木偶の城
一歩エントランスに足を踏み入れれば、ひっきりなしにヒトの悲鳴や争うような音が聞こえてくる。城から逃げるヒトビトが、断続的に出口に押し寄せている。
今の私には以前ここに足を踏み入れた時のような幻を見せる魔法はかかっていない。にも関わらず、排他的なエルフたちもこの騒ぎでは、私の種族が人間ということに意識が向かないようだ。
ヴァイスが逃げ惑うヒトビトに話を聞き、悲鳴のような声を上げた。
「リーファ様がまだ中におられる!?」
そして彼はエントランスから左手の棟に走っていった。
おそらくお姫様のところに向かったのだろう。エルフの王城は大まかにエントランスから左右の棟に分かれている。
戦闘能力は偏らない方がいい。ユーグ、私、ヴァイスなら、この順に強い。ヴァイスは精霊魔法こそ強力だが、戦闘が本分ではないのだ。
「私は左手の棟に行く……。あなたは右手を」
「んー、厳密には職務外なんだけど。まあ、ヒトっぽいのが殺れるならいいかな」
ユーグは暢気にそう言うと、風のように右手の棟へ走り去った。
私も左手の棟に向かう。ヴァイスは上階へ向かったようだ。
この世界では魔法はあっても建築技術や建材の関係なのか、せいぜい建物は3階までだ。この木の国の城はやや小ぶりなこともあり、2階造り。
エルフの兵たちも広い廊下や階段で戦っていたが、彼らの得意な魔法は風や水のものがほとんどで木属性の敵には相性が悪いのだろう。自分の相手をどうにかするだけで精一杯といった様子だ。今の最優先はヴァイスの支援なので、他の兵はとりあえず無視して進む。
上階の長い廊下にヴァイスの姿を見つけた。3体の球体関節人形のようなモンスターを相手に手間取っているようだ。氷結させても風で切っても、すぐに体を再生させて動き出す。
彼自身は水の盾を半球形に展開しているため無傷のようだが、互いに決定打がない。ヴァイスが盾の内側に庇う少女が姫なのだろう。
私は短剣を振るい、論理魔法を発動させる。放たれた3本の火矢はヴァイスの盾を避けてモンスターの頭部に命中し、火で包んだ。頭髪があって使用人の服を着ていても、中身は見た目通り木製らしい。火はモンスターの髪を焦がし、首から下へと燃え広がっていく。
それでも燃え盛る松明のような腕をぎこちなく振り回し、モンスターはヴァイスの水の盾を執拗に叩く。
やがて胸部まで燃え尽きて、ようやくモンスターは動きを止めた。消し炭じみた残骸もやがて消え、後には魔晶石と拳大の木の塊が残る。
ヴァイスと姫を覆う水の盾が消えた。
姫が私の方を振り向き、口を開く。
「ありがとうございます」
可憐な花のような、シンプルな白いドレスに包まれた華奢な肢体。薄い色の金髪はエルヴィンとよく似ている。しかし、その薄紫色の瞳の焦点はどこにもあっていなかった。
「姫様、城は現在危険です。避難しましょう」
言いながらヴァイスが姫の細い手を取って歩き出すに至り、私は姫が盲目だと確信した。
「……ヴァイス、姫の目は」
「はい。わたしの目は生まれつき何も映しておりません」
答えたのはヴァイスではなく姫だった。
「そう」
ヴァイスが姫の手を引く。
私は彼らを守りながら、散発的に襲いかかる人形のようなモンスターを倒して城の外へ出た。
辺りは完全に日が落ちて、暗闇をいくつかの魔法の光球が照らし出していた。
逃げ出したエルフたちは城の裏手に集まっており、兵士たちが周囲を警戒している。私はヴァイスと姫、そして道中合流した隊長格の兵士と共にそこに向かった。
途端にヴァイスの無事を喜ぶ声が上がる。姫への声もないではないが、ヴァイスの五分の一以下だったことからも人望の差がわかる。
ヴァイスの人望の高さがすごいのか、姫の人望がなさすぎるのか。ヴァイスから聞いた話では姫はかなり影が薄いようだったし、こんなものなのだろうか。
「私が城を離れている間、何があったのですか?」
ヴァイスの問いに、ここまで同行してきた隊長格らしき兵士が答える。
「一刻ほど前、突然城勤めの者たちの一部が木の人形のような姿に変化したのです。兵士や使用人まで……」
「原因は?」
「現在、モンスターになった者たちの名簿を作成しています。ですが」
「何かわかったのですか?」
「兵士で変化した者たちは、いずれも数日前から様子がおかしかったような気がするのです」
「……わかりました。このまま城に残った兵たちが残党を処理するのを待ちましょう。私は事情を説明します」
