が少数派になると、もっと特別な感覚があるかと思っていたが、別段感慨はない。少数派を通り越して一人だということもあるのかもしれない。
今お茶を淹れてくれているメイドも、もっと「この人間が! 弁えなさい!」とかいう態度をとるかと思いきや、普通の対応だ。
「どうぞ」
私がついている机の上に、メイドの手によってハーブティーらしきお茶のカップが置かれた。
「……ありがとう」
こんな客室で優雅にティータイム。ここ数日と比べると、いい意味で激しい格差だ。昨日は熊モンスターの巣穴(駆除したて)で携帯食料をかじり雑魚寝。その前は監禁部屋で監視体制。さらにその前は、暗殺者の同行者つきでモンスターの出る森に野宿。
決してここも気が抜けるとは言い難いけれど、久しぶりの落ち着いた時間にほっとする。
部屋を割り当てられて食事をとり、現在は食後のティータイムといった所。お茶のカップを手に取ると、きつすぎない花の香りが鼻孔をくすぐる。
私は一口お茶を飲み、メイドに話を振ってみた。
「……もっと人間に反発してくるかと思ってた」
メイドはきょとんとした表情を見せたのも一瞬、すぐに私の言いたいことを理解したようだ。
「ああ、そうです。確かにそういう者もおります。私はこの森から出たことがないので、ナミ様が初めて見る人間ですの。ですから正直に申し上げて、あまり違いがわからないというのもありますわ」
「そう」
「それに、現在この城には人間を蔑視する類いの者はほとんど残っておりません」
「……残っていない?」
ほとんどいない、ならわかる。しかしその言い方では、以前はいたがいなくなったように聞こえる。
メイドは細い三つ編みが一房だけ混じった金色のショートヘアを揺らし、頷いた。
「先の王城で起きたモンスター化事件で、極端な保守思想の者ばかりがモンスターとして討伐されてしまいました。なぜあのようなことが起きたのかは、専門家の分析を待っている状態ですの」
ニンゲンのモンスター化は知らないが、ニンゲンの死体のモンスター化は水の国でもあったことだ。その原因は同じく不明。やはり、皆とよく似たモンスターたちが関わっているのだろうか。
モンスターといえば、国の特別な場所をダンジョン化するというのも、あのモンスターの行動パターンだった。
「精霊樹の塔って、特別な場所なの?」
「特別……? ええと、そうですわね。あそこは精霊の生まれる場所ですので、そういった意味でエルフにとっては特別な場所ですわ。ナナツヨの精霊は、みんなあそこで生まれますの。元に戻ってくれるといいのですが」
メイドは顔を曇らせた。精霊といえば、いると精霊魔法が使える、見えることも才能の一つ、という程度が私の認識だ。
彼女は随分と情を持っているようだが、これも精霊の声を聞くことができるというエルフの種族的なものなのかもしれない。きっと私よりもずっと、精霊が身近なのだろう。
それにしても……やっぱりまた、特別な場所か。何か理由はありそうなのに、まったく見えてこない。
話しているうちに冷めきったお茶を飲み干し、受け皿に戻す。メイドは手慣れた動作でカップを傍らのワゴンに茶器と一緒に回収した。
「それでは、私は下がります。用がございましたら、そちらのベルを鳴らして下さいませ」
扉の前で綺麗に一礼し、メイドはワゴンを押して退出した。
大きくとられた窓の外で、月明かりと星が暗い森を照らしている。
明日になったら忙しくなる。とはいえ特別準備はいらないからもう寝ようかと思っていると、微かな歌声が耳に届いた。はっきりとは聞き取れないけれど、多分監禁部屋を脱出した日の朝に聞いたのと同じ歌声。
窓辺に移動して歌声に耳を傾ける私の眼下、森の奥から突風が吹いた。森の木々が不自然に揺れる。歌が途切れ、静かな夜でも注意しなければ気付かないような、小さな悲鳴が聞こえる。
しかもあの方角は、精霊樹の塔の方だ。まさか、エルヴィンが夜襲に打って出た……?