「お待ち下さい。そちらの人間はいったいどなたなのですか?」
隊長格の顔にはありありと警戒と疑念が見える。こんな緊急事態に、いなくなっていた王佐と共に現れた不審人物への対応としては普通だ。
「それも追って説明します」
ヴァイスは私に、「エルヴィン様を」と言った。
まあ、死霊を見せるのが一番簡単な証だろう。
私は頷き、ポーチの中からエルヴィンの髪が入った包みを選び出して詠唱する。
「『来たれ』……」
髪包みに燐光が集まり、私のすぐ前にエルヴィンが喚び出された。
「エルヴィン様?」
「だけど左腕が」
「…………静かに!」
夜闇に広がるざわめきを、ヴァイスは一声で制した。
「エルヴィン様は……すでにお亡くなりになられています。彼女は死霊術師のナミ。エルヴィン様の所属されていたギルドの構成員です」
「で、では……そこに立っているのは」
「エルヴィン様の死霊。そして、今までエルヴィン様として振舞っていたのはモンスターです」
「う、嘘だっ。モンスターならば、あのようにニンゲンらしく動けるはずがない!」
悲鳴のように誰かが言った。
「エルヴィン様のギルドは構成員全員が、ここにいるナミ様の目の前で消し飛んだそうです。先ほど、私はナミ様たちがエルヴィン様を襲うのを見ていました」
見ていたも何も協力していた。
嘘ではないが、やはり王佐が王を害する者に協力したというのもまずいか。私は空気を読んで無言を通すことにした。
「エルヴィン様は、欠けた肉体をあのモンスターによく似た木の部品で補いました。アレはもう、ニンゲンとは言えません。しかもエルヴィン様が何かしたらしく、精霊樹の塔は澱みを纏うようになっています」
「せ、精霊樹の塔が害された!? そんな馬鹿な!?」
「だ、だがその人間はなぜここにいる!」
話の矛先が私に向いたので、私は口を開いた。
「……仲間だから。始末は私が。それに、神に会った。仲間の姿をしたモンスターと魔女を殺したら、皆を生き返らせてもらえる」
「そんな馬鹿な話! しょ、証拠はあるのか!」
「救世の勇者は、【浄化】のギフトを持ってる」
私は長らく見てすらいなかったギルドカードを取り出し、ヴァイスに渡す。
ヴァイスの顔は平静そのものだが、手が小さく震えている。どうしてなのかわからない。ああ、だけどそういえば、私はヴァイスに神がらみの話をまだしていなかった。
必要がなかったといえばそれまででも、急に飛び込んできたらとんでもなく衝撃的な情報なのだろう。神が実在するこの世界では、特に。
「……確かに。ナミ様のギフトに【浄化】と記されています」
返却されたカードをポーチにしまいこむ。
流れた居心地の悪い沈黙を割り、ヴァイスは再度言葉を発する。
「ナミ様を王城の客人として迎えましょう」
ヴァイスは王城でのモンスターの殲滅状況を聞くために、護衛として残っていた兵の一人を送り込んだ。その兵が王城に入ってすぐに、他の兵たちも帰還してくる。
「レヴィン様、ただいま帰還いたしました」
生真面目そうな女エルフが、レヴィンというらしい隊長格にそう報告した。
「ああ。しかしベリル、顔色が悪いようだが。戦闘で不覚をとったのか?」
女エルフは顔色は優れないまま、首を振って否定する。
「そういうわけではないのです。ただその……不気味な現象が城内で発生しまして」
「不気味?」
「はい。わたくしどもの隊は、モンスターの心臓の位置に急所があるとまではわかったものの、見かけによらない剛力に苦戦していたのです。しかし、と、突然……」
女エルフは思わずといったように自身の体を抱いた。
「突然、周囲にいたモンスターの急所が魔法で射抜かれました。一瞬のうちに、それなのにわたくしどもの他には誰もいないのです」
助けておきながら姿さえ見せないというのが不気味で、と彼女は言った。
「……正体不明の戦力が、いまだいるということか。モンスターの殲滅は終えたのだろうな?」
「はい」
「警戒を強めるように」
「はい」
見ない顔だから、女エルフは右手の棟の担当だったはず。ユーグはうまくやってくれたようだ。
ヒト相手の戦闘を好むようだから、まさか兵まで皆殺しにしないか一抹の不安はあったけれど、考えすぎだった。異常な部分はあってもプロはプロ。
後は明日、夜が明けたらユーグと合流してエルヴィンの討伐を実行しよう。
私はエルフたちの波に乗り、王城へと移動していった。