詳細はわからなくても、部屋に籠っている場合ではない。
私は部屋を飛び出した。途中で会った使用人にヴァイスへの伝言を頼み、精霊樹の塔へ急ぐ。
精霊樹の塔に近付くだけで異変が感じ取れた。嵐でもないのに風が荒ぶり、轟々と唸っている。
森が拓けたところで私の視界に飛び込んできたのは、精霊樹の塔の前で頭を抱えてしゃがみこむ姫と、それを襲う2体の球体関節人形のようなモンスターだった。
アーニングパペットというらしいそのモンスター。城で討伐した時にはまさに人形といったようなぎこちない動きだったのに対し、この2体の動きは偽エルヴィンと比べても遜色ない洗練されている。
竜巻のように姫の周囲を風が渦巻き守っているのだが、アーニングパペットは兵らしき服を着た一体が両腕を木製のドリルのような形態に変化させ、執事服のもう一体がさらに同じ箇所を狙って木の槍を放ち、守りを突破しようとする。
私は乱れる髪を手で押さえた。
木立に隠れたまま火矢で急所を貫くのが最善なのだが、風が強すぎる。多分このままでは外してしまう。
城で遭遇した程度ならどうにでもなるけれど、特別仕様の2体が相手では、不意打ちが成功しなければ厳しいだろう。
ため息をついて込み上げる罪悪感を押し込め、私はポーチに手を入れながら詠唱した。
「……『来たれ』」
すぐ脇の木の陰に、エルヴィンが喚び出された。
エルヴィンが長弓を構えて2本の矢を同時放つと、矢は荒れ狂う風を強引に突き抜けて、2体のアーニングパペットの心臓部を正確に射抜く。
一拍遅れてアーニングパペットの体が糸が切れたように倒れ伏し、エルヴィンもまた姿を消した。
姫は恐る恐るといった風に頭を抱えていた手をどかし、不安そうな面持ちで辺りを見回している。
「……無事そうだね」
私は言葉をかけてから、姫の前に歩み出た。声にびくりと肩を震わせた彼女だったが、私の方に目を向けて安堵の表情を見せる。
「あ……ナミ、さま」
暗闇の中で小さくなってしゃがむ姫は、人間換算で15歳くらいの外見年齢だというのにさらに幼く見えた。白いドレスが花のように地面に広がっている。
「……戻るよ」
「お、お待ち下さい」
城に戻ろうと姫に背を向けた私は、振り返って彼女を見下ろした。
「…………何?」
「もう少しだけでいいのです。わたしに時間をくださいませんか?」
「嫌。あなたがその間に怪我をしたら、私の責任になる」
王族に傷をつけさせた責任なんてとれないし、とりたくもない。
姫は縋るような目で私を見上げた。
「日に一度、王族は歌を精霊樹の塔へ捧げる役目があるのです。どうか……どうか、お願いします。わたしは澱みを祓わなければなりません」
「澱みを……祓う?」
「は、はい。そのための特別な歌唱魔法があります。神から授かったと、伝わっています。澱みというのは、簡単に言えば膿んだ記憶ですので」
私は目を眇めた。
ヴァイスの話から姫は事なかれ主義なのだと思っていた。それも何もしない、何の能力も知識もない身分だけお飾りの。しかし、彼女も王族。その知識には、価値があるようだ。
澱みが何なのかなど、答えられたのは彼女が初めて。
「護衛はどうしたの? 目が見えないなら付き添いもいるでしょ?」
「いいえ。ここには一人で来たのです。目は見えませんが、その分精霊がわたしに色々なことを教えてくれますから」
精霊のお気に入りということなのだろうか。死霊術以外の才能ナシと金の国の魔術顧問に明言された身からしたら、羨ましくもある。護衛もつけずに夜歩きするなど姫の行動としてはありえない。しかしながら、横槍の入らない場所で彼女の知識を利用できるこの機会を利用しない手はない。
「……わかった。その間私が護衛する。代わりに、歌い終わったら私の質問に答えて」
「ありがとうございます!」
「…………気にしないで」
『私の関心はあなたの身の安全ではなく、その頭の中にあるのだから』。この言葉は、あえて言わなかった。
姫は立ち上がると、ドレスの裾を汚す土を払いもせずに歌い始めた。
「『荒涼たるこの世界で
願いは言の葉となり 祈りは魔法を成す
祓いましょう 抱いて眠った悲しみも
清めましょう 叶わわず泣いた苦しみも
澱み溢れたその記憶 膿んで狂った秩序の環
すべては潰え 忘却の先へ』」
月明かりが照らす夜の森を、歌声が響き渡る。彼女が歌う度に風が踊り、木の葉をざわめかせながら森を吹き抜けていった。
アーニングパペットのドロップアイテムと魔晶石を拾いながら待つ私の耳を通り抜ける、意味深な歌詞の歌。
綺麗に並ぶ音階から漏れる魔力を感じる傍らで、精霊樹の塔から立ち昇る澱みがゆらりと震え、わずかに薄くなった気がした。




